妙国寺
妙国寺(みょうこくじ)とは、大阪府堺市にある日蓮宗の仏教寺院で広普山妙国寺をいう。幕末に起こった堺事件ゆかりの寺として知られる。開基は三好之康(実休)。開山は日珖。
歴史
1562年に、当時堺を支配下に置いていた三好一族の三好之康が、帰依していた妙法寺の日珖に、東西3町南北5町の寺地と500石の寺領を寄進。日珖は、堺の豪商である父・油屋(伊達)常言の援助で伽藍の建立に着手する。寺名は、頂妙寺を開山した日祝の号である「妙国院」による。
1571年に本堂が竣工。1583年までに広大な寺地に14の坊や南北の学問所などを備えた伽藍がほぼ完成する。1594年からは日珖が総本山の中山法華経寺住持を兼帯したため、京都の頂妙寺、本法寺とこの妙国寺による中山法華経寺の輪番制が始まる。この輪番制は1659年まで続いた。
1615年の大坂夏の陣で、堺の町は火災に見舞われ、伽藍が焼失。元和の町割りにより寺地は縮小されるが、1627年には本堂を再建。以後、客殿、書院などを設け、1659年には三重塔が完成。寛永の頃には寺中に10坊を数えるなど再興。しかし、明治維新後に4坊となるが、明治年間に2坊は他所へ移転。現在は堺市内に恵照院、栴明院の2坊のみが残る。 それでも、伽藍、三重塔を備えた2710坪の境内を備える寺院であったが(『堺市史』)、1945年の堺大空襲で伽藍の大半を焼失。三重塔も失われる。
境内
本堂
1973年に再興されたもの。
三重塔柱跡
三重塔は、高さ9丈(27.3m)と堺の町でも目を惹く建物だったが、1945年に空襲で焼失。
大蘇鉄(そてつ)
国指定の天然記念物(1924年12月9日指定)。この寺に植えられていたソテツを織田信長が命じて安土城に移植させたところ、毎夜「堺に帰りたい」と泣いた。怒った信長が刀で切りつけたところ、ソテツから鮮血が噴き出したため気味が悪くなり、堺へ返されたという伝説がある。
逸話
所在地
- 堺市材木町東4-1-4