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[[1972年]]9月の[[1972年ミュンヘンオリンピック|ミュンヘンオリンピック]]でのアベベは、組織委員会から過去の著名な金メダリストの一人として招待を受け、[[車椅子|車いす]]の姿で開会式にゲスト出演し、その後も会場で競技を観覧している。自らが動けないことで「競技を見るのが辛かった」とのちに妻に語ったが、マラソンで同エチオピアのマモ・ウォルデが3位に入り銅メダルを獲得、アベベと同じく五輪二大会連続メダリストの快挙を大いに喜んでいた<ref>山田、2004年、P237 -239。</ref>。
 
晩年のアベベはこのように体が不自由な状態ながらも、生涯スポーツに関わり続けようとしていた。しかしミュンヘン五輪からわずか1年後の[[1973年]][[10月25日]]アベベは[[脳出血]]により首都[[アディスアベバ]]にある陸軍病院にて病死。41歳でその生涯を閉じたのだった。因果関係は明確ではないものの、自動車事故の後遺症が脳出血の遠因であるとみられた。
 
アディスアベバにはアベベの名前を冠した国立スタジアムがある。