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University トルキスタン ・トルコ系諸集団とモンゴル帝国 はじめに モンゴル高原に覇を唱えた遊牧ウイグル帝国が西暦九世紀中葉に崩壊し、数十万のウイグル遊牧民が諸方に分散し たことを契機として、ユーラシア草原地帯のトルコ系遊牧集団は玉突き状に移動して中央アジア・西アジアの定住農 耕地帯に進出した。彼らは各地で騎馬軍団の軍事力を中核とする政権を確立するとともに、定住地帯のさまざまな文 化ー言語・宗教・行政制度・学術などーを摂取した。その代表的な政権として、甘粛河西の廿州ウイグル王国、 東部天山・タリム盆地北半を占めた西ウイグル(天山ウイグル)王国、セミレチェ(ジェティスウ)からタリム盆地西南 辺・アム河北岸にまで拡大したカルルク族集団を母体とするカラハン朝を挙げられる。これらの諸政権の支配下で、 (1) 特に九世紀末以降、天山山脈と毘裔山脈に囲まれたタリム盆地、またパミール高原以西カスピ海以東のカザフ草原南 方とヒンドゥークシュ以北を「トルキスタン」(トルコ人の住地)とみなす認識が確立した。このうちカラハン朝は一〇 11 シャー朝などのイスラーム諸王朝が西アジア・西北インドに成立したことで、天山 世紀末までにはほぼ完全にイスラーム化し、さらに―一世紀以降には同じくトルコ系集団を中核支配層とするセルジ ューク朝・ガズナ朝・ホラズム 巧2 1 3 3 問題群― Iq n 邑さ Fu‘chou, 山脈の東端からアナトリア半島に至るまでのユーラシア中央・西半域はトルコ系勢力の支配下に置かれることとなっ た。そして一三世紀初頭から中葉にかけて、彼らは相次いで新興のモンゴル帝国の支配下に統合されていった。 ニ――_―四世紀のモンゴル帝国時代をューラシア世界史上における騎馬遊牧民の影響力が極大化した画期と捉える 視点に立てば、 トルコ系集団の第一の歴史的意義はモンゴル帝国の軍事拡大の協力者となったことに求められる。モ 11 スルタン朝にとってさえ、 モンゴル ンゴルに吸収・統合されたトルコ系遊牧集団は帝国の遠征事業に参加し、またときに再編を被りつつユーラシア各地 の軍事支配に協力した。 モンゴル支配圏の外縁に在ったマムルーク朝やデリー 方、頭 から亡命したり、あるいは軍事奴隷として輸出されるトルコ族が軍事的な価値を有したことも周知である一。 書したように、「トルキスタン」を成立させたトルコ系集団は、草原地帯からューラシア内陸の定住地帯に進出して 農耕民・商業民を統治下に加えるという歴史的経験をモンゴル帝国に先んじて蓄積しており、多元的なユーラシア世 界を統治するためのモデルをモンゴル帝国に提供することになった。 このような歴史現象としての「トルキスタン」の成立の過程と、そこで生じた多元的な人間集団の接触・融合がモ ンゴル帝国の拡大発展に与えた影響を確認することが、本稿の射程である。 ウイグル西遷からモンゴル帝国時代に及ぶ「トルキスタン」の歴史再構成には、ユーラシア東西の編纂史料(漢 トルキスタン東半部(おおよそ現代中国の新弧ウイグル自治区に相 語・ペルシア語・アラビア語・チベット語など)に加えて、 当する)発現の古文献資料や考古遺物・美術資料が、現地出士の一次史料として重要な価値を有する。これらの古文 チ語 ベ、 ッ梵 ト語、 献資料は、古代トルコ語(ウイグル語)、中世イラン諸語(ソグド語・中世ペルシア語など)、トカラ 漢語、モンゴル語などの各言語ごとに文献学的検討が進められるとともに、その歴史的な背景についての考察も精緻 化されている。 そこで本稿では、九ー一四世紀のトルキスクン東半部の歴史展開の主役となったトルコ系ウイグル族がューラシア (2) 各地に遺した古代トルコ語(ウイグル語)文献の研究成果を軸に、ユーラシア内陸部のトルコ化さ 11トルキスクン I 3 4 「トルキスタン」化の実態 らにモンゴル帝国時代にウイグルをはじめとするトルコ系集団がユーラシア広域で展開した活動を概観する。 —, 一九八九~一九三、一―――頁)。これに一 対九 し九 、七年の第二次『岩 民となりきっ」ていく過程として叙述した(山田 四フ 世紀 に域は、 どがあった。特に西ウイグル国の冬都となった高昌(カラホージャ)を中心とするトゥル ァ以 ン降地 1 3 5 ソグド人と同じく西ウイグル支配下におかれた天山南麓のオアシス諸都市の住民には、印欧系のトカラ人や漠人 人のウイグル化」の実態再構に貢献している(吉田豊二 01 ―)。 グド人が自身のソグド語文法をゥイグル語文法に従う形で創造的に改変したことを新発現資料から解明し、「 10世紀前後のソグド人とウイグル人の相互接近を論じた(吉一 田九 豊九七)。吉田はその後も、ソ _口語文化交渉と、 ソ、 グド人・トルコ系諸族の とする単線的な理解を修正した(森安二0 二在四一三—四二七頁)。同巻では、吉田豊も 統的にはイラン系ソグド人であったことを示し、「トルキスタン化」を遊牧民の「文明化」(11定住化・都市化 の古代ウイグル語・ソグド語文献と図像資料の分析を通じて、九ー―一世紀頃の「ウイグル商人」の多くが 波講座世界歴史』(第一一巻『中央ユーラシアの統合』)で「《シルクロード》のウイグル商人」を扱った森安孝夫は、各 トルキスクン・トルコ系諸集団とモンゴル帝国 の歴史的前提を用意しており、これらの諸政権の支配地域のトルキスタン化を「トルコ族が完全にオアシス II の受容や草原地域での都城建設などの 文明化 Iが I 甘州ゥイグル・西ウイグル・カラハン朝による定住地帯への進出 じられた(第六巻『古代六 東アジア世界の形成三』)。山田は、漠北ウイグル時代に進んでいたトルコ遊牧民の経典宗教 一九七一年の第一次『岩波講座世界歴史』では、「トルキスタンの成立」とその世界史的意義は山田信 ヽ • • • 問題群 冒 注 ~~~~~~~ :J~i,し :'’;'~99. :卜 '‘;~4 0 一八)。一方、当時のトルコ系集団の居住地域はいわゆる はセミレチェ地域を限定的にさした可能性が高い(吉田豊二 (月百 n) 八九i―八九ー一九 0 頁、森安― 10一五~―二七頁)。ペルシア語と同じくイラン系のソグド語では、七ー九世紀の「トルキスタン」 (l)ペルシア語の「トルキスクン」のさす具体的な地理範囲は、トルコ系集団の住地の歴史的変遷に応じて変化する(山田一九 巧2 「トルキスタン」に限定されない。すでに六ー七世紀にはブルガルやハザルなどのトルコ系集団がアゾフ海·黒海北岸に逹して 四)。 9e 9 2 ) たヒンドゥークシュ山脈の南側にも七世紀後半にはトルコ系ハラジュ族が進出していた(稲 、 ま n 0葉 0二 おり (Gol1d )村 、( 森二 安(0二一六)、 、0梅 00 (2)八世紀からモンゴル帝国時代までのウイグル集団の通史概説としては、梅村(一九九九) O) 森安(二01― が有用である。 a(a^ z^ ・m サa ンd ガaダ (S器 an sス a) (3) ガザン・オルジェイトゥ時代に重用されたウイグル人部将ダルマダス(T 目marazAADhar 三:八 0 四ー八 0六頁)。ただし、これらの人名も彼らの仏教信仰を傍証しない。『オルジェイトゥ史』によればダルマダスはシー ) 弟がみな梵語由来の仏教ウイグル語名をもつことは十分に認識されていない(志 屈)・アラトナ(ど amaAで ma兄 S 0茂 1二 品百 d してアラトナ侯国を建国する。 スレ 解グ 体後にアナトリアで自立 1ウ 1 ア派に傾俄していた。末弟アラトナもアラーウッディーンというムスリム名をもち 、ルフ 参考文献 稲葉穣(二00四)「アフガニスタンにおけるハラジュの王国」『東方学報』七六号。 安部健夫(一九五五)『西ウイグル国史の研究』彙文堂書店。 100 二)「チンギス・カンの大ヤサ再考」『中国史学』―二号。 宇野伸浩(― 梅村坦(一九七七)「―-―-世紀ウィグリスタンの公権力」『東洋学報』第五九巻一・ニ号。 域の歴史構図ーニ――_―五世紀の東西』総合地球環境学研究所。 ' ' ' ' IOI 三)『モンゴル帝国の軍隊と戦争』山川出版社。 川本正知(― ア 教央 史ア 0ジ5 橘堂晃一(二0I0)「東トルキスタンにおける仏教の受容とその展開」奈良康明・石井公成編『新アジア仏中 ー文明・文化の 交 差 点 』 佼 成 出 版 社 。 橘堂晃一(二0 一七)「新発現のウイグル訳『仏説善悪因果経』」『内陸アジア言語の研究』――一七号。 三省堂。 庄垣内正弘(二00三)「文献研究と言語学」『言語研究』――一四号。 遺産』東京大学出版会。 四)「ユースフ『クタドゥグ・ビリグ』とカーシュガリー『チュルク語諸方言集成』」柳橋博之編『イスラーム知の 菅原睦(― -0- 四)『モンゴル帝国と大元ウルス』京都大学学術出版会。 杉山正明(―100 高田時雄(一九八五)「ウイグル字音考」『東方学』七〇輯。 ツィーメ、ペーター(-九九五)「高昌ゥイグル王国の宗教と社会(三)」小田壽典訳、『豊橋短期大学研究紀要』――一号。 中村健太郎(二00七)「ウイグル語仏典からモンゴル語仏典へ」『内陸アジア言語の研究』ニ―一号。 白玉冬•松井太(二0 一六)「フフホト白塔のウイグル語題記銘文」『内陸アジア言語の研究』三一号。 トルキスクン・トルコ系諸集団とモンゴル帝国 1 5 3 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.Golden( e d s . ) ,TheCambr i d geHi s t o r yo fInnerAsia:theChin邸isid Age ,Cambr i dg e :Cambr i dg eUni v e r si t yP r e s s . Bi r a n ,Mi c h a l( 2 0 0 9 ) ,"TheMong o l si nCem : r a lAsi af r omChi ng g i sK h a n ' sI n v a s i ont ot h eR is eofTemir " ,Ni c o l adiCosmo,A l l e nJ .Frank B o r b o n e ,Pi e rGi o r g io ( 2 0 0 3 ) , . .IVange l ipe rl ap r inc i pe s s aS a r a " ,Eg i t t oeV i c i n oOr i e nt e2 6 . B o r b o n e ,Pi e rGi o r g io ( 2 0 0 5 ) , "Some ふp ects ofTurco‑Mon g o lChr i s t ia ni t yi nt h eL i g htofL i t e r a r yandEp i g r a phi cSy r ia cS o u r c e s " ,j o u r n a lo f A s s yr i anAcademi cSt u di e s1 9 ‑ 2 . B o r b o n e ,Pi e rGi o r g io ( 2 0 0 8 ) ," Syr ot u r c ic a2 :ThePr ie stS 担gis i nt h eW hi t ePa g o d a " ,Monument aS e r i c a5 6 . B o r b o n e ,Pi e rGi o r g io ( 2 0 2 1 ) ,Hi s t o r yo f MarY a h b a l l a h aandRabbanS a u m a ,Hambur g :Tred i t io n . B r o a d b r i dg e ,AnneF .( 2 0 1 9 ) ," C a r e e r si nDiplomac yamongMamluksandMon go l s ,658‑741/1260‑1341 ' ' ,F r e d e r i cBaudenandMa l ik aDek‑ ki c he( e d s . ) ,MamlukCa i r o ,aC r o s s r o a d sf orEmbassie s ,Le i d e n / B o st on :B r i l l . C l a u s o n ,G e r a r d( 1 9 7 3 ) ,"TheTur k ish‑Khot a n e s eV o c a b u l a r yR e ‑ e d i t e d " ,j s / a mT e t ki k l e r iEns t i t i . i s i .Der g i s i5 . C l e a v e s ,F r a nc i sWoodman (1955),‘、An E a r l yMon g ol ia nLoanCon t r a c tf r omQa r aQot o " ,Harvardj o u r n a lo f As i at i cS叫,es 1 8 ‑ 1/ 2 . Dankof f , Rober ta ndJ amesK e l l y( 1 9 8 2 ) , Ma l ; imi id al-K話yari, Com pend i um o fthe TurkicDialects ,Vo . lI , Bloomi ng t o n :H a r v a r dUni v e r si t y P r e s s . Di c k e n s ,Mark( 2 0 1 0 ) ,"Pa t r i a r c hTi mot hyIandt h eMe t r opol i ta no ft heT u r k s " ,J o u r n a lo ftheRoyalAsiat icS o c i e t y2 0 ‑ 2 . Doer f e r ,G e r h a r d( 1 9 6 3 ‑ 7 5 ) ,Ti .r k i s c h eundmon go l i s c h eE l e m e nt ei m Neu pe r s i s c h e n ,4v o l s . ,Wi e s b a d e n :F r a n zS e t in er . 、 I^-い←- Dut u r a e v a ,Di ln o z a( 2 0 2 2 ) ,Q a r a k h a ni dR o a d st oCh i n a ,Le i denandBost o n :Br i l l . ,、タ-べ.'^ぺ,.い、I^^ E r d a ! ,M a r c e l( 1 9 8 4 ) ,"TheTurk i s hYarkandDocumen t s " ,B u l l e t i no ftheSchoolofOrientalandAfricanStudie s4 7 ‑ 2 . G o l d e n ,Pet e r( 1 9 9 2 ) ,AnI nt r o d u c t i o nt ot h eHi s t o r yo ftheTurkicPeoples,Wiesbaden:Ot t oH a r r a s s o w i t z . St ud i e s4 . 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K a r a ,Gy o r g y( 2 0 0 3 ) , "Medi a e v a lMon go lDocument sf r omKharaKhot oandE a stT u r k e st a ni nt h eSt .Pet e r s b u r gB r a n c hoft h eI n st i t u t eof Ori e n ta lS t ud i e s " ,Manuscr i p t aOr i e nt a l i a9 ‑ 2 . K l ei n ,Wassi l i o s( 2 0 0 0 ) ,Dasn e s t o r i ani s c h eChr i s t e nt umand e nH a n d e l s w e ge nd u r c hKy r gy z s t anb i szum1 4 .J h . ,Turnhou t :B r epo l s . 囲迦 t i o n a lCon f e r e n c eo fEasternStudie s5 0 . Ma t s u i ,Da i( 2 0 0 5 ) ,"Taxa t i onSys t emsa sS e e ni nt h eUi g u randMon go lDocume n t sf r omTur f a n :AnOverv i e w " , Tramac t i o n so ftheInternaュ Ma t s u i ,Da i( 2 0 2 3 6 ) ,"Uig h u rS o u r c e s " ,Mi c h a lBi r a nandK im Hodong ( e d s . ) , TheCambr i d g eHi s t o r yo ftheMongolEmpir e ,Vo . lI I :S o u r c e so n Ma t s u i ,Da i( 2 0 2 3 a ) ,OldUi g urAdmi ni s t r at i v eO r d e r sf t omTur f a n ,Turnhou t :B r e po l s . t h eMon go lEm p i r e ,Cambr idge :Cambri dg eUn i v e r si t yP r e s s . n入中f芭尋詣咲 1こ, Ma t s u , iDa iandRyokoWa t a b e( 2 0 1 5 ) ,"AP e r si a n ‑ T u r k icLandS a l eCont r a ctof660AH/1261‑62C E . " ,Or i e nt5 0 . n1こ 1 回裳゜ Ma t s u , iDa , iRyokoWat a b eandHi r o s hiOno ( 2 0 1 5 ) ,"ATur k ic ‑ P e r si a nD e c r e eo fTi mur i dMfran 饂 of 800AH/1398C E . " ,Or i e nt5 0 . Mor i y a s u ,Ta k a o( 2 0 1 9 ) ,Cor pu so ftheOldUighurLet t e r sf t omt h eE a s t e r nSi l kR o a d ,Turnhou t :B r epo l s . 入f Mor i y a s u ,TakaoandPe t e rZi eme( 1 9 9 9 ) ,"FromChi n e s et oUi g h u rDocuments", 『ご型ド';\ド llll謬旦釘苓§点』 K S a y l J al-Ijukam訊 ‘Imad a l ‑ D f o•翠活置←・年共+((I 1 0I 斗)「';入ギ I" 疇蓉入ギャド=心戸メ姻こ中ゞ1l 之巽・゜(全入卜叡噂併 キ 1[4 筈<P以攣奎匿 11Ilそ」『こ抵心\ド llll詣鱈車恕』 1111 ID灼゜ 遮裂巨 ug I 冒 9 心>釘名 r が9、9,'’§‘9,95,ぃk .: 9^ ,?'i9,9 ヽ窓令焔忍 urharflie rbakt!,Bochum. t pl Uy g s e r l e r z n eo u bi "u,1'999,999,'JI99.,'999,99,999‘9,'9‘,r.,','9~,9999999,9,999,',',‘,9,9,',9,'99,',‘、9','‘’ , :t<i~f4,9'ぐ・‘,/し‘:1し:,;;^:4、9、,~'、いへi.99' n i( 1977), j ,ldmidevreni 9,;19,;"9999r,,9"',‘,93V999,'9,~J,'’’J99,9 ,J 9『 ~J ~ー 9. '• こ, /1‘ 、~勺 ~、9 /~:、ヤ▼:Jぶ~し‘ /~ y k a a,OsmanF i k r r t Se p JI . is t e baden: Harrassowiz ̲̲ 3,'l..9999,9} ani d Iran", Eva R insen. 'a`’£'999’,9,‘T.9 ヽ 書も文明も救われた。また、ポーランド、ハンガリーと劫略 うして「タルタル人」の名は一気に定着した。これで神も聖 だ、それが今その岩山を破って躍り出して来たのだ、と。こ 悪な容貌も恐るべき強さもおぞましい悪業もまさにびったり 岩山に閉じ込められたとも伝えられる。これに違いない、醜 eォa, JlK y U' l ,a Tnd A . Csat6, Lars Johanson,AndrasRonaぢ olミn f' m3T )a, o goo (2006),Mongo gur n Uih ip t i oミA ei:Academi aSn Tumurt i nMonumens la Script(X i ca. g II I'XIVt Cミ `n i W ta v n( anandTur Is 2016), "TheRoleandFunctiono fMongoli i I呑 k ic n I s , a s( e d s . ) , TurksandIrana BoU t in <笞与 u t r p T fn)Kyoto: t tersUnearthed in Baz苓 ,Y aka (2019), ThreeMani ia i nLe Yoshd chaeanSogd a ak)ミ Ji ) ] ; peB ex aHH HII1e. MocKBa: py c C K l l i lH ~、、 a ) llIHCbyiirypCKHMIlllCbMOM", ! {e p 6/laJl P ycb2016,l. T: Jl) 竺 lH l ] J e B H ep y ^) 旦3 ( lM cpw MOCKOBCKHX )b KOB ( (I l U Mopo30B,) 2H 006 ,rpcKue aBTo a ccKOH lH I J l O M a T H K e ) " , IlaMJm 1 1 o r r o n H e H H eKl ー " ) ] ; peBHe 3 0 B , ) : ( M H T J ) l l l l( 2 0 1 6 ) , M op0 コラム IColumn タルタル人 高田英樹 ' ツェに奇妙な風体の異人が姿を見せる。トンガリ帽と課まで も社会も無傷のまま救われた。 ぜか東に戻って行った。こうしてヨーロッパは、自然も人間 かく存亡の危機を逃れたヨーロッパは、彼らがやって来た ャ・ローマの古典にも書かれていなかった。では、聖書は間 かったからである。そうした民族のことは、聖書にもギリシ はあまりにも異様で、どこからやって来たのかすら分からな ヨーロッパを霊撼させた。その軍はあまりにも強くその人問 話は一―-0 年余前に遡る。―二四 0年、モンゴルの出現は 野蛮そのもの、まさにタルタルと呼ばれてふさわしいと。こ 彼らの報告は期待どおりのものだった。自然も人間も社会も 遣する。その最初がカルピニとルブルクである。帰って来た を思い知らされた。そこで、布教を名目に修道士を偵察に派 その未知の民のことは、西方には最初に侵略されたルーシ ているという、自分たちの世界像•世界観が間違っていない スラム世界が取り巻き、そのさらに外に未開の世界が拡がっ ト教が被さって成ったヨーロッパを中心とし、その周りをイ を通じて、モンゴルではなく「タタール」の名で伝わってい しかし、修道士たちが至ったのはカラコルムまでであり、 ことを確侶した。 アレクサンドロス大王によってカフカスの「鉄門」の彼方の なる者がそこを統べているとの噂も聞こえていた。 「タルタリ」と呼ばれていることを見付けた。またその民は、 ると伝えられるし、キリスト教司祭にして王のヨーハンネス 教では「地獄」と同じ意味て使われ、そこに棲む悪靡の民は そのさらに東にはかの絹がやって来るという豊かな大国があ 話に「タルタロス」(奈落)なる言葉があり、それがキリスト た。と、イギリスの修道士マシュー・パリスは、ギリシャ神 違っているのか、神は完全ではなかったのか? うして彼らは、古代ギリシャ・ローマの文明の故地にキリス 求めて?滅びゆく祖国の救援か、それとも我が魂の救済か。 という東方や北方ひいては世界について、何も知らないこと 扉を叩くその後姿は、まさしくタルタル人だった。一体何を の衣に長々と辮髪を垂らして聖マリーア・ノヴェッラ教会の ――――六八年、モンゴルが北へと遁走したその年、フィレンした後、今にもローマに襲い来たらんとしていた彼らは、な • I 5 8 I5 9 ' •• 【責任編集】 【執筆者一覧】 荒川正晴(あらかわまさはる) 松田孝一(まつだこういち) 1955 年生大阪大学名誉教授中央アジア古代史,唐帝国史.『ユーラシアの 交通·交易と唐帝国』(名古屋大学出版会. 2010 年). 1948 年生大阪国際大学名誉教授モンゴル帝国・元朝史 飯山知保(いいやまともやす) 1976 年生早稲田大学文学学術院教授中国社会史 弘末雅士(ひろすえまさし) 1952 年生.立教大学名誉教授.海域東南アジア史.『海の東南アジア史―港 松井太(まついだい) 1969 年生大阪大学大学院人文学研究科教授.中央アジア史. 市・女性・外来者』(ちくま新書, 2022 年). 関周ー(せきしゅういら) 1963 年生宮崎大学教育学部教授.日本中憔史•海域アジア史. 【編集協力】 向正樹(むかいまさき) 1974 年生同志社大学グローバル地域文化学部准教授.海域アジア史. 宇野伸浩(うののぶひろ) 1958 年生.広島修道大学国際コミュニティ学部教授.モンゴル帝国史.『「世 界史」の世界史』〈MINERVA 世界史叢書〉(共著, ミネルヴァ書房, 2016 年). 高橋英海(たかはしひでみ) 1965 年生東京大学大学院総合文化研究科教授.シリア語文献学. 渡部良子(わたぺりょうこ) 四日市康博(よっかいちやすひろ) 1969 年生東京大学文学部非常勤講師.前近代イラン史・ペルシア語書記術 1971 年生.立教大学文学部准教授.ユーラシア交流史•海域アジア史.『モノ の歴史 から見た海城アジア史―モンゴル~宋元時代のアジアと 13 本の交流[新装 版]』(編著,九州大学出版会, 2022 年). 中村淳(なかむらじゅん) 1965 年生駒澤大学文学部教授.モンゴル時代中央ユーラシア史. 渡邊佳成(わたなべよしなり) 1956 年生岡山大学非常勤講師東南アジア史(ビルマ史). 森達也(もりたつや) 1961 年生沖縄県立芸術大学美術工芸学部教授.考古学・陶磁考古学・陶磁史. 川口琢司(かわぐちたくし) 1959 年生藤女子大学文学部・人問生活学部兼任講師.前近代中央ユーラシ ア史・トルコ学. 松川節(まつかわたかし) 岩波講座世界歴史 1 0 第 18 回配本(全 24 巻) 1960 年生大谷大学社会学部教授.モンゴル帝国史・モンゴル仏教史 高田英樹(たかたひでき) モンゴル帝国と海域世界 12~14 世紀 1941 年生.翻訳家.イタリア文学史. 木村淳(きむらじゅん) 2023 年 4 月 27 日第 1 刷発行 1979 年生東海大学人文学部准教授.アジア造船史. 諫早庸一(いさはやよういち) 発行者坂本政謙 発行所累森岩波書店 印刷・法令印刷 ©岩波書店 2023 〒101-8002 東京都千代田区ーツ橋 2-5-5 電話案内 03-5210-4000 h t t ps://www. i wanami . e o .j p / カバー・半七印刷製本・牧製本 P ri nt e di nJapan 1982 年生北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター助教.前近代中央ユ ーラシア科学史・環境史. 大塚修(おおつかおさむ) 1980 年生.東京大学大学院総合文化研究科准教授.中東イスラーム地域史. ISBN9 7 8 ‑ 4 ‑ 0 0 ‑ 0 1 1 4 2 0 ‑ 2