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トーセンクラウン

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トーセンクラウン(英:Tosen Crown)は、日本競走馬。主な勝ち鞍は2010年中山記念

トーセンクラウン
欧字表記 Tosen Crown[1]
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2004年4月16日(20歳)
登録日 2015年5月7日
抹消日 2011年4月7日
オペラハウス
サンデーブレーヴ
母の父 ダンシングブレーヴ
生国 日本の旗 日本北海道三石町
生産者 山際牧場
馬主 島川隆哉
調教師 菅原泰夫美浦
競走成績
生涯成績 44戦6勝
獲得賞金 2億170万8000円
勝ち鞍
GII 中山記念 2010年
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馬名の由来は、冠名+王冠。

戦績

デビュー前

1歳時に2005年北海道サマーセールで1344万円で島川隆哉が購入し、取引される。

その後、美浦の菅原泰夫厩舎に入厩した。

2歳(2006年)

8月13日の2歳新馬札幌芝1800m)でデビュー。初戦は6着に敗れる。2戦目は短距離を使われ7着に終わるが、その後は中距離で3着、2着とし、10月28日の2歳未勝利を3馬身半差をつけて初勝利を挙げる。重賞挑戦となった東京スポーツ杯2歳ステークスは4着。ひいらぎ賞は0.2秒差の2着に敗れた。

3歳(2007年)

1番人気に推された寒竹賞は6着。再び1番人気となったセントポーリア賞は4着とそれぞれ敗れる。続く弥生賞は8着と惨敗。次走、3歳500万下で2着に惜敗し、八重桜賞を後方から上がり最速の脚で差し切り2勝目を飾る。昇級初戦、エーデルワイスステークスは中団から追い込むも2着までとなる。3か月半ぶり、古馬との初対戦となった、精進湖特別は9着。その後、2戦連続で9着に敗れる。

4歳(2008年)

年明け初戦、4歳上1000万下を前走から600m距離延長で勝利。3勝目を挙げる。その後、ダートを使ったアレキサンドライトステークスは8着、芝の戻したアメジストステークスは4着に敗れる。その後、アクアマリンステークス、湾岸ステークスともにクビ差の2着と惜敗。しかし、1番人気となった府中ステークスは14着と大敗。次走のむらさき賞も12着と惨敗した。夏は休養に充て、5か月ぶりとなった降級初戦のインディアトロフィーは3着に入る。その後2戦は不本意な結果に終わったが、幕張特別を早めに仕掛ける競馬で制し、再び準オープンに昇級を決めた。

5歳(2009年)

5歳になり、2戦は9着、6着と崩れたが、昇級3戦目のスピカステークスを中団から粘る先行勢を捕えて接戦を勝利。オープン昇級を決めた[2]。昇級戦、福島民報杯は5着。初の1400mを使われた京王杯スプリングカップは最下位の18着に終わる。続くエプソムカップは13着に敗れた。4か月ぶりとなった富士ステークスは18着に終わったが、次走の福島記念で人気薄ながら3着と善戦する。また、このレースから引退まで江田照男が鞍上を務めることになった。続くディセンバーステークスは9頭立て6着に敗れる。

6歳(2010年)- 7歳(2011年)

6歳初戦、ニューイヤーステークスは人気薄ながら3着と好走。続く白富士ステークスは8着に終わった。次走の中山記念は13番人気での出走となったが、不良馬場のレースで道中はインの5番手から直線入り口で先頭に立ち、後続を突き放すと、2着テイエムアンコールに5馬身差をつけ完勝。重賞制覇となった[3]。続く日経賞は好位からレースを進め、0.1秒差の3着を確保する。6歳にして初GI挑戦となった天皇賞(春)は11着で入線したが、2周目4コーナーで外側に斜行したため、数頭が被害を受けたため18着に降着となった[4]。また、このレースで外傷を負い、休養に入ることになった。当初は札幌記念での復帰を目指していたが、翌年まで延び中山記念での復帰となる[5][6]。10か月の実戦は10着と惨敗。その後、日経賞、天皇賞(春)と惨敗。天皇賞(春)で左前繋靭帯不全断裂を発症し、2011年5月7日付で競走馬登録を抹消することになった[7]

競走成績

血統表

脚注

注釈

出典

  1. ^ トーセンクラウンJBISサーチ(JBIS-Search)
  2. ^ 【スピカS】(中山)~トーセンクラウンが接戦を制す|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI”. ラジオNIKKEI. 2024年5月22日閲覧。
  3. ^ 【中山記念】水を得たトーセンクラウン5馬身差完勝! - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年5月22日閲覧。
  4. ^ 【天皇賞・春】走行妨害クラウン18着降着”. 競馬予想のウマニティ (2010年5月3日). 2024年5月22日閲覧。
  5. ^ 【古馬次走】トーセンクラウン札幌記念で復帰へ - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年5月22日閲覧。
  6. ^ 【中山記念】クラウン“ジンクス”味方に波乱の連覇だ! - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年5月22日閲覧。
  7. ^ 競走馬情報 JRA”. www.jra.go.jp. 2024年5月22日閲覧。

外部リンク