「鳩山おろし」の版間の差分
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[[2009年]]9月、70%近い[[内閣支持率]]で船出した[[鳩山由紀夫内閣|鳩山内閣]]であったが、首相の脱税問題や[[小沢一郎]][[民進党幹事長|民主党幹事長]]の不正蓄財疑惑、[[普天間基地移設問題]]での閣内不一致などによる迷走で、[[2010年]](平成22年)5月頃には20%を切ってしまい、[[第22回参議院議員通常選挙|7月の参院選]]で改選を控える議員を中心に、「鳩山総理では参院選を戦えない」などと、執行部を批判する動きが起こった。 |
[[2009年]]9月、70%近い[[内閣支持率]]で船出した[[鳩山由紀夫内閣|鳩山内閣]]であったが、首相の脱税問題や[[小沢一郎]][[民進党幹事長|民主党幹事長]]の不正蓄財疑惑、[[普天間基地移設問題]]での閣内不一致などによる迷走で、[[2010年]](平成22年)5月頃には20%を切ってしまい、[[第22回参議院議員通常選挙|7月の参院選]]で改選を控える議員を中心に、「鳩山総理では参院選を戦えない」などと、執行部を批判する動きが起こった。 |
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}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2010/05/20100531s02.htm|title=社民党連立離脱/危機にひんする鳩山政権|work=社説|newspaper=[[河北新報]]|date=2010-05-31|accessdate=2010-06-01}}</ref>。 |
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=== 突然の辞任 === |
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[[6月1日]]夜には3人が[[国会議事堂|国会]]内で再び会談。鳩山が再び小沢に辞任を求め、小沢も承諾 |
[[6月1日]]夜には3人が[[国会議事堂|国会]]内で再び会談。鳩山が再び小沢に辞任を求め、小沢も承諾{{sfn|後藤|2014|pp=283-284}}{{efn|鳩山が退室する際に親指を立てる仕種をしたが、これは鳩山と小沢のダブル辞任が完結したからだと言われる{{sfn|後藤|2014|pp=283-284}}}}。 |
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翌2日、[[両院議員総会]]が開催。鳩山はそこで辞任を表明した{{sfn|後藤|2014|pp=284-285}}。 |
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辞任に伴う[[記者会見]]は行われなかった。 |
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*{{Cite book ja-jp|author=[[後藤謙次]]|year=2014|title=幻滅の政権交代|url=https://www.iwanami.co.jp/book/b257540.html|edition=第1刷|volume=第3巻|publisher=[[岩波書店]]|series=ドキュメント 平成政治史|isbn=978-4000281690|ref={{sfnref|後藤|2014}}}} |
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==関連項目== |
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2018年4月19日 (木) 07:10時点における版
鳩山おろし(はとやまおろし)とは、2010年(平成22年)に起こった、主として民主党内における鳩山由紀夫内閣総理大臣への退陣要求。
経緯
2009年9月、70%近い内閣支持率で船出した鳩山内閣であったが、首相の脱税問題や小沢一郎民主党幹事長の不正蓄財疑惑、普天間基地移設問題での閣内不一致などによる迷走で、2010年(平成22年)5月頃には20%を切ってしまい、7月の参院選で改選を控える議員を中心に、「鳩山総理では参院選を戦えない」などと、執行部を批判する動きが起こった。
5月28日、普天間基地の県外移設が見送られることに反発した福島瑞穂内閣府特命担当大臣(社民党党首)は合意書への署名を拒否、大臣を罷免された。30日、社民党は連立政権離脱を決定し、民主党内で倒閣運動が顕在化しはじめた[1][2]。
5月31日昼過ぎ、鳩山、小沢、輿石東参院議員会長の三者会談が開かれ、鳩山は2人に辞意を伝えた[3]。
6月1日夜には3人が国会内で再び会談。鳩山が再び小沢に辞任を求め、小沢も承諾[3][注釈 1]。
翌2日、両院議員総会が開催。鳩山はそこで辞任を表明した[4]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 後藤謙次、2014、『幻滅の政権交代』第1刷、第3巻、岩波書店〈ドキュメント 平成政治史〉 ISBN 978-4000281690