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[[1980年代]]半ばにユーロビート、ハイエナジー、イタロ・ディスコなどといった当時のヨーロッパのダンスミュージックがまとめて「ユーロビート」の名称で[[日本]]に持ち込まれ、「ユーロビート」というジャンルは日本で独自の発展を遂げた。ユーロビートはリズム感に乏しい日本人でもリズムが簡単に取れるため、流行してから人気を維持した期間が長かった。[[1986年]]から[[1994年]]にかけて『'''[[THAT'S EUROBEAT|ザッツ・ユーロビート]]'''』というコンピレーションCDが[[アルファレコード]]から発売され、ブームに火を点けるとともに、ユーロビートの名称が定着した。同シリーズはVol.44まで続き、ユーロビートの有名シリーズとなっている。また、同時期には、他社からも「ユーロビート・ファンタジー」([[ポニーキャニオン]])、「ベスト・ディスコ」([[ビクターエンタテインメント|ビクター]])といったコンピレーション・シリーズが発売された。
 
[[1980年代]]中期から全国展開した[[ディスコ]]「[[マハラジャ (ディスコ)|マハラジャ]]<ref>httphttps://web.archive.org/web/20190628211530/https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/07/0702.html</ref>」「キング&クイーン」で主要ジャンルとしてヘビープレイされ、ユーロビートは[[ディスコ]]の曲と認知されたことで注目されるようになる。当時は、日本人アイドルの歌った日本製の「ユーロビート」までもが[[デッド・オア・アライヴ (バンド)|DEAD OR ALIVE]]や[[カイリー・ミノーグ]]などの本家のユーロビートとともに日本のディスコで流された。さらに[[小室哲哉]]率いる[[TM NETWORK|TMN]]が、楽曲の[[プロデュース]]や[[リミックス]]をユーロビートの本家であるイギリスのPWLレーベルに委ねるなど、ディスコの場以外でも日本でユーロビートは受け入れられていくようになる。
 
==== 1990年代以降 : パラパラブームと独自の進化 ====