宗 谷 岬
ここからはじまる日本最北端の地・宗谷岬(北緯45度31分14秒)
旅情を誘う日本最北の街、稚内。其の最北端にあるのが宗谷岬です。岬には最北端の地を自分の足で、踏みしめようと旅行者の姿が絶えません。周辺には岬公園や宗谷公園が有り、さまざまなモニュメント、史跡、文化財が見られます。
☆おすすめ観光スポット☆
- 日本最北端の地の碑
宗谷岬の先端、北緯45度31分14秒にあり、文字通り日本最北端の地に建てられています。三角錐のデザインは北国のシンボルである北極星の一稜をモチーフにしています。塔の中央にあるNの文字は北を台座の円形は平和と協調を表現しています。毎日、日没から夜明けまで幻想的にライトアップをしています。
- 間宮林蔵の立像
偉大な探検家、日本人として只ひとり、世界地図に名前を残した偉業をたたえ建立した立像です。昭和55年(1980年)生誕200年を記念して建てられました。
- 旧海軍望楼
ロシアとの国交が悪化した明治35年(1902年)国旗用の防備として作られた要塞です。日露戦争時には、宗谷沖でロシア軍艦「ノーウイック号」と日本海軍巡洋艦「対馬」「千歳」との戦いを見守りました。宗谷海峡を一望する事が出来ます。
- 祈りの塔
昭和58年(1983年)に起きた大韓航空機追撃事件の遭難者の慰霊と、世界の恒久平和を願って、昭和60年に建てられました。
- 世界平和の鐘
世界の恒久平和を願うモニュメントとして昭和63年(1988年)に建てられ鐘は、平和を願う世界81ヶ国の人々から寄せられたコインやメダルなどで鋳造されました。世界平和の鐘は、1号鐘が国連本部、2号鐘が宗谷岬、3号鐘は稚内市と友好都市を結んでいる沖縄県石垣市に設置されています。
- 子育て平和の鐘
家庭の平和、地域の平和、世界の平和を願って、世界平和都市宣言をしている稚内市。この鐘は、市民の総意で行なわれ、10円玉募金と、世界98ヶ国から寄せられたコイン、メダルで造られました。右側が世界平和の鐘、左側が子育て平和の鐘
- 宗谷ふるさと歴史館
宗谷の自然、考古、魚漁などの資料を展示していて、宗谷についてより詳しく知る事が出来ます。平成元年「ふるさと創生1億円」を利用して建てられました。
- 宗谷丘陵・宗谷岬肉牛牧場
なだらかな丘陵性の山地で、雄大で美しい地形を見る事が出来るのは、北海道でも珍しいところです。この丘陵は、1万年前、地球最後の氷河期の名残りの地形でです。丘陵内には日本でも最大規模を誇る広大な牧場、宗谷岬肉牛牧場が有り、稚内の名産わっかない牛が生産されている。
- 宗谷丘陵展望休憩施設(ゲストハウス・アルメリア)
ロケーション抜群のレストハウスで、風車のあるユニークな外観が特徴です。施設内にはわっかない牛、最北のグルメを楽しめるレストランが有り、みやげものの販売もしています。
- 宮沢賢治文学碑
大正12年(1923年)8月に稚泊連絡船で樺太へ渡った時に作詞したといわれる「宗谷(ニ)」から引用詩が刻まれています。
- 宗谷岬音楽碑
郷土の歌「宗谷岬」、芹洋子さんなど数々の歌手によって歌われ大ヒットしました。歌詞と楽譜を刻んでいます。覚え易いこの歌はいつまでも多くの人達に愛され歌われていく事でしょう。
- 間宮林蔵渡樺出港の地
探検家、間宮林蔵が樺太に発った地をしるした碑です。碑の横には、死を覚悟し自ら稚内に持参したと伝えられる墓石が奉られています。
- 宗谷厳島神社
室町時代(1515年)、松前藩の祖先武田光広が夢に現われたお告げを信じ、蝦夷地海浜を守る為、弁財天を奉る事を命じました。それを受けて子孫の蛎崎慶広が宗谷の地にもと弁財天堂を寄進されたとされています。市杵島姫命(いつくしまひめのみこと)という水の女神が奉られています。
- 宗谷護国寺
安政3年(1856年)北方警備の為、秋田藩士が駐屯する事になった時に造られた、幕府直轄のお寺でした。明治の中頃までは北蝦夷唯一のお寺で、遠くは樺太まで寺僧が死者の供養に巡回しました。現在の建物は、明治45年(1912年)焼失した後に再建された2台目の建物です。
- 旧藩士の墓
江戸幕府の蝦夷地直轄により宗谷に派遣された東北の藩士達が 眠っています。寒さに馴れている本州最北の藩士達でしたが、けた違いの宗谷の寒さに数多くの越冬死者がでました。
- 津軽藩兵詰合の記念碑
宗谷では多くの津軽藩士が厳しい寒さの為、水腫病などの病気で命を失いました。其の頃、日本での歴史を刻みはじめていたコーヒーが其の病気に対して効果があるといわれ、幕府が藩士達にコーヒーを薬として飲まれ、治療に使用されましたが、効果が無く、亡くなった藩士達を悼んで建てられました。碑はコーヒー豆を型った形をしています。宗谷公園の一角に建てられています。
最北端到達証明証
日本最北端の地に立ったら、忘れずに買い求めてください。宗谷岬のお土産屋さんに売っています 。ここに来た人でなければ買う事が出来ません名刺サイズですのでポケットにでも入れておけます。稚内旅行の記念に是非どうぞ!。
”知っ得くコーナー”
日本の最初のコーヒーは稚内から
今、最も一般な飲み物の一つとして親しまれているコーヒー。其のコーヒーが、日本で最初に飲まれたのは稚内です。江戸幕府は北方警護の為、宗谷に東北の藩士達を派遣しました。しかし本州最北の藩士達でしたが、北海道のけた外れな寒さにはかなり苦労したようです。幕府は藩士達に配給したのが、コーヒーでした。其の頃、コーヒーは一般には出回っておらず、庶民が口にしたのはこの時が初めてだろうと言われています。その記述には「和蘭コーヒー豆、寒気をふせぎ湿邪を払う。黒くなるまでよく煎り、細かくたらりとなるまでつき砕きニさじ程を麻の袋に入れ、熱い湯で番茶のような色にふり出し、土瓶に入れて置き冷めたようならよく温め、砂糖を入れて用いるべし」と書かれています。
資料提供は稚内市観光課・稚内観光協会・稚内市観光案内所です