(Go: >> BACK << -|- >> HOME <<)

削除された内容 追加された内容
Donaishot (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
36行目:
しかしながら、ステレオタイプな楽曲が飽きられ<ref name="kitanaka-onoda" />、日本以外では[[1990年代]]以降、次第にブームが収束することとなる。ヨーロッパではイギリスで[[1988年]]の夏に勃興した[[セカンド・サマー・オブ・ラブ]]のムーブメントがきっかけとなり、[[ユーロダンス]]や[[ハードコアテクノ]]、[[ハウス (音楽)|ハウスミュージック]]などに取って代わられ、アメリカでもハウスや[[R&B]]、[[ニュージャックスウィング]]などの他のジャンルに移り変わっていった。
 
1990年代後半ごろより、日本の[[パラパラ]]の音楽として「ユーロビート」が海外に知られるようになった。この時期の「ユーロビート」は完全に日本市場向けの楽曲が量産されており、80年代の楽曲と比べてもかなり高速化している(BPM140以上のものが多い)点が特徴である。また、同時期にアニメ『[[頭文字D]]』や[[音ゲー|音楽ゲーム]]の『[[Dance Dance Revolution]]』でユーロビートがフィーチャーされ、これの作品が海外に輸出されてヒットしたことで、ユーロビートは「日本文化の一部」として世界に再び受け入れられることとなった。2000年代以降も、日本の「パラパラ」用の音楽のコンピレーションアルバムが『Super Eurobeat』として継続的に発売されているほか(そのため海外ではしばしば、ユーロビートのサブジャンルとしての「日本におけるユーロビート」の名称が「スーパーユーロビート」であると誤解されている)、現在でも日本から世界に「ユーロ」ビートが継続的に再発信されている。
また、同時期にアニメ『[[頭文字D]]』やゲームの『[[Dance Dance Revolution]]』でユーロビートがフィーチャーされ、これの作品が海外に輸出されてヒットしたことで、ユーロビートは「日本文化の一部」として世界に再び受け入れられることとなった。2000年代以降も、日本の「パラパラ」用の音楽のコンピレーションアルバムが『Super Eurobeat』として継続的に発売されているほか(そのため海外ではしばしば、ユーロビートのサブジャンルとしての「日本におけるユーロビート」の名称が「スーパーユーロビート」であると誤解されている)、日本の様々なゲーム会社から『[[beatmania|ビートマニア]]』『[[パラパラパラダイス]]』『[[Jubeat]]』などの音ゲーのシリーズが継続的に制作され、それらにユーロビートが収録されて海外に輸出される状況が続いており、現在でも日本から世界に「ユーロビート」が継続的に再発信されている。
 
=== 日本のユーロビート ===
45 ⟶ 44行目:
[[1980年代]]中期から全国展開した[[ディスコ]]「[[マハラジャ (ディスコ)|マハラジャ]]<ref>https://web.archive.org/web/20190628211530/https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/07/0702.html</ref>」「キング&クイーン」で主要ジャンルとしてヘビープレイされ、ユーロビートは[[ディスコ]]の曲と認知されたことで注目されるようになる。当時は、日本人アイドルの歌った日本製の「ユーロビート」までもが[[デッド・オア・アライヴ (バンド)|DEAD OR ALIVE]]や[[カイリー・ミノーグ]]などの本家のユーロビートとともに日本のディスコで流された。さらに[[小室哲哉]]率いる[[TM NETWORK|TMN]]が、楽曲の[[プロデュース]]や[[リミックス]]をユーロビートの本家であるイギリスのPWLレーベルに委ねるなど、ディスコの場以外でも日本でユーロビートは受け入れられていくようになる。
 
==== 1990年代以降から2000年代前半 : パラパラブームと独自の進化 ====
その後、ヨーロッパでの人気に翳りが見えた1990年ごろでも日本では未だに人気があったため、イタリアのM. FarinaとG. Crivellenteは、Max-HimのF. Fadingerとともにユニット[[F.C.F.]]を結成し、日本市場に特化した楽曲を制作するようになった。1990年代以降もユーロビートが日本でガラパゴス的に人気を保ち続けた理由としては、ユーロビートに合わせて踊る日本特有のダンス文化「[[パラパラ]]」や、デイブ・ロジャースが楽曲提供を行ったアニメの『[[頭文字D]]』(1998年 - )が人気を博したこと大きい。[[エイベックス]]から『'''[[SUPER EUROBEAT|スーパーユーロビート]]'''』([[1990年]] - )、『ユーロビートフラッシュ』([[1995年]] - [[1999年]])、『ユーロマッハ!』([[1999年]] - [[2002年]])というコンピレーションCDシリーズが発売され始め、特に「スーパーユーロビート」は後年まで続く長寿シリーズとなった。スーパーユーロビート以降は、1980年代の楽曲と比べてBPMが大幅に早くなっており、別物と言える程に進化を遂げた。『SUPER EUROBEAT』シリーズの長期的な商業的成功については、エイベックスの経営者が直接[[イタリア]]のユーロビート・レーベルと契約し、日本市場向けの嗜好に特化して制作してもらったことが大きな理由で、これらのレーベルの作品は、現在ほとんど日本国内で消費されていのみである。ようになり、日本国内でのみ人気のあるジャンルをイタリアのレーベルが長年に亘って制作しつづけるという珍しい現象が起きている。
 
そのため現在では、いわゆる[[洋楽]]であるにもかかわらず、日本国内のみで発売されている[[コンピレーション・アルバム|コンピレーション]]盤がほとんどである。1990年代中盤より、ユーロビートのアーティストである[[デイブ・ロジャース]]が[[安室奈美恵]]や[[MAX (音楽グループ)|MAX]]、[[V6 (グループ)|V6]]と言ったエイベックス所属のアーティストのプロデュースを行い、非常に大きな商業的成功を成し遂げた。この時期以降のユーロビートは、日本でしか発売されていない楽曲がほとんどである。
 
アジアにおけるユーロビートの流行が、日本を起点に香港や韓国などのアジア諸国に拡大していく例もあった。特に、[[荻野目洋子]][[ヴァージョン]]の『[[ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)]]』は、[[香港]]などで[[カヴァー]]される際に、[[オリジナル]]曲ではなく、日本での編曲が使われた。韓国では「ザッツ・ユーロビート」のコピー盤が流通したり、90年代には[[アイドル|アイドルグループ]]がユーロビート調の楽曲を歌っていた事もあった。
 
=== 2000年代後半以降 : 日本からの逆輸出 ====
2000年代前半にパラパラブームが終息すると、ユーロビートの発信源は2014年までテレビアニメ化が断続的に続けていた頭文字Dと、日本の様々なゲーム会社から発売される[[音ゲー]](『[[beatmania|ビートマニア]]』『[[パラパラパラダイス]]』『[[Jubeat]]』)などとなった。それらにユーロビートが使用されて海外に輸出される状況が続いており、21世紀になると頭文字Dの影響を受ける形で[[インターネットミーム]]の音源として多用されたり、更には自動車メーカー、とりわけスポーツカーやモータースポーツのプロモーションに使われたりする<ref>2020年前後だと以下のような例がある。(ともに2022.09.21閲覧)
*[[N (ヒョンデ)|Hyundai N]] | N Playlist — [[ニュルブルクリンク|Nürburgring]] Eurobeat Dash[https://www.youtube.com/watch?v=p2rmoi1caNY (その1)][https://www.youtube.com/watch?v=6hCxxdUrNFA (その2)] - [https://www.youtube.com/@hyundainworldwide Hyundai N Worldwide(現代自動車公式YouTubeチャンネル)]
*[http://www.toyotagazooracing.com.cn/carlineup/gr_86.php 中国向けToyota GazooRacing公式 GR86車種紹介ページ]