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ユーロビートは、[[シンセサイザー]]等の[[電子楽器]]や[[コンピューター]]の[[打ち込み]]を多用した、[[テンポ|BPM]]が120以上の速い[[テンポ]]のポップな[[楽曲]]である。元は[[ヨーロッパ]]で[[1970年代]]半ば頃より流行していた「[[ディスコ (音楽)|ユーロ・ディスコ]]」、[[1980年代]]前半に登場した「[[Hi-NRG]](ハイ・エナジー)」、そして同時期に[[イタリア]]で生まれた「[[イタロ・ディスコ]]」に端を発しており、1980年代後半に流行した。その特徴としては[[4つ打ち]]の譜割り、シンセベースの8分音符での[[オクターヴ奏法]]、シンセリフの多用、使用機材(後述)などが挙げられる。
 
[[Image:Donna Summer 1977.JPG|150px|thumb|left|[[ドナ・サマー]]]]
ユーロ・ビートの前史は、70年代の[[ディスコ (音楽)|ユーロ・ディスコ]]の隆盛に始まる。イタリアの[[ジョルジオ・モロダー]]が[[シンセサイザー]]を前面に出したサウンドメイキングを行い、[[アメリカ]]出身だが当時は[[西ドイツ]]を拠点としていた[[ドナ・サマー]]の楽曲がヨーロッパでヒット。[[西ドイツ]]の[[ミュンヘン]]で結成されたシルバー・コンベンションもヒットを出した<ref group="注">75年の「フライ・ロビン・フライ」と76年の「ゲット・アップ・アンド・ブギー」がヒットした。</ref>。やがてこれらの楽曲が、アメリカや日本など世界的に広まってゆくこととなる。この西ドイツ発のシンセ・サウンドが「ユーロ・ディスコ」と命名され、ドナ・サマーがリリースした「I FEEL LOVE」「LOVE TO LOVE YOU BABY」は、[[ハイ・エナジー]]のルーツになったとも言われるようになる<ref>{{cite web |url= http://www.biography.com/people/donna-summer-9499073 |title= Donna Summer Biography&nbsp;– Facts, Birthday, Life Story | work= Biography.com | access-date=03 September 2021}}</ref>。この頃のユーロ・ディスコの楽曲は[[モーグ・シンセサイザー|モーグ・モジュラー]]などのアナログ・シンセサイザーで制作されていた。
 
[[1983年]]に[[ヤマハ]]が世界初のフルデジタル・シンセサイザーとなる[[DX7]]を発売する。同機は24万8千円という、当時としては異例の低価格で発売され、シーケンサーのQXシリーズやドラムマシンのRXシリーズなどと併せて[[打ち込み]]の作曲に革命的な変化をもたらすと共に、デジタル・シンセサイザーの普及に多大な貢献をすることとなった。また同年に[[MIDI]]規格が制定されるなど、これらの出来事はユーロビートにおける煌びやかなサウンド・メイキングの普及を決定付けることとなる。こうした事情を踏まえ、ユーロ・ディスコに代わって「[[Hi-NRG|ハイ・エナジー]]」と呼ばれる、BPM110以上のやや速めのディスコミュージックが流行するようになると、[[イギリス|英国]]の音楽雑誌「レコード・ミラー」は「Hi-NRG」チャートを創設した。
[[Image:Kylie Minogue - Kiss Me Once Tour - Manchester - 26.09.14. - 122 (15210472377).jpg|200px|thumb|upright|[[カイリー・ミノーグ]]]]
 
イギリスのプロデューサーチームである[[ストック・エイトキン・ウォーターマン]]によるプロデュースの下で活動した[[デッド・オア・アライヴ (バンド)|デッド・オア・アライヴ]]が[[1984年]][[11月5日]]に『You Spin Me Round (Like a Record) 』をリリースすると、同曲はイギリスだけでなく、アメリカでも大ヒットする。この楽曲は、後のユーロビートに見られる、高速なBPMと[[オクターヴ奏法]]を多用したFM音源の[[シンセベース]]によるベースラインという2つの特徴、を明確に打ち出した。ストック・エイトキン・ウォーターマンはその後も1980年代を通じて[[バナナラマ]]、[[ジェイソン・ドノヴァン]]、そして[[カイリー・ミノーグ]]、[[リック・アストリー]]、[[メル&キム]]らの曲を制作し、自らのレーベル「PWLレコード」を世界的に流通させることとなる。