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2010年6月5日 (土) 13:30時点における版
鳩山おろし(はとやまおろし)とは2010年(平成22年)に起こった主として民主党内における鳩山由紀夫内閣総理大臣への退陣要求。
経緯
2009年(平成21年)末ごろから低迷しはじめた内閣支持率は2010年(平成22年)5月末の時点でついに20%を切ってしまった。原因としては、小沢一郎幹事長の不正蓄財疑惑と鳩山自身の脱税問題に加えて、「最低でも県外移設」と豪語してきた普天間基地移設の公約を守れず、最後まで閣僚署名を拒んだ社民党代表の福島瑞穂少子化担当大臣を罷免したことが挙げられる。特に、鳩山に対しては、世論調査や野党からのみならず、脱税問題に関する責任の取り方があまりにも無責任なことや、一連の発言であらわれた防衛問題に対する不見識などが災いして、「1秒でも早く辞任するべき」などといったかたちで風当りが極めて厳しくなった。このころから、党内の議員、特に、2010年参院選で改選をむかえる参議院議員の間で「鳩山総理では参院選を戦えない」という声が強くささやかれるようになり、くすぶっていた党内における倒閣運動が顕在化しはじめた[1][2]。
6月1日夜には、国会で、鳩山、小沢、輿石東参院議員会長の会談がおこなわれ、民主党側はきびしい現状をつたえたが鳩山は続投に意欲をしめした。鳩山は、退室する際、親指をたてたことが党内外で憶測をよんだ[3]。しかし、2日には辞任においこまれた[4]。
脚注
- ^ “首相、小沢氏と再会談へ 1日夕にも進退含め協議 続投へ意欲”. 日本経済新聞. (2010年6月1日) 2010年6月1日閲覧。
- ^ “社民党連立離脱/危機にひんする鳩山政権”. 河北新報. (2010年5月31日) 2010年6月1日閲覧。
- ^ 中村篤志; 鈴木直 (2010年6月2日). “鳩山首相:続投姿勢崩さず 30分の会談後--小沢氏沈黙、首相は親指立て”. 毎日新聞 2010年6月2日閲覧。
- ^ “鳩山首相退陣、小沢幹事長も辞任 普天間、政治資金で引責”. 共同通信. (2010年6月2日) 2010年6月2日閲覧。
関連項目