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{{出典の明記|date=2014年3月2日 (日) 06:07 (UTC)|ソートキー=沖縄きやんふこおとにい}}
{{Infobox Military Structure
|name= キャンプ・コートニー<br/>Camp Courtney<br/>FAC6029
|location= [[沖縄県]][[うるま市]]
|image= [[File:CampCourtneyCamp Courtney Gate 1.png|300px]]JPG
|caption= 教会から見たキャンプ・コートニーの建築物第一ゲート
|type= 駐屯地[[米海兵隊]]
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|coordinates = {{Coord|26|23|31|N|127|51|34|E|region:JP_type:landmark|display=inline,title}}
|pushpin_map = 沖縄本島
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|image2=Newest SACO map of U.S. military installations in Okinawa 2017.png|image_size=260|image2_size=300}}
}}'''キャンプ・コートニー'''({{lang-en|'''Camp Courtney'''}})とは[[日本国]][[沖縄県]][[うるま市]]にある[[アメリカ合衆国海兵隊]]の駐屯地である。[[キャンプ・バトラー]]の一部となっており、[[第3海兵遠征軍 (アメリカ軍)|第3海兵遠征軍]]と[[第3海兵師団 (アメリカ軍)|第3海兵師団]]の司令部がある。なおキャンプ・バトラーは物理的な基地を意味するものではなく、沖縄の海兵隊施設全体を包含する際の呼称である。
[[ファイル:天願城 天願グスク 天願貝塚 キャンプ・コートニー.png|サムネイル|266x266ピクセル|米軍基地がならぶキャンプ・コートニーとその周辺。]]
[[ファイル:Camp Courtney Mess Hall.png|サムネイル|キャンプ・コートニーの食堂。]]
'''キャンプ・コートニー'''({{lang-en|'''Camp Courtney'''}})とは[[日本国]][[沖縄県]][[うるま市]]にある[[アメリカ合衆国海兵隊]]の駐屯地である。[[第3海兵遠征軍 (アメリカ軍)|第3海兵遠征軍]]と[[第3海兵師団 (アメリカ軍)|第3海兵師団]]の司令部がある。
 
== 概要 ==
[[沖縄本島]]東岸、[[うるま市]]天願の北側に位置し、[[沖縄県道75号沖縄石川線|県道75号線]]の東にある。敷地には海岸部分もあり、[[金武湾]]に面している。南方にはうるま市役所(旧具志川市役所)がある。
1956年1月、[[神奈川県]][[横須賀市]]の[[キャンプ・マクギル]]から[[第3海兵遠征軍 (アメリカ軍)|第3海兵遠征軍]]司令部が沖縄に移駐する際、うるま市[[天願]]で土地の接収がおこなわれ、「'''キャンプ・コートニー'''」が開設された。駐屯地名は1945年5月15日に[[沖縄戦]][[シュガーローフの戦い]]で戦死し[[名誉勲章]]に叙された[[ヘンリー・A・コートニー]]海兵隊少佐にちなむ。
 
[[沖縄本島]]東岸、[[うるま市]]天願の北側に位置し、[[沖縄県道75号沖縄石川線|県道75号線]]の東にある。[[金武湾]]に面し、3区域分かれて施設が広がる<ref>{{Cite web|title=The Tsunami evacuation plans for Courtney and McTureous|url=https://okinawa.stripes.com/community-news/tsunami-evacuation-plans-courtney-and-mctureous|website=Stripes Okinawa|date=2014-03-15|accessdate=2020-02-27|language=en}}</ref>。北には同じく米軍基地の[[天願桟橋]]と[[陸軍貯油施設]]、西側に[[キャンプ・マクトリアス]]、南には1983年まで[[天願通信所]]が隣接していた。
駐屯地名は[[名誉勲章|名誉勲章(Medal of Honor)]]に叙された[[:en:Henry A. Courtney, Jr.|ヘンリー・A・コートニー]]少佐にちなんで命名された。コートニー少佐は1945年5月15日に[[沖縄戦]][[シュガーローフの戦い]]で戦死した。
 
== 所在部隊 ==
沖縄の海兵隊実働部隊[[第3海兵遠征軍 (アメリカ軍)|第III海兵遠征隊]] (IIIMEF) の司令部が置かれている。また、沖縄海兵隊基地 (MCB) [[キャンプ・バトラー]]8基地のひとつでもある。
*第3海兵遠征軍[[司令部]]
 
*第3海兵遠征軍本部役務[[中隊]]
{{See also|キャンプ・バトラー}}
*[[第31海兵隊遠征隊]]
 
*第3海兵師団司令部
基地内には、[[天願城]]と天願貝塚などの遺構があり、基地の中にあるため、まったく未調査のままである。どのように遺構が保存されているか不明。キャンプ・コートニーは[[天願城]]の麓南側に「テンガン・キャッスル」という厚生施設を建設し、スポーツセンターやセレモニー会場、バーやレストランとして使用している。
*第3海兵師団司令部[[大隊]]
 
 
=== 基本情報 ===
 
* 総面積:1,339千[[平方メートル|m<sup>2</sup>]] (内私有地:1,276千m<sup>2)</sup>
* 提供水域面積:1.47[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]
* 地主数:1,052人(2019年現在)
* 年間賃借料:139,400万円(2018年度実績)
* 駐留軍従業員数:311人
* 管理部隊:在沖米海兵隊基地司令部
* 使用部隊:[[第3海兵遠征軍 (アメリカ軍)|第3海兵遠征軍]]司令部、第3海兵遠征軍本部役務中隊、[[第31海兵遠征部隊]]、第3海兵師団司令部、第3海兵師団司令部大隊<ref>以上、沖縄県「米軍基地環境カルテ」(2017年) による。</ref>
[[ファイル:Camp Courtney, Central Exchange Warehousing Yards.jpg|サムネイル|ライコムエクスチェンジ倉庫地区 (1951撮影)]]
 
=== 区域 ===
キャンプ・コートニーは➀本部区域 ➁REX区域 ➂ 南部区域に分かれている。
 
➀ 本部区域 ... [[第3海兵遠征軍 (アメリカ軍)|第3海兵遠征軍]]司令部、第3海兵師団司令部、司令部ビルが並び、その東側には宿舎や娯楽施設が続く。
 
➁ REX地区 ... かつてライコムエクスチェンジの倉庫地区があった。現在は南側のキャンプ・マクトリアスと一体で使用する各種コミュニティー施設がある。
 
➂ 南部区域 ... かつてキャンプ天願とよばれていた駐屯地、80年代の思いやり予算で米軍家族住宅の9階建て住宅や2階建て住宅、計434戸が建設されている<ref name=":0">梅林宏道『情報公開法でとらえた沖縄の米軍』高文研(1994) 167頁</ref>。
[[ファイル:Start of construction on the new Camp Courtney base.jpg|サムネイル|1956年8月23日、米海兵隊、キャンプ・コートニー建設のようす (沖縄県公文書館所蔵)]]
 
== 年表 ==
1956年1月、神奈川県[[横須賀市]]の[[キャンプ・マクギル]] (Camp McGill) から米海兵隊第3海兵師団が移駐した。米軍のマスタープランに記載されている土地所有地図は、多くの私有地区画が基地として占領されたかを示している<ref>キャンプ・バトラー米海兵隊基地施設技術部「キャンプ・コートニー・マスタープラン」(1986/2) 情報公開法に基づく公開 from 梅林宏道『情報公開法でとらえた沖縄の米軍』高文研(1994) 166頁</ref>。
『沖縄の米軍基地 平成20年3月』第8章による。
 
*[[1945年]]:米陸軍の物資集積所として開設。
当初は当地の名をとってキャンプ天願 (Camp Tengan) という名称だった。最初に駐留した海兵隊部隊は[[クォンセット・ハット|コンセント・ハット]]、ニッセン・ハット、バトラー・ビルディングと呼ばれる兵舎を使用した。殆どの建物は「強い支え」があるとされていたが、その意味は[[コンクリート]]やコンクリートブロックが端部を固定し、[[ケーブル]]でその間を渡し、地面に据え付けたということである。また、木製の[[ハリケーン]]シャッターが窓の外に備えられていた。これは、[[沖縄諸島]]に頻繁に襲来する[[台風]]から建物を防護するための処置であった。当初キャンプ天願に配置された部隊は司令部大隊、師団軍楽隊、トラック大隊であった。師団司令部は主に正門内側の1号通り沿いに無秩序に入居していた。幾つかの法務部のような部署は別の建物に入居していた。防空陣地は駐屯地至近に設営されていた。所在部隊は以前は月1度実弾[[軍事訓練|訓練]]を実施していた。以下は『沖縄の米軍基地 平成20年3月』第8章による。
*[[1945年]]:米陸軍の物資集積や兵舎として接収された。
*[[1956年]]1月:本土の神奈川県[[横須賀市]][[キャンプ・マクギル]]から[[第3海兵遠征軍 (アメリカ軍)|第3海兵遠征軍]]司令部が移駐、具志川で建設が始まる。
*[[1958年]]:米在沖海兵隊基地として使用。
*[[1961年]]5月:川崎小学校付近に[[ヘリコプター]]が[[墜落]]し、2人が死亡、5人が重傷を負う。
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*[[1969年]]11月:海兵隊司令部がキャンプ・マクトリアスへ再移転。
*[[1971年]][[6月30日]]:約396,000平方メートルを返還。
*[[1974年]]5月:1971年6月に返還された敷地の一部約139,000平方メートルを[[海上自衛隊]][[具志川送信所]]として使用開始。
*1974年[[5月31日]]:[[採石場]]用地として約52000平方メートルを返還。
*[[1983年]][[10月31日]]:南側の敷地294,600平方メートルを返還する。翌11月1日住宅用地に使用するため238,100平方メートルを追加提供。以降、順次住宅、隊舎、宿舎等が建設されていく。
*[[2006年]][[1月31日]]:道路用地約9,000平方メートルを返還する。
キャンプ・コートニーから「返還」されたとする北側の757,000㎡のうち、169,000㎡は海上自衛隊[[沖縄基地隊]][[具志川送信所]]として借上げされ、局舎とマイクロタワーやアンテナなどが設営された<ref>{{Cite web|和書|title=海上自衛隊沖縄基地隊具志川送信所 {{!}} うるま市における基地の概況 {{!}} 基地政策 {{!}} 市政・財政・議会・選挙・統計・基地・公売等 {{!}} うるま市役所|url=https://www.city.uruma.lg.jp/sp/shisei/167/508/1755|website=www.city.uruma.lg.jp|accessdate=2021-01-26}}</ref>。また238,000㎡が米軍に再提供され、12,000㎡が河川や道路整備の公共事業のために使われている<ref>うるま市「[https://www.city.uruma.lg.jp/shisei/167/912/913 うるま市における基地の概況]」</ref>。東側の返還地については[[土地区画整理事業]]が実施され、住宅街が形成されている。
 
各司令部が集まっていることから、日本に駐留する海兵隊の中枢機能をになっている。司令部の他、[[ヘリパッド]]、[[礼砲]]台、将校クラブ、管理[[事務所]]、下士官宿舎、補給倉庫、車両修理工場、食堂、家族住宅、売店、劇場、[[スケートリンク]]などが存在する。[[キャンプ・マクトリアス]]に在住する米兵は本駐屯地に勤務する者が多い。[[ファイル:Start of construction on the new Camp Courtney base, 1956.png|サムネイル|220x220px|1956年、神奈川県のキャンプ・マクギルから移駐した海兵隊基地の建設が始まる。]]
== 概要 ==
『沖縄の米軍基地 平成20年3月』第8章、うるま市ウェブサイトなどによる。
=== 基本情報 ===
* 総面積:1,339千[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]
** 内私有地:1,276千m<sup>2</sup>
* 提供水域面積:1.47[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]
* 地主数:712人(2009年3月現在)
* 年間賃借料:12億7,000万円(2008年度実績)
* 駐留軍従業員数:341人
=== 概要説明 ===
1956年1月、神奈川県[[横須賀市]]の[[Camp McGill]]より第3海兵師団が移駐した。当初は当地の名をとってCamp Tenganと命名されていた。最初に駐留した海兵隊部隊は[[:en:Quonset hut|コンセント・ハット]]や[[:en:Nissen hut|Nissen hut]]、Butler buildings<!--英語にてoccupied buildingは居住建築物の意-->と呼ばれる兵舎を使用した。殆どの建物は「強い支え」があるとされていたが、その意味は[[コンクリート]]やコンクリートブロックが端部を固定し、[[ケーブル]]でその間を渡し、地面に据え付けたということである。また、木製の[[ハリケーン]]シャッターが窓の外に備えられていた。これは、[[沖縄諸島]]に頻繁に襲来する[[台風]]から建物を防護するための処置であった。当初キャンプ天願に配置された部隊は司令部大隊、師団軍楽隊、トラック大隊であった。師団司令部は主に正門内側の1号通り沿いに無秩序に入居していた。幾つかの他の部隊-法務部のような-は別の建物に入居していた。防空陣地<!--Anti-aircraft battery-->は駐屯地至近に展開していた。所在部隊は以前は月1度実弾[[軍事訓練|訓練]]を実施していた。新しくこの地に来た人達は予告なしの射撃があると一瞬慌てる事がよくあった。
 
=== 提供水域 ===
各司令部が集まることで、日本に駐留する海兵隊の中枢機能を司っている。司令部の他、[[ヘリパッド]]、[[礼砲]]台、将校クラブ、管理[[事務所]]、下士官宿舎、補給倉庫、車両修理工場、食堂、家族住宅、売店、劇場、[[スケートリンク]]などが存在する。キャンプ・マクトリアスに在住する米兵は本駐屯地に勤務する者が多い。
提供水域は第1水域と第2水域に区分される。第1水域は施設保安のため使用され、第2水域では[[揚陸作戦|水陸両用戦]]訓練が実施される。使用条件として、第2水域では実弾射撃は実施せず、[[空砲]]射撃のみ許可されている。[[水中処分|水中爆破]]は認められていない。提供水域内で訓練を実施する場合、[[第11管区海上保安本部]]より警告が掲載される<ref>[http://www.kaiho.mlit.go.jp/11kanku/01yasuraka/11-koen_mics/d_anzen/kaiiki_betu/kunrenitiran/newpage1.html 管内在日アメリカ合衆国軍海上訓練] 第11管区海上保安本部HP</ref>。
 
2001年6月、35年間使用されていた[[クレー射撃]]場のため、リーフ内に[[鉛]]弾約60トンが堆積していることが、1998年の海兵隊の調査で明らかになっていたと報じられた<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-111161-storytopic-86.html クレー射撃で鉛汚染/キャンプ・コートニー] 『琉球新報』2001年6月9日</ref>。海兵隊は2000年に提供水域内での[[ヒジキ]]採取を地元漁協に許可していたにもかかわらず、この調査結果を公表していなかったため、問題となった。環境省・防衛施設庁などで再調査が実施され、調査結果はヒジキを食しても人体に有害なレベルではないという結果となった<ref>[https://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=3677&hou_id=3421 キャンプ・コートニー水域のヒジキに係る補完的調査結果について(評価書)] 環境省、厚生労働省、外務省、防衛施設庁 2002年6月</ref>。
提供水域は第1水域と第2水域に区分される。第1水域は施設保安のため使用され、第2水域では[[揚陸作戦|水陸両用戦]]訓練が実施される。使用条件として、第2水域では実弾射撃は実施せず、[[空砲]]射撃のみ許可されている。[[水中処分|水中爆破]]は認められていない。
== 遺構・遺跡 ==
天願川をキャンプ・コートニーのフェンスのなかには、[[天願城]]や[[天願貝塚]]などの多くの遺構があるが、米軍は調査や遺構の保全を許可していない。米軍のマスタープランには、天願一族の墓があるとともに、霊化森には日本軍の陣地壕があったため、多くの日本兵が葬られていると記されている<ref name=":0" />。
 
* [[天願城]] (土グスク、あるいは天願グスク) ... 米軍基地内にあるという経緯から現在までに発掘調査などは同じく基地内にある天願貝塚と同様に行われていない。
提供水域内で訓練を実施する場合、[[第11管区海上保安本部]]より警告が掲載される<ref>[http://www.kaiho.mlit.go.jp/11kanku/01yasuraka/11-koen_mics/d_anzen/kaiiki_betu/kunrenitiran/newpage1.html 管内在日アメリカ合衆国軍海上訓練] 第11管区海上保安本部HP</ref>。
* 天願貝塚 ... [[縄文時代]]後期([[沖縄貝塚文化|沖縄貝塚時代]]前期)の貝塚。[[貝塚]]から奄美の面縄東洞式土器や沖縄の伊波式土器、石斧も発見されているが、同じく調査は進んでいない。
* 霊化森 (ディーカムイ) グスクと日本軍の陣地跡 ... 日本軍の陣地壕と銃眼、住民の避難壕などがある。
* 水玉栄原遺跡
* 天願原遺跡
{{See|天願城}}
 
== 事件・事故 ==
2001年6月、35年間使用されていた[[クレー射撃]]場のため、[[リーフ]]内に鉛弾約60トンが堆積していることが、1998年の海兵隊の調査で明らかになっていことが報じられた<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-111161-storytopic-86.html クレー射撃で鉛汚染/キャンプ・コートニー] 『琉球新報』2001年6月9日</ref>。海兵隊は2000年に提供水域内での[[ヒジキ]]採取を地元漁協に許可していたにも関わらず、この調査の公表をしていなかったため、問題となった。環境省・防衛施設庁などで再調査が実施され、調査結果はヒジキを食しても人体に有害なレベルではないという結果となった<ref>[http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=3677&hou_id=3421 キャンプ・コートニー水域のヒジキに係る補完的調査結果について(評価書)] 環境省、厚生労働省、外務省、防衛施設庁 2002年6月</ref>。
1960年2月19日 - 米軍の水タンクが破裂し、沖縄人1人が死亡し、3人重傷が重傷を負った<ref>{{Cite web|和書|title=事件・事故/Water Tank Bursts : Kills 1, Hurts 3(水タンク破裂で沖縄人1人死亡、3人重傷) : 那覇市歴史博物館 |url=http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/item3/68296 |website=www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp |accessdate=2022-02-22}}</ref>。
2002年11月2日 - [[沖縄米兵強制わいせつ未遂事件]]の舞台となった。この事件は日本のメディア、特に沖縄で大きな注目を集め、日米地位協定と治外法権の特権、そして日本の法制度と日本の警察の公正な裁判慣行についての議論を引き起こした。[[ファイル:31st MEU Amphibious Raid 160903-M-MF313-117.jpg|サムネイル|219x219px|キャンプ・コートニーで行われている海兵遠征部隊 MEU の水陸両用夜間襲撃訓練。]]
== 訓練 ==
[[ファイル:U.S. Marines, of III Marine Expeditionary Force, conduct chemical, biological, radiological and nuclear (CBRN) training where Marines conduct a series of tests while in the gas chamber at Camp Courtney, Okinawa 111222-M-LY681-039.jpg|サムネイル|219x219px|キャンプ・コートニーの施設で行われている米海兵隊第三海兵隊遠征軍の化学、生物、放射線、核兵器対応シーバーン訓練 (CBRN) の様子。]]
キャンプ・コートニーでは、毎年、化学兵器、生物兵器、放射線、核兵器(CBRN)訓練を行っている。気密性のガス室で保護具を着用しながら一連のテストを実施する。あるいはどのように汚染物質を密封、梱包、および除去するかを野外で訓練する<ref>{{Cite web|title=CBRN Contamination Mitigation Training|url=https://www.dvidshub.net/image/5666189/cbrn-contamination-mitigation-training|website=DVIDS|accessdate=2020-02-27|language=en}}</ref>。
 
=== イベント ===
2002年11月に[[沖縄米兵強制わいせつ未遂事件]]の舞台となった(被害女性が正門の保安員に助けを求めた)。
毎年[[クリスマス]]シーズンには Camp Courtney Christmas Fest が開催される。その他、随時[[フリーマーケット]]が開かれる。他に軍用機の展示会や具志川祭りなど地元祭事への参加もある。
 
駐屯地周囲はレストランや商店街がある。東側の返還地に付いては[[土地区画整理事業]]が実施され、住宅街が形成されている。
 
== イベント ==
毎年[[クリスマス]]シーズンにはCamp Courtney Chrismas Festが開催される。その他、随時[[フリーマーケット]]が開かれる。他に軍用機の展示会や具志川祭りなど地元祭事への参加もある。
== 関連項目 ==
{{commonscat|Camp Courtney}}
*[[沖縄の米軍基地]]
*[[キャンプ・フォスター]] - 在沖海兵隊基地司令部、在日米軍沖縄調整事務所が所在する。
*[[第3海兵師団 (アメリカ軍)|第3海兵師団]]
 
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
 
== 外部リンク ==
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* {{PDFlink|[http://www.pref.okinawa.jp/kititaisaku/8kaiheitai.pdf FAC 6029 キャンプ・コートニー]}} 「第8章 基地の概要 第1節 米軍の施設別状況」内『沖縄の米軍基地 平成20年3月』 P204-206 沖縄県基地対策課HP
* [http://www.city.uruma.lg.jp/4/3041.html キャンプ・コートニー(FAC6029 Camp Courtney)] - うるま市基地対策課
 
{{gunji-stub}}
{{デフォルトソート:きやんふこおとにい}}
{{アメリカ太平洋軍}}
{{アメリカ海兵隊}}
[[Category:在日沖縄県の米軍基地]]
[[Category:在沖米軍アメリカ合衆国海兵隊基地]]
[[Category:アメリカ合衆国海兵隊]]
[[Category:うるま市]]