(Go: >> BACK << -|- >> HOME <<)

コンテンツにスキップ

「鳩山おろし」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
(22人の利用者による、間の39版が非表示)
1行目: 1行目:
[[ファイル:Yukio Hatoyama 20070824.jpg|サムネイル|鳩山由紀夫]]
'''鳩山おろし'''(はとやまおろし)とは{{和暦|2010}}に起こった主として[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]内における[[鳩山由紀夫]][[内閣総理大臣]]への退陣要求。
'''鳩山おろし'''(はとやまおろし)とは、[[2010年]](平成22年)に起こった主として[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]内における[[鳩山由紀夫]][[内閣総理大臣]]への退陣要求。


== 経緯 ==
== 経緯 ==
[[2009年]]9月、70%近い[[内閣支持率]]で船出した[[鳩山由紀夫内閣]]であったが、首相の[[鳩山由紀夫#個人献金虚偽記載|脱税問題]]や[[小沢一郎]][[民主党幹事長]]の[[陸山会事件|不正蓄財疑惑]]、[[普天間基地移設問題]]での閣内不一致などによる迷走で、[[2010年]](平成22年)5月頃には20%を切ってしまい、[[第22回参議院議員通常選挙|7月の参院選]]で改選を控える議員を中心に、「鳩山総理では参院選を戦えない」などと、執行部を批判する動きが起こった{{sfn|後藤|2014|p=282}}。
{{和暦|2009}}末ごろから低迷しはじめた[[内閣支持率]]は{{和暦|2010}}5月末の時点でついに20%を切ってしまった。原因としては、[[小沢一郎]]幹事長の不正蓄財疑惑と鳩山自身の脱税問題に加えて、「最低でも県外移設」と豪語してきた[[普天間基地代替施設移設問題|普天間基地移設]]の公約を守れず、最後まで閣僚署名を拒んだ社民党代表の[[福島瑞穂]]少子化担当大臣を罷免したことが挙げられる。特に、鳩山に対しては、[[世論調査]]や野党からのみならず、脱税問題に関する責任の取り方があまりにも無責任なことや、一連の発言であらわれた防衛問題に対する不見識などが災いして、「1秒でも早く辞任するべき」などといったかたちで風当りが極めて厳しくなった。このころから、党内の議員、特に、[[第22回参議院議員通常選挙|2010年参院選]]で改選をむかえる参議院議員の間で「鳩山総理では参院選を戦えない」という声が強くささやかれるようになり、くすぶっていた党内における倒閣運動が顕在化しはじめた<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C9C81E2E2E3E2E2E3E28DE2E3E2E4E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2|title=首相、小沢氏と再会談へ 1日夕にも進退含め協議 続投へ意欲|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2010-06-01|accessdate=2010-06-01
}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2010/05/20100531s02.htm|title=社民党連立離脱/危機にひんする鳩山政権|work=社説|newspaper=[[河北新報]]|date=2010-05-31|accessdate=2010-06-01}}</ref>。


[[5月28日]]、[[普天間飛行場|普天間基地]]の県外移設が見送られることに反発した[[福島瑞穂]][[内閣府特命担当大臣]]([[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]党首)は合意書への署名を拒否、大臣を[[罷免]]された。[[5月30日|30日]]、社民党は[[連立政権]]離脱を決定し、民主党内で倒閣運動が顕在化しはじめた{{sfn|後藤|2014|pp=281-283}}。
6月1日夜には、国会で、鳩山、小沢、[[輿石東]]参院議員会長の会談がおこなわれ、民主党側はきびしい現状をつたえたが鳩山は続投に意欲をしめした。鳩山は、退室する際、親指をたてたことが党内外で憶測をよんだ<ref>{{Cite news|author=中村篤志|coauthors=鈴木直|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100602ddm001010002000c.html|title=鳩山首相:続投姿勢崩さず 30分の会談後--小沢氏沈黙、首相は親指立て|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2010-06-02|accessdate=2010-06-02}}</ref>。しかし、2日には辞任においこまれた<ref>{{Cite news|url=http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060201000129.html|title=鳩山首相退陣、小沢幹事長も辞任 普天間、政治資金で引責|newspaper=[[共同通信社|共同通信]]|date=2010-06-02|accessdate=2010-06-02

}}</ref>。
[[5月31日]]昼過ぎ、鳩山、小沢、[[輿石東]]参院議員会長の三者会談が開かれ、鳩山は2人に辞意を伝えた{{sfn|後藤|2014|pp=283-284}}。

[[6月1日]]夜には3人が[[国会議事堂|国会]]内で再び会談。鳩山が再び小沢に辞任を求め、小沢も承諾{{sfn|後藤|2014|pp=283-284}}{{efn|鳩山が退室する際に親指を立てる仕種をしたが、これは鳩山と小沢のダブル辞任が完結したからだと言われる{{sfn|後藤|2014|pp=283-284}}。}}。

[[File:Resignation of the Hatoyama Cabinet 20100604.jpg|thumb|内閣総辞職に際して花束を贈呈される鳩山]]
翌2日、[[両院議員総会]]が開催され、鳩山は正式に辞意を表明した{{sfn|後藤|2014|pp=284-285}}。


==脚注==
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
===注釈===
{{notelist}}
===出典===
{{Reflist}}

==参考文献==
*{{Cite book ja-jp|author=[[後藤謙次]]|year=2014|title=幻滅の政権交代|url=https://www.iwanami.co.jp/book/b257540.html|edition=第1刷|volume=第3巻|publisher=[[岩波書店]]|series=ドキュメント 平成政治史|isbn=978-4000281690|ref={{sfnref|後藤|2014}}}}


==関連項目==
==関連項目==
*[[鳩山由紀夫内閣]]
*[[鳩山由紀夫内閣]]
*[[鳩山由紀夫内閣の歴史]]
*[[倒閣]]
*[[倒閣]]
*自由民主党政権時代の倒閣運動
*[[麻生おろし]] - その前の政権でも辞任を促す動きがあった。
**[[三木おろし]]
**[[海部おろし]]
**[[安倍おろし]]
**[[福田おろし]]
**[[麻生おろし]]
*民主党政権時代の倒閣運動
**[[菅おろし]]


==外部リンク==
* {{NHK放送史|D0009030359_00000|普天間基地問題 鳩山政権迷走}}
{{民主党}}
{{DEFAULTSORT:はとやまおろし}}
{{DEFAULTSORT:はとやまおろし}}
{{poli-stub}}
{{poli-stub}}
[[Category:平成時代の政治]]
[[Category:2010年の日本の政治]]
[[Category:2010年の日本]]
[[Category:鳩山由紀夫|おろし]]
[[Category:鳩山由紀夫|おろし]]
[[Category:小沢一郎]]
[[Category:倒閣]]

2023年2月5日 (日) 07:59時点における最新版

鳩山由紀夫

鳩山おろし(はとやまおろし)とは、2010年(平成22年)に起こった、主として民主党内における鳩山由紀夫内閣総理大臣への退陣要求。

経緯[編集]

2009年9月、70%近い内閣支持率で船出した鳩山由紀夫内閣であったが、首相の脱税問題小沢一郎民主党幹事長不正蓄財疑惑普天間基地移設問題での閣内不一致などによる迷走で、2010年(平成22年)5月頃には20%を切ってしまい、7月の参院選で改選を控える議員を中心に、「鳩山総理では参院選を戦えない」などと、執行部を批判する動きが起こった[1]

5月28日普天間基地の県外移設が見送られることに反発した福島瑞穂内閣府特命担当大臣社民党党首)は合意書への署名を拒否、大臣を罷免された。30日、社民党は連立政権離脱を決定し、民主党内で倒閣運動が顕在化しはじめた[2]

5月31日昼過ぎ、鳩山、小沢、輿石東参院議員会長の三者会談が開かれ、鳩山は2人に辞意を伝えた[3]

6月1日夜には3人が国会内で再び会談。鳩山が再び小沢に辞任を求め、小沢も承諾[3][注釈 1]

内閣総辞職に際して花束を贈呈される鳩山

翌2日、両院議員総会が開催され、鳩山は正式に辞意を表明した[4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 鳩山が退室する際に親指を立てる仕種をしたが、これは鳩山と小沢のダブル辞任が完結したからだと言われる[3]

出典[編集]

  1. ^ 後藤 2014, p. 282.
  2. ^ 後藤 2014, pp. 281–283.
  3. ^ a b c 後藤 2014, pp. 283–284.
  4. ^ 後藤 2014, pp. 284–285.

参考文献[編集]

  • 後藤謙次、2014、『幻滅の政権交代』第1刷、第3巻、岩波書店〈ドキュメント 平成政治史〉 ISBN 978-4000281690

関連項目[編集]

外部リンク[編集]