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'''山根 公利'''(やまね きみとし、[[1966年]] - )は、[[日本]]の[[メカニックデザイナー]]{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=189}}。[[島根県]][[川本町]]出身<ref name="inside126752">{{cite web|url=https://www.inside-games.jp/article/2020/01/10/126752.html |author= |title=「ビバップ」山根公利&IZM designworks・直良有祐が語る「島根で働く」ということ―島根クリエイター対談 |date=2020-01-10 |accessdate= 2024-03-11|website=[[インサイド (ニュースサイト)|インサイド]]|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>、同県[[浜田市]]在住<ref name="nikkei20220405">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC159MT0V10C22A3000000/ |title=アニメの「メカ」地方で描く 自身の原点、作品に込める - Myway - 島根 |website=日経新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2022-04-05 |accessdate=2023-11-22 |url-access=subscription}}初出:『[[日経産業新聞]]』2022年4月5日、働き方 面。</ref>。 |
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代表作は『[[カウボーイビバップ]]』、『[[無限のリヴァイアス]]』、『[[天空のエスカフローネ]]』、『[[ガンダム]]』シリーズなど{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=189}}<ref name="nikkei20220405"/>。 |
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== 来歴 == |
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[[江津工業高校]]在学中から[[アニメ雑誌|アニメ誌]][[アニメック]]に投稿した絵が掲載され、卒業を機にアニメの世界で自分の絵のセンスを試そうとアニメ科がある[[東京]]の[[千代田工科芸術専門学校]]に入学{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=191}}<ref name="asahi20200302">{{Cite news|url =https://www.asahi.com/articles/ASN3174WPN2XPTIB00Z.html |author=市野塊 |title=「オリジナルのメカを」 デザイナー山根公利さん|newspaper = [[朝日新聞]]|date =2020-03-02 |accessdate= 2024-03-11}}</ref>。[[新聞奨学生]]として働きながら2年間通い、絵を学んだ{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=191}}<ref name="asahi20200302"/>。在学中に自分は[[アニメーター]]には向いていないと感じ、[[ガンダムシリーズ一覧|ガンダムシリーズ]]のデザインを担当した[[大河原邦男]]などが先駆者として確立した「[[メカニックデザイン]]」という仕事を意識し始める{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=191}}<ref name="asahi20200302"/>。 |
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『[[宇宙戦艦ヤマト]]』を見て育ったことから、島根県内の[[工業高校]]卒業後に上京して、[[アニメーション]]を学べる[[専門学校]]に入学した<ref name="nikkei20220405" />。子供時代に戦記物をよく読んでいたこともあって描く対象は[[軍艦]]や[[航空機]]が多く<ref name="nikkei20220405" />、[[大河原邦男]]が築いた「メカニックデザイナー」という職業に憧れ<ref name="gundam.info20160601">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.gundam.info/news/event/news_event_20160601_15715p.html |title=メカニックデザイナー 大河原邦男展「大河原邦男×山根公利 トークショー」レポート |website=GUNDAM.INFO |publisher=バンダイナムコフィルムワークス |date=2016-06-01 |accessdate=2023-11-22}}</ref>、専門学校卒業後は作品を[[アートミック]]社に持ち込んでメカニックデザイナーとしてデビューし、同社の倒産後は[[フリーランス]]として活動している<ref name="gundam.info20160518" />。 |
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主に[[SFアニメ]]の制作に関わるアニメーション企画会社[[アートミック]]に連絡を取り{{efn2|アニメ『[[メガゾーン23]]』の設定資料本に電話番号が載っていた。}}、同社に出入りするようになる{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=191}}<ref name="sunrise-world1">{{cite web|url=https://sunrise-world.net/feature/feature.php?id=9412 |author= |title=クリエイターインタビュー 第17回 『カウボーイビバップ』メカニカルデザイン 山根公利<前編> |date=2023-05-10 |accessdate= 2024-03-11|website=サンライズワールド|publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]}}</ref>。20歳で専門学校を卒業すると、そのままアートミックの所属{{efn2|[[福利厚生]]のある雇用ではなく籍だけを置くかたち。}}となる{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。そこで[[荒牧伸志]]や[[柿沼秀樹]]、[[園田健一]]らの指導を受けながら、[[OVA]]をメインにアニメーションのメカデザインを行なうようになった<ref name="sunrise-world1"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。また[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[フランス]]など海外との[[合作]]作品に参加し、[[パリ]]に滞在していたこともある{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。 |
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[[タツノコプロ]]の『[[新造人間キャシャーン]]』や『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』の[[リメイク]]版に関わった後、[[出渕裕]]に声をかけられて{{efn2|山根の他の作品での仕事を見て誘ったという。}}『[[機動武闘伝Gガンダム]]』に企画段階から参加<ref name="sunrise-world1"/>。ガンダムシリーズを制作する[[アニメスタジオ]]の[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]に出入りするようになって人脈も出来たため、1994年に[[フリーランス]]として独立した<ref name="asahi20200302"/><ref name="sunrise-world1"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。『Gガンダム』の設定や内容が大きく変更されていく中、誘った方の出渕は途中で降りたものの、山根本人は最後まで継続して関わった<ref name="sunrise-world1"/>。また『Gガンダム』には初代ガンダムのデザイナーだった大河原邦男も参加しており、デザインでは彼の線を真似て描いた部分もある<ref name="gundam.info20160601">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.gundam.info/news/event/news_event_20160601_15715p.html |title=メカニックデザイナー 大河原邦男展「大河原邦男×山根公利 トークショー」レポート |website=GUNDAM.INFO |publisher=バンダイナムコフィルムワークス |date=2016-06-01 |accessdate=2023-11-22}}</ref>。 |
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次に『Gガンダム』のプロデューサーだった[[南雅彦]]から『天空のエスカフローネ』のメカデザインをオファーされ、初めて主役ロボットのデザインを担当する<ref name="sunrise-world1"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=192}}。ただし、メインデザイナーとなっているものの、監督の[[河森正治]]との共同デザインという要素が強い{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=50}}。主役や敵役のロボットの原案は河森であり、基本的な形やデザインコンセプトは彼が考えてラフデザインも出来ていたため、山根は自分の仕事は「スタイリング{{efn2|デザインを元にしたアレンジのこと。アニメにおいてデザインと呼べるのは基本コンセプトから創ったもののみで、ある程度形が出来ているものをアレンジするのはスタイリングだという考え方{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=199}}。}}」と語っている<ref name="sunrise-world1"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|pp=192-193}}。 |
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『カウボーイビバップ』に企画段階から参加{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=193}}。デザイナーとして初めてメカのコンセプトから作り上げた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=18}}{{efn2|アートミック時代は柿沼秀樹や荒巻伸志、『エスカフローネ』は河森正治のコンセプトの下で仕事をしていた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=18}}。}}。再び南プロデューサーに呼ばれて複数のデザイナーによるオーディションに参加<ref name="sunrise-world1"/>。監督の[[渡辺信一郎 (アニメ監督)|渡辺信一郎]]に気に入られて作品に登場するメカのデザインを一任された<ref name="asahi20200302"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=193}}。第19話「ワイルド・ホーセス」ではメカデザイナーというポジションを超え、ストーリーの[[プロット (物語)|プロット]]を山根自身が提案した{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=40}}。作品が大ヒットしたことで、自身もメカニックデザイナーとして知名度を上げた<ref name="asahi20200302"/>。 |
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『無限のリヴァイアス』でも初期段階から参加し、コンセプト作りから手掛けた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=82}}{{efn2|「ヴァイタルガーダー」などの登場メカの名称も考えた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=201}}。}}。 |
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『[[アルジェントソーマ]]』では、世界観を象徴する人型メカのザルクをはじめ、[[航空機]]のほとんどや施設などのデザインを手掛けた{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=86}}{{efn2|ただし、ザルクのデザインは[[片山一良 (アニメ監督)|片山一良]]監督のイメージがかなり出来上がっていて、そこにメカ的な説得力を加える仕事だった{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=86}}。航空機も片山監督のアイデアスケッチがあった{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=95}}。}}。 |
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しかし、その一連の野心的な作品のあと、アニメ業界全体でメカデザインが固定化し始め、自由な発想で描いたデザインが通らないことが多くなってきた<ref name="asahi20200302"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=195}}。仕事にマンネリ感や閉塞感を感じ、自分を見つめ直すために一度東京を離れて故郷に戻ってみようと考えるようになった<ref name="inside126752"/>{{Sfn|メカ図鑑|2008|p=201}}。東京の情報の多さは魅力的だったが、自分の良さは情報量の少ない島根で鍛えられたところがあるのではないかと考え、一度自分をリセットしたかったというのも理由の一つだった<ref name="inside126752"/>。そして2000年に34歳で地元の島根に戻ると、結婚して浜田市に広い土地を見つけて家を構えた<ref name="asahi20200302"/>{{efn2|車を趣味にしていることもあり、そこなら[[ガレージ]]も作れるので、趣味を活かせて仕事に対する「転換点」にもなるのではないかと考えた<ref name="inside126752"/>。}}。最初はアニメの仕事をやめてもいいという覚悟だったが、[[インターネット]]の普及で画像データのやり取りなどが容易になったことで、その後も東京からの仕事のオファーが絶える事はなかった<ref name="inside126752"/><ref name="asahi20200302"/>。 |
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== 人物・作風 == |
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2016年[[5月28日]]には、[[滋賀県]]の[[佐川美術館]]にて開催された「メカニックデザイナー 大河原邦男展」で大河原とのトークショーに登壇し、前述の経緯や参加作品の1つである『[[機動武闘伝Gガンダム]]』(1994年 - 1995年)にまつわるエピソードを明かしている<ref name="gundam.info20160601" />。 |
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* GALAXY ANGEL II 絶対領域の扉(メカニックデザイン) |
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* GALAXY ANGEL II 永劫回帰の刻(メカニックデザイン) |
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2024年3月11日 (月) 00:48時点における版
山根 公利(やまね きみとし、1966年 - )は、日本のメカニックデザイナー[1]。島根県川本町出身[2]、同県浜田市在住[3]。
代表作は『カウボーイビバップ』、『無限のリヴァイアス』、『天空のエスカフローネ』、『ガンダム』シリーズなど[1][3]。
来歴
江津工業高校在学中からアニメ誌アニメックに投稿した絵が掲載され、卒業を機にアニメの世界で自分の絵のセンスを試そうとアニメ科がある東京の千代田工科芸術専門学校に入学[4][5]。新聞奨学生として働きながら2年間通い、絵を学んだ[4][5]。在学中に自分はアニメーターには向いていないと感じ、ガンダムシリーズのデザインを担当した大河原邦男などが先駆者として確立した「メカニックデザイン」という仕事を意識し始める[4][5]。
主にSFアニメの制作に関わるアニメーション企画会社アートミックに連絡を取り[注 1]、同社に出入りするようになる[4][6]。20歳で専門学校を卒業すると、そのままアートミックの所属[注 2]となる[7]。そこで荒牧伸志や柿沼秀樹、園田健一らの指導を受けながら、OVAをメインにアニメーションのメカデザインを行なうようになった[6][7]。またアメリカやフランスなど海外との合作作品に参加し、パリに滞在していたこともある[7]。
タツノコプロの『新造人間キャシャーン』や『科学忍者隊ガッチャマン』のリメイク版に関わった後、出渕裕に声をかけられて[注 3]『機動武闘伝Gガンダム』に企画段階から参加[6]。ガンダムシリーズを制作するアニメスタジオのサンライズに出入りするようになって人脈も出来たため、1994年にフリーランスとして独立した[5][6][7]。『Gガンダム』の設定や内容が大きく変更されていく中、誘った方の出渕は途中で降りたものの、山根本人は最後まで継続して関わった[6]。また『Gガンダム』には初代ガンダムのデザイナーだった大河原邦男も参加しており、デザインでは彼の線を真似て描いた部分もある[8]。
次に『Gガンダム』のプロデューサーだった南雅彦から『天空のエスカフローネ』のメカデザインをオファーされ、初めて主役ロボットのデザインを担当する[6][7]。ただし、メインデザイナーとなっているものの、監督の河森正治との共同デザインという要素が強い[9]。主役や敵役のロボットの原案は河森であり、基本的な形やデザインコンセプトは彼が考えてラフデザインも出来ていたため、山根は自分の仕事は「スタイリング[注 4]」と語っている[6][11]。
『カウボーイビバップ』に企画段階から参加[12]。デザイナーとして初めてメカのコンセプトから作り上げた[13][注 5]。再び南プロデューサーに呼ばれて複数のデザイナーによるオーディションに参加[6]。監督の渡辺信一郎に気に入られて作品に登場するメカのデザインを一任された[5][12]。第19話「ワイルド・ホーセス」ではメカデザイナーというポジションを超え、ストーリーのプロットを山根自身が提案した[14]。作品が大ヒットしたことで、自身もメカニックデザイナーとして知名度を上げた[5]。
『無限のリヴァイアス』でも初期段階から参加し、コンセプト作りから手掛けた[15][注 6]。
『アルジェントソーマ』では、世界観を象徴する人型メカのザルクをはじめ、航空機のほとんどや施設などのデザインを手掛けた[17][注 7]。
しかし、その一連の野心的な作品のあと、アニメ業界全体でメカデザインが固定化し始め、自由な発想で描いたデザインが通らないことが多くなってきた[5][19]。仕事にマンネリ感や閉塞感を感じ、自分を見つめ直すために一度東京を離れて故郷に戻ってみようと考えるようになった[2][16]。東京の情報の多さは魅力的だったが、自分の良さは情報量の少ない島根で鍛えられたところがあるのではないかと考え、一度自分をリセットしたかったというのも理由の一つだった[2]。そして2000年に34歳で地元の島根に戻ると、結婚して浜田市に広い土地を見つけて家を構えた[5][注 8]。最初はアニメの仕事をやめてもいいという覚悟だったが、インターネットの普及で画像データのやり取りなどが容易になったことで、その後も東京からの仕事のオファーが絶える事はなかった[2][5]。
人物・作風
実在する乗り物や兵器、あるいは戦争映画やSF映画などから色々とモチーフ的なものを取り入れてデザインした工業的なプロダクトを感じさせるデザインが特徴[2][20]。クリエイターとして常に「前と同じではいけない」「人の真似をしない」ということを考えてデザインしている[2]。
戦車や艦船に造詣が深い一方、人型ロボットにはあまり興味がない[1][21]。『ガンダムシリーズ』でもモビルスーツを描きたいと思ったことはなく、主役のガンダムをデザインすることもあるが、基本的には艦艇や戦車・装甲車などの車輛が仕事の中心である[21][20]。
地方都市で生まれ育ったためテレビのネット局が少なく、漫画やアニメに触れるチャンスもあまりなかったが、逆に島根という情報が絞られた土地で過ごしたからこそメカニックに特化できたのではないかと本人は考えている[2]。
メカとの出会いはテレビで見た『スター・ウォーズ』や『スタートレック』『サンダーバード』といった海外のSF映画やSFドラマで、作品に登場する宇宙船のとりことなった[5][22]。
小中学生の頃は松本零士の『戦場まんがシリーズ』や新谷かおるの『戦場ロマン・シリーズ』といった「戦記物」の漫画ばかり読んでいた[2][23]。
1970年代後半から始まる『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』『超時空要塞マクロス』などのアニメブームで実在の兵器からアニメメカに興味が移る[5][23]。
アニメ作品では、ドラマとしては富野由悠季作品が一番好きで、SF好きということもあって地に足のついた『機動戦士ガンダム』よりも宇宙規模のスケールの大きな『伝説巨神イデオン』の方が好み[6]。
大河原邦男が確立した「メカニックデザイナー」という職業に憧れてアニメ業界に入り、現在でも大河原を目標にしているという[8]。
影響を受けた人物は出渕裕と河森正治。出渕は人とのコミュニケーションに積極的で、プロデューサーとして人材を発掘してふさわしい会社に紹介していく部分を尊敬している[6]。河森からはメカニックのデザインや世界観、コンセプトをまとめる考え方を学んだ[6]。
趣味は釣り、旧車やバイクなど[1][16]。チャンスがあれば実際の自動車のデザインもやってみたいと思っている[19]。
参加作品
テレビアニメ
- 1989年
-
- 青いブリンク(メカニックデザイン)
- 1990年
-
- 三つ目がとおる(メカニックデザイン)
- 1994年
-
- 機動武闘伝Gガンダム(メカニカルデザイン)
- 1995年
-
- 沈黙の艦隊(メカニカルデザイン)
- 1996年
-
- 天空のエスカフローネ(メカニックデザイン)
- 1998年
- 1999年
- 2000年
-
- アルジェントソーマ(メカニックデザイン)
- 2002年
-
- OVERMANキングゲイナー(メカデザイン)
- 機動戦士ガンダムSEED(メカニカルデザイン)
- 2004年
-
- 機動戦士ガンダムSEED DESTINY(メカニカルデザイン)
- 2005年
-
- CLUSTER EDGE(メカニックデザイン)
- スターシップ・オペレーターズ(メカデザイン)[26]
- タイドライン・ブルー(メカデザイン[27])
- 2006年
-
- ギャラクシーエンジェる〜ん(メカニック原案)
- Ergo Proxy(デザインワークス)
- 2007年
-
- 機神大戦ギガンティック・フォーミュラ(メカニックデザイン)
- 2012年
-
- 宇宙戦艦ヤマト2199(メカニカルデザイン)
- エウレカセブンAO(メカニックデザイン)
- 2014年
-
- ガンダム Gのレコンギスタ(メカニカルデザイン)
OVA
- 1986年
-
- ウォナビーズ(アシスタントメカニックデザイン)
- 1991年
-
- DETONATORオーガン(プロダクションデザイン)
- 1993年
-
- ジェノサイバー 虚界の魔獣(プロダクションデザイン)
- 1994年
-
- GATCHAMAN(メカニックデザイン)
- 1996年
-
- 機動戦士ガンダム 第08MS小隊(メカニカルデザイン)
- 2004年
-
- 機動戦士ガンダム MS IGLOO(デザインワークス)
- 2006年
-
- 機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER(メカニカルデザイン)
- 2009年
-
- リング・オブ・ガンダム(デザイン)
- 2015年
-
- 機動戦士ガンダム THE ORIGIN(メカニカルデザイン)
劇場アニメ
- 1998年
-
- スプリガン(メカニック設定)
- 2005年
- 2010年
-
- いばらの王 -King of Thorn-(メカニックデザイン)
- 2013年
-
- SHORT PEACE「武器よさらば」(メカニカルデザイン)
- 2017年
- 2021年
-
- 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(メカニカルデザイン[29])
- 2022年
-
- 機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島(メカニカルデザイン)
- 2024年
-
- 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM(メカニカルデザイン[30][31])
Webアニメ
- 2008年
-
- 亡念のザムド(メカニックデザイン)
漫画
- 1994年
-
- ダークマドンナ(メカニックデザイン)
- 1999年
-
- カウボーイビバップ(メカニックデザイン)
小説
- 2001年
-
- スターシップ・オペレーターズ(メカニックデザイン)
- ランブルフィッシュ(メカニックデザイン)
ビデオゲーム
- 1995年
- 1997年
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- 天空のエスカフローネ(メカニックデザイン)
- 1999年
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- パンツァーフロント(戦車デザイン)
- 2000年
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- ヴェルベットファイル(メカニックデザイン)
- 2005年
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- カウボーイビバップ 追憶の夜曲(メカニックデザイン)
- 2006年
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- GALAXY ANGEL II 絶対領域の扉(メカニックデザイン)
- 2007年
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- GALAXY ANGEL II 無限回廊の鍵(メカニックデザイン)
- 2009年
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- GALAXY ANGEL II 永劫回帰の刻(メカニックデザイン)
脚注
注釈
- ^ アニメ『メガゾーン23』の設定資料本に電話番号が載っていた。
- ^ 福利厚生のある雇用ではなく籍だけを置くかたち。
- ^ 山根の他の作品での仕事を見て誘ったという。
- ^ デザインを元にしたアレンジのこと。アニメにおいてデザインと呼べるのは基本コンセプトから創ったもののみで、ある程度形が出来ているものをアレンジするのはスタイリングだという考え方[10]。
- ^ アートミック時代は柿沼秀樹や荒巻伸志、『エスカフローネ』は河森正治のコンセプトの下で仕事をしていた[13]。
- ^ 「ヴァイタルガーダー」などの登場メカの名称も考えた[16]。
- ^ ただし、ザルクのデザインは片山一良監督のイメージがかなり出来上がっていて、そこにメカ的な説得力を加える仕事だった[17]。航空機も片山監督のアイデアスケッチがあった[18]。
- ^ 車を趣味にしていることもあり、そこならガレージも作れるので、趣味を活かせて仕事に対する「転換点」にもなるのではないかと考えた[2]。
- ^ 英題は『Shadow Squadron』。
出典
- ^ a b c d メカ図鑑 2008, p. 189.
- ^ a b c d e f g h i “「ビバップ」山根公利&IZM designworks・直良有祐が語る「島根で働く」ということ―島根クリエイター対談”. インサイド. イード (2020年1月10日). 2024年3月11日閲覧。
- ^ a b "アニメの「メカ」地方で描く 自身の原点、作品に込める - Myway - 島根". 日経新聞. 日本経済新聞社. 2022年4月5日. 2023年11月22日閲覧。初出:『日経産業新聞』2022年4月5日、働き方 面。
- ^ a b c d メカ図鑑 2008, p. 191.
- ^ a b c d e f g h i j k 市野塊 (2020年3月2日). “「オリジナルのメカを」 デザイナー山根公利さん”. 朝日新聞 2024年3月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “クリエイターインタビュー 第17回 『カウボーイビバップ』メカニカルデザイン 山根公利<前編>”. サンライズワールド. サンライズ (2023年5月10日). 2024年3月11日閲覧。
- ^ a b c d e メカ図鑑 2008, p. 192.
- ^ a b "メカニックデザイナー 大河原邦男展「大河原邦男×山根公利 トークショー」レポート". GUNDAM.INFO. バンダイナムコフィルムワークス. 2016年6月1日. 2023年11月22日閲覧。
- ^ メカ図鑑 2008, p. 50.
- ^ メカ図鑑 2008, p. 199.
- ^ メカ図鑑 2008, pp. 192–193.
- ^ a b メカ図鑑 2008, p. 193.
- ^ a b メカ図鑑 2008, p. 18.
- ^ メカ図鑑 2008, p. 40.
- ^ メカ図鑑 2008, p. 82.
- ^ a b c メカ図鑑 2008, p. 201.
- ^ a b メカ図鑑 2008, p. 86.
- ^ メカ図鑑 2008, p. 95.
- ^ a b メカ図鑑 2008, p. 195.
- ^ a b メカ図鑑 2008, p. 194.
- ^ a b メカ図鑑 2008, p. 103.
- ^ メカ図鑑 2008, p. 198.
- ^ a b メカ図鑑 2008, p. 190.
- ^ “カウボーイビバップ : 作品情報”. アニメハック. 2020年12月3日閲覧。
- ^ “無限のリヴァイアス :作品情報”. アニメハック. 2020年5月27日閲覧。
- ^ “スターシップ・オペレーターズ : 作品情報”. アニメハック. 2020年10月14日閲覧。
- ^ “タイドライン・ブルー”. テレコム・アニメーションフィルム. 2016年6月3日閲覧。
- ^ “『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス』に続くノイタミナムービー第2弾「Project Itoh」『虐殺器官』メインキャスト発表!”. M-ON! Press. (2015年7月23日) 2015年7月24日閲覧。
- ^ “「ガンダム 閃光のハサウェイ」前売り特典にポストカード、40周年イラストを使用”. コミックナタリー (ナターシャ). (2019年7月18日) 2019年7月18日閲覧。
- ^ “STAFF”. 劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』公式サイト. バンダイナムコフィルムワークス. 2023年7月3日閲覧。
- ^ “劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』2024年1月26日全国ロードショー決定!ティザービジュアル&第1弾PV公開!”. GUNDAM.INFO. バンダイナムコフィルムワークス (2023年7月2日). 2023年7月3日閲覧。
参考文献
- 山根公利『山根公利 メカ図鑑』エムディエヌコーポレーション、2008年1月20日。
外部リンク
- 山根公利 (yamanekimitoshi) - Facebook
- 山根公利メカニックデザイン集「モノGRAPH」公式 (@yamanemonograph) - X(旧Twitter)