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{{基礎情報 会社
'''京都共栄銀行'''(きょうとこうえいぎんこう)は過去にあった[[第二地方銀行]]。[[相互銀行]]時代の名称は'''京都相互銀行'''。元は近畿産業無尽、近畿産業相互銀行と変遷。本店は[[京都府]][[京都市]][[下京区]]四条通西洞院西入ルに存在した。破綻前の[[統一金融機関コード]]は0549。
[[画像:Kyoto-Kyoei.jpg|thumb|240px|right|旧社名 = 株式会社京都共栄銀行・舞鶴支店跡]]
|英文社名 = The Kyotokyoei Bank
|ロゴ =
|画像 = [[画像:Kyoto-Kyoei.jpg|240px]]
|画像説明 = 旧京都共栄銀行・舞鶴支店跡
|種類 = [[株式会社]]
|市場情報 = 非上場
|略称 =
|国籍 = {{JPN}}
|本社郵便番号 =
|本社所在地 =
|本店郵便番号 =
|本店所在地 = [[京都府]][[京都市]][[下京区]]四条通西洞院西入ル
|設立 =[[1941年]]
|業種 = 7050
|統一金融機関コード =0549
|SWIFTコード =
|事業内容 = [[普通銀行|普通銀行業務]]
|代表者 = 吉永勝商(代表取締役社長)
|資本金 =
|発行済株式総数 =
|売上高 =
|経常利益 =
|営業利益 =
|純利益 =
|純資産 =
|総資産 =
|従業員数 = 608人
|支店舗数 =
|決算期 = [[3月31日]]
|主要株主 =
|主要子会社 =
|関係する人物 =
|外部リンク = <!-- http://****.jp/ -->
|特記事項 =
}}
{{基礎情報 銀行
|銀行= 京都共栄銀行
|英名=
|英項名=
|統一金融機関コード=
|SWIFTコード=
|代表者種別=
|氏名=
|店舗数= 44店
|従業員数=
|資本金=
|総資産=
|貸出金残高= 3,064億円
|預金残高=3,410億円
|設立日=
|郵便番号=
|所在地=
|外部リンク=
|特記事項= 1997年3月31日時点での指標。
}}
'''株式会社京都共栄銀行'''(きょうときょうえいぎんこう)は、かつて[[京都府]][[京都市]][[下京区]]に本店を置いていた[[第二地方銀行]]。府内を中心に
営業を展開していた。
 
== 概要 ==
[[1941年]]、京都産業無尽が広済無尽を[[合併 (企業)#吸収合併|吸収合併]]し昭和産業無尽として発足。[[1951年]]、[[相互銀行法]]の施行によって昭和産業相互銀行となる。[[1964年]]に京都相互銀行に商号を変更。[[1989年]]4月に普銀に転換し京都共栄銀行と称した<ref name=yomiuri> 「経営難の京都共栄銀行が再建を断念 幸福銀行に営業譲渡 98年10月メド」『読売新聞』大阪本社朝刊 1997年10月14日</ref>。
[[京都府]]の第二地銀として預金高'''3,400'''億円・貸出金約3,000億円で京都市内だけでなく、[[舞鶴市]]や[[宮津市]]、[[敦賀市]]、[[小浜市]]など京都府北部・[[福井県]]まで営業エリアまで広げていたが、バブルの崩壊により不良債権の総額が約1290億円に膨れ上がった上、[[金融庁]]の追加指摘により約150億円の債務超過に陥っている事態となり[[1997年]](平成9年)[[10月14日]]に経営破綻し、もともと関係の深かった[[幸福銀行]]が[[10月26日]]営業権の譲渡を受けた。
また北部地域では舞鶴地区は[[福邦銀行]]、丹後地区では[[京都北都信用金庫|北京都信用金庫]]などに営業譲渡され、解体された。これにより、京都府に本店をおく[[地方銀行]]は[[京都銀行]]のみとなった。
 
営業店は京都府内を中心に[[敦賀市]]、[[小浜市]]など[[福井県]]まで店舗ネットワークを広げていたが、信金王国と呼ばれた府内において有力な取引先を持つことが出来ず<ref name=yomiuri />、[[バブル経済]]期において個人や中小法人向けの不動産融資に力を注いだが、[[バブル崩壊]]によって融資が焦げ付き、[[金融庁]]の追加指摘により約150億円の[[債務超過]]に陥った。
営業権譲渡を受けた幸福銀行も[[預金保険機構]]から救済合併に伴う援助として金銭の贈与456億円を受けたが、[[1999年]]5月に債務超過を指摘され経営破綻し、外資系ファンド日本インベストメント・パートナーズが関西さわやか銀行を受け皿銀行として設立、その後関西さわやか銀行株式を関西銀行に売却したうえで両行が合併、[[関西アーバン銀行]]となっている。
 
京都共栄銀は、[[幸福銀行]]の大株主である大一商店グループが発行済み株式の95%を所有していたため、幸福銀は[[第三者割当増資]]の引受などによる経営支援策も検討したが、[[1998年]]度から始まる[[金融監督庁]]による早期是正処置の導入を控え、幸福銀は京都共栄銀の生き残りは難しいと判断し、[[1997年]]10月14日、京都共栄銀は自主再建の断念を表明した<ref name=yomiuri />。翌年10月、営業権の大半は幸福銀に、府北部地域では福知山市分は幸福銀に譲渡されたものの、中心都市の舞鶴市分は[[福邦銀行]]、丹後地方は[[京都北都信用金庫|北京都信用金庫]]に譲渡され、解散した。これにより、府内に本店をおく地元銀行は[[京都銀行]]のみとなった。
==沿革==
 
*[[1941年]]:京都産業無尽から昭和産業無尽に商号変更。
営業譲渡された幸福銀には[[預金保険機構]]から456億円の金銭贈与が実施されたが、[[1999年]]5月に債務超過を指摘され経営破綻した。その後、幸福銀は[[ウィルバー・ロス]]による外資系ファンドが設立した受け皿銀行である関西さわやか銀行に事業譲渡して解散した。[[2003年]]7月1日には、同行は関西銀行によって子会社化され、[[2004年]]2月1日、関西銀は関西さわやか銀を合併。商号を変更し[[関西アーバン銀行]]となった{{efn|後に[[近畿大阪銀行]]と合併して現在は[[関西みらい銀行]]}}。
 
== 沿革 ==
*[[1941年]]:京都産業無尽からが広済無尽を吸収合併。昭和産業無尽に商号変更として発足
*[[1951年]]:相互銀行法の施行によって昭和産業相互銀行として発足。
*[[1964年]]:京都相互銀行へ商号変更。
*[[1989年]]:[[普通銀行]]へ転換。京都共栄銀行に商号変更。
*[[1997年]]:経営破綻
*[[1998年]]:京都共栄銀行としての営業終了。幸福銀行、福邦銀行、京都北都信用金庫などに譲渡。
 
==関連項目 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
*[[関西アーバン銀行]](最終的な受け皿銀行)
; 注釈
{{Notelist}}
; 出典
{{Reflist}}
 
==外部リンク==
*[https://web.archive.org/web/20080203181651/http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji/kako01/fso9710a.htm 京都共栄銀行について日本銀行1997年10月14日]
*[httphttps://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/syasetu/sh71015a.html 京都新聞社説]
 
{{DEFAULTSORT:きようときようえいきんこう}}
[[Category:かつて存在した日本の第二地方銀行・相互銀行]]
[[Category:かつて存在した京都府の企業]]
[[Category:第二地方関西みらい銀行|廃きようときようえいの前身行]]
[[Category:1941年設立の企業]]
[[Category:1998年廃止の企業]]
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