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幕間劇のために書き下ろされた音楽は殆ど現存していない。多くの音楽は、[[マドリガーレ]]や器楽曲として書かれた音楽を幕間劇に使っていたのである。幕間劇の題材としては、神話もしくは牧歌が選ばれることが多く、衣裳を着た歌手や俳優が、[[パントマイム|マイム]]あるいは[[ダンス]]で表現した。[[フィレンツェ]]や[[フェラーラ]]といった都市では、貴族の結婚式、公式行事が、幕間劇の上演される場所だった。[[メディチ家]]の結婚式で演じられた幕間劇に関する記録が、その内容(音楽・アクション)をもっとも良く伝えていて、たくさんの絵画や彫刻を施された舞台セットも現存している。音楽は、器楽編成のものもあれば、歌手・ダンサー・マイムが出るもの、凝った演出のものもあり、それは時代によって様々で、時にはそれらすべてを取り入れたものもあった。
 
16世紀になると、幕間劇はさらに複雑なものになっていき、「劇中劇」という形を取る場合も多かった。たとえば、5幕の劇の間に入る4つの幕間劇が4部構成で、それも各部ごと劇の進行に沿った異なる隠喩であったりした。([[1539年]]のフィレンツェで上演された「Il commodo」では、4部がそれぞれ朝・真昼・午後・夜に分かれ、舞台では凝った人工太陽が機械仕掛けで動き、その時刻に応じた歌や踊りがなされた)。幕間劇が凝ったものになったことで、劇自体が、幕間劇のための幕間劇のようになってきたと言う、当時の批評家もいた{{要出典|date=2024年6月}}。結局、それを許したことで、幕間劇はそれ自体として独立したものになり、当然の帰結として、歌と複数の幕という特徴が合体して、最終的にオペラに吸収されることになってしまったわけである。
 
ちなみに、同じ時期、[[フランス]]でも、独自の発展を遂げた幕間劇('''intermedia''', 複数形:'''intermedie''')があり、イタリアの幕間劇と較べるとよりダンスに重点を置いている。イングランドの「[[仮面劇]](マスク)」は幕間劇と多くの類似点を持ってはいるが、その起源は幕間劇とは異なり、独立した社会的な娯楽の派生物であった。