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ペナン州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ペナン州或はプラウ・ピナン州マレーシアの行政区画(州)の一つ。

南北24km東西15kmのペナン島と、東洋屈指の長大橋「ペナン・ブリッジ」で結ばれる、対岸のマレー半島部分「スブラン・プライ"Seberang Perai(マレー語)、Province Wellesley(英語)"」にて構成される。

プラウ・ピナン"Pulau Pinang"とは、マレー語で「ビンロウジュ(Pinang:ヤシ科の植物)の(Pulau)」を意味する。 一般的に使用されるペナン"Penang"はマレー語のPinangが転訛したものと思われる。ジャウィ文字ではبينانج中国語では「檳島」または「檳城」とも表す。

地理

歴史

 (その頃、「プリンス・オブ・ウェールズ島」と改名、東インド会社の拠点として発展した)

  • 1795年:イギリス、オランダからマラッカを奪取。
  • 1819年:イギリス、シンガポールを獲得。
  • 1824年:イギリス・オランダ両国にて、マレー半島(マラッカ海峡)を中心とする地区の勢力範囲を定めた英蘭協定を締結。

 (イギリスはスマトラ島ベンクーレンとオランダのマラッカを交換し、ペナン、シンガポール・マラッカのいわゆる海峡植民地が完成。

  • 19世紀終盤:イギリスによるマレー半島全土の植民地体制が整う。
  • 1941年第二次世界大戦勃発。程なく日本軍に制圧される。
  • 1945年:第二次世界大戦終戦。
  • 1957年:マレーシアの独立。
  • 1960年代自由港の地位を失う。そのため地域経済が低迷し、失業者が街中にあふれる事となった。
  • 1980年以降:東西交易の舞台から、工業地帯への変貌を遂げる。
  • 1988年:ペナンブリッジ開通。

政治

ペナン州はサルタンを持たないため、かわりに、国王が州首相と協議して任命する任期四年の知事が置かれる。知事は儀礼的存在であり、州政府の長は州議会の多数会派(与党)から選ばれる州首相である。

産業

ペナンは「東洋の真珠」や「インド洋のエメラルド」とも呼ばれ、マレーシアでも有数のリゾートアイランドだが、対岸のスブラン・プライのバタワースはポートクランと並ぶマレーシアでは屈指の港があり、バタワースや島の玄関口であるバヤンレパス空港あたりにはマレーシアの企業のみならず、外国資本の企業も数多く進出しており、マレーシア産業における重要な拠点の側面を持つ。

交通

  • 海上交通
州都のジョージタウンとバタワースの間には、フェリーが24時間運航している。また、インドネシアメダンクダ州ランカウイ島と間にも定期航路がある。
  • 陸上交通
    • バス:島内は数社のバス会社によってくまなく網羅されている。
    • 高速道路:ペナンブリッジを経由して、半島部を縦断する南北高速道路とつながっており、クアラルンプールを経由しシンガポールへ結ばれている。そのためペナン島と本土主要都市間やシンガポール・タイとの間にも高速バス網が発達。
    • 鉄道:島内には鉄道が無いが、対岸のバタワースはマレー鉄道のターミナル駅があり、シンガポールやクアラルンプール、タイのハジャイとも結ばれている。
    • 都市交通計画:現在ペナン島内やウェレスレーの道路建設が急ピッチで行われている。併せてLRT鉄道建設の構想もある。