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[[1983年]]に[[ヤマハ]]が世界初のフルデジタル・シンセサイザーとなる[[DX7]]を発売する。同機は24万8千円という、当時としては異例の低価格で発売され、シーケンサーのQXシリーズやドラムマシンのRXシリーズなどと併せて[[打ち込み]]の作曲に革命的な変化をもたらすと共に、デジタル・シンセサイザーの普及に多大な貢献をすることとなった。また同年に[[MIDI]]規格が制定されるなど、これらの出来事はユーロビートにおける煌びやかなサウンド・メイキングの普及を決定付けることとなる。こうした事情を踏まえ、ユーロ・ディスコに代わって「[[Hi-NRG|ハイ・エナジー]]」と呼ばれる、BPM110以上のやや速めのディスコミュージックが流行するようになると、[[イギリス|英国]]の音楽雑誌「レコード・ミラー」は「Hi-NRG」チャートを創設した。
 
イギリスのプロデューサーチームである[[ストック・エイトキン・ウォーターマン]]によるプロデュースの下で活動した[[デッド・オア・アライヴ (バンド)|デッド・オア・アライヴ]]が[[1984年]][[11月5日]]に『You Spin Me Round (Like a Record) 』をリリースすると、同曲はイギリスだけでなく、アメリカでも大ヒットする。この楽曲は、後のユーロビートに見られる、高速なBPMと[[オクターヴ奏法]]を多用したFM音源の[[シンセベース]]によるベースラインという2つの特徴、を明確に打ち出した。ストック・エイトキン・ウォーターマンはその後も1980年代を通じて[[バナナラマ]]、[[ジェイソン・ドノヴァン]]、そして[[カイリー・ミノーグ]]、[[リック・アストリー]]、[[メル&キム]]らの曲を制作し、自らのレーベル「PWLレコード」を世界的に流通させることとなる。
 
イギリスで「ユーロビート」と名付けられた理由の一つに、[[1985年]]12月、[[イギリス|英国]]の音楽雑誌「レコード・ミラー」が「Hi-NRG Chart」の名称を「ユーロビート・チャート」に改名したことを挙げることができよう。この改名は、BPMが120を超えるような速いテンポでかつポップな作品が増加したため<ref name="kitanaka-onoda">小野田 雄「ユーロビート」北中正和監修『世界は音楽でできている ヨーロッパ・アジア・太平洋・ロシア&NIS編』音楽出版社,2007年,pp46〜47</ref>であると言われている。