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'''旧制神戸商業大学'''(きゅうせいこうべしょうぎょうだいがく)は、[[1929年]]([[昭和]]4年)に設立された[[旧制大学|旧制]][[旧官立大学|官立大学]]。略称は「'''神戸商大'''」。国立[[神戸大学]]の前身校である。なお、[[新制大学|新制]][[公立大学]]である'''兵庫県立[[神戸商科大学]](略称は神戸商大現[[兵庫県立大学]])とは別大学'''である。
'''旧制神戸商業大学'''(きゅうせいこうべしょうぎょうだいがく)は、[[1929年]]([[昭和]]4年)に設立された[[旧制大学|旧制]][[旧官立大学|官立大学]]。略称は「'''神戸商大'''」。国立[[神戸大学]]の前身校である。なお、[[新制大学|新制]][[公立大学]]である'''兵庫県立[[神戸商科大学]](略称は神戸商大現[[兵庫県立大学]])とは別大学'''である。


この記事では、前身の官立'''神戸高等商業学校'''('''神戸高商''')を含め記述する。
この記事では、前身の官立'''神戸高等商業学校'''('''神戸高商''')を含め記述する。
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[[ファイル:Kobe-Univ-Rokkodai-Library.jpg|thumb|250px|神戸大学社会科学系図書館(旧神戸商業大学附属図書館)]]
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*[[東京商科大学 (旧制)|東京商科大学]]に続く'''第2の官立商科大学'''(商業大学)として設立された。商学部のほか[[大学予科|予科]]を設置した([[1940年]]現在)。
*[[東京商科大学 (旧制)|東京商科大学]]に続く'''第2の官立商科大学'''(商業大学)として設立された。商学部のほか[[大学予科|予科]]を設置した([[1940年]]現在)。
*神戸商大設立の母体となった'''神戸高等商業学校'''もまた、[[東京高等商業学校|東京高商]](東京商大の前身)に続く第2官立高商([[旧制専門学校]])として設立されている。兵庫県内では初の高等教育機関であり、学理・実務両方の重視を標榜、商業学校(新制の商業高等学校に相当する)からの入学を認めるなど独自の入試制度・教育課程を整備し先行する東京高商との差別化がはかられた。神戸商大設立により事実上高商が廃止された(高商の代替となる予科が商大設立当初には設置されなかった)ことが、1929年の[[兵庫県立神戸高等商業学校]](新制神戸商科大学の前身)の設立につながった。
*神戸商大設立の母体となった'''神戸高等商業学校'''もまた、[[東京高等商業学校|東京高商]](東京商大の前身)に続く第2官立高商([[旧制専門学校]])として設立されている。兵庫県内では初の[[旧制高等教育機関|高等教育機関]]であり、学理・実務両方の重視を標榜、[[商業学校 (近代期)|商業学校]](新制の商業高等学校に相当する)からの入学を認めるなど独自の入試制度・教育課程を整備し先行する東京高商との差別化がられた。
*1929年の神戸商大設立の際に、神戸高商時代に入学した生徒は、同年に設置された神戸商大附属商学専門部([[高等商業学校|高商]]と同等)に移ったが、附属商学専門部は3年後の1932年に廃止された<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.kobe-u.ac.jp/info/outline/history/rokkodai.html |title=法・経済・経営学部及び経済経営研究所の前身 |access-date=2022-7-7 |publisher=[[神戸大学]]}}</ref>。「神戸の高商」の役割は、1929年に新設された[[兵庫県立神戸高等商業学校]](新制神戸商科大学の前身)が担うことになった。
*[[第二次世界大戦]]中、'''神戸経済大学'''('''神戸経大''')と改称した。神戸経大では当時よりビジネス分野における専攻外の知識の習得、すなわち経済学科の学生に対し法律学(民法・商法・会社法)及び会計学を必修科目として履修させ、同様に経営学科の学生にも法律学(前述)及び経済学の履修をさせていた点が特徴的である<ref> 『神戸経済大学一覧』、1948年。</ref>。また外国語教育については、眼下に当時のアジア最大の貿易港を擁していたという地の利を活かし、英語に加え、ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語の履修が可能であった<ref>幸ゼミ読書会, 2014年、元学長<!--誰?-->、 『神戸経済大学一覧』、1948年。</ref>。
*[[第二次世界大戦]]中、'''神戸経済大学'''('''神戸経大''')と改称した。神戸経大では当時よりビジネス分野における専攻外の知識の習得、すなわち経済学科の学生に対し法律学(民法・商法・会社法)及び会計学を必修科目として履修させ、同様に経営学科の学生にも法律学(前述)及び経済学の履修をさせていた点が特徴的である<ref> 『神戸経済大学一覧』、1948年。</ref>。また[[外国語教育]]については、眼下に当時のアジア最大の貿易港を擁していたという地の利を活かし、英語に加え、ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語の履修が可能であった<ref>幸ゼミ読書会, 2014年、元学長<!--誰?-->、 『神戸経済大学一覧』、1948年。</ref>。
*新制'''[[神戸大学法学部]]・[[神戸大学経済学部]]・[[神戸大学経営学部]]の前身'''となった。また神大[[文理学部]]文科(現在の[[文学部]])の構想は神戸経大予科の教員によって立案されたため、文学部も前身の一つともみなされている。
*卒業生により社団法人「'''[[凌霜会]]'''」が結成されており、神大法・経・経営学部並びに大学院、大学院国際協力研究科の出身者と共通の同窓会となっている。
*神戸商大(官立神戸高商、神戸経大を含む)は、新制の'''[[神戸大学法学部]]・[[神戸大学経済学部]]・[[神戸大学経営学部]]・[[神戸大学経済経営研究所]]'''の前身である<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://b.kobe-u.ac.jp/about/history/ |title=研究科について:沿革 |access-date=2022-7-7 |publisher=神戸大学大学院経営学研究科・経営学部}}</ref>。神戸商大の卒業生により社団法人「'''[[凌霜会]]'''」が結成されており、神大法・経・経営学部並びに大学院、大学院国際協力研究科の出身者と共通の同窓会となっている。


== 沿革 ==
== 沿革 ==
=== 神戸高商時代 ===
=== 神戸高商時代 ===
[[File:Kobe-kosho.jpg|thumb|420px|right|神戸高等商業学校(1910年頃)]]
[[File:Kobe-kosho.jpg|thumb|420px|right|神戸高等商業学校(1910年頃)]]
[[File:神戸高等商業学校図書閲覧室(1915年頃).jpg|thumb|220px|図書閲覧室(1915年頃)]]
[[File:神戸高商の大学昇格を訴える学生大会(1921年2月8日).jpg|thumb|220px|神戸高商の大学昇格を訴える学生大会(1921年2月8日)]]
*[[1902年]]3月:勅令第98号により'''神戸高等商業学校'''設立。
*[[1902年]]3月:勅令第98号により'''神戸高等商業学校'''設立。
**修業年限は4年(予科1年・本科3年)。東京高商と神戸高商のみが修業年数4年となっており、その他の各地の高商の[[修業年限]]は本科のみの3年であった。東京高商には、本科修了後、[[研究科 (旧制)|専攻部]](2年)が置かれていたが、東京高商と神戸高商の卒業生のみ進学ができ<ref>1915年、3年制官立高商卒業生にも専攻部の門戸を拡大(ただし本科3年として編入)。大阪高商卒業生の受け入れは1917年以降。</ref>、修了者には商業学士が授与された。予科~専攻部の修業年限6年が高等学校から帝国大学卒業までの年限と同等と認められたためである。
**[[修業年限]]は4年(予科1年・本科3年)。[[東京高商]][[神戸高商]]のみが修業年数4年となっており、その他の各地の高商の[[修業年限]]は本科のみの3年であった。東京高商には、本科修了後、[[研究科 (旧制)|専攻部]](2年)が置かれていたが、東京高商と神戸高商の卒業生のみ進学ができ<ref>1915年、3年制官立高商卒業生にも専攻部の門戸を拡大(ただし本科3年として編入)。大阪高商卒業生の受け入れは1917年以降。</ref>、修了者には商業学士が授与された。予科~専攻部の修業年限6年が高等学校から帝国大学卒業までの年限と同等と認められたためである。
*1903年5月15日:授業開始。この日が現・神戸大学の創立記念日となっている。
*1903年5月15日:神戸の東郊、筒井が丘籠池の高台(後の旧制神戸市立神戸中学校、現[[神戸市立葺合高等学校]]校地)にて授業開始。この日が現・神戸大学の創立記念日となっている。
**10月25日:開校式<ref>『官報』第6102号、明治36年11月2日。</ref>
**10月25日:開校式<ref>『官報』第6102号、明治36年11月2日。</ref>
*[[1906年]]6月:『[[国民経済雑誌]]』創刊。
*[[1906年]]6月:『[[国民経済雑誌]]』創刊。
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*[[1931年]]9月:[[関西六大学野球連盟 (旧連盟)|関西六校野球連盟]]結成<ref>朝日新聞社 『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118438/49 運動年鑑 昭和七年度]』 1932年、40頁</ref>。
*[[1931年]]9月:[[関西六大学野球連盟 (旧連盟)|関西六校野球連盟]]結成<ref>朝日新聞社 『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118438/49 運動年鑑 昭和七年度]』 1932年、40頁</ref>。
*[[1932年]]4月:附属商学専門部を廃止(神戸高商の廃止)。
*[[1932年]]4月:附属商学専門部を廃止(神戸高商の廃止)。
*1934年:[[灘区]]の六甲台校地へ移転。
*[[1940年]]5月:[[大学予科|予科]]を設置。[[修業年限]]3年。
*[[1940年]]5月:[[大学予科|予科]]を設置。[[修業年限]]3年。
*[[1941年]]5月:経営計算研究室を設置。
*[[1941年]]5月:経営計算研究室を設置。
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*1947年6月:夜間部として第二学部を設置(修業年限3年)。
*1947年6月:夜間部として第二学部を設置(修業年限3年)。
**官立大学では最初の夜間学部である。
**官立大学では最初の夜間学部である。
*[[1949年]]5月:[[国立学校設置法]]公布により新制神戸大学が設立され神戸経大は包括。
*[[1949年]]5月:[[国立学校設置法]]公布により新制[[神戸大学]]が設立され神戸経大は包括。
**同時に経済研究所・経営機械化研究所は統合され[[神戸大学経済経営研究所|経済経営研究所]]を設置。
**同時に経済研究所・経営機械化研究所は統合され[[神戸大学経済経営研究所|経済経営研究所]]を設置。
**第二学部を母体に経済・経営学部第二課程を設置([[1994年]]:夜間主コースに改編)。
**第二学部を母体に経済・経営学部第二課程を設置([[1994年]]:夜間主コースに改編)。
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'''神戸高商校長'''
'''神戸高商校長'''
*初代:[[水島銕也]]([[1903年]]1月9日 - 1907年5月15日、復職[[1908年]]2月25日 - )
*初代:[[水島銕也]]([[1903年]]1月9日 - 1907年5月15日、復職[[1908年]]2月25日 - )
**事務取扱:東奭五郎([[1907年]]5月15日 - 1908年2月25日)
**事務取扱:[[東奭五郎]]([[1907年]]5月15日 - 1908年2月25日)
*第2代:[[田崎慎治]]([[1925年]]7月 - 1929年3月)
*第2代:[[田崎慎治]]([[1925年]]7月 - 1929年3月)
'''神戸商大学長'''
'''神戸商大学長'''
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== 校地の変遷と継承 ==
== 校地の変遷と継承 ==
=== 高商・大学本科の校地 ===
=== 高商・大学本科の校地 ===
1902年の神戸高商設立時、校地は[[神戸市]]葺合町筒井村(現[[中央区 (神戸市)|中央区]]野崎通)に置かれ('''葺合校地''')、学生からは「筒台」(とうだい)と呼ばれ親しまれた。跡地は現在、[[神戸市立上筒井小学校]]、[[神戸市立筒井台中学校]]、[[神戸市立葺合高等学校]]、[[神戸海星女子学院大学|神戸海星女子学院]]の校地となっている。
1902年の神戸高商設立時、校地は[[神戸市]]葺合町筒井村(現[[中央区 (神戸市)|中央区]][[野崎通]])に置かれ('''葺合校地''')、学生からは「筒台」(とうだい)と呼ばれ親しまれた。跡地は現在、[[神戸市立上筒井小学校]]、[[神戸市立筒井台中学校]]、[[神戸市立葺合高等学校]]、[[神戸海星女子学院大学|神戸海星女子学院]]の校地となっている。


神戸商大への昇格にあたり校地の移転が計画され、[[1935年]]10月に同市[[灘区]]高羽嘉太夫新田(現同区六甲台町・'''六甲台校地''')への移転が完了、新学舎竣工式が挙行された{{Efn|この時六甲台以外に移転候補地として挙がっていた[[西宮市]]上ヶ原、[[明石郡]]垂水町(現・神戸市[[垂水区]])には、その後[[関西学院大学|関西学院大]]、[[兵庫県立神戸高等商業学校|県立神戸高商]]がそれぞれ移転・設置されている。}}。戦災を免れた六甲台校地は、戦後[[1946年]]7月になって[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]により一部の学舎が接収されるなどしたが、新制神戸大学への移行にあたり本部が設置、法・経・経営3学部の校地として継承され、現在に至っている{{Efn|新制移行後六甲台に統合移転された他学部のキャンパスには、旧来の「六甲台校地」近辺に位置していた広大な米軍用地(六甲ハイツ)の跡地が充てられた。}}。旧制神戸商大時代の建造物としては、本館(現在の神戸大学六甲台本館 / 記事冒頭の画像参照)・附属図書館・兼松記念館(2代目)・講堂が現存し、現役で使用されるとともに国の[[登録有形文化財]]に登録されている(画像参照)。
神戸商大への昇格にあたり校地の移転が計画され、[[1935年]]10月に同市[[灘区]]高羽嘉太夫新田(現同区[[六甲台町]]・'''六甲台校地''')への移転が完了、新学舎竣工式が挙行された{{Efn|この時六甲台以外に移転候補地として挙がっていた[[西宮市]]上ヶ原、[[明石郡]]垂水町(現・神戸市[[垂水区]])には、その後[[関西学院大学|関西学院大]]、[[兵庫県立神戸高等商業学校|県立神戸高商]]がそれぞれ移転・設置されている。}}。戦災を免れた六甲台校地は、戦後[[1946年]]7月になって[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]により一部の学舎が接収されるなどしたが、新制神戸大学への移行にあたり本部が設置、法・経・経営3学部の校地として継承され、現在に至っている{{Efn|新制移行後六甲台に統合移転された他学部のキャンパスには、旧来の「六甲台校地」近辺に位置していた広大な米軍用地(六甲ハイツ)の跡地が充てられた。}}。旧制神戸商大時代の建造物としては、本館(現在の神戸大学六甲台本館 / 記事冒頭の画像参照)・附属図書館・兼松記念館(2代目)・講堂が現存し、現役で使用されるとともに国の[[登録有形文化財]]に登録されている(画像参照)。


[[画像:Kobe-Municipal-Fukiai-HighSchool-2017050502.jpg|thumb|葺合高校南門モニュメント(裏側)]]
[[画像:Kobe-Municipal-Fukiai-HighSchool-2017050502.jpg|thumb|葺合高校南門モニュメント(裏側)]]
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== 著名な出身者 ==
== 著名な出身者 ==
[[神戸大学の人物一覧]]を参照のこと。
{{See|神戸大学の人物一覧}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [https://hardcandy.exblog.jp/6314281/ 近代建築Watch:神戸大学兼松記念館]
* [https://hardcandy.exblog.jp/6314281/ 近代建築Watch:神戸大学兼松記念館]
* [https://hardcandy.exblog.jp/6594147/ 近代建築Watch:旧大谷邸(神戸大学ロイ・スミス館)]
* [https://hardcandy.exblog.jp/6594147/ 近代建築Watch:旧大谷邸(神戸大学ロイ・スミス館)]
* [http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/269376 文化遺産オンライン:神戸大学武道場(旧神戸商業大学道場)]
* [https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/269376 文化遺産オンライン:神戸大学武道場(旧神戸商業大学道場)]
* [https://gipsypapa.exblog.jp/10027817/ レトロな建物を訪ねて:神戸大学六甲台本館]
* [https://gipsypapa.exblog.jp/10027817/ レトロな建物を訪ねて:神戸大学六甲台本館]
* [http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003shinbunssearch-jp 「神戸商大新聞」・「神戸高商学友会報」ほか関連新聞・雜誌の見出し・目次の検索]
* [http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003shinbunssearch-jp 「神戸商大新聞」・「神戸高商学友会報」ほか関連新聞・雜誌の見出し・目次の検索]
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[[Category:日本の商業教育の歴史]]
[[Category:日本の商業教育の歴史]]
[[Category:阪神間モダニズム]]
[[Category:阪神間モダニズム]]
[[Category:1929年設立の教育機関]]
[[Category:1962年廃止の教育機関]]
[[Category:学校記事]]
[[Category:学校記事]]
[[Category:神戸市の歴史]]

2023年11月29日 (水) 12:26時点における最新版

神戸商業大学
(神戸商大)
創立 1929年
所在地 神戸市
初代学長 田崎慎治
廃止 1962年
後身校 神戸大学
同窓会 凌霜会

旧制神戸商業大学(きゅうせいこうべしょうぎょうだいがく)は、1929年昭和4年)に設立された旧制官立大学。略称は「神戸商大」。国立神戸大学の前身校である。なお、新制公立大学である兵庫県立神戸商科大学(略称は神戸商大。現兵庫県立大学)とは別の大学である。

この記事では、前身の官立神戸高等商業学校神戸高商)を含め記述する。

概要[編集]

神戸大学社会科学系図書館(旧神戸商業大学附属図書館)
  • 東京商科大学に続く第2の官立商科大学(商業大学)として設立された。商学部のほか予科を設置した(1940年現在)。
  • 神戸商大設立の母体となった神戸高等商業学校もまた、東京高商(東京商大の前身)に続く第2官立高商(旧制専門学校)として設立されている。兵庫県内では初の高等教育機関であり、学理・実務両方の重視を標榜、商業学校(新制の商業高等学校に相当する)からの入学を認めるなど独自の入試制度・教育課程を整備し先行する東京高商との差別化が図られた。
  • 1929年の神戸商大設立の際に、神戸高商時代に入学した生徒は、同年に設置された神戸商大附属商学専門部(高商と同等)に移ったが、附属商学専門部は3年後の1932年に廃止された[1]。「神戸の高商」の役割は、1929年に新設された兵庫県立神戸高等商業学校(新制神戸商科大学の前身)が担うことになった。
  • 第二次世界大戦中、神戸経済大学神戸経大)と改称した。神戸経大では当時よりビジネス分野における専攻外の知識の習得、すなわち経済学科の学生に対し法律学(民法・商法・会社法)及び会計学を必修科目として履修させ、同様に経営学科の学生にも法律学(前述)及び経済学の履修をさせていた点が特徴的である[2]。また外国語教育については、眼下に当時のアジア最大の貿易港を擁していたという地の利を活かし、英語に加え、ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語の履修が可能であった[3]
  • 神戸商大(官立神戸高商、神戸経大を含む)は、新制の神戸大学法学部神戸大学経済学部神戸大学経営学部神戸大学経済経営研究所の前身である[1][4]。神戸商大の卒業生により社団法人「凌霜会」が結成されており、神大法・経・経営学部並びに大学院、大学院国際協力研究科の出身者と共通の同窓会となっている。

沿革[編集]

神戸高商時代[編集]

神戸高等商業学校(1910年頃)
図書閲覧室(1915年頃)
神戸高商の大学昇格を訴える学生大会(1921年2月8日)
  • 1902年3月:勅令第98号により神戸高等商業学校設立。
    • 修業年限は4年(予科1年・本科3年)。東京高商神戸高商のみが修業年数4年となっており、その他の各地の高商の修業年限は本科のみの3年であった。東京高商には、本科修了後、専攻部(2年)が置かれていたが、東京高商と神戸高商の卒業生のみ進学ができ[5]、修了者には商業学士が授与された。予科~専攻部の修業年限6年が高等学校から帝国大学卒業までの年限と同等と認められたためである。
  • 1903年5月15日:神戸の東郊、筒井が丘籠池の高台(後の旧制神戸市立神戸中学校、現神戸市立葺合高等学校校地)にて授業開始。この日が現・神戸大学の創立記念日となっている。
    • 10月25日:開校式[6]
  • 1906年6月:『国民経済雑誌』創刊。
    • 日本最初の経済学・商業学専門の学術雑誌。現在も刊行が引き継がれている。
  • 1914年8月:調査課を設置。
  • 1919年10月:調査課を廃止し商業研究所を設置。
  • 1921年6月:財団兼松記念会の寄附により建設された兼松記念館が開館。
  • 1923年3月:第46回帝国議会で神戸高商の大学昇格が決定。
    • 東京高商が1920年東京商科大学に昇格した時、東京高商卒業生と神戸高商卒業生が進学を許されていた、東京高商専攻部が廃止されることとなった。このことが、神戸高商の商大昇格を大きく後押しした。
  • 1923年9月:関東大震災により昇格事業は2年延期[7]
  • 1924年:同窓会として凌霜会結成。
  • 1925年7月:『国民経済雑誌』が神戸高商の機関誌となる。
  • 1926年:付属図書館が住田正一の寄贈した海事関連図書「住田文庫」を受け入れる。

神戸商大時代[編集]

旧制神戸商業大学(1930年頃)
旧制神戸商業大学の全景(1935年)
  • 1929年4月:神戸高商を母体に神戸商業大学が設立。修業年限3年。
    • 同時に神戸高商の在学生を収容するために附属商学専門部を設置した。
  • 1931年9月:関西六校野球連盟結成[8]
  • 1932年4月:附属商学専門部を廃止(神戸高商の廃止)。
  • 1934年:灘区の六甲台校地へ移転。
  • 1940年5月:予科を設置。修業年限3年。
  • 1941年5月:経営計算研究室を設置。
  • 1943年10月:学生の徴兵猶予が停止。
  • 1943年11月:出陣学徒壮行会(神戸市主催)に参加[9]
  • 1944年4月:計算計録講習所を設置。商業研究所を大東亜研究所と改称。
  • 1944年8月:経営計算研究所を拡充し経営機械化研究所を設置。

神戸経大時代[編集]

  • 1944年10月:神戸商大を神戸経済大学と改称、経済学科と経営学科を設置[10]
  • 1945年6月:空襲により御影の経大予科に大きな被害。
  • 1945年10月:大東亜研究所を経済研究所に改称。
  • 1946年8月:附属経営学専門部を設置(修業年限は本科3年・専攻科1年)。
  • 1947年3月:経営計録講習所を廃止。
  • 1947年6月:夜間部として第二学部を設置(修業年限3年)。
    • 官立大学では最初の夜間学部である。
  • 1949年5月:国立学校設置法公布により新制神戸大学が設立され神戸経大は包括。
    • 同時に経済研究所・経営機械化研究所は統合され経済経営研究所を設置。
    • 第二学部を母体に経済・経営学部第二課程を設置(1994年:夜間主コースに改編)。
  • 1950年3月:経大予科を廃止。
  • 1951年3月:附属経営学専門部を廃止。
  • 1953年3月:第二学部を廃止。
  • 1962年3月:神戸経大閉校。

歴代学長[編集]

神戸大学経済経営研究所(旧神戸商業大学兼松記念館)

神戸高商校長

神戸商大学長

神戸経大学長

校地の変遷と継承[編集]

高商・大学本科の校地[編集]

1902年の神戸高商設立時、校地は神戸市葺合町筒井村(現中央区野崎通)に置かれ(葺合校地)、学生からは「筒台」(とうだい)と呼ばれ親しまれた。跡地は現在、神戸市立上筒井小学校神戸市立筒井台中学校神戸市立葺合高等学校神戸海星女子学院の校地となっている。

神戸商大への昇格にあたり校地の移転が計画され、1935年10月に同市灘区高羽嘉太夫新田(現同区六甲台町六甲台校地)への移転が完了、新学舎竣工式が挙行された[注釈 1]。戦災を免れた六甲台校地は、戦後1946年7月になってGHQにより一部の学舎が接収されるなどしたが、新制神戸大学への移行にあたり本部が設置、法・経・経営3学部の校地として継承され、現在に至っている[注釈 2]。旧制神戸商大時代の建造物としては、本館(現在の神戸大学六甲台本館 / 記事冒頭の画像参照)・附属図書館・兼松記念館(2代目)・講堂が現存し、現役で使用されるとともに国の登録有形文化財に登録されている(画像参照)。

葺合高校南門モニュメント(裏側)

葺合校地の旧・兼松記念館は葺合高校の前身である旧制神戸市立中学校の本館として使用されていたが、戦災により大破。その後損傷の激しい2階部分を除去して1階建に改築され、戦後も長く使用されていた[注釈 3]

予科の校地[編集]

商大(のち経大)予科は、旧御影師範学校(兵庫県師範学校、後の兵庫師範学校)の校舎を仮校舎として使用していたが、1945年6月5日の空襲により仮校舎のほか寄宿舎(学部国維寮、予科思誠寮)、弓道場が全焼した[注釈 4]。焼失後は予科の廃止まで学部校舎(六甲台)を使用した。 御影校舎の跡地は1963年まで新制神戸大学の御影分校として使われた後、2004年3月まで神戸市立御影工業高等学校が使用した。御影の跡地は現在、再開発事業により複合商業施設御影クラッセとなっている。

著名な出身者[編集]

関連項目[編集]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この時六甲台以外に移転候補地として挙がっていた西宮市上ヶ原、明石郡垂水町(現・神戸市垂水区)には、その後関西学院大県立神戸高商がそれぞれ移転・設置されている。
  2. ^ 新制移行後六甲台に統合移転された他学部のキャンパスには、旧来の「六甲台校地」近辺に位置していた広大な米軍用地(六甲ハイツ)の跡地が充てられた。
  3. ^ 高商時代の石造の正門は2012年に葺合高校の校舎改築工事で撤去されるまで南門として使用され、その後は正門横にモニュメントとして保存されている[11]
  4. ^ 予科の思誠寮は御影校舎近くにあった旧報徳商業学校校舎を使用していたもの。

出典[編集]

  1. ^ a b 法・経済・経営学部及び経済経営研究所の前身”. 神戸大学. 2022年7月7日閲覧。
  2. ^ 『神戸経済大学一覧』、1948年。
  3. ^ 幸ゼミ読書会, 2014年、元学長、 『神戸経済大学一覧』、1948年。
  4. ^ 研究科について:沿革”. 神戸大学大学院経営学研究科・経営学部. 2022年7月7日閲覧。
  5. ^ 1915年、3年制官立高商卒業生にも専攻部の門戸を拡大(ただし本科3年として編入)。大阪高商卒業生の受け入れは1917年以降。
  6. ^ 『官報』第6102号、明治36年11月2日。
  7. ^ 神戸大学百年史編纂委員会 『神戸大学百年史』 通史Ⅰ 前身校史、2002年、188-189頁
  8. ^ 朝日新聞社 『運動年鑑 昭和七年度』 1932年、40頁
  9. ^ 『毎日新聞』 1943年11月19日夕刊
  10. ^ 『神戸大学百年史』 通史Ⅰ 前身校史、250-253頁
  11. ^ 葺合高校同窓会「筒台会」 校舎あの時そして今 (PDF)、17頁 [19/20]。2017年5月5日閲覧。

外部リンク[編集]