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Wikipedia‐ノート:表記ガイド

最新のコメント:22 日前 | トピック:記事名で波ダッシュを使用するべきか | 投稿者:シェン,アーナリー,ン,アーバァ.

文体のルールを2022-11-01T14:16:05時点における版までのルールに戻したい

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表題の通り、WP:JPE#文体のルールを2022-11-01T14:16:05(UTC)時点における版の状態に戻すことを考えております。事の発端としてノート:伊原六花#略歴節での本文中の文体表記についてでの議論において文体の「である」調と「だった」調の編集に関してコメントしたところ、他の利用者より2022-11-21T03:24:28(UTC)の版においてこのノートでの合意なき変更が発覚したことによるものです。

これまで私は現状の無断で書き換えられた文体のルールに気付かず、そのまま改変されたルール通りに各記事の「だった」を「であった」などに書き換えてしまったことは大きな責任であることは重く受け止めています。履歴で差分を確認していれば、こうなることはなかったでしょうが、なにより責任は私だけでなくルールを改変したおむれぬさんにも責任があると思います。本ノートのこれまでの過去の議論やログを見る限り、文体に関するルールの変更に関する提案は行った形跡はなく、ウィキペディア日本語版としてはほぼすべての記事に大きな影響を及ぼしたと言わざるを得ません。

2022-11-01T14:16:05(UTC)までのルールは「百科事典本体の記事については、常体(……である)調で統一します。」であり、2022-11-21T03:24:28(UTC)以降は「常体(……である、……であった)調で統一します。(……だ、……だが、……だった)調は本体の記事では用いません。」ですが、必ずしも「である」にする必要はないと思います。また、(……だ、……だが、……だった)を用いる必要もないと思います。

改めまして、この変更に関してご意見・ご指摘などをお聞かせ願えればと思います。--キュアサマー会話2024年3月16日 (土) 14:05 (UTC)返信

  •   ご指摘の版のところまで遡ると、「……であった。」が例にないため記事を過去形で書けなくなります(少しこじつけだが)。問題なのは「常体」のうち断定調の『……だ・……だが・……だった』なので、それを許すかどうかで諮るべきでしょう。なお常体には、「……である・であった」と「……だ・……だった」の両方が存在し得ますが、うち後者は字面的に百科事典向けではないでしょう(個人的には)。しかしながらそれを強制できるほどの説得力も私の現行の知識ではは持ち得ません。現行、すでに過去のことですら現在形で書かれている記事が無数にある中で、いささか些末な意見かな? というのが実感です。確かに合意のない表記の制限はまずいのですが、かといってかなり以前の状態に戻せ、というのも酷でしょう。--Licsak会話2024年3月16日 (土) 17:50 (UTC)返信
  •   コメント 一応、発端の議論にコメントしたのでここにも私見を残します。そもそも当該箇所は「敬体ではなく常体を使え」が主旨の一文であって「である調に統一しろ」ではないです。言うまでもなく「だ調」も常体ですから、そもそも説明文としておかしくなっています。「だ」より「である」が事典の文体として望ましく見えるのは否定しませんが、新聞や論文などのフォーマルな文章でも「だ調」はよく見られるもので、ですます調(敬体)なら即座に直すべきところ、だ調はパッと見で自然な文章であるかぎり、あえてそれだけを狙って、無理に直す必要があるかなというのが率直なところです。
以上から、「百科事典本体の記事については、敬体(です・ます調)ではなく、常体(だ・である調)で統一します。また、百科事典の文体として「…だ」より「…である」が望ましいです。」くらいが良いのかなと思います。--EULE会話2024年3月17日 (日) 01:18 (UTC)返信

  コメント 皆様、コメントありがとうございます。あれから既に1週間は経過しました。EULEさんが仰られている通り、敬体ではなく常体の「だ」「である」で統一させるというルール案に関しては、これに関していくつかコメントさせてください。まずLicsakさんが仰る通り、記事に文章を加筆する際に「だ、だが、だった」を使っても問題ないかどうかという点については、確かに「百科事典向きの記述ではない」というのはわかりますが、EULEさんが仰るように、新聞や論文などで「だ」の表記がみられるという点からしてみれば、EULEが提案なされているルールの案でも反対しません。また、お二方の仰る通り、文体のルールを本来の案である2022-11-21T03:24:28(UTC)の版まで元に戻したり、逆に「だ」から「である」にするのもわざわざ修正する必要がないという点については、「だ」「である」どちらも日本語としてはどちらも使えるので、修正する必要はないと改めて思いました。もちろんそれぞれの記事に加筆するとなる際、記事の内容にもよりますが、可読性の点を考慮した上では「外部サイトからのコピペ転用」にも気を使いながら上手く自分の言葉でより多くの閲覧者や編集者にわかりやすいような表記・表現を加筆できるかがポイントになってくるかと思います。--キュアサマー会話2024年3月25日 (月) 12:59 (UTC)返信

体言止めは止めましょう

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WP:JPE#文体のルールで思い出したのですが、記事本文中で気になる記述に、「体言止め」があります。体言止めは見た目は良いのですが、文章の正確性からは大いに疑問の余地のある文体で、日経クロステックダイヤモンドオンラインにて、ビジネス文章では駄目な書き方のひとつとされるばかりか、NHKでさえ、放送用語委員会にて外部委員からお叱りを受けております放送研究と調査 2023.3 p.90–91)。説明責任の観点からも記事本文は解釈の紛れが少ないほうが望ましく、私は可能な限り体言止めの記事に対して紛れの少ない箇条書きを除き、本文記事内の記述に対し必要な述語を補ってきました。述語がないことは他言語版Wikipedia への翻訳の障害にもなり得ますので、表記ガイド中に、文体を常体にするだけでなく、「意味が曖昧にならないよう記事本文中での体言止めは極力避けてください。なお箇条書きはこの限りではありませんが箇条書きにすることによって意味が曖昧にならないよう注意を払ってください」と体言止めは極力避けるよう促したいのですが、いかがでしょうか?--Licsak会話2024年3月31日 (日) 16:29 (UTC)返信

  •   情報 日経クロステックの開発ドキュメントの悪文修正術の冒頭にも、「体言止めをしない」、「語尾の省略を避ける」とあります。百科事典の記事には修辞技法は本来的に不要なものであり、曖昧さを無くすためにも正しく述語を使うよう促すべきだと思います。キャッチコピーでの使用例や、句点を打たないSNS文法のように直接述語を書かない文例が増えていますが、事象の説明文はちゃんと述語を添えて記事にすべきだと思います。なお、述語をちゃんと書くことは、読点を入れ続け、いつまで経っても終わらない文や主語と述語との関係がおかしい文を避ける効用があることを付記いたします。--Licsak会話2024年3月31日 (日) 16:29 (UTC)返信
  •   取り下げ どうも『耳タコ』案件だったようです。Wikipedia:井戸端で似たような話が先行しており、WP:LEADPARAGRAPHでも体言止めにするべきか、「……である。」文体にするかの議論があり、一致した見解は得られていない、と明記されていました(その記述に至った議論も参照)。参考までにそれらの井戸端の話題へのリンクを示して終わりにします。
またこの話題に付随して起きる定義部の「○○とは」⇔「○○は」の問題も該当の議論を記しておきます。
体言止めの如何にかかわらず、適切な語順で体言止めを回避できるならばそれに越したことはないんでしょう。
良い体言止めと悪い体言止めというわけでは無いですが、本来避けるべきものというのは、語句の並び順を変えることで発生するような物だと考えています。例えばたまたま今日『用いるのは「フルンティング」という霊装。』というのを『「フルンティング」という霊装を用いる。』と直しましたが、こういう感じでもっと適切な語順(?)があるのに、体言止めになっているような物が本来問題視される体言止めでは無いでしょうか。
単純に「である」などが削れているだけというのは(つまり導入部におけるようなものについては)、そう問題視するような物ではなく、あっても良いし無くても良いと思います。まあ、ケースバイケースでその時に相応しいと思ったのを執筆者の裁量でやれば良いかと私は思います。 — User:EULEWikipedia:井戸端/subj/記事の導入部に「~とは~である。」に統一すべきか否か
私も「確かにそのとおりだ!」と思いました。お騒がせして申し訳ありませんでした。

--Licsak会話2024年4月29日 (月) 18:27 (UTC)返信

全く蒸し返すような期間を空けてしまい申し訳ありませんが、体言止めについて、少し別の視点から意見を述べますね(今後もし別の形で議論が始まった際や、あるいは今ここに再燃した場合の論点となればと思います
記事の(形式上ではなく本質的な)「本文」において、語順入れ替えで対応できる部分をわざわざ体言止めにするというのは、特に読み上げ機で聴いている際に、文のつながりが判りづらく、煩わしく感じます。(私は視覚障害ではないため、本文を読めば前後の文と同時に読むことができますが)もしかすると文章を読めない状況の利用者にとって体言止めは、私と同じように煩わしいものかもしれません。
実験をしたわけでもないのであくまで感想ですが、本文において「体言止めを避けて記述できないか検討をする」ように、または「体言止めを使うに相応しいか推敲する」ように念を押す程度の記載なら、有っても良さそうですね。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2024年6月23日 (日) 03:00 (UTC)返信

月を省略して日付を書く場合について

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「年月日」節に、「2月1日・2日」や、「2月1日」の後で「(同月)2日」が出てくる場合、[[2日]]ではなく[[2月2日|2日]]とするという注意書きを入れたいと考えています。こういうミスが結構見られます。そもそも、特に後者については、途中に「3月1日」などが追加されると3月2日の意味になってしまうことが考えられるので、月を省略する書き方はしない方が良いとは思いますが。

以下を叩き台としておきます。

月を省略して日付を書く場合、「|」(パイプ付きリンク)を使って日付にリンクします。ただし、文脈に依存する表現となり、間に別の月に関する文章が追加されたときに意味が変わってしまう恐れがあるため、できるだけ月は省略しないでください。

  • 例: (「2月1日」の後で「2日」と書く場合)[[2月2日|2日]]

--nnh会話2024年5月18日 (土) 00:07 (UTC)返信

  コメント おっしゃることはよくわかります。気分的には煩わしいと感じるでしょうけど、一般の文献と違い、常時改変が行われる前提のWikipediaでは、「途中に『3月1日』が追記される」ということは当然想定すべきです。
ただ、WP:OVERLINKINGとの兼ね合いが悩ましいところです。
私だったら、状況によって(煩わしいと感じるのはよくわかるけれど)毎回「2月2日」と月数も書く、「同年3月」ではなく「天正6年3月」と書く、とするかもしれません。--柒月例祭会話2024年5月18日 (土) 00:38 (UTC)返信
  コメント 編集経験からいうと、[[2月2日|2日]]などとされている場合、多くはリンクすべきでないものが多いように感じます。
どうしても注意書きを加えるというならば、「月は省略しないでください。」だけでいいのではないかと思います。--Haatouki会話2024年5月24日 (金) 15:53 (UTC)返信
個人的には、翌月や同年などといった記述は(あまり離して用いるのも問題だが)、直下の記述にそうあることくらい、考えて編集してほしいにつきますね。そのうえで以下は、間に挟み込んでしまう人に対する注意ではなく、あくまで「同月」などの記述を扱う人に注意を促すならばの話です。
「同月」などという記述について、あいだに「別の月」などが挟まることなどで意味をなさなくなることを踏まえた対応という議題として意見しますね。
  結論 前後の文の「同月」などの記述を推敲して加筆するように求めないのであれば、そもそも「同月」などという記述自体を(少なくともウィキメディアの日本語コミュニティが「記事」に用いることは)、控えるべきでしょう。
  理由 なぜならば、内部リンクを貼ったところで、依然「文章としておかしな状態」が続くからです。
特に、リンクの存在に気づきにくい「読み上げ機能」の使用者や、ウィキペディアから引用する(検索結果のスニペットなどの)プレーンテキスト上では、全く効果がない対応だと考えることができますね。
そうでなくとも、丁寧に内部リンクを貼ったところで、閲覧者はそれを確認するでしょうか。
文章のままに文脈を解釈する際の「同月」と、内部リンクの示す「月」がずれることを容認してまで、そういった「同月」などの表記を使う必要性もわかりません。少なくともウィキペディアは、ウェブページとして印刷紙面の制約がないため、たとえば「同年」などと文字を省略して書く必要はないでしょう。
文章に問題が発生する場合は、文章で対応しなければなりません。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2024年6月23日 (日) 03:56 (UTC)返信

記事名で波ダッシュを使用するべきか

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映画、テレビドラマ、本の題名などで波ダッシュが使用される場合が多く、その場合に記事名の中では波ダッシュをハイフンにすべきか波ダッシュのままとするかで何度か議論になります。同じ議論を避けるために、もう少しガイドラインを明確にできないでしょうか?

現在のガイドラインでは「固有名称に波ダッシュが含まれる場合などで波ダッシュをやむを得ず使用する際には、原則として、正しい波ダッシュ「〜」(Unicode: U+301C) を必要最小限に用いてください。」とあります。この文章を「題名は固有名称なので(常に)波ダッシュを使うのはやむを得ない」と解釈するか、「題名に波ダッシュが使われていて、どうしてもハイフンにできないやむを得ない場合は使用していい」と解釈が二つに分かれます。前者の解釈を取ると、波ダッシュを使う記事名はほぼ常に固有名称と見なせるので、波ダッシュがほぼ常に使われます。記事名には波ダッシュがあふれることになります。後者の解釈では、たとえばハイフンに代えた場合に既存の別の記事と同じ名前になってしまうなど、ごくまれな場合のみ波ダッシュが許されます。この場合、元の題名とは少しずつ違う記事名があふれることになります。

私自身は、波ダッシュを出来るだけ避けるべきだと言う原則にのっとり、後者の解釈のほうがいいと思っていますが、いずれにしてももう少し明確にできないでしょうか。例えば、前者の解釈ならば、「題名など固有名称に波ダッシュが含まれる場合は記事名でも使用が許される。」と一文を加えるとか。後者ならば、「題名など固有名称に波ダッシュが含まれる場合も、原則として記事名では波ダッシュをハイフンに置き換える。」と書き加えるとか。--Iceandsnow7会話2024年6月6日 (木) 12:05 (UTC)返信

  コメント 後者には反対します。固有名称を置き換えるのはその正確な表記がわからなくなり百科事典の役割を果たさなくなると思います。前者の解釈でより明確化することには賛成します。--Sakidaya会話2024年6月6日 (木) 14:25 (UTC)返信
現行の記述は「Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ18#固有名称 (固有名詞) での波ダッシュの使用について」の提案で改訂したのですが、後者ではなく前者に近い「固有名詞に波ダッシュを含む場合は使っていい (固有名詞以外ではやむを得ない限り使わない)」という解釈である認識です。 --Kto2038会話) 2024年6月6日 (木) 15:58 (UTC) 誤字修正。 --Kto2038会話2024年6月7日 (金) 13:31 (UTC)返信
ご返答ありがとうございます。確認したいのですが、記事名で波ダッシュを使う場合というのはほぼすべて何らかの題名だと思います。題名以外で記事名に波ダッシュを使う状況が思い浮かびません。そして題名はすべて固有名称だと見なせるので、つまり記事名では常に波ダッシュを使ってもいいと言うことになります。この認識でよろしいでしょうか?だとすると、「記事名では波ダッシュを使ってもいい」と一文を加えるべきなのではないでしょうか? --Iceandsnow7会話2024年6月7日 (金) 08:56 (UTC)返信
  返信 (@Iceandsnow7宛)
  まず前提として、波ダッシュを避けるべき理由は「波ダッシュと全角チルダに関係する、技術的に面倒な問題を極力避けたい」という点にあるでしょう。
それを踏まえて記事名では常に波ダッシュを使ってもいいという記述がふさわしくない例をご紹介します。
「題名」に対する「副題」を、日本では波ダッシュで切り離したり、囲ったりすることで区別する慣習がある分野、界隈も存在します。ですから、表記体系が同じ日本語の固有名詞に関しては、波ダッシュを記事名に含むことは避けられません。
当然、必ずしもそうではなく、美術界隈では「EMダッシュ」と「山括弧」が多用されます。おそらくフランスの書式を模しているのでしょう。
しかし特に欧文においては各国様々であり、共通する点は何かしらの「ダッシュ」か「カッコ」で区切ることであり、それは「EMダッシュ」であったり「ギュメ」であったり様々です。
これを「日本語の記事として取り上げる際に、約物をどう訳すべきか」というときに「波ダッシュを含む訳は避けよう」となります。
繰り返しますが、そもそも「波ダッシュ」が「技術的な問題」をはらむ文字で、記事名からもできるだけ波ダッシュを避けようとする発送は、妥当なものなのです。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2024年6月23日 (日) 04:46 (UTC)返信
  コメント 環境依存の難しい漢字であっても使うべきところには使わなければならないわけですから、波ダッシュも正式表記なら使用は避けられないとは思いますが、表記ゆれの範囲内で波ダッシュが使われないケースが多いような記事名であれば、個人的には波ダッシュを避けられるケースだとは思います。
個人的に注意したいのは、サブタイトルに沿える波ダッシュが正式表記かどうかの意識がおろそかになりやすい点です。以前から、正式表記には波ダッシュが使われていないにもかかわらず波ダッシュを介してサブタイトルを添えた記事名をしばしば見かけました。「サブタイトルの添え方」については正式表記かどうかを意識しない利用者が一定数いるということですから、もし「固有名詞なら波ダッシュを使ってよい」ということになれば「サブタイトルには必ず波ダッシュを添えてよい」という意味に勘違いするケースが一定数ありそうに思います。その場合、あくまで波ダッシュの使用が正式表記である場合に限ることを(当然ですが、あえて)注意点として盛り込む必要があると思います。--Gwano会話2024年6月7日 (金) 09:48 (UTC)返信

提案 私の問題提起から1週間がたち、意見も出そろったようですので、次の提案をします。書籍、映画、テレビ番組などのタイトルの正式表記において波ダッシュが使われている場合は、固有名称でありやむを得ないとし、波ダッシュを使用してかまわないという「前者」に沿って明確にする提案です。具体的には、当該の節の最初のパラグラフを次のように変える提案です。太字部分が追加部分です。実際の記事内では太字にはしません

日本語文では、波ダッシュ・波ダーシ(「」など)が通常に用いられますが、ウィキペディアにおいては原則として用いないでください。ただし、書籍、映画、テレビ番組などのタイトルの、権利者による正式表記の中で波ダッシュが使われている場合に限り、固有名称であるためやむを得ないものとして記事名の中で波ダッシュを使ってもかまいません。正式表記が複数ある場合は、そのうちの多くで波ダッシュが使われている場合に限り使ってもかまいません。

いかがでしょうか?--Iceandsnow7会話2024年6月13日 (木) 11:21 (UTC)返信

なぜ記事名に限った表現になっているのでしょうか? --Kto2038会話2024年6月13日 (木) 13:17 (UTC)返信
第一に、記事名は他の記事からのリンクとなるために注意を引き、論争が起きやすくなります。したがってガイドラインで明確化の必要があると思います。記事内の文章で、リンクでもなく波ダッシュを使用される場合はそれほど論争になりにくい。第二に、波ダッシュは副題に使われることがほとんどであり、書籍では版や出版社により、映画やテレビ番組では複数の権利者により正式表記内の波ダッシュの使用/不使用の選択が異なる、あるいは途中で変化することがしばしばあります。その場合、正式記事名を選択するにあたってやはり論争がしばしば生じます。選択されなかった記事名から正式記事名へのリダイレクトがあったとしても、やはりガイドラインの明確化は助けになります。一般論として言えば、タイトルの正式表記は複数個あり、その中での波ダッシュ使用/不使用は一定でないことを前提とせざるを得ません。ですから記事内のリンクを伴わない文章に対するガイドラインはそもそも適用が難しく、それほど意味があるとは思いません。--Iceandsnow7会話2024年6月13日 (木) 23:46 (UTC)返信

異議がなかったため、提案通りにタイトルで波ダッシュが許されることを明記しました。議論に参加していただいた方、ありがとうございました。--Iceandsnow7会話2024年6月22日 (土) 11:18 (UTC)返信

  提案 既に変更が行われていますが以下のような一部の変更を提案させてください。

ただし、書籍、映画、テレビ番組などのタイトルや人物名などの固有名称の正式表記の中や、引用文中に波ダッシュが使われている場合に限り、やむを得ないものとして波ダッシュを使ってもかまいません。記事名においても同様です。正式表記が複数ある場合は、そのうちの多くで波ダッシュが使われている場合に限り使ってもかまいません。

理由としては

  1. お〜いお茶」「あぁ〜しらき」等、ブランド名・人物名といったタイトルとは異なる固有名称もあるため
  2. Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件の「被引用文を改変しないこと」に従うのもやむを得ない場合として考えられるため
  3. 記事名に限定することで本文中に使用できないような解釈を生まないようにするため

の3つです。--Sakidaya会話2024年6月22日 (土) 12:33 (UTC)返信

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