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マリア・ベント=カブチ Maria Vento-Kabchi |
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基本情報 |
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フルネーム |
Maria-Alejandra Vento-Kabchi |
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国籍 |
ベネズエラ |
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出身地 |
同・カラカス |
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生年月日 |
(1974-05-24) 1974年5月24日(50歳) |
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身長 |
168cm |
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体重 |
59kg |
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利き手 |
右 |
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バックハンド |
両手打ち |
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ツアー経歴 |
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デビュー年 |
1994年 |
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引退年 |
2006年 |
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ツアー通算 |
4勝 |
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シングルス |
0勝 |
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ダブルス |
4勝 |
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生涯通算成績 |
514勝481敗 |
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シングルス |
361勝324敗 |
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ダブルス |
153勝157敗 |
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生涯獲得賞金 |
$1,591,803 |
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4大大会最高成績・シングルス |
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全豪 |
2回戦(2001) |
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全仏 |
2回戦(2004) |
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全英 |
4回戦(1997) |
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全米 |
4回戦(2005) |
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4大大会最高成績・ダブルス |
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全豪 |
ベスト8(2004) |
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全仏 |
2回戦(2002・03・05・06) |
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全英 |
ベスト8(2003・04) |
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全米 |
ベスト8(2003) |
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キャリア自己最高ランキング |
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シングルス |
26位(2004年7月19日) |
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ダブルス |
15位(2004年6月26日) |
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獲得メダル |
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マリア=アレハンドラ・ベント=カブチ(Maria-Alejandra Vento-Kabchi, 1974年5月24日 - )は、ベネズエラ・カラカス出身の女子プロテニス選手。既婚選手として、自分の姓「ベント」(Vento)と夫の姓「カブチ」(Kabchi)を併用している。WTAツアー大会でシングルス優勝はないが、ダブルスで4勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス26位、ダブルス15位。身長168cm、体重59kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
6歳からテニスを始め、1994年2月にプロ入り。マリア・ベントはまだアマチュア選手だった頃の1990年に、16歳で女子テニス国別対抗戦・フェドカップのベネズエラ代表選手に初選出され、1996年から2001年までフェド杯に6年連続出場を果たした。ベントは、1997年のウィンブルドンで4回戦進出を果たした。この時ベントは予選3試合を勝ち抜いて本戦出場権を獲得し、本戦3回戦でマグダレナ・マレーバ(ブルガリア)を 6-2, 7-5 で破り、デニサ・クラドコバ(チェコ)との4回戦まで勝ち進んだ。1998年ウィンブルドンで2年連続の3回戦進出を果たすが、第2シードのリンゼイ・ダベンポートに 3-6, 6-1, 2-6 で敗れている。2000年のシドニー五輪で、ベントは初めてオリンピックのベネズエラ代表選手に選ばれ、女子シングルス2回戦でベルギー代表のサビーネ・アペルマンスに 2-6, 2-6 で敗れた。女子ダブルスではミラグロス・セケラとペアを組み、ベルギー代表のドミニク・ファン・ルースト&エルス・カレンズ組との準々決勝まで進出している。
2001年7月21日、マリア・ベントは弁護士のガマル・カブチ(Gamal Kabchi)と結婚し、2つの姓を併用して「マリア・ベント=カブチ」と名乗るようになった。結婚後の2002年に、ベント=カブチはダブルスで年間2勝を獲得する。30歳を迎えた2004年に単複とも好成績を多く出し、全米オープンで初めて3回戦進出を果たした。1回戦でスペインのベテラン選手、コンチタ・マルティネスを破ったベント=カブチは、3回戦で第2シードのアメリ・モレスモに 2-6, 0-6 で完敗する。全米オープンに先立ち、2004年アテネ五輪で2度目のオリンピック出場も果たし、女子シングルス2回戦でベルギー代表のジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れた。この年はダブルスでも、インドネシアのアンジェリク・ウィジャヤとペアを組んで全豪オープンとウィンブルドンの女子ダブルスでベスト8に入った。
2005年は全米オープンで4回戦に進出し、1997年ウィンブルドン以来8年ぶりの4大大会ベスト16入りを決めたが、4回戦で第4シードのキム・クライシュテルスに 1-6, 0-6 で敗れた。この後、ベント=カブチは「ジャパン・オープン」の女子ダブルスで浅越しのぶとペアを組み、マリア・キリレンコ(ロシア)&ヒセラ・ドゥルコ(アルゼンチン)組に敗れて準優勝になっている。
2006年は5年ぶりにフェドカップのベネズエラ代表選手に復帰し、通算成績を「35勝20敗」(シングルス21勝11敗、ダブルス14勝9敗)に伸ばした。2006年10月、チューリッヒ・オープンの予選1回戦で当時世界ランク116位のカテリナ・ボンダレンコ(ウクライナ)に敗れた試合を最後に現役を引退した。
WTAツアー決勝進出結果[編集]
シングルス: 1回 (0勝1敗)[編集]
大会グレード
|
グランドスラム (0–0)
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ティア I (0–0)
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ティア II (0–0)
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ティア III (0–1)
|
ティア IV & V (0–0)
|
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
対戦相手
|
スコア
|
準優勝
|
1.
|
1998年1月11日
|
ゴールドコースト
|
ハード
|
杉山愛
|
5–7, 0–6
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ダブルス: 10回 (4勝6敗)[編集]
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
パートナー
|
対戦相手
|
スコア
|
準優勝
|
1.
|
2000年5月28日
|
ストラスブール
|
クレー
|
キム・グラント
|
ソニア・ジェヤシーラン
フロレンシア・ラバト
|
4–6, 3–6
|
優勝
|
1.
|
2002年2月21日
|
ドバイ
|
ハード
|
バーバラ・リットナー
|
ロベルタ・ビンチ サンドリーヌ・テスチュ
|
6–3, 6–2
|
準優勝
|
2.
|
2002年4月14日
|
エストリル
|
クレー
|
バーバラ・リットナー
|
エレーナ・ボビナ ゾフィア・グバチ
|
3–6, 1–6
|
優勝
|
2.
|
2002年9月15日
|
ワイコロア
|
ハード
|
メイレン・ツー
|
ナニー・ド・ヴィリアーズ イリーナ・セリュティナ
|
1-6, 6-2, 6-3
|
準優勝
|
3.
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2003年2月10日
|
ドーハ
|
ハード
|
アンジェリク・ウィジャヤ
|
ウィン・プラクスヤ
ジャネット・リー
|
1–6, 3–6
|
準優勝
|
4.
|
2003年8月11日
|
トロント
|
ハード
|
アンジェリク・ウィジャヤ
|
マルチナ・ナブラチロワ スベトラーナ・クズネツォワ
|
6–3, 1–6, 1–6
|
優勝
|
3.
|
2003年9月8日
|
バリ
|
ハード
|
アンジェリク・ウィジャヤ
|
ニコル・プラット エミリー・ロワ
|
7–5, 6–2
|
準優勝
|
5.
|
2004年9月26日
|
北京
|
ハード
|
ヒセラ・ドゥルコ
|
エマヌエル・ガリアルディ ディナラ・サフィナ
|
4–6, 4–6
|
優勝
|
4.
|
2005年9月25日
|
北京
|
ハード
|
ヌリア・リャゴステラ・ビベス
|
鄭潔
晏紫
|
6-2, 6-4
|
準優勝
|
6.
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2005年10月9日
|
東京
|
ハード
|
浅越しのぶ
|
ヒセラ・ドゥルコ マリア・キリレンコ
|
5–7, 6–4, 3–6
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4大大会シングルス成績[編集]
- 略語の説明
W
|
F
|
SF
|
QF
|
#R
|
RR
|
Q#
|
LQ
|
A
|
Z#
|
PO
|
G
|
S
|
B
|
NMS
|
P
|
NH
|
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
外部リンク[編集]