(Go: >> BACK << -|- >> HOME <<)

コンテンツにスキップ

「栗山町サッカー誘致活動」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m カテゴリー追記
デフォルトソートの追加、括弧の全角化など
1行目: 1行目:
'''栗山町サッカー誘致活動'''(くりやまちょうサッカーゆうちかつどう)は、[[北海道]][[夕張郡]][[栗山町]]で起こった[[サッカー]]による[[地域おこし]]活動。[[1994年]]([[平成]]6年)から[[2002年]](平成14年)までの間、栗山町や[[栗山青年会議所]]をはじめとした団体が主体となり、プロサッカークラブ等に対してスポーツ誘致活動を行った。本項では「[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]合宿誘致活動」、「[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]現:北海道コンサドーレ札幌練習場誘致活動」、「[[2002 FIFAワールドカップ|2002FIFAワールドカップ]][[サッカーメキシコ代表|メキシコ]]誘致活動」の3項に分けて解説する。
{{複数の問題
|特筆性=2024年6月17日 (月) 02:53 (UTC)
|独自研究=2024年6月17日 (月) 02:53 (UTC)
}}
{{Uncat|date=2024年6月17日 (月) 02:53 (UTC)}}
'''栗山町サッカー誘致活動'''(くりやまちょうさっかーゆうちかつどう)は、[[北海道]][[夕張郡]][[栗山町]]で起こった[[サッカー]]による[[地域おこし]]活動。[[1994年]]([[平成]]6年)から[[2002年]](平成14年)までの間、栗山町や[[栗山青年会議所]]をはじめとした団体が主体となり、プロサッカークラブ等に対してスポーツ誘致活動を行った。本項では「[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]合宿誘致活動」、「[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]](現:北海道コンサドーレ札幌)練習場誘致活動」、「[[2002 FIFAワールドカップ|2002FIFAワールドカップ]][[サッカーメキシコ代表|メキシコ]]誘致活動」の3項に分けて解説する。


== サンフレッチェ広島合宿誘致活動(1994年~1995年) ==
== サンフレッチェ広島合宿誘致活動(1994年~1995年) ==
12行目: 7行目:


=== 実行委員会設立~合宿実施まで ===
=== 実行委員会設立~合宿実施まで ===
高田から「サッカー教室については快諾、施設さえあれば強化合宿も可能としたい」との話となり、栗山に帰った天野らは5月18日に栗山合宿誘致実行委員会の設立総会を開催<ref name=":1" /><ref>[1]と同じ、栗山青年会議所、栗山町、栗山町教育委員会、栗山町PTA連合会、栗の里研究会、栗山町青年団体協議会、栗山町内の三十八の機関、団体の代表者約50人が出席し、栗山町の主だった団体がほぼ参加することになった。</ref>。委員長に栗の里研究会所属の吉田勝洸委員長を、副委員長に[[栗山商工会議所]]青年部所属の広岡秀博と[[栗山建築士会]]所属の村上哲、事務局長に[[栗山サッカースポーツ少年団]]所属の松田孝之に決め、7月開催が決定している同[[サテライトチーム]]による少年サッカー教室を主催するほか、年夏の栗山合宿実現に向けた計画を発表した。
高田から「サッカー教室については快諾、施設さえあれば強化合宿も可能としたい」との話となり、栗山に帰った天野らは5月18日に栗山合宿誘致実行委員会の設立総会を開催<ref name=":1" /><ref>[1]と同じ、栗山青年会議所、栗山町、栗山町教育委員会、栗山町PTA連合会、栗の里研究会、栗山町青年団体協議会、栗山町内の三十八の機関、団体の代表者約50人が出席し、栗山町の主だった団体がほぼ参加することになった。</ref>。委員長に栗の里研究会所属の吉田勝洸委員長を、副委員長に[[栗山商工会議所]]青年部所属の広岡秀博と[[栗山建築士会]]所属の村上哲、事務局長に[[栗山サッカースポーツ少年団]]所属の松田孝之に決め、7月開催が決定している同[[サテライトチーム]]による少年サッカー教室を主催するほか、年夏の栗山合宿実現に向けた計画を発表した。


5月27日に高田らサンフレッチェ広島のスタッフが、当初の予定を早めて翌年夏合宿の下見のため栗山町に来訪<ref name=":0" />。高田は「ホームタウンに来たみたいです」と歓迎ぶりに感激し「施設が整い、チームの年間日程調整さえ付けば、栗山での合宿に問題はないと思う」と話した<ref>{{Cite news|和書 |title=<交差点>本拠地に来たよう*高田豊治強化部長 |newspaper=北海道新聞 |date=1994-06-07 |edition=夕刊全道(総合)}}</ref>。
5月27日に高田らサンフレッチェ広島のスタッフが、当初の予定を早めて翌年夏合宿の下見のため栗山町に来訪<ref name=":0" />。高田は「ホームタウンに来たみたいです」と歓迎ぶりに感激し「施設が整い、チームの年間日程調整さえ付けば、栗山での合宿に問題はないと思う」と話した<ref>{{Cite news|和書 |title=<交差点>本拠地に来たよう*高田豊治強化部長 |newspaper=北海道新聞 |date=1994-06-07 |edition=夕刊全道(総合)}}</ref>。
18行目: 13行目:
7月8日にサテライトチームを招き、少年サッカー教室を開催。同月17日には隣町の[[夕張市]]に合宿をしている[[ガンバ大阪]]との[[エキシビション|エキシビション・マッチ]]を開催した。実行委員会は、選手送迎、宿泊、歓迎式など費用に100万円以上かかるとし、栗山町役場内に募金箱を設置し町民に寄付を呼びかけた<ref>{{Cite news|和書 |title=<かわかぜ>Jリーグのサンフレッチェ広島F・C栗山合宿誘致実行委 【訂正あり】 |newspaper=北海道新聞 |date=1994-07-08 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>。
7月8日にサテライトチームを招き、少年サッカー教室を開催。同月17日には隣町の[[夕張市]]に合宿をしている[[ガンバ大阪]]との[[エキシビション|エキシビション・マッチ]]を開催した。実行委員会は、選手送迎、宿泊、歓迎式など費用に100万円以上かかるとし、栗山町役場内に募金箱を設置し町民に寄付を呼びかけた<ref>{{Cite news|和書 |title=<かわかぜ>Jリーグのサンフレッチェ広島F・C栗山合宿誘致実行委 【訂正あり】 |newspaper=北海道新聞 |date=1994-07-08 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>。


栗山町役場も合宿の決定に合わせて[[富士栗山町|富士]]地区に、全面芝生でサッカーコートが二面取れる多目的スポーツ広場「[[ふじスポーツ広場]]」を造成した。総工費は2億1,845万4,000円。翌年度も4,120万円をかけて、管理棟やトイレなどの整備を進めた。11月に下見に訪れた高田も「すばらしいグラウンドだ」と感想を述べた<ref name=":3">{{Cite news|和書 |title=今夏、栗山で相次ぎ合宿*Jリーグ「サンフレッチェ」と女子リーグで昨年総合優勝「ベレーザ」*他チームとの試合も |newspaper=北海道新聞 |date=1995-05-13 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref><ref name=":2">{{Cite news|和書 |title=Jリーグのサンフレッチェ広島*来夏合宿ほぼ確定*栗山 |newspaper=北海道新聞 |date=1994-12-28 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref><ref name=":4">{{Cite news|和書 |title=北の地で動きも軽やか*サンフレッチェ広島*栗山で強化合宿 |newspaper=1995ー08ー03 |date=北海道新聞 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>。
栗山町役場も合宿の決定に合わせて[[富士 (栗山町)|富士]]地区に、全面芝生でサッカーコートが二面取れる多目的スポーツ広場「[[ふじスポーツ広場]]」を造成した。総工費は2億1,845万4,000円。翌年度も4,120万円をかけて、管理棟やトイレなどの整備を進めた。11月に下見に訪れた高田も「すばらしいグラウンドだ」と感想を述べた<ref name=":3">{{Cite news|和書 |title=今夏、栗山で相次ぎ合宿*Jリーグ「サンフレッチェ」と女子リーグで昨年総合優勝「ベレーザ」*他チームとの試合も |newspaper=北海道新聞 |date=1995-05-13 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref><ref name=":2">{{Cite news|和書 |title=Jリーグのサンフレッチェ広島*来夏合宿ほぼ確定*栗山 |newspaper=北海道新聞 |date=1994-12-28 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref><ref name=":4">{{Cite news|和書 |title=北の地で動きも軽やか*サンフレッチェ広島*栗山で強化合宿 |newspaper=1995ー08ー03 |date=北海道新聞 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>。


12月14日、実行委員会は3度目<ref>2回目の訪問日時は不明。</ref>となる誘致要請のため、サンフレッチェ広島本社に訪問。同月20日に高田から天野へ「[[ビム・ヤンセン]]新監督も了承したので栗山での合宿が内定した」という電話があり、合宿が内定<ref name=":2" />。日程は7月23日から8月15日までの期間中の10日から2週間程度とし、最終日には道内で合宿中のリーグチームとの練習試合も開催予定とし、合宿参加メンバーは前述のヤンセン監督をはじめ、トップチームメンバー20数人とした<ref name=":2" />。
12月14日、実行委員会は3度目<ref>2回目の訪問日時は不明。</ref>となる誘致要請のため、サンフレッチェ広島本社に訪問。同月20日に高田から天野へ「[[ビム・ヤンセン]]新監督も了承したので栗山での合宿が内定した」という電話があり、合宿が内定<ref name=":2" />。日程は7月23日から8月15日までの期間中の10日から2週間程度とし、最終日には道内で合宿中のJリーグチームとの練習試合も開催予定とし、合宿参加メンバーは前述のヤンセン監督をはじめ、トップチームメンバー20数人とした<ref name=":2" />。


実行委員会の吉田は「わずか半年間の運動で100パーセントの目標を達成することができた。毎年継続して合宿にきてもらえるように今後とも活動していきたい」と話している<ref name=":2" />。
実行委員会の吉田は「わずか半年間の運動で100パーセントの目標を達成することができた。毎年継続して合宿にきてもらえるように今後とも活動していきたい」と話している<ref name=":2" />。
35行目: 30行目:
サテライトチーム、ユースの選手らを中心に40数人。トップの選手の大半は、国際大会の[[サッカー日本代表|フル]]、[[U-23サッカー日本代表|U-23]]、[[U-20サッカー日本代表|U-20]]の各日本代表チームのメンバーに選ばれ、それぞれ同時期に合宿を張っているため、数人しか参加できなかった<ref name=":4" />。
サテライトチーム、ユースの選手らを中心に40数人。トップの選手の大半は、国際大会の[[サッカー日本代表|フル]]、[[U-23サッカー日本代表|U-23]]、[[U-20サッカー日本代表|U-20]]の各日本代表チームのメンバーに選ばれ、それぞれ同時期に合宿を張っているため、数人しか参加できなかった<ref name=":4" />。


1日午後から早速、ふじスポーツ広場で練習をスタートし、5日に[[千歳市]]で合宿中のベルマーレ平塚(現[[湘南ベルマーレ]])と、7日には[[札幌大学サッカー部|札幌大学]]サッカー部、9日には北海道電力サッカー部(現[[ノルブリッツ北海道FC]])とそれぞれ練習試合を行う。また、6日には少年サッカー教室とサイン会、実行委員会主催による歓迎会が開催された<ref name=":4" />。なお、サンフレッチェ広島と横浜マリノス(現[[横浜F・マリノス]])とのエキシビション・マッチを6日予定していたが、横浜マリノスの都合もあり中止となった<ref>{{Cite news|和書 |title=残念!公開試合が中止*栗山での合宿日程変更*8月のJリーグ戦 |newspaper=北海道新聞 |date=1995-06-17 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>。
1日午後から早速、ふじスポーツ広場で練習をスタートし、5日に[[千歳市]]で合宿中のベルマーレ平塚(現[[湘南ベルマーレ]])と、7日には[[札幌大学サッカー部]]、9日には北海道電力サッカー部現[[ノルブリッツ北海道FC]]とそれぞれ練習試合を行う。また、6日には少年サッカー教室とサイン会、実行委員会主催による歓迎会が開催された<ref name=":4" />。なお、サンフレッチェ広島と横浜マリノス(現[[横浜F・マリノス]])とのエキシビション・マッチを6日予定していたが、横浜マリノスの都合もあり中止となった<ref>{{Cite news|和書 |title=残念!公開試合が中止*栗山での合宿日程変更*8月のJリーグ戦 |newspaper=北海道新聞 |date=1995-06-17 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>。


また、サッカー日本代表監督である[[森保一|森安一]]は、当時選手として合宿に参加し、栗山町民や実行委員会メンバーと交流を深めており<ref>{{Cite news|和書 |title=世界と戦う心構え、語り合う…W杯からWBCへ栗山・森保監督対談 |newspaper=読売新聞 |date=2023ー01ー25 |laysummary=https://www.yomiuri.co.jp/sports/wbc/20230124-OYT1T50337/}}</ref>、栗山青年会議所の創立55周年記念事業の基調講演を務めることになった(2024年7月12日開催予定)<ref>{{Cite web |url=https://www.kuriyama-jc.jp/%E6%A0%97%E5%B1%B1%E9%9D%92%E5%B9%B4%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E6%89%80%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/2024%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85/%E6%A3%AE%E4%BF%9D%E4%B8%80%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E5%9F%BA%E8%AA%BF%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A/ |title=創立55周年記念事業 『森保一監督 基調講演~世界で戦う人となれ~』 |access-date=2024年6月16日 |publisher=栗山青年会議所}}</ref><ref>今期(2024年)理事長の天野剛生は、天野一彦の息子にあたる。</ref>。
また、サッカー日本代表監督である[[森保一]]は、当時選手として合宿に参加し、栗山町民や実行委員会メンバーと交流を深めており<ref>{{Cite news|和書 |title=世界と戦う心構え、語り合う…W杯からWBCへ栗山・森保監督対談 |newspaper=読売新聞 |date=2023ー01ー25 |laysummary=https://www.yomiuri.co.jp/sports/wbc/20230124-OYT1T50337/}}</ref>、栗山青年会議所の創立55周年記念事業の基調講演を務めることになった(2024年7月12日開催予定)<ref>{{Cite web |url=https://www.kuriyama-jc.jp/%E6%A0%97%E5%B1%B1%E9%9D%92%E5%B9%B4%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E6%89%80%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/2024%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85/%E6%A3%AE%E4%BF%9D%E4%B8%80%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E5%9F%BA%E8%AA%BF%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A/ |title=創立55周年記念事業 『森保一監督 基調講演~世界で戦う人となれ~』 |access-date=2024年6月16日 |publisher=栗山青年会議所}}</ref><ref>今期(2024年)理事長の天野剛生は、天野一彦の息子にあたる。</ref>。


==== 読売ベレーザ(8月10日~16日) ====
==== 読売ベレーザ(8月10日~16日) ====
監督の[[竹本一彦]]をはじめ、コーチ、マネージャーら総勢28人、スタープレーヤーの大半が参加。11日の[[札幌ウインズFC]]を皮切りに、12日に[[北海道栗山高等学校]]サッカー部と道女子選抜チーム、13日に札幌女子選抜チームと練習試合行った。最終日の17日は[[札幌厚別公園競技場]]で行われる公式試合プリマハムFCくノ一(現[[伊賀FCくノ一三重|伊賀FCくノ一三]])戦に臨んだ<ref>{{Cite news|和書 |title=女子サッカーの「ベレーザ」*栗山で強化合宿 |newspaper=北海道新聞 |date=1995-08-12 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>。
監督の[[竹本一彦]]をはじめ、コーチ、マネージャーら総勢28人、スタープレーヤーの大半が参加。11日の[[札幌ウインズFC]]を皮切りに、12日に[[北海道栗山高等学校]]サッカー部と道女子選抜チーム、13日に札幌女子選抜チームと練習試合行った。最終日の17日は[[札幌厚別公園競技場]]で行われる公式試合プリマハムFCくノ一(現[[伊賀FCくノ一三重]])戦に臨んだ<ref>{{Cite news|和書 |title=女子サッカーの「ベレーザ」*栗山で強化合宿 |newspaper=北海道新聞 |date=1995-08-12 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>。


=== 実行委員会の発展的解消、栗山サッカー協会の発足 ===
=== 実行委員会の発展的解消、栗山サッカー協会の発足 ===
11月2日に[[栗山サッカー協会]]の設立総会を開催。実行委員会は発展的に解消し、空知管内の町村として第1号の協会が発足した。サッカーフェスティバルなど独自の事業を開催してサッカー競技の普及に努めることとし<ref name=":5">{{Cite news|和書 |title=栗山町にサッカー協会*夏にフェスト開催*Jリーグの合宿支援も |newspaper=北海道新聞 |date=1995ー11ー07 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>、合宿支援に関しては、サンフレッチェ広島だけでなく、栗山に来る他のリーグチームや大学、高校チームなども行うこととした。会長に選出された実行委員長の吉田は「栗山が新しい形のサッカー情報の発信基地となるようにしていきたい」と抱負を語った。
11月2日に[[栗山サッカー協会]]の設立総会を開催。実行委員会は発展的に解消し、空知管内の町村として第1号の協会が発足した。サッカーフェスティバルなど独自の事業を開催してサッカー競技の普及に努めることとし<ref name=":5">{{Cite news|和書 |title=栗山町にサッカー協会*夏にフェスト開催*Jリーグの合宿支援も |newspaper=北海道新聞 |date=1995ー11ー07 |edition=朝刊地方(空知)}}</ref>、合宿支援に関しては、サンフレッチェ広島だけでなく、栗山に来る他のJリーグチームや大学、高校チームなども行うこととした。会長に選出された実行委員長の吉田は「栗山が新しい形のサッカー情報の発信基地となるようにしていきたい」と抱負を語った。


広島県からお祝いに駆けつけた高田も「昨年からわずか一年間でサッカー教室の開催、専用グラウンド造成、Jリーグ合宿実現、そして協会設立と、信じられないスピードです。子供たちの夢のために頑張ってください」と激励した<ref name=":5" />。
広島県からお祝いに駆けつけた高田も「昨年からわずか一年間でサッカー教室の開催、専用グラウンド造成、Jリーグ合宿実現、そして協会設立と、信じられないスピードです。子供たちの夢のために頑張ってください」と激励した<ref name=":5" />。
59行目: 54行目:
== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references />
<references />

{{デフォルトソート:くりやまちようさつかあゆうちかつとう}}
[[Category:栗山町の歴史]]
[[Category:栗山町の歴史]]
[[Category:栗山町の地域づくり]]
[[Category:コミュニティ]]
[[Category:栗山町]]
[[Category:サンフレッチェ広島F.C]]
[[Category:サンフレッチェ広島F.C]]

2024年6月17日 (月) 06:23時点における版

栗山町サッカー誘致活動(くりやまちょうサッカーゆうちかつどう)は、北海道夕張郡栗山町で起こったサッカーによる地域おこし活動。1994年平成6年)から2002年(平成14年)までの間、栗山町や栗山青年会議所をはじめとした団体が主体となり、プロサッカークラブ等に対してスポーツ誘致活動を行った。本項では「サンフレッチェ広島合宿誘致活動」、「コンサドーレ札幌(現:北海道コンサドーレ札幌)練習場誘致活動」、「2002FIFAワールドカップメキシコ誘致活動」の3項に分けて解説する。

サンフレッチェ広島合宿誘致活動(1994年~1995年)

発端

誘致の発端は、栗山青年会議所の副理事長・天野一彦が、創立25周年の記念事業としてJリーグチームを招いて「少年サッカー教室を開催できないものか」と考えたのが始まり。サンフレッチェ広島の大手スポンサーである住建産業(現:ウッドワン)の子会社、北海道住建が1985年(昭和60年)から栗山町に進出しており、発起人の天野は縁を頼りに、1994年(平成6年)4月25日・26日に北海道住建の中田紀貴部長と栗山町教育委員会の中島卓教育長とともに、広島県広島市にあるサンフレッチェ広島本社に訪れ、同高田豊治育成部長に要請した[1][2][3]

実行委員会設立~合宿実施まで

高田から「サッカー教室については快諾、施設さえあれば強化合宿も可能としたい」との話となり、栗山に帰った天野らは5月18日に栗山合宿誘致実行委員会の設立総会を開催[2][4]。委員長に栗の里研究会所属の吉田勝洸委員長を、副委員長に栗山商工会議所青年部所属の広岡秀博と栗山建築士会所属の村上哲、事務局長に栗山サッカースポーツ少年団所属の松田孝之に決め、7月開催が決定している同サテライトチームによる少年サッカー教室を主催するほか、翌年夏の栗山合宿実現に向けた計画を発表した。

5月27日に高田らサンフレッチェ広島のスタッフが、当初の予定を早めて翌年夏合宿の下見のため栗山町に来訪[1]。高田は「ホームタウンに来たみたいです」と歓迎ぶりに感激し「施設が整い、チームの年間日程調整さえ付けば、栗山での合宿に問題はないと思う」と話した[5]

7月8日にサテライトチームを招き、少年サッカー教室を開催。同月17日には隣町の夕張市に合宿をしているガンバ大阪とのエキシビション・マッチを開催した。実行委員会は、選手送迎、宿泊、歓迎式など費用に100万円以上かかるとし、栗山町役場内に募金箱を設置し町民に寄付を呼びかけた[6]

栗山町役場も合宿の決定に合わせて富士地区に、全面芝生でサッカーコートが二面取れる多目的スポーツ広場「ふじスポーツ広場」を造成した。総工費は2億1,845万4,000円。翌年度も4,120万円をかけて、管理棟やトイレなどの整備を進めた。11月に下見に訪れた高田も「すばらしいグラウンドだ」と感想を述べた[7][8][9]

12月14日、実行委員会は3度目[10]となる誘致要請のため、サンフレッチェ広島本社に訪問。同月20日に高田から天野へ「ビム・ヤンセン新監督も了承したので栗山での合宿が内定した」という電話があり、合宿が内定[8]。日程は7月23日から8月15日までの期間中の10日から2週間程度とし、最終日には道内で合宿中のJリーグチームとの練習試合も開催予定とし、合宿参加メンバーは前述のヤンセン監督をはじめ、トップチームメンバー20数人とした[8]

実行委員会の吉田は「わずか半年間の運動で100パーセントの目標を達成することができた。毎年継続して合宿にきてもらえるように今後とも活動していきたい」と話している[8]

発起人の天野は「内定したからといって気を抜かずに、これからも草の根運動として合宿誘致が盛り上がるように頑張っていきます」と語った[11]

1995年(平成7年)1月、同チームのトレーナーが栗山町に訪れ、宿泊施設と筋肉トレーニング施設などの最終調査を行った[8]

5月には、サンフレッチェ広島に続き、日本女子サッカーリーグの読売ベレーザ(現日テレ・東京ヴェルディベレーザ)も、栗山町で強化合宿をすることが決まった。北海道サッカー協会からの要請があり、実行委員会が中心になって合宿を受け入れた[7]

合宿開催結果

サンフレッチェ広島(8月1日~8月10日)

サテライトチーム、ユースの選手らを中心に40数人。トップの選手の大半は、国際大会のフルU-23U-20の各日本代表チームのメンバーに選ばれ、それぞれ同時期に合宿を張っているため、数人しか参加できなかった[9]

1日午後から早速、ふじスポーツ広場で練習をスタートし、5日に千歳市で合宿中のベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)と、7日には札幌大学サッカー部、9日には北海道電力サッカー部(現ノルブリッツ北海道FC)とそれぞれ練習試合を行う。また、6日には少年サッカー教室とサイン会、実行委員会主催による歓迎会が開催された[9]。なお、サンフレッチェ広島と横浜マリノス(現横浜F・マリノス)とのエキシビション・マッチを6日予定していたが、横浜マリノスの都合もあり中止となった[12]

また、サッカー日本代表監督である森保一は、当時選手として合宿に参加し、栗山町民や実行委員会メンバーと交流を深めており[13]、栗山青年会議所の創立55周年記念事業の基調講演を務めることになった(2024年7月12日開催予定)[14][15]

読売ベレーザ(8月10日~16日)

監督の竹本一彦をはじめ、コーチ、マネージャーら総勢28人、スタープレーヤーの大半が参加。11日の札幌ウインズFCを皮切りに、12日に北海道栗山高等学校サッカー部と道女子選抜チーム、13日に札幌女子選抜チームと練習試合行った。最終日の17日は札幌厚別公園競技場で行われる公式試合プリマハムFCくノ一(現伊賀FCくノ一三重)戦に臨んだ[16]

実行委員会の発展的解消、栗山サッカー協会の発足

11月2日に栗山サッカー協会の設立総会を開催。実行委員会は発展的に解消し、空知管内の町村として第1号の協会が発足した。サッカーフェスティバルなど独自の事業を開催してサッカー競技の普及に努めることとし[17]、合宿支援に関しては、サンフレッチェ広島だけでなく、栗山に来る他のJリーグチームや大学、高校チームなども行うこととした。会長に選出された実行委員長の吉田は「栗山が新しい形のサッカー情報の発信基地となるようにしていきたい」と抱負を語った。

広島県からお祝いに駆けつけた高田も「昨年からわずか一年間でサッカー教室の開催、専用グラウンド造成、Jリーグ合宿実現、そして協会設立と、信じられないスピードです。子供たちの夢のために頑張ってください」と激励した[17]

北海道新聞社栗山支局の記者は「サンフレッチェ広島の合宿誘致実現を踏み台にして、さらにサッカーを通じて町おこしを推進しようとの熱意の表れである」、「プロサッカーチームの合宿誘致運動からスタートした小さな芽は、町ぐるみで大きく育ちつつある」と記している[18]

サンフレッチェ広島は、翌1996年(平成8年)にも7月29日から8月3日にかけて、栗山町で合宿を開催し、同協会も支援。ふじスポーツ広場で練習し、8月2日にコンサドーレ札幌と練習試合を行った[19]

コンサドーレ札幌練習場誘致活動

(加筆準備中・6月19日目処)

2002FIFAワールドカップメキシコ誘致活動

(加筆準備中・6月20日目処)

脚注

  1. ^ a b 「<自由席>Jリーグ合宿呼ぼう*天野一彦副理事長」『北海道新聞』、1994年5月11日、夕刊地方(空知)。
  2. ^ a b 「<ひとぷらざ>天野一彦さん(35)*サンフレッチェ広島栗山合宿誘致仕掛け人*栗山*少年に生のプレーを」『北海道新聞』、1995ー02ー12、朝刊地方(空知)。
  3. ^ 「サンフレッチェ来るぞ*栗山で来夏 合宿確実に*今夏は少年教室」『北海道新聞』、1994年5月1日、朝刊地方。
  4. ^ [1]と同じ、栗山青年会議所、栗山町、栗山町教育委員会、栗山町PTA連合会、栗の里研究会、栗山町青年団体協議会、栗山町内の三十八の機関、団体の代表者約50人が出席し、栗山町の主だった団体がほぼ参加することになった。
  5. ^ 「<交差点>本拠地に来たよう*高田豊治強化部長」『北海道新聞』、1994年6月7日、夕刊全道(総合)。
  6. ^ 「<かわかぜ>Jリーグのサンフレッチェ広島F・C栗山合宿誘致実行委 【訂正あり】」『北海道新聞』、1994年7月8日、朝刊地方(空知)。
  7. ^ a b 「今夏、栗山で相次ぎ合宿*Jリーグ「サンフレッチェ」と女子リーグで昨年総合優勝「ベレーザ」*他チームとの試合も」『北海道新聞』、1995年5月13日、朝刊地方(空知)。
  8. ^ a b c d e 「Jリーグのサンフレッチェ広島*来夏合宿ほぼ確定*栗山」『北海道新聞』、1994年12月28日、朝刊地方(空知)。
  9. ^ a b c 「北の地で動きも軽やか*サンフレッチェ広島*栗山で強化合宿」『1995ー08ー03』、北海道新聞、朝刊地方(空知)。
  10. ^ 2回目の訪問日時は不明。
  11. ^ 「<ひとぷらざ>天野一彦さん(35)*サンフレッチェ広島栗山合宿誘致仕掛け人*栗山*少年に生のプレーを」『北海道新聞』、1995年2月12日、朝刊地方(空知)。
  12. ^ 「残念!公開試合が中止*栗山での合宿日程変更*8月のJリーグ戦」『北海道新聞』、1995年6月17日、朝刊地方(空知)。
  13. ^ 「世界と戦う心構え、語り合う…W杯からWBCへ栗山・森保監督対談」『読売新聞』、2023ー01ー25。
  14. ^ 創立55周年記念事業 『森保一監督 基調講演~世界で戦う人となれ~』”. 栗山青年会議所. 2024年6月16日閲覧。
  15. ^ 今期(2024年)理事長の天野剛生は、天野一彦の息子にあたる。
  16. ^ 「女子サッカーの「ベレーザ」*栗山で強化合宿」『北海道新聞』、1995年8月12日、朝刊地方(空知)。
  17. ^ a b 「栗山町にサッカー協会*夏にフェスト開催*Jリーグの合宿支援も」『北海道新聞』、1995ー11ー07、朝刊地方(空知)。
  18. ^ 「<95空知この1年 記者ノートから>5*栗山町サッカー協会設立*Jリーグ合宿誘致で弾み*町ぐるみで活動を支援」『北海道新聞』、1995ー12ー14、朝刊地方(空知)。
  19. ^ 「<きのう今日あす 地方版から>96.7.30」『北海道新聞』、1996ー07ー30、夕刊全道(総合)。