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'''山根 公利'''(やまね きみとし、[[1966年]] - )は、[[日本]]の[[メカニックデザイン|メカニックデザイナー]]。[[島根県]]出身<ref name="gundam.info20160518">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.gundam.info/news/event/news_event_20160518_15544p.html |title=メカニクデザイナー 大河原邦男展「大河原邦男×山根公利 トーショ」5月28日開催決定! |website=GUNDAM.INFO |publisher=ナムコフィルムワ |date=2016-05-18 |accessdate=2023-11-22}}</ref>。実家は[[川本町]]であり2000年からは[[浜田市]]在住している<ref name="nikkei20220405">>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC159MT0V10C22A3000000/ |title=アニメの「メカ」地方で描く 自身の原点、作品に込める - Myway - 島根 |website=日経新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2022-04-05 |accessdate=2023-11-22 |url-access=subscription}}初出:『[[日経産業新聞]]』2022年4月5日、働き方 面。</ref>。
'''山根 公利'''(やまね きみとし、[[1966年]] - )は、[[日本]]の[[メカニックデザイナー]]{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=189}}。[[島根県]][[川本町]]出身<ref name="inside126752">{{cite web|url=https://www.inside-games.jp/article/2020/01/10/126752.html |author= |title=「ビバプ」山根公利&IZM designworks・直良有祐が語る「島根で働く」ということ―島根リエイタ対談 |date=2020-01-10 |accessdate= 2024-03-11|website=[[イド (ニュースサイト)|インサイド]]|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>、同県[[浜田市]]在住<ref name="nikkei20220405">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC159MT0V10C22A3000000/ |title=アニメの「メカ」地方で描く 自身の原点、作品に込める - Myway - 島根 |website=日経新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2022-04-05 |accessdate=2023-11-22 |url-access=subscription}}初出:『[[日経産業新聞]]』2022年4月5日、働き方 面。</ref>。

代表作は『[[カウボーイビバップ]]』、『[[無限のリヴァイアス]]』、『[[天空のエスカフローネ]]』、『[[ガンダム]]』シリーズなど{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=189}}<ref name="nikkei20220405"/>。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[江津工業高校]]在学中から[[アニメ雑誌|アニメ誌]][[アニメック]]に投稿した絵が掲載され、卒業を機にアニメの世界で自分の絵のセンスを試そうとアニメ科がある[[東京]]の[[千代田工科芸術専門学校]]に入学{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=191}}<ref name="asahi20200302">{{Cite news|url =https://www.asahi.com/articles/ASN3174WPN2XPTIB00Z.html |author=市野塊 |title=「オリジナルのメカを」 デザイナー山根公利さん|newspaper = [[朝日新聞]]|date =2020-03-02 |accessdate= 2024-03-11}}</ref>。[[新聞奨学生]]として働きながら2年間通い、絵を学んだ{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=191}}<ref name="asahi20200302"/>。在学中に自分は[[アニメーター]]には向いていないと感じ、[[ガンダムシリーズ一覧|ガンダムシリーズ]]のデザインを担当した[[大河原邦男]]などが先駆者として確立した「[[メカニックデザイン]]」という仕事を意識し始める{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=191}}<ref name="asahi20200302"/>。
『[[宇宙戦艦ヤマト]]』を見て育ったことから、島根県内の[[工業高校]]卒業後に上京して、[[アニメーション]]を学べる[[専門学校]]に入学した<ref name="nikkei20220405" />。子供時代に戦記物をよく読んでいたこともあって描く対象は[[軍艦]]や[[航空機]]が多く<ref name="nikkei20220405" />、[[大河原邦男]]が築いた「メカニックデザイナー」という職業に憧れ<ref name="gundam.info20160601">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.gundam.info/news/event/news_event_20160601_15715p.html |title=メカニックデザイナー 大河原邦男展「大河原邦男×山根公利 トークショー」レポート |website=GUNDAM.INFO |publisher=バンダイナムコフィルムワークス |date=2016-06-01 |accessdate=2023-11-22}}</ref>、専門学校卒業後は作品を[[アートミック]]社に持ち込んでメカニックデザイナーとしてデビューし、同社の倒産後は[[フリーランス]]として活動している<ref name="gundam.info20160518" />。

主に[[SFアニメ]]の制作に関わるアニメーション企画会社[[アートミック]]に連絡を取り{{efn2|アニメ『[[メガゾーン23]]』の設定資料本に電話番号が載っていた。}}、同社に出入りするようになる{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=191}}<ref name="sunrise-world1">{{cite web|url=https://sunrise-world.net/feature/feature.php?id=9412 |author= |title=クリエイターインタビュー 第17回 『カウボーイビバップ』メカニカルデザイン 山根公利<前編> |date=2023-05-10 |accessdate= 2024-03-11|website=サンライズワールド|publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]}}</ref>。20歳で専門学校を卒業すると、そのままアートミックの所属{{efn2|[[福利厚生]]のある雇用ではなく籍だけを置くかたち。}}となる{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。そこで[[荒牧伸志]]や[[柿沼秀樹]]、[[園田健一]]らの指導を受けながら、[[OVA]]をメインにアニメーションのメカデザインを行なうようになった<ref name="sunrise-world1"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。また[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[フランス]]など海外との[[合作]]作品に参加し、[[パリ]]に滞在していたこともある{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。

[[タツノコプロ]]の『[[新造人間キャシャーン]]』や『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』の[[リメイク]]版に関わった後、[[出渕裕]]に声をかけられて{{efn2|山根の他の作品での仕事を見て誘ったという。}}『[[機動武闘伝Gガンダム]]』に企画段階から参加<ref name="sunrise-world1"/>。ガンダムシリーズを制作する[[アニメスタジオ]]の[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]に出入りするようになって人脈も出来たため、1994年に[[フリーランス]]として独立した<ref name="asahi20200302"/><ref name="sunrise-world1"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。『Gガンダム』の設定や内容が大きく変更されていく中、誘った方の出渕は途中で降りたものの、山根本人は最後まで継続して関わった<ref name="sunrise-world1"/>。また『Gガンダム』には初代ガンダムのデザイナーだった大河原邦男も参加しており、デザインでは彼の線を真似て描いた部分もある<ref name="gundam.info20160601">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.gundam.info/news/event/news_event_20160601_15715p.html |title=メカニックデザイナー 大河原邦男展「大河原邦男×山根公利 トークショー」レポート |website=GUNDAM.INFO |publisher=バンダイナムコフィルムワークス |date=2016-06-01 |accessdate=2023-11-22}}</ref>。

次に『Gガンダム』のプロデューサーだった[[南雅彦]]から『天空のエスカフローネ』のメカデザインをオファーされ、初めて主役ロボットのデザインを担当する<ref name="sunrise-world1"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。ただし、メインデザイナーとなっているものの、監督の[[河森正治]]との共同デザインという要素が強い{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=50}}。主役や敵役のロボットの原案は河森であり、基本的な形やデザインコンセプトは彼が考えてラフデザインも出来ていたため、山根は自分の仕事は「スタイリング{{efn2|デザインを元にしたアレンジのこと。アニメにおいてデザインと呼べるのは基本コンセプトから創ったもののみで、ある程度形が出来ているものをアレンジするのはスタイリングだという考え方{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=199}}。}}」と語っている<ref name="sunrise-world1"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|pp=192-193}}。

『カウボーイビバップ』に企画段階から参加{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=193}}。デザイナーとして初めてメカのコンセプトから作り上げた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=18}}{{efn2|アートミック時代は柿沼秀樹や荒巻伸志、『エスカフローネ』は河森正治のコンセプトの下で仕事をしていた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=18}}。}}。再び南プロデューサーに呼ばれて複数のデザイナーによるオーディションに参加<ref name="sunrise-world1"/>。監督の[[渡辺信一郎 (アニメ監督)|渡辺信一郎]]に気に入られて作品に登場するメカのデザインを一任された<ref name="asahi20200302"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=193}}。第19話「ワイルド・ホーセス」ではメカデザイナーというポジションを超え、ストーリーの[[プロット (物語)|プロット]]を山根自身が提案した{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=40}}。作品が大ヒットしたことで、自身もメカニックデザイナーとして知名度を上げた<ref name="asahi20200302"/>。

『無限のリヴァイアス』でも初期段階から参加し、コンセプト作りから手掛けた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=82}}{{efn2|「ヴァイタルガーダー」などの登場メカの名称も考えた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=201}}。}}。

『[[アルジェントソーマ]]』では、世界観を象徴する人型メカのザルクをはじめ、[[航空機]]のほとんどや施設などのデザインを手掛けた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=86}}{{efn2|ただし、ザルクのデザインは[[片山一良 (アニメ監督)|片山一良]]監督のイメージがかなり出来上がっていて、そこにメカ的な説得力を加える仕事だった{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=86}}。航空機も片山監督のアイデアスケッチがあった{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=95}}。}}。

しかし、その一連の野心的な作品のあと、アニメ業界全体でメカデザインが固定化し始め、自由な発想で描いたデザインが通らないことが多くなってきた<ref name="asahi20200302"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=195}}。仕事にマンネリ感や閉塞感を感じ、自分を見つめ直すために一度東京を離れて故郷に戻ってみようと考えるようになった<ref name="inside126752"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=201}}。東京の情報の多さは魅力的だったが、自分の良さは情報量の少ない島根で鍛えられたところがあるのではないかと考え、一度自分をリセットしたかったというのも理由の一つだった<ref name="inside126752"/>。そして2000年に34歳で地元の島根に戻ると、結婚して浜田市に広い土地を見つけて家を構えた<ref name="asahi20200302"/>{{efn2|車を趣味にしていることもあり、そこなら[[ガレージ]]も作れるので、趣味を活かせて仕事に対する「転換点」にもなるのではないかと考えた<ref name="inside126752"/>。}}。最初はアニメの仕事をやめてもいいという覚悟だったが、[[インターネット]]の普及で画像データのやり取りなどが容易になったことで、その後も東京からの仕事のオファーが絶える事はなかった<ref name="inside126752"/><ref name="asahi20200302"/>。

== 人物・作風 ==
実在する乗り物や兵器、あるいは[[戦争映画]]や[[SF映画]]などから色々と[[モチーフ]]的なものを取り入れてデザインした工業的なプロダクトを感じさせるデザインが特徴<ref name="inside126752"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=194}}。クリエイターとして常に「前と同じではいけない」「人の真似をしない」ということを考えてデザインしている<ref name="inside126752"/>。

[[戦車]]や[[艦船]]に造詣が深い一方、人型ロボットにはあまり興味がない{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=189}}{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=103}}。『ガンダムシリーズ』でも[[モビルスーツ]]を描きたいと思ったことはなく、主役のガンダムをデザインすることもあるが、基本的には艦艇や戦車・装甲車などの車輛が仕事の中心である{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=103}}{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=194}}。

地方都市で生まれ育ったためテレビのネット局が少なく、漫画やアニメに触れるチャンスもあまりなかったが、逆に島根という情報が絞られた土地で過ごしたからこそメカニックに特化できたのではないかと本人は考えている<ref name="inside126752"/>。

メカとの出会いはテレビで見た『[[スター・ウォーズシリーズ|スター・ウォーズ]]』や『[[スタートレック]]』『[[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード]]』といった海外のSF映画や[[SFドラマ]]で、作品に登場する[[宇宙船]]のとりことなった<ref name="asahi20200302"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=198}}。

小中学生の頃は[[松本零士]]の『[[戦場まんがシリーズ]]』や[[新谷かおる]]の『[[戦場ロマン・シリーズ]]』といった「[[戦記|戦記物]]」の漫画ばかり読んでいた<ref name="inside126752"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=190}}。

1970年代後半から始まる『[[宇宙戦艦ヤマト]]』『[[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]]』『[[機動戦士ガンダム]]』『[[超時空要塞マクロス]]』などの[[アニメブーム]]で実在の兵器からアニメメカに興味が移る<ref name="asahi20200302"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=190}}。

アニメ作品では、ドラマとしては[[富野由悠季]]作品が一番好きで、SF好きということもあって地に足のついた『機動戦士ガンダム』よりも宇宙規模のスケールの大きな『[[伝説巨神イデオン]]』の方が好み<ref name="sunrise-world1"/>。


大河原邦男が確立した「メカニックデザイナー」という職業に憧れてアニメ業界に入り、現在でも大河原を目標にしているという<ref name="gundam.info20160601"/>。
メカデザインの仕事については、裏方であり、作品の企画の世界観に溶け込んで視聴者に意識されないことがよいと考えているが、山根のファンは国内外に多い<ref name="nikkei20220405" />。


影響を受けた人物は出渕裕と河森正治。出渕は人とのコミュニケーションに積極的で、プロデューサーとして人材を発掘してふさわしい会社に紹介していく部分を尊敬している<ref name="sunrise-world1"/>。河森からはメカニックのデザインや世界観、コンセプトをまとめる考え方を学んだ<ref name="sunrise-world1"/>。
他の著名な[[アニメーター]]の仕事にはそれぞれのルーツが投影されていると考え、山根自身の原点を見つめなおすためもあって郷里に近い[[島根県]][[浜田市]]へ2000年に居を移した<ref name="nikkei20220405" />。東京を離れることで仕事が減ることも覚悟していたが、インターネットが普及したことで発注は依然多いという<ref name="nikkei20220405" />。2021年には[[浜田市世界こども美術館]]で展示会が開かれ、2,000人以上が来場した<ref name="nikkei20220405" />。


趣味は[[釣り]]、[[旧車]]や[[自動二輪|バイク]]など{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=189}}{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=201}}。チャンスがあれば実際の[[自動車]]のデザインもやってみたいと思っている{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=195}}。
2016年[[5月28日]]には、[[滋賀県]]の[[佐川美術館]]にて開催された「メカニックデザイナー 大河原邦男展」で大河原とのトークショーに登壇し、前述の経緯や参加作品の1つである『[[機動武闘伝Gガンダム]]』(1994年 - 1995年)にまつわるエピソードを明かしている<ref name="gundam.info20160601" />。


== 参加作品 ==
== 参加作品 ==
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| 2008年 |
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* [[亡念のザムド]](メカニックデザイン)
* [[亡念のザムド]](メカニックデザイン)
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=== 漫画 ===
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=== 小説 ===
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| 1995年 |
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* ヴェルベットファイル(メカニックデザイン)
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| 2006年 |
* GALAXY ANGEL II 絶対領域の扉(メカニックデザイン)
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* GALAXY ANGEL II 無限回廊の鍵(メカニックデザイン)
| 2009年 |
* GALAXY ANGEL II 永劫回帰の刻(メカニックデザイン)
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== 外部リンク ==
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2024年3月11日 (月) 00:48時点における版

山根 公利(やまね きみとし、1966年 - )は、日本メカニックデザイナー[1]島根県川本町出身[2]、同県浜田市在住[3]

代表作は『カウボーイビバップ』、『無限のリヴァイアス』、『天空のエスカフローネ』、『ガンダム』シリーズなど[1][3]

来歴

江津工業高校在学中からアニメ誌アニメックに投稿した絵が掲載され、卒業を機にアニメの世界で自分の絵のセンスを試そうとアニメ科がある東京千代田工科芸術専門学校に入学[4][5]新聞奨学生として働きながら2年間通い、絵を学んだ[4][5]。在学中に自分はアニメーターには向いていないと感じ、ガンダムシリーズのデザインを担当した大河原邦男などが先駆者として確立した「メカニックデザイン」という仕事を意識し始める[4][5]

主にSFアニメの制作に関わるアニメーション企画会社アートミックに連絡を取り[注 1]、同社に出入りするようになる[4][6]。20歳で専門学校を卒業すると、そのままアートミックの所属[注 2]となる[7]。そこで荒牧伸志柿沼秀樹園田健一らの指導を受けながら、OVAをメインにアニメーションのメカデザインを行なうようになった[6][7]。またアメリカフランスなど海外との合作作品に参加し、パリに滞在していたこともある[7]

タツノコプロの『新造人間キャシャーン』や『科学忍者隊ガッチャマン』のリメイク版に関わった後、出渕裕に声をかけられて[注 3]機動武闘伝Gガンダム』に企画段階から参加[6]。ガンダムシリーズを制作するアニメスタジオサンライズに出入りするようになって人脈も出来たため、1994年にフリーランスとして独立した[5][6][7]。『Gガンダム』の設定や内容が大きく変更されていく中、誘った方の出渕は途中で降りたものの、山根本人は最後まで継続して関わった[6]。また『Gガンダム』には初代ガンダムのデザイナーだった大河原邦男も参加しており、デザインでは彼の線を真似て描いた部分もある[8]

次に『Gガンダム』のプロデューサーだった南雅彦から『天空のエスカフローネ』のメカデザインをオファーされ、初めて主役ロボットのデザインを担当する[6][7]。ただし、メインデザイナーとなっているものの、監督の河森正治との共同デザインという要素が強い[9]。主役や敵役のロボットの原案は河森であり、基本的な形やデザインコンセプトは彼が考えてラフデザインも出来ていたため、山根は自分の仕事は「スタイリング[注 4]」と語っている[6][11]

『カウボーイビバップ』に企画段階から参加[12]。デザイナーとして初めてメカのコンセプトから作り上げた[13][注 5]。再び南プロデューサーに呼ばれて複数のデザイナーによるオーディションに参加[6]。監督の渡辺信一郎に気に入られて作品に登場するメカのデザインを一任された[5][12]。第19話「ワイルド・ホーセス」ではメカデザイナーというポジションを超え、ストーリーのプロットを山根自身が提案した[14]。作品が大ヒットしたことで、自身もメカニックデザイナーとして知名度を上げた[5]

『無限のリヴァイアス』でも初期段階から参加し、コンセプト作りから手掛けた[15][注 6]

アルジェントソーマ』では、世界観を象徴する人型メカのザルクをはじめ、航空機のほとんどや施設などのデザインを手掛けた[17][注 7]

しかし、その一連の野心的な作品のあと、アニメ業界全体でメカデザインが固定化し始め、自由な発想で描いたデザインが通らないことが多くなってきた[5][19]。仕事にマンネリ感や閉塞感を感じ、自分を見つめ直すために一度東京を離れて故郷に戻ってみようと考えるようになった[2][16]。東京の情報の多さは魅力的だったが、自分の良さは情報量の少ない島根で鍛えられたところがあるのではないかと考え、一度自分をリセットしたかったというのも理由の一つだった[2]。そして2000年に34歳で地元の島根に戻ると、結婚して浜田市に広い土地を見つけて家を構えた[5][注 8]。最初はアニメの仕事をやめてもいいという覚悟だったが、インターネットの普及で画像データのやり取りなどが容易になったことで、その後も東京からの仕事のオファーが絶える事はなかった[2][5]

人物・作風

実在する乗り物や兵器、あるいは戦争映画SF映画などから色々とモチーフ的なものを取り入れてデザインした工業的なプロダクトを感じさせるデザインが特徴[2][20]。クリエイターとして常に「前と同じではいけない」「人の真似をしない」ということを考えてデザインしている[2]

戦車艦船に造詣が深い一方、人型ロボットにはあまり興味がない[1][21]。『ガンダムシリーズ』でもモビルスーツを描きたいと思ったことはなく、主役のガンダムをデザインすることもあるが、基本的には艦艇や戦車・装甲車などの車輛が仕事の中心である[21][20]

地方都市で生まれ育ったためテレビのネット局が少なく、漫画やアニメに触れるチャンスもあまりなかったが、逆に島根という情報が絞られた土地で過ごしたからこそメカニックに特化できたのではないかと本人は考えている[2]

メカとの出会いはテレビで見た『スター・ウォーズ』や『スタートレック』『サンダーバード』といった海外のSF映画やSFドラマで、作品に登場する宇宙船のとりことなった[5][22]

小中学生の頃は松本零士の『戦場まんがシリーズ』や新谷かおるの『戦場ロマン・シリーズ』といった「戦記物」の漫画ばかり読んでいた[2][23]

1970年代後半から始まる『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』『超時空要塞マクロス』などのアニメブームで実在の兵器からアニメメカに興味が移る[5][23]

アニメ作品では、ドラマとしては富野由悠季作品が一番好きで、SF好きということもあって地に足のついた『機動戦士ガンダム』よりも宇宙規模のスケールの大きな『伝説巨神イデオン』の方が好み[6]

大河原邦男が確立した「メカニックデザイナー」という職業に憧れてアニメ業界に入り、現在でも大河原を目標にしているという[8]

影響を受けた人物は出渕裕と河森正治。出渕は人とのコミュニケーションに積極的で、プロデューサーとして人材を発掘してふさわしい会社に紹介していく部分を尊敬している[6]。河森からはメカニックのデザインや世界観、コンセプトをまとめる考え方を学んだ[6]

趣味は釣り旧車バイクなど[1][16]。チャンスがあれば実際の自動車のデザインもやってみたいと思っている[19]

参加作品

テレビアニメ

1989年
1990年
1994年
1995年
1996年
1998年
1999年
2000年
2002年
2004年
2005年
2006年
2007年
2012年
2014年

OVA

1986年
1991年
1993年
1994年
1996年
2004年
2006年
2009年
2015年

劇場アニメ

1998年
2005年
2010年
2013年
  • SHORT PEACE「武器よさらば」(メカニカルデザイン)
2017年
2021年
2022年
2024年

Webアニメ

2008年

漫画

1994年
  • ダークマドンナ(メカニックデザイン)
1999年
  • カウボーイビバップ(メカニックデザイン)

小説

2001年
  • スターシップ・オペレーターズ(メカニックデザイン)
  • ランブルフィッシュ(メカニックデザイン)

ビデオゲーム

1995年
1997年
  • 天空のエスカフローネ(メカニックデザイン)
1999年
2000年
  • ヴェルベットファイル(メカニックデザイン)
2005年
2006年
  • GALAXY ANGEL II 絶対領域の扉(メカニックデザイン)
2007年
  • GALAXY ANGEL II 無限回廊の鍵(メカニックデザイン)
2009年
  • GALAXY ANGEL II 永劫回帰の刻(メカニックデザイン)

脚注

注釈

  1. ^ アニメ『メガゾーン23』の設定資料本に電話番号が載っていた。
  2. ^ 福利厚生のある雇用ではなく籍だけを置くかたち。
  3. ^ 山根の他の作品での仕事を見て誘ったという。
  4. ^ デザインを元にしたアレンジのこと。アニメにおいてデザインと呼べるのは基本コンセプトから創ったもののみで、ある程度形が出来ているものをアレンジするのはスタイリングだという考え方[10]
  5. ^ アートミック時代は柿沼秀樹や荒巻伸志、『エスカフローネ』は河森正治のコンセプトの下で仕事をしていた[13]
  6. ^ 「ヴァイタルガーダー」などの登場メカの名称も考えた[16]
  7. ^ ただし、ザルクのデザインは片山一良監督のイメージがかなり出来上がっていて、そこにメカ的な説得力を加える仕事だった[17]。航空機も片山監督のアイデアスケッチがあった[18]
  8. ^ 車を趣味にしていることもあり、そこならガレージも作れるので、趣味を活かせて仕事に対する「転換点」にもなるのではないかと考えた[2]
  9. ^ 英題は『Shadow Squadron』。

出典

  1. ^ a b c d メカ図鑑 2008, p. 189.
  2. ^ a b c d e f g h i 「ビバップ」山根公利&IZM designworks・直良有祐が語る「島根で働く」ということ―島根クリエイター対談”. インサイド. イード (2020年1月10日). 2024年3月11日閲覧。
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参考文献

外部リンク