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'''暴力'''(ぼうりょく、Violence)とは他者の[[身体]]や[[財産]]などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、[[心理的虐待]]や[[モラルハラスメント]]などの精神的暴力も暴力と認知されるようになりつつある。
'''暴力'''(ぼうりょく)とは、他者の[[身体]]や[[財産]]などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、[[心理的虐待]]や[[同調圧力]]などの[[詭弁|欺瞞的暴力]]も暴力と認知されるようになりつつある。


== 概説 ==
== 概説 ==
全ての[[人間]]の[[身体]]には現実の世界に具体的にはたらきかける能力があり、この能力が他者の意志に対して強制的にくわえられると暴力となる<ref name="shikou">{{Cite book|和書
{{NPOV}}
{{独自研究}}
全ての[[人間]]の[[身体]]には現実の世界に具体的にはたらきかける能力があり、この能力が他者の意志に対して強制的にくわえられると暴力となる<ref>アーレントは人間は個人として力をもっており、権力は他者の同意にもとづいてくわえられる力だが、暴力は他者の意志に反して加えられる力だと位置づけている。</ref><ref name="shikou">{{Cite book|和書
|author=中山元
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|title=思考の用語辞典…生きた哲学のために
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|origyear=2007
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|publisher=[[筑摩書房]]
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|series=[[ちくま学芸文庫]]
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|pages=pp. 450,454
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}}</ref>{{Efn|[[ハンナ・アーレント|アーレント]]は、人間は個人として力をもっており、権力は他者の同意にもとづいてくわえられる力だが、暴力は他者の意志に反して加えられる力だと位置づけている。}}。
}}</ref>。哲学者の[[エマニュエル・レヴィナス]]は人間関係に原初的に存在するものが暴力であると論じた。二者だけの人間関係に友好は不可欠なものであるが、別の誰かとの親密な関係が発生すれば二者の関係は相対化され傷つけられ、友好関係だけではなく対立関係が形成されうるようになると指摘した<ref name="shikou" />。
暴力は[[殺人]]、傷害、[[虐待]]、破壊などをひきおこすことができる力であり、また、二次的な機能として[[強制]]・[[抵抗]]・[[抑止]]などがある。従って、外国からの脅威であったり、規則違反者を物理的に制圧する力も暴力である(社会秩序を維持する上で必要な行為であるため[[実力]]と言う事が普通である)。全ての人が暴力を行使できる状態だと、[[トマス・ホッブズ]]が提唱した[[万人の万人に対する闘争]]という状態に陥り、[[社会秩序]]が壊れて[[失敗国家]]となるため、[[国家]]においては[[軍隊]]や[[警察]]が暴力を行使する権利を独占することが普通である。こうした組織を[[社会学]]では[[暴力装置]]と呼ぶ。一般的には[[暴力装置]]という言葉には悪印象が付き纏うので、[[社会学]]の[[専門家]]以外に説明する場合には[[暴力装置|実力組織]]などと言い換える事が多い。


暴力は[[殺人]]、傷害、[[虐待]]、破壊などをひきおこすことができる力であり、また、二次的な機能として強制や抵抗、抑止などがある。人間の暴力性については[[心理学]]の立場から、[[抑圧 (心理学)|抑圧]]の発露、おさえつけられた[[ルサンチマン]]、生体にやどる破壊衝動([[デストルドー]])として説明がなされることもある。
人間の暴力性については[[心理学]]の立場から、[[抑圧 (心理学)|抑圧]]の発露、おさえつけられた[[ルサンチマン]]、生体にやどる破壊衝動([[デストルドー]])として説明がなされることもある。


[[動物行動学]]の立場から[[進化]]の産物であるとする説明が有力である。捕食者や外敵からの防御、雌をめぐる雄の[[性淘汰]]のあらそい、群れの序列をめぐるあらそいなどをへて、身体能をたかめる。[[チンパンジー]]には[[子殺し]]もみとめられる。
[[動物行動学]]の立場から進化の産物であるとする説明が有力である。捕食者や外敵からの防御で身体能力を高める。群れの序列をめぐる争い、雌をめぐる雄の[[性淘汰]]のい、などで暴が起きる。[[チンパンジー]]には[[子殺し]]もめられる。


暴力は人間の尊厳や人権をおびやかすものであり、[[人道主義]]や[[平和主義]]の立場ではあらゆる対立は非暴力的な手段によって、[[対話]]などによって、互いを理解し、互いの苦しみを理解し、[[理性]]的に解決されるべきだ、という社会的[[規範]]は示されている。しかし現実には理性的対話だけでは不十分として、世界的には自己防衛のための合法的暴力や、[[犯罪]]者予備軍に対する見せしめとして設けられる[[死刑]][[制度]]{{Efn|[[物理学|物理]]的に[[犯罪|犯罪者]]の[[生命]]を[[破壊]]する事で再び同様の犯罪が起きないようにするという側面もあるが、[[日本]]で[[合憲]]と認められた[[死刑]]の[[目的]]は、犯罪者予備軍への見せしめによる新たな[[犯罪]]発生の[[予防]]のみである。}}など象徴としての暴力を法制度として許容している国家が存在し、[[家庭内暴力]]や[[体罰]]を家庭の支配や教育の正当な方法として支持する社会が存在している<ref>R・E・ニスベット、D・コーエン『名誉と暴力:アメリカ南部の文化と心理』石井敬子、結城雅樹(編訳) 北大路書房 2009年 ISBN 9784762826733 pp.91-114.</ref>。
また、攻撃性にはあきらかな性差がみとめられる。[[生化学]]の分野では[[男性ホルモン]]の[[テストステロン]]<ref>筋力増強剤としてスポーツ選手に投与される[[ドーピング]]が問題になる物質。</ref>の関与が指摘されており、[[軍人]]や[[警察官]]、更に殺人犯の過半数が男性でしめられている事実がそれをうらづけることができる。


== 形態など ==
暴力は人間の尊厳や人権をおびやかすものであり、[[人道主義]]や[[平和主義]]の立場ではあらゆる対立は非暴力的な手段によって[[理性]]的に解決されるべきという社会の[[規範]]がしめされる。しかしながら、その規範が実施されるとはかぎらない。そのために暴力に対抗することが必要となる。
暴力には様々な形態のものがある。


行使の当事者が、正当な[[権利]]の行使である、あるいは報復や正当な[[懲罰]]行為であると主張するが、他方からは正当性がみとめられないという事態がおこりうる。特に国家間の[[軍事力]]の行使ではこうした意見の対立がおおくみられる{{Efn|近年の国家間によるものではない[[テロリズム]]などに関して、そのような意見対立がおおくみられる。また、[[パレスチナ問題]]でも同様の問題がみられる。}}。
しかし、これは暴力と非暴力、善悪の対立ではありえない。暴力に実質的に対抗できるのは同等の暴力だけである<ref>[[山崎正一]]・[[市川浩]] 『現代哲学辞典』 [[講談社]]、1970年、559頁。</ref>。つまり、暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力が社会の中で準備されなければならない。[[軍隊]]、[[警察]]がこれにあたり、{{要出典範囲|[[社会学者]]の[[マックス・ウェーバー]]はこれらを'''暴力装置(organizations for violence)'''と位置付けた<ref>『Politics as a Vocation』:'Every state is founded on force,' said Trotsky at Brest-Litovsk. That is indeed right. If no social institutions existed which knew the use of violence, then the concept of 'state' would be eliminated, and a condition would emerge that could be designated as 'anarchy,' in the specific sense of this word. Of course, force is certainly not the normal or the only means of the state--nobody says that--but force is a means specific to the state. Today the relation between the state and violence is an especially intimate one. In the past, the most varied institutions--beginning with the sib--have known the use of physical force as quite normal. Today, however, we have to say that a state is a human community that (successfully) claims the monopoly of the legitimate use of physical force within a given territory. Note that 'territory' is one of the characteristics of the state. Specifically, at the present time, the right to use physical force is ascribed to other institutions or to individuals only to the extent to which the state permits it. The state is considered the sole source of the 'right' to use violence. Hence, 'politics' for us means striving to share power or striving to influence the distribution of power, either among states or among groups within a state..(文中に「暴力装置」と訳せる部分があるのかについてノートで議論中)http://media.pfeiffer.edu/lridener/dss/Weber/polvoc.html</ref><ref>『Politics as a Vocation』This analogy is still more striking when one considers that,on the one hand, the military organization of the medieval partyconstituted a pure army of knights organized on the basis of theregistered feudal estates and that nobles occupied almost allleading positions, and, on the other hand, that the Soviets havepreserved, or rather reintroduced, the highly paid enterpriser,the group wage, the Taylor system, military and work-shopdiscipline, and a search for foreign capital. Hence, in a word,the Soviets have had to accept again absolutely all thethings that Bolshevism had been fighting as bourgeois classinstitutions. They have had to do this in order to keep the stateand the economy going at all. Moreover, the Soviets havereinstituted the agents of the former Ochrana [Tsarist Secret Police] as the main instrument of their state power. But here wedo not have to deal with such organizations for violence, butrather with professional politicians who strive for power throughsober and 'peaceful' party campaigns in the market of electionvotes.(文中に「暴力装置」と訳せる部分があるのかについてノートで議論中)</ref>。|date=2010年11月}}11月[[ロシア革命]]を主導した[[ウラジーミル・レーニン]]は、著書『国家と革命』の中で「oraganized violence」という言葉を警察や軍隊を指すものとして使っており、「暴力装置」と日本語訳されているが<ref>『国家と革命』大月書店・国民文庫</ref>、ヴェーバーが国家によって独占(統制)されるべき対象として「暴力装置」を位置付けたのに対し、革命によって打倒されるべき対象・プロレタリアートに必要な組織として「暴力装置」を位置付けた。安保闘争以降の日本で「暴力装置」という表現が左翼の活動家などから[[自衛隊]]や警察を揶揄・誹謗するレーニン的な意図に近い意味で使われてきたとの批判があり、レーニン主義者が自衛隊や警察への揶揄中傷した事実への批判を避ける目的でウェーバーを引き合いに出して論点をすり替える場合も<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101118/plc1011182236025-n1.htm|title=仙谷氏「暴力装置」発言 謝罪・撤回したものの…1/2|newspaper=産経新聞|date=2009-11-18|accessdate=2010-11-19}}引用『レーニンが「国家権力の本質は暴力装置」などと、暴力革命の理論付けに使用したため、全共闘運動華やかなりしころには、主に左翼用語として流通した。』</ref><ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101118/plc1011182236025-n2.htm|title=仙谷氏「暴力装置」発言 謝罪・撤回したものの…2/2|newspaper=産経新聞|date=2009-11-18|accessdate=2010-11-19}}引用『仙谷氏は著書の中で、「若かりし頃(ころ)、社会主義を夢見た」と明かし』『 「ちょっと言葉が走った。ウェーバーを読み直し、改めて勉強したい」』</ref>。しかし「暴力装置」という言葉は政治学や社会学の専門用語としても一般的に使われる<ref>平凡社「世界大百科事典」[[栗原彬]]、[[阿部斉]]の項目。</ref>。

== 形態 ==
暴力は多様な形態をしめす。

行使の当事者が、正当な[[権利]]の行使である、あるいは報復や正当な[[懲罰]]行為であると主張するが、他方からは正当性がみとめられないという事態がおこりうる。特に国家間の[[軍事力]]の行使ではこうした意見の対立がおおくみられる<ref>近年の国家間によるものではない[[テロリズム]]などに関して、そのような意見対立がおおくみられる。また、[[パレスチナ問題]]でも同様の問題がみられる。</ref>。

<!--人間のほとんどは暴力を恐れる。-->


=== 暴力があらわれる場面・暴力をふるうもの ===
=== 暴力があらわれる場面・暴力をふるうもの ===
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<!--{{要出典|date=2009年11月}}閉鎖的な共同体である[[宗教]]団体(既成、新興に限らず)で、有史以前から暴力は「聖別」のため(神と人間を区別するために)行使されてきた。-->
<!--{{要出典|date=2009年11月}}閉鎖的な共同体である[[宗教]]団体(既成、新興に限らず)で、有史以前から暴力は「聖別」のため(神と人間を区別するために)行使されてきた。-->


人類の歴史をみると(一部の例外的な地域・時期はあるにしても)、概して、[[戦争]]はえたことがない。歴史的にみて、兵士が兵士に対して暴力をふるうだけでなく、一般の住民(非戦闘員)の財産・金品を略奪したり、必然性もなくころしたり([[殺人]])、[[婦女暴行]]・[[強姦]]をおこなっていたりする事例は枚挙にいとまがない([[大量虐殺]]も参照)(→ [[戦士]]、[[武士]]、[[兵士]]、[[軍人]]などが行為主)。
人類の歴史をみると(一部の例外的な地域・時期はあるにしても)、概して、[[戦争]]はえたことがない。歴史的にみて、兵士が兵士に対して暴力をふるうだけでなく、一般の住民(非戦闘員)の財産・金品を略奪したり、必然性もなくしたり([[殺人]])、[[婦女暴行]]・[[強姦]]をっていたりする事例は枚挙にがない([[大量虐殺]]も参照)(→ [[戦士]]、[[武士]]、[[兵士]]、[[軍人]]などが行為主)。


国家の政治権力を掌握している側の者が国内の人々に対して暴力をふるうことがある。そのような暴力としては[[人権蹂躙]]、[[抑圧 (社会科学)|抑圧]]などといったタイプのものから、[[殺人]]・大量殺戮(さつりく)といった過激なタイプのものまでさまざまなバリエーションがある。
国家の政治権力を掌握している側の者が国内の人々に対して暴力をふるうことがある。そのような暴力としては[[人権蹂躙]]、[[抑圧 (社会科学)|抑圧]]などといったタイプのものから、[[殺人]]・大量殺戮(さつりく)といった過激なタイプのものまでさまざまなバリエーションがある。過激な方の例としては[[粛清]]があげられる。最大規模のものは[[スターリン]]による'''[[大粛清]]'''である{{Efn|その当時は実態や規模が把握されておらず、現在も正確な数は不明であるが、後の諸研究によると、実は数百万人単位の人間が殺されていたとされている(把握しやすい数字、すなわち短期間に限定した統計的な記録で、直接的に殺したと判明している人数だけでも約130万人とされており、更に期間をひろげ、かつ社会的抑圧や飢饉(「[[構造的暴力]]」も参照)で死亡した人数までふくめれば、その数は数倍にふくれあがるともされているため)。}}。[[恐怖政治]](暗黒政治)ではしばしば権力者が国民に対して様々な暴力を振るっている。(→ [[国家元首]]、[[権力者]]、[[役人]]、[[官僚]]、[[行政]]、[[政府]]などが行為主)


また、既成権力に属していない側の者、権力による暴力を受けてきたと受け止めている側(体制側からみた場合のいわゆる"反体制勢力")によっても報復的あるいは防御的に暴力がおこなわれることがあり、顕著な例では[[革命]]、[[独立戦争]]、[[テロリズム]]{{Efn|テロリズムには、特定の権力者に直接にむけられるもの、体制全体に心理的圧迫をあたえて何らかの政策をやめさせるために無差別に人を狙うものなどのタイプがある([[テロリズム]]、[[テロ事件の一覧]]を参照)。近年になると、国家といったような明確な対象をもたない暴力もめだってきており、いわゆる"[[環境テロ]]"といったものもあげられる。}}などとなってあらわれる(→普通の人々、民衆、一般国民、一般市民、[[極右]]、[[極左]]、[[テロリズム|テロリスト]]など)。
過激な方の例としては[[粛清]]があげられる<ref>最大規模のものは[[スターリン]]による'''[[大粛清]]'''である。その当時は実態や規模が把握されておらず、現在も正確な数は不明であるが、後の諸研究によると、実は数百万人単位の人間が殺されていたとされている(把握しやすい数字、すなわち短期間に限定した統計的な記録で、直接的に殺したと判明している人数だけでも約130万人とされており、更に期間をひろげ、かつ社会的抑圧や飢饉(「[[構造的暴力]]」も参照)で死亡した人数までふくめれば、その数は数倍にふくれあがるともされているため)。</ref>(→ [[国家元首]]、[[権力者]]、[[役人]]、[[官僚]]、[[行政]]、[[政府]]などが行為主 )。


他人の財産を奪おうとする者による暴力の存在は古今東西かわらない(→ [[強盗]]など)。世界的には[[マフィア]]、日本では[[暴力団]]のように、さまざまなかたちで暴力行為を常態的におこなっている組織も存在する(→ [[マフィア]]、[[暴力団]])。
また、既成権力に属していない側の者、権力による暴力をうけてきたとうけとめている側(体制側からみた場合のいわゆる"反体制勢力")によっても報復的あるいは防御的に暴力がおこなわれることがあり、顕著な例では[[革命]]、[[独立戦争]]、[[テロリズム]]<ref>テロリズムには、特定の権力者に直接にむけられるもの、体制全体に心理的圧迫をあたえて何らかの政策をやめさせるために無差別に人をねらうものなどのタイプがある([[テロリズム]]、[[テロ事件の一覧]]を参照)。近年になると、国家といったような明確な対象をもたない暴力もめだってきており、いわゆる"[[環境テロ]]"といったものもあげられる。</ref>などとなってあらわれる(→極普通の人々・民衆、一般国民・一般市民、[[極右]]、[[極左]]、[[テロリスト]]など)。


現代の一般家庭においても暴力がおこなわれることがある。家庭内の暴力の中でも特に悲惨なのは、児童が被害者になることであり、児童に対して言葉による暴力や身体的暴力をふるうことは「[[児童虐待]]」とよばれている。児童虐待を行うのは主として[[母親]](実母)である{{Efn|例えば、東京都の平成24年度の統計(総件数3,705件)で、虐待者の66.2%が実母である。実父は21.9%にすぎない。}}。母親が子を殺してしまう事件、母親が何ヶ月〜数年に渡り、きわめて陰湿なやりかたで子供をいびり、肉体的にいためつけて、殺してしまう事件も時々起きている。特に幼児は自分の判断で親から逃げ出すこともできず、(大人のようには)自力で相談相手を見つけたり公的な機関にかけこむことができないので、極端に悲惨な状態に陥る。(→ [[母親]]、[[父親]]など)。逆に家庭内の年配の人を虐待することは「[[高齢者虐待]]」とよばれている(→ [[子]]など。特に高齢者が、すでに中年になった「子」に虐待されるケースが多い)。なお英語では「ドメスティックバイオレンス、DV)」という用語もあり、この用語を日本語にあえて訳す場合は[[家庭内暴力]]という訳語があてられるのだが、なぜかこの「DV」という用語が持ち出される時は、母親が子供に対してふるう暴力のことはたいてい忘れ去られてしまい、「[[配偶者による暴力]]」の話ばかりに焦点があてられてしまう傾向がある。手や足による暴力を誘発しないためには、まず自分の側が言葉による暴力をふるわない、自分の側が相手を傷つけるような言葉を(無意識のうちに、無配慮に)使ってしまっているということに気づくということが肝要になる。([[夫婦喧嘩]]の記事も参照可)(→ [[配偶者]])。なお家庭の中の人間関係のほとんどは「血縁関係」であり、つまり基本的に簡単には「切る」ことができない関係であり、親が子にふるう暴力であれ、子が親にふるう暴力であれ、非常に悲惨であり、深刻である。一方、「配偶者関係」だけは、もとは「他人」であった二人が役所に提出した「婚姻届」により成立させた契約関係なので(いわば人工的な関係なので)、その深刻度は異なる。深刻度が異なるというのはどういうことかというと、夫婦間で「言葉による暴力」であれ手や足による暴力であれ、互いに暴力をふるうような関係になったら、(多少の努力が行われることがあるが)、そもそも「言葉による暴力」が行われた段階で、二人の間には「愛」はほぼ無い関係になってしまっている、互いに憎み合う関係になってしまっていることはよく分かってしまっているので、結局は(弁護士などをはさむことで)[[離婚]]という形で互いに離れることで解決することが世の中では一般的に行われている。近年の統計が明らかにしていることは、結婚した男女のおよそ半数が[[離婚]]することで夫婦の「不和」にともなう諸問題を解決している。
他人の財産をうばおうとする者が暴力をふるうことがあるということは古今東西かわらない(→ [[強盗]]など)。世界的には[[マフィア]]、日本では[[暴力団]]のように、さまざまなかたちで暴力行為を継続的におこなっている組織も存在する(→ [[マフィア]]、[[暴力団員]])。


現代の一般家庭の一部おいも暴力がおこなわれていことがあり「[[家庭内暴力]](ドメティックバイオレンス、DV)」とよばれている。その中でも配偶者による暴力は「[[配偶者による暴力]]」と呼ばれることがある(→[[配偶]]、[[夫]]、[[妻]])。児童を虐待すること[[児童虐待]]」とよばれている(→ [[親]]など)。逆に年配虐待することは「[[高齢者虐待]]」とよばれている(→ [[]]など)。
学校内で主として生徒よっておこなわれる暴力は「[[内暴力]](スクールバイオレンスとよばれている(→ [[在籍 (学習者)|生徒]])。学校内で、教師などが、生徒に[[体罰]]などの暴力行為こともある(→[[教員|教師]][[教育委員会]])。


また、家庭と同様に閉鎖的な共同体である[[宗教]]団体(既成、新興に限らず)の一部でも暴力がおこなわれている場合がある<ref>[[マインドコントロール]]のためにおこなわれている場合もある。</ref>。また、[[企業]]の内部でも、よわい立場の従業員に対して、陰に陽にさまざまな暴力がおこなわれていることがあり、それらの中には、最近では「[[パワーハラスメント]]」という用語でとらえられるものもある(→ [[雇用主]]、[[上司]])。学校内で主として生徒によっておこなわれる暴力は「[[校内暴力]]」(スールバイオレンス)とよばれている(→ [[在籍者 (学習者)|生徒]])。学校内では、教師などが、生徒に[[体罰]]という名の暴力をふるうこともある(→[[教員|教師]]、[[上級生]])。
また、家庭と同様に閉鎖的な共同体である[[宗教]]団体(既成、新興に限らず)の一部でも暴力がおこなわれている場合がある{{Efn|[[マインドコントロール]]のためにおこなわれている場合もある。}}。また、[[企業]]の内部でも、い立場の従業員に対して、陰に陽にさまざまな暴力がおこなわれていることがあり、それらの中には、最近では「[[パワーハラスメント]]」という用語でとらえられるものもある(→ [[雇用主]]、[[上司]][[ブラッ企業]])。


== 暴力に対する評価や対処 ==
== 暴力に対する評価や対処 ==
歴史的にみれば、他人を暴力によって支配しようという傾向は正常な状態ではないとされるようになってきている傾向あるといえよう。たとえば、現在の日本では、身体的・心理的暴力は、傷害罪などの罪にわれる場合がある(詳細は、後述の日本の関連法規を参照のこと)
歴史的にみれば、今日、他人を暴力によって支配しようという傾向は正常な状態ではないとされる傾向ある。たとえば、現在の日本では、身体的・心理的暴力は、傷害罪などの罪にわれる場合がある(詳細は、後述の日本の関連法規を参照のこと)


また近年の研究によって、暴力の行使は、行使された側(被害者)に[[心的外傷後ストレス障害|PTSD]]などの心理的ダメージを後々までのこすことがおおいことは世界的に知られるようになってきた。
また近年の研究によって、暴力の行使は、行使された側(被害者)に[[心的外傷後ストレス障害|PTSD]]などの心理的ダメージを後々まで残し得ることが知られるようになってきた。

前述のように、非暴力が規範として示されるようになってきているが、それでもその規範が守られず、心理的暴力や身体的暴力がふるわれることがある。

暴力にいかに対処するかが問題になってくる。『現代哲学辞典』によると、暴力への対抗は、「暴力と非暴力」や「善悪」の対立ではありえない、と言う。暴力に実質的に対抗できるのは同等の暴力だけだ、と同辞典では説明されている<ref>[[山崎正一]]・[[市川浩]] 『現代哲学辞典』 [[講談社]]、1970年、559頁。</ref>。「暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力が社会の中で準備されなければならない。」と言う。[[社会学者]]の[[マックス・ウェーバー]]は「国家の成立にあたっては[[軍隊]]、[[警察]]といった暴力を行使できる組織を正統的に独占することが必須である」とした([[暴力の独占]])。

[[マハトマ・ガンジー]]は、暴力に暴力で対抗するのではなく、[[非暴力]]で対応することを説いた。

異民族間の紛争では、暴力に暴力で応酬している限り、次第に暴力が過激化するばかりで収拾がつかなくなることも多い。そうなると、双方にとって深刻な被害や悲劇的な結果をもたらす。そのような場合、見かねた第三国・国際機関・宗教者などが調停に乗り出すことがあり、相方の代表に[[対話]]を促すように働きかけを行い、第三者として対話の場に同席することもある。対話が成功し、紛争が沈静化することもあるが、なかなか対話が進まないこともある。経済平和研究所によると、暴力によって世界経済がどれだけの損失損害を被ったかを算出することも可能である。具体的には、2019年に14.4兆米ドル(2019年時点で約1,550兆円)である<ref>{{Cite web |title=The Economic Impact of Violence Comes with a Hefty Price Tag |url=https://www.visionofhumanity.org/the-total-economic-impact-of-violence-to-the-global-economy-comes-with-a-hefty-price-tag/ |website=Vision of Humanity |date=2022-01-12 |access-date=2023-04-08 |language=en-US |first=Puja |last=Pandit}}</ref>。


=== 昇華 ===
=== 昇華 ===
暴力をいくらか生産的な面に転じるはたらきを昇華という。攻撃衝動は[[防衛機制#防衛機制の例|昇華]]として[[スポーツ]]にむけられるし、[[芸術]]の分野では[[ハードボイルド小説]]や[[ミステリー]]、[[ロマン主義]]の一部などがあげられる。
暴力をいくらか生産的な面に転じるはたらきを昇華という。攻撃衝動は[[昇華 (心理学)|昇華]]として[[スポーツ]]にむけられるし、[[芸術]]の分野では[[ハードボイルド小説]]や[[ミステリー]]、[[ロマン主義]]の一部などがあげられる。


ただ、[[わいせつ]]など性描写とならんで[[表現の自由]]にからみがちな面はあり、[[規制]]には賛否をひきおこしやすい。過度の規制はつつしむべきだというのが良識的な意見だが、どこまで規制できるかはしばしば[[裁判]]であらそわれる。
ただ、[[わいせつ]]など性描写とならんで[[表現の自由]]にみがちな面はあり、[[規制]]には賛否をひきおこしやすい。過度の規制はつつしむべきだというのが良識的な意見だが、どこまで規制できるかはしばしば[[裁判]]でわれる。


== 日本の関連法規 ==
== 日本の関連法規 ==
暴力の行使は[[刑法 (日本)|刑法]]では、[[傷害罪]]、[[暴行罪]]、[[強要罪]]、[[強盗罪]]、[[恐喝罪]]、[[器物損壊罪]]などとして処罰される可能性がある。刑法以外では、[[暴力行為等処罰ニ関スル法律]]、[[航空機の強取等の処罰に関する法律]]、[[迷惑防止条例]]などがある。
暴力の行使は[[刑法 (日本)|刑法]]では、[[傷害罪]]、[[暴行罪]]、[[強要罪]]、[[強盗罪]]、[[恐喝罪]]、[[器物損壊罪]]などとして処罰される可能性がある。刑法以外では、[[暴力行為等処罰ニ関スル法律]]、[[航空機の強取等の処罰に関する法律]]、[[迷惑防止条例]]などがある。

暴力(ぼうりょく)[ 日本大百科全書(小学館) ]ヘルプ
violence
昔の古い何の権威もない本に、暴力という文字がのっているだけで、それを書き写したのをyahoo百科事典の暴力の項目にして新しい権威に見せかけている。


== 暴力の無い状態:平和 ==
== 暴力の無い状態:平和 ==
暴力的な政治的活動が行使されない状態、あらそいがなくおだやかな状態などを一般に'''[[平和]]'''と呼ぶ。
暴力的な政治的活動が行使されない状態、いがなくやかな状態などを一般に'''[[平和]]'''と呼ぶ。


日本では外国との戦争の無い状態が平和と通称される。暴力とは無関係。

日本では警察や自衛隊による外国との戦争が行われない状態が続き、一般に平和と呼ばれる状態が続いている。

平和ボケした警察や自衛隊、病院が、利用者に対する虐待やゲームをして、長年、利用者に暴力をふるい続けて裁かれないのが現実。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[暴力の独占]]
* [[平和学]]
* [[平和学]]
* [[非暴力]]
* [[非暴力]]
* [[暴力の独占]]
* [[暴力装置]]
* [[暴力論]]
* [[家庭内暴力]]
* [[家庭内暴力]]
* [[ドメスティックバイオレンス|配偶者による暴力]](ドメスティック・バイオレンス)
* [[ドメスティックバイオレンス|配偶者による暴力]](ドメスティック・バイオレンス)
* [[スパルタ教育]]
* [[スパルタ教育]]
* [[虐待]] - [[性的虐待]] - [[強姦]](レイプ)
* [[児童虐待]]
* [[高齢者虐待]]
* [[児童虐待]] - [[児童性的虐待]]
* [[兄弟姉妹間の虐待]]
* [[高齢者虐待]](老人虐待)
* [[構造的暴力]]
* [[構造的暴力]]
* [[数の暴力]]
* [[言葉の暴力]]
* [[言葉の暴力]]
* [[性的虐待]]
* [[校内暴力]](スクールバイオレンス)
* [[行政対象暴力]]
* [[行政対象暴力]]
* [[民事介入暴力]]
* [[民事介入暴力]]
* [[校内暴力]](スクールバイオレンス)
* [[体罰]]
* [[体罰]]
* [[リンチ]]
* [[いじめ]]
* [[私刑]](リンチ)
* [[カツアゲ]]
* [[詭弁]]
* [[パワーハラスメント]]
* [[動物虐待]]
* [[暴力団]]
* [[警察の暴力]]
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2024年6月13日 (木) 22:23時点における最新版

暴力(ぼうりょく)とは、他者の身体財産などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、心理的虐待同調圧力などの欺瞞的暴力も暴力と認知されるようになりつつある。

概説[編集]

全ての人間身体には現実の世界に具体的にはたらきかける能力があり、この能力が他者の意志に対して強制的にくわえられると暴力となる[1][注釈 1]。 暴力は殺人、傷害、虐待、破壊などをひきおこすことができる力であり、また、二次的な機能として強制抵抗抑止などがある。従って、外国からの脅威であったり、規則違反者を物理的に制圧する力も暴力である(社会秩序を維持する上で必要な行為であるため実力と言う事が普通である)。全ての人が暴力を行使できる状態だと、トマス・ホッブズが提唱した万人の万人に対する闘争という状態に陥り、社会秩序が壊れて失敗国家となるため、国家においては軍隊警察が暴力を行使する権利を独占することが普通である。こうした組織を社会学では暴力装置と呼ぶ。一般的には暴力装置という言葉には悪印象が付き纏うので、社会学専門家以外に説明する場合には実力組織などと言い換える事が多い。

人間の暴力性については心理学の立場から、抑圧の発露、おさえつけられたルサンチマン、生体にやどる破壊衝動(デストルドー)として説明がなされることもある。

動物行動学の立場から進化の産物であるとする説明が有力である。捕食者や外敵からの防御で身体能力を高める。群れの序列をめぐる争い、雌をめぐる雄の性淘汰の争い、などで暴力が起きる。チンパンジーには子殺しも認められる。

暴力は人間の尊厳や人権をおびやかすものであり、人道主義平和主義の立場ではあらゆる対立は非暴力的な手段によって、対話などによって、互いを理解し、互いの苦しみを理解し、理性的に解決されるべきだ、という社会的規範は示されている。しかし現実には理性的対話だけでは不十分として、世界的には自己防衛のための合法的暴力や、犯罪者予備軍に対する見せしめとして設けられる死刑制度[注釈 2]など象徴としての暴力を法制度として許容している国家が存在し、家庭内暴力体罰を家庭の支配や教育の正当な方法として支持する社会が存在している[2]

形態など[編集]

暴力には様々な形態のものがある。

行使の当事者が、正当な権利の行使である、あるいは報復や正当な懲罰行為であると主張するが、他方からは正当性がみとめられないという事態がおこりうる。特に国家間の軍事力の行使ではこうした意見の対立がおおくみられる[注釈 3]

暴力があらわれる場面・暴力をふるうもの[編集]

歴史的に見て、暴力はいつの時代にも存在していたといえよう。

人類の歴史をみると(一部の例外的な地域・時期はあるにしても)、概して、戦争は絶えたことがない。歴史的にみて、兵士が兵士に対して暴力をふるうだけでなく、一般の住民(非戦闘員)の財産・金品を略奪したり、必然性もなく殺したり(殺人)、婦女暴行強姦を行っていたりする事例は枚挙に暇がない(大量虐殺も参照)(→ 戦士武士兵士軍人などが行為主)。

国家の政治権力を掌握している側の者が国内の人々に対して暴力をふるうことがある。そのような暴力としては人権蹂躙抑圧などといったタイプのものから、殺人・大量殺戮(さつりく)といった過激なタイプのものまでさまざまなバリエーションがある。過激な方の例としては粛清があげられる。最大規模のものはスターリンによる大粛清である[注釈 4]恐怖政治(暗黒政治)ではしばしば権力者が国民に対して様々な暴力を振るっている。(→ 国家元首権力者役人官僚行政政府などが行為主)。

また、既成権力に属していない側の者、権力による暴力を受けてきたと受け止めている側(体制側からみた場合のいわゆる"反体制勢力")によっても報復的あるいは防御的に暴力がおこなわれることがあり、顕著な例では革命独立戦争テロリズム[注釈 5]などとなってあらわれる(→普通の人々、民衆、一般国民、一般市民、極右極左テロリストなど)。

他人の財産を奪おうとする者による暴力の存在は古今東西かわらない(→ 強盗など)。世界的にはマフィア、日本では暴力団のように、さまざまなかたちで暴力行為を常態的におこなっている組織も存在する(→ マフィア暴力団)。

現代の一般家庭においても暴力がおこなわれることがある。家庭内の暴力の中でも特に悲惨なのは、児童が被害者になることであり、児童に対して言葉による暴力や身体的暴力をふるうことは「児童虐待」とよばれている。児童虐待を行うのは主として母親(実母)である[注釈 6]。母親が子を殺してしまう事件、母親が何ヶ月〜数年に渡り、きわめて陰湿なやりかたで子供をいびり、肉体的にいためつけて、殺してしまう事件も時々起きている。特に幼児は自分の判断で親から逃げ出すこともできず、(大人のようには)自力で相談相手を見つけたり公的な機関にかけこむことができないので、極端に悲惨な状態に陥る。(→ 母親父親など)。逆に家庭内の年配の人を虐待することは「高齢者虐待」とよばれている(→ など。特に高齢者が、すでに中年になった「子」に虐待されるケースが多い)。なお英語では「ドメスティックバイオレンス、DV)」という用語もあり、この用語を日本語にあえて訳す場合は家庭内暴力という訳語があてられるのだが、なぜかこの「DV」という用語が持ち出される時は、母親が子供に対してふるう暴力のことはたいてい忘れ去られてしまい、「配偶者による暴力」の話ばかりに焦点があてられてしまう傾向がある。手や足による暴力を誘発しないためには、まず自分の側が言葉による暴力をふるわない、自分の側が相手を傷つけるような言葉を(無意識のうちに、無配慮に)使ってしまっているということに気づくということが肝要になる。(夫婦喧嘩の記事も参照可)(→ 配偶者)。なお家庭の中の人間関係のほとんどは「血縁関係」であり、つまり基本的に簡単には「切る」ことができない関係であり、親が子にふるう暴力であれ、子が親にふるう暴力であれ、非常に悲惨であり、深刻である。一方、「配偶者関係」だけは、もとは「他人」であった二人が役所に提出した「婚姻届」により成立させた契約関係なので(いわば人工的な関係なので)、その深刻度は異なる。深刻度が異なるというのはどういうことかというと、夫婦間で「言葉による暴力」であれ手や足による暴力であれ、互いに暴力をふるうような関係になったら、(多少の努力が行われることがあるが)、そもそも「言葉による暴力」が行われた段階で、二人の間には「愛」はほぼ無い関係になってしまっている、互いに憎み合う関係になってしまっていることはよく分かってしまっているので、結局は(弁護士などをはさむことで)離婚という形で互いに離れることで解決することが世の中では一般的に行われている。近年の統計が明らかにしていることは、結婚した男女のおよそ半数が離婚することで夫婦の「不和」にともなう諸問題を解決している。

学校内で主として生徒によっておこなわれる暴力は「校内暴力」(スクールバイオレンス)とよばれている(→ 生徒)。学校内では、教師などが、生徒に体罰などの暴力行為をふるうこともある(→教師教育委員会)。

また、家庭と同様に閉鎖的な共同体である宗教団体(既成、新興に限らず)の一部でも暴力がおこなわれている場合がある[注釈 7]。また、企業の内部でも、弱い立場の従業員に対して、陰に陽にさまざまな暴力がおこなわれていることがあり、それらの中には、最近では「パワーハラスメント」という用語でとらえられるものもある(→ 雇用主上司ブラック企業)。

暴力に対する評価や対処[編集]

歴史的にみれば、今日、他人を暴力によって支配しようという傾向は正常な状態ではないとされる傾向にある。たとえば、現在の日本では、身体的・心理的暴力は、傷害罪などの罪に問われる場合がある(詳細は、後述の日本の関連法規を参照のこと)

また近年の研究によって、暴力の行使は、行使された側(被害者)にPTSDなどの心理的ダメージを後々まで残し得ることが知られるようになってきた。

前述のように、非暴力が規範として示されるようになってきているが、それでもその規範が守られず、心理的暴力や身体的暴力がふるわれることがある。

暴力にいかに対処するかが問題になってくる。『現代哲学辞典』によると、暴力への対抗は、「暴力と非暴力」や「善悪」の対立ではありえない、と言う。暴力に実質的に対抗できるのは同等の暴力だけだ、と同辞典では説明されている[3]。「暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力が社会の中で準備されなければならない。」と言う。社会学者マックス・ウェーバーは「国家の成立にあたっては軍隊警察といった暴力を行使できる組織を正統的に独占することが必須である」とした(暴力の独占)。

マハトマ・ガンジーは、暴力に暴力で対抗するのではなく、非暴力で対応することを説いた。

異民族間の紛争では、暴力に暴力で応酬している限り、次第に暴力が過激化するばかりで収拾がつかなくなることも多い。そうなると、双方にとって深刻な被害や悲劇的な結果をもたらす。そのような場合、見かねた第三国・国際機関・宗教者などが調停に乗り出すことがあり、相方の代表に対話を促すように働きかけを行い、第三者として対話の場に同席することもある。対話が成功し、紛争が沈静化することもあるが、なかなか対話が進まないこともある。経済平和研究所によると、暴力によって世界経済がどれだけの損失損害を被ったかを算出することも可能である。具体的には、2019年に14.4兆米ドル(2019年時点で約1,550兆円)である[4]

昇華[編集]

暴力をいくらか生産的な面に転じるはたらきを昇華という。攻撃衝動は昇華としてスポーツにむけられるし、芸術の分野ではハードボイルド小説ミステリーロマン主義の一部などがあげられる。

ただ、わいせつなど性描写とならんで表現の自由に絡みがちな面はあり、規制には賛否をひきおこしやすい。過度の規制はつつしむべきだというのが良識的な意見だが、どこまで規制できるかはしばしば裁判で争われる。

日本の関連法規[編集]

暴力の行使は刑法では、傷害罪暴行罪強要罪強盗罪恐喝罪器物損壊罪などとして処罰される可能性がある。刑法以外では、暴力行為等処罰ニ関スル法律航空機の強取等の処罰に関する法律迷惑防止条例などがある。

暴力(ぼうりょく)[ 日本大百科全書(小学館) ]ヘルプ violence 昔の古い何の権威もない本に、暴力という文字がのっているだけで、それを書き写したのをyahoo百科事典の暴力の項目にして新しい権威に見せかけている。

暴力の無い状態:平和[編集]

暴力的な政治的活動が行使されない状態、争いがなく穏やかな状態などを一般に平和と呼ぶ。


日本では外国との戦争の無い状態が平和と通称される。暴力とは無関係。

日本では警察や自衛隊による外国との戦争が行われない状態が続き、一般に平和と呼ばれる状態が続いている。

平和ボケした警察や自衛隊、病院が、利用者に対する虐待やゲームをして、長年、利用者に暴力をふるい続けて裁かれないのが現実。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ アーレントは、人間は個人として力をもっており、権力は他者の同意にもとづいてくわえられる力だが、暴力は他者の意志に反して加えられる力だと位置づけている。
  2. ^ 物理的に犯罪者生命破壊する事で再び同様の犯罪が起きないようにするという側面もあるが、日本合憲と認められた死刑目的は、犯罪者予備軍への見せしめによる新たな犯罪発生の予防のみである。
  3. ^ 近年の国家間によるものではないテロリズムなどに関して、そのような意見対立がおおくみられる。また、パレスチナ問題でも同様の問題がみられる。
  4. ^ その当時は実態や規模が把握されておらず、現在も正確な数は不明であるが、後の諸研究によると、実は数百万人単位の人間が殺されていたとされている(把握しやすい数字、すなわち短期間に限定した統計的な記録で、直接的に殺したと判明している人数だけでも約130万人とされており、更に期間をひろげ、かつ社会的抑圧や飢饉(「構造的暴力」も参照)で死亡した人数までふくめれば、その数は数倍にふくれあがるともされているため)。
  5. ^ テロリズムには、特定の権力者に直接にむけられるもの、体制全体に心理的圧迫をあたえて何らかの政策をやめさせるために無差別に人を狙うものなどのタイプがある(テロリズムテロ事件の一覧を参照)。近年になると、国家といったような明確な対象をもたない暴力もめだってきており、いわゆる"環境テロ"といったものもあげられる。
  6. ^ 例えば、東京都の平成24年度の統計(総件数3,705件)で、虐待者の66.2%が実母である。実父は21.9%にすぎない。
  7. ^ マインドコントロールのためにおこなわれている場合もある。

出典[編集]

  1. ^ 中山元『思考の用語辞典…生きた哲学のために』筑摩書房ちくま学芸文庫〉(原著2007年2月)、450,454頁。 
  2. ^ R・E・ニスベット、D・コーエン『名誉と暴力:アメリカ南部の文化と心理』石井敬子、結城雅樹(編訳) 北大路書房 2009年 ISBN 9784762826733 pp.91-114.
  3. ^ 山崎正一市川浩 『現代哲学辞典』 講談社、1970年、559頁。
  4. ^ Pandit, Puja (2022年1月12日). “The Economic Impact of Violence Comes with a Hefty Price Tag” (英語). Vision of Humanity. 2023年4月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]