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言霊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音コトタマ法則のこと。その法則についての学問言霊学という。

概要

言霊には、霊力があって、一種霊妙な働きをなすものとされた。

日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。古事記には言霊が神格化された一言主大神の記述も存在する。

自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命は「これは神の使いだから帰りに退治しよう」と言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。

万葉時代に言霊信仰が生まれたのは、中国の文字文化(漢字)に触れるようになり、大和言葉を自覚し、精神的基盤が求められたこととも無縁ではないという指摘がある[1]。江戸期の国学によって、再び取り上げられるようになった際も、漢意(からごころ)の否定や攘夷思想とも関連してくるとされ、自国文化を再認識する過程で論じられてきた[2]

金田一京助は『言霊をめぐりて』の論文内で言霊観を三段に分類し、「言うことそのままが即ち実現すると考えた言霊」「言い表された詞華の霊妙を讃した言霊」「祖先伝来の一語一語に宿ると考えられた言霊」とし、それぞれ「言語活動の神霊観」「言語表現の神霊観」「言語機構の神霊観」ということに相応しいと記している。

山本七平は、日本には現代においても言葉に呪術的要素を認める言霊の思想は残っているとし、これが抜けない限りまず言論の自由はないと述べている。山本によると、第二次世界大戦中に日本でいわれた「敗戦主義者」とは(スパイサボタージュの容疑者ではなく)「日本が負けるのではないかと口にした人物」のことで、戦後もなお「あってはならないものは指摘してはならない」という状態になり、「議論してはならない」ということが多く出来てきているという[3]

他の文化圏の言霊

他の文化圏でも、言霊と共通する思想が見られる。『旧約聖書』の「ヘブライ語רוח הקודש」(ルーアハ)、『新約聖書』では「: πνεῦμα, pneuma」(プネウマ。動詞「吹く(: πνέω, pneō)」を語源とし、息、風を意味する)というものがある。「風はいずこより来たりいずこに行くかを知らず。風の吹くところいのちが生まれる。」この「風」と表記されているものが「プネウマ」である。

一般に、音や言葉は、禍々しき魂や霊を追い払い、場を清める働きがあるとされる(例:拍手 (神道))。これは洋の東西を問わず、祭礼や祝い、悪霊払いで行われる。神事での太鼓、カーニバルでの笛や鐘、太鼓、中華圏での春節の時の爆竹などはその一例である。

言葉も、呪文や詔としてその霊的な力が利用される。ただし、その大本になる「こと」(事)が何であるかということには、さまざまな見解がある。たとえば「真理とは巌(いわお)のようなものであり、その上に教会を築くことができる」と考えたり、あるいは「真実を知りたければ鏡に汝自身を映してみよ、それですべてが明らかになる」といい、それは知りうるものであり、また実感として捉えられるものであるとみる意見や、「こと」自体はわれわれでは知りえないものであるという主張もある。これらはさまざまな文化により、時代により、また個人により大きく異なっている。

言霊信仰

我が祖先は、自分が生かされている自然の恩恵に神々の存在、働きを認め、その神々に感謝した。

そして、願いや望みを叶えていただこうと、神々をお招きし、歓待申し上げたのである。

それが祭りである。その厳粛な場で神々に述べられたのが祝詞である。

神に奏上する詞は聞くものの心に響く、荘重典雅な格調を備える日本語の古い形であって、その背景には言霊信仰があった。

言葉には霊力があって、一種霊妙な働きをなすものとされた。これがいわゆる言霊信仰で、祝福を述べれば幸福が招来され、呪詛を述べれば不幸に至るという信仰である。

祝詞はこの言霊信仰の上に成立したもので、盛んにほめ讃える詞を使う。

言霊に関する逸話

  • 関東古戦録』巻二の記述として、に鳴くは凶の印であると説明された北条氏康和歌で狐自身に凶を返す歌を詠むと、狐が息絶えたと記される。

脚注

  1. ^ 川村湊 『言霊と他界』 講談社学術文庫 2002年 ISBN 4-06-159575-X p.15.
  2. ^ 同『言霊と他界』 p.15.
  3. ^ 山本七平・小室直樹日本教の社会学」ビジネス社、2016年、P58(初出1981年)

関連項目

外部リンク