「天孫降臨」の版間の差分
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Capellanor (会話 | 投稿記録) →第九段一書(二): 訂正、リンク改善、重複除去 |
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[[画像:天孫降臨 Tensonkorin 日本国開闢由来記2.jpg|thumb|300px|[[歌川国芳]]画『日本国開闢由来記』巻二「{{ruby|天津日子番能邇邇芸命|あまつひこほのににぎのみこと}}{{ruby|降臨於筑紫日向之高千穂槵触峰図|つくしひむかのたかちほのくしふるがたけにあまくだりたまふづ}}」]] |
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{{告知|議論|[[ノート:天孫降臨#「考察」の節について]]で「[[#考察]]」の節の内容の適切さについて、[[ノート:天孫降臨#「日向の襲」について]]で日向の襲の出典の適切さについて}} |
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⚫ | {{読み仮名_ruby不使用|'''天孫降臨'''|てんそんこうりん}}とは、'''[[天孫族]]'''の{{ruby|[[ニニギ|邇邇芸命]]|ににぎのみこと}}が、[[タカミムスビ|高皇産霊尊]]の意嚮によって<ref> 『日本書紀』第九段本文</ref>、もしくは[[天照大神|天照大御神]]の'''[[神勅]]'''を受けて<ref>『日本書紀』第九段一書</ref>[[葦原中国|葦原の中津国]]を治めるために、[[高天原]]から[[筑紫]]の[[日向]]の[[熊襲|襲]]<ref>{{Cite book |和書 |url=https://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E8%A5%B2-55947 |title=熊襲 くまそ |publisher=[[コトバンク]] |author=[[小学館]] [[大辞泉]] }}</ref><ref>{{Cite book |和書 |url=https://kotobank.jp/word/%E8%A5%B2%E5%9B%BD-554978 |title=襲国 |publisher=コトバンク }}</ref>の[[高千穂峰]]へ{{ruby|天降|あまくだ}}ったこと{{efn2|[[神武天皇]]「昔我天神高皇産霊尊大日孁尊挙此豊葦原瑞穂国而授我天祖彦火瓊瓊杵尊。」(日本書紀第3巻)<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563100/2 日本書紀 30巻.] 国立国会図書館</ref>とある。昔に、[[天津神・国津神|天神]]、高皇産霊尊、大日孁尊はこの豊葦原瑞穂国を、私の先祖である瓊瓊杵尊にお与えになった、という意味<ref> [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1159875/6 訓読日本書紀. 中] [[黒板勝美]] (岩波書店) p.7 [[国立国会図書館]]</ref>。}}。邇邇芸命は天照大御神から授かった[[三種の神器]]をたずさえ、{{ruby|[[天児屋命]]|あまのこやねのみこと}}などの神々{{efn2|これらの神々を「三十二神」と総称することがある<ref>{{cite journal|和書|author=宮川了篤 |title=平成二十二年一月二十七日 最終講義 日蓮宗修法史概説 (宮川了篤先生退職記念号) |journal=身延論叢 |ISSN=13422715 |publisher=身延山大学仏教学会 |date=2011-03 |issue=16 |pages=15-16 |doi=10.15054/00000290 |CRID=1390009224530243072 |url=https://minobu.repo.nii.ac.jp/records/327}}</ref><ref>{{cite book|和書|author=平凡社 |title=神道大辞典 : 3巻 第二卷 |publisher=平凡社 |page=125 |date=1941 |url=https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I1913348 |id={{NDLJP|1913348}} |doi=10.11501/1913348 |quote=国立国会図書館デジタルコレクション}}</ref>。}}を連れて、高天原から地上へと向かう。途中、{{ruby|[[猿田毘古神]]|さるたひこのかみ}}が案内をした。『[[記紀]](古事記と日本書紀)』に記された[[日本神話]]である。 |
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{{Redirect|天孫|『[[新撰姓氏録]]』における[[氏族]]の分類の一つである天孫|天孫族#新撰姓氏録における天孫族|[[琉球王国]]における神話伝説上の最初の王統|天孫氏}} |
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[[ファイル:天孫降臨 Tensonkorin 日本国開闢由来記2.jpg|thumb|[[歌川国芳]]『日本国開闢由来記』巻二より天孫降臨の図]] |
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[[File:Ninigi otokawa.png|thumb|音川安親編 万物雛形画譜]] [[ファイル:Takachiho-gawara Kirishima City Kagoshima Pref04n4050.jpg|thumb|[[高千穂河原]]の天孫降臨神籬斎場]] |
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⚫ | {{読み仮名_ruby不使用|'''天孫降臨'''|てんそんこうりん}}とは、'''天孫'''の{{ruby|[[ニニギ|邇邇 |
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== 古事記 == |
== 古事記 == |
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=== 天孫邇邇 |
=== 天孫邇邇芸命の誕生 === |
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天照大御神と |
天照大御神と高木神(高御産巣日神)は、天照大御神の子である[[アメノオシホミミ|天忍穂耳命]]に、「葦原中国平定が終わったので、以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」(「今平訖葦原中国矣 故汝当依命下降而統之」『[[古事記]]』)と言った。 |
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天忍穂耳命は、「天降りの準備をしている間に、子の |
天忍穂耳命は、「天降りの準備をしている間に、子の邇邇芸命が生まれたので、この子を降すべきでしょう」(「僕者将降装束之間 生一子 其名天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命 此子応降也」『古事記』)と答えた。邇邇芸命は、天忍穂耳命と高木神の娘の[[栲幡千千姫命|万幡豊秋津師比売命]]との間の子である。 |
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それで二神は、邇邇 |
それで二神は、邇邇芸命に葦原の中つ国の統治を委任し、天降りを命じた。 |
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=== 猿田毘古 === |
=== 猿田毘古 === |
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邇邇 |
邇邇芸命が天降りをしようとすると、天の{{ruby|八衢|やちまた}}に、高天原から葦原の中つ国までを照らす神がいた。そこで天照大御神と高木神は[[アメノウズメ|天宇受売命]]に、その神に誰なのか尋ねるよう命じた。その神は[[国津神]]の[[サルタヒコ|猿田毘古神]]で、天津神の御子が天降りすると聞き先導のため迎えに来たのであった。 |
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=== 天孫降臨 === |
=== 天孫降臨 === |
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邇邇 |
邇邇芸命の天降りに、天児屋命、[[フトダマ|布刀玉命]]、天宇受売命、[[イシコリドメ|伊斯許理度売命]]、[[玉祖命]]の{{ruby|五伴緒|いつとものお}}が従うことになった。 |
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さらに、天照大御神は |
さらに、天照大御神は三種の神器と[[オモイカネ|思金神]]、[[アメノタヂカラオ|手力男神]]、[[天石門別神]]を副え、「この鏡を私の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」と言った。 |
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八咫鏡と思金神は[[伊勢神宮]]に祀ってある。[[トヨウケビメ|登由宇気神]]は伊勢神宮の外宮に鎮座する。天石門別神は、別名を櫛石窓神、または豊石窓神と言い、御門の神である。手力男神は佐那那県 |
八咫鏡と思金神は[[伊勢神宮]]に祀ってある。[[トヨウケビメ|登由宇気神]]は伊勢神宮の外宮に鎮座する。天石門別神は、別名を櫛石窓神、または豊石窓神と言い、御門の神である。手力男神は{{ruby|佐那那県|さなながた}}に鎮座する。 |
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天児屋命は[[中臣氏|中臣連]] |
天児屋命は{{ruby|[[中臣氏|中臣連]]|なかとみのむらじ}}らの、布刀玉命は{{ruby|[[忌部氏|忌部首]]|いむべのおびと}}らの、天宇受売命は{{ruby|[[猿女氏|猿女君]]|さるめのきみ}}らの、伊斯許理度売命は{{ruby|作鏡連|かがみつくりのむらじ}}らの、玉祖命は{{ruby|玉祖連|たまのおやのむらじ}}らの、それぞれ祖神である。 |
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邇邇 |
邇邇芸命は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の[[高千穂]]の{{ruby|久士布流多気|くじふるたけ}}に天降った。 |
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[[天忍日命]]と[[天津久米命]]が武装して先導した。天忍日命は[[大伴氏|大伴連]] |
[[天忍日命]]と[[天津久米命]]が武装して先導した。天忍日命は{{ruby|[[大伴氏|大伴連]]|おほとものむらじ}}らの、天津久米命は{{ruby|[[久米氏|久米直]]|くめのあたひ}}らの、それぞれ祖神である。邇邇芸命は「この地は{{ruby|韓国|からくに}}に向かい、{{ruby|笠沙|かささ}}の岬まで真の道が通じていて、朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。それで、ここはとても良い土地である」と言って、そこに宮殿を建てて住むことにした。 |
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=== 猿田毘古と天宇受売 === |
=== 猿田毘古と天宇受売 === |
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邇邇 |
邇邇芸命は天宇受売命に、猿田毘古神を送り届けて、その神の名を負って仕えるよう言った。それで、猿田毘古神の名を負って猿女君と言うのである。 |
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猿田毘古神は、阿耶訶 |
猿田毘古神は、{{ruby|阿耶訶|あざか}}で漁をしている時に比良夫貝に手を挟まれて溺れてしまった。底に沈んでいる時の名を底度久御魂といい、泡粒が立ち上る時の名を都夫多都御魂といい、その泡が裂ける時の名を阿和佐久御魂という。 |
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天宇受売命が猿田毘古神を送って帰ってきて、あらゆる魚を集めて天津神の御子(邇邇 |
天宇受売命が猿田毘古神を送って帰ってきて、あらゆる魚を集めて天津神の御子(邇邇芸命)に仕えるかと聞いた。多くの魚が仕えると答えた中で[[ナマコ]]だけが答えなかった。そこで天宇受売命は「この口は答えない口か」と言って小刀で口を裂いてしまった。それで今でもナマコの口は裂けているのである。 |
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=== 木花之佐久夜毘売と石長比売 === |
=== 木花之佐久夜毘売と石長比売 === |
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邇邇 |
邇邇芸命は笠沙の岬で美しい娘に逢った。娘は[[大山津見神]]の子で名を神阿多都比売、別名を[[木花之佐久夜毘売]]といった。邇邇芸命が求婚すると父に訊くようにと言われた。そこで父である大山津見神に尋ねると大変喜び、姉の[[石長比売]]とともに差し出した。しかし、石長比売はとても醜かったので、邇邇芸命は石長比売を送り返し、木花之佐久夜毘売だけと結婚した。 |
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大山津見神は「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇 |
大山津見神は「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと{{ruby|[[うけい|誓約]]|うけひ}}をしたからである。木花之佐久夜毘売だけと結婚したので、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」(「我之女二並立奉者有因 使石長姫者 天神御子之命雖雪零風吹 恒可如石而常堅不動坐 亦使木花之佐久夜姫者 如木花之栄栄坐 因立此誓者而使二女貢進 今汝令返石長姫而独留木花之佐久夜姫 故今後天神御子之御寿者 将如木花之稍縦即逝矣」『古事記』)と言った。それで、現在でも天津神の御子の寿命は長くないのである。 |
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== 日本書紀 == |
== 日本書紀 == |
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(注)[[日本書紀]]の本文と一書 |
(注)[[日本書紀]]の本文と{{ruby|一書|あるふみ}}について:本文の後に注の形で「一書に曰く」として多くの異伝を書き留めている。本文と異なる異伝も併記するという編纂方針。ここではまず本文を説明した後、各一書を説明する。 |
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===本文=== |
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『 |
『日本書紀』の'''第九段本文'''では、天照大神の{{ruby|子|みこ}}{{ruby|正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊|まさかあかつかちはやひあめのおしほみみ}}が、{{ruby|高皇産霊尊|たかみむすひ}}の{{ruby|女|むすめ}}{{ruby|幡千千姫|たくはたちぢひめ}}を娶りて{{ruby|天津彦彦火瓊瓊杵尊|あまつひこひこほのににぎ}}を生む。 |
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高皇産霊尊は、皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を葦原中国の{{ruby|主|きみ}}とするために、葦原中国の「{{ruby|邪鬼|あしきもの}}」をはらう手立てを八十諸神と相談して講じていた<ref>{{cite book|和書|author=黒板勝美 |title=訓読日本書紀. 上巻 |series=岩波文庫 |issue=上巻 |publisher=岩波書店 |date=1943-04 |url=https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003990511 |id={{NDLJP|1904260}} |doi=10.11501/1904260 |quote=国立国会図書館デジタルコレクション}}</ref>。([[国譲り#日本書紀(巻第二 神代下・第九段)|国譲り]]) |
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=== 第九段一書(一)=== |
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# 天鈿女命:胸をあらわにし、衣の紐を臍(へそ)の下まで押し下げあざ笑い、衢神に向かい立つ。→ 衢神猿田彦:「天鈿女、汝の為す(そんなことをする)は何の故ぞ」と尋ねた。 |
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# 天鈿女命: |
# 天鈿女命:胸をあらわにし、衣の紐を{{ruby|臍|へそ}}の下まで押し下げあざ笑い、衢神に向かい立つ。→ 衢神猿田彦:「天鈿女、汝の為す(そんなことをする)は何の故ぞ」と尋ねた。 |
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# 天鈿女命:「汝、我を{{ruby|将|い}}て{{ruby|先|さきだち}}て行くか、それとも、我、汝に先て行くか」→ 衢神猿田彦:「我、先て{{ruby|啓|みちひらき}}て行かん」 |
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衢神猿田彦は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に辿り着き、天鈿女命は衢神猿田彦の乞う所の随に送り届けた。そこで皇孫は天鈿女命に、「汝は素性を明らかにした神の名をもって姓氏とせよ」と勅し、これによって猿女君の名を授かった、とある。 |
衢神猿田彦は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に辿り着き、天鈿女命は衢神猿田彦の乞う所の随に送り届けた。そこで皇孫は天鈿女命に、「汝は素性を明らかにした神の名をもって姓氏とせよ」と勅し、これによって猿女君の名を授かった、とある。 |
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前半は天照大神が取り仕切る天壌無窮の神勅であり、後半は天鈿女命と猿田彦の問答がメインとなる。 |
前半は天照大神が取り仕切る天壌無窮の神勅であり、後半は天鈿女命と猿田彦の問答がメインとなる。 |
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=== 第九段一書(二)=== |
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'''第九段一書(二)'''では、この時、高皇産霊尊は〜中略〜とあり、以下の神を○○作りと定めた。 |
'''第九段一書(二)'''では、この時、高皇産霊尊は〜中略〜とあり、以下の神を○○作りと定めた。 |
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* 紀国 |
* {{ruby|紀国|きのくに}}の忌部の遠祖の{{ruby|[[手置帆負神]]|たおきほおい}}:{{ruby|作笠者|かさぬい}}と定める |
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* [[彦 |
* {{ruby|[[彦狭知神]]|ひこさち}}:{{ruby|作盾者|たてぬい}}と定める |
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* [[天目一箇神]] |
* {{ruby|[[天目一箇神]]|あまのまひとつ}}:{{ruby|作金者|かなだくみ}}と定める |
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* [[天日鷲神]] |
* {{ruby|[[天日鷲神]]|あまのひわし}}:{{ruby|作木綿者|ゆうつくり}}と定める |
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* |
* {{ruby|櫛明玉神|くしあかるたま}}:{{ruby|作玉者|たまつくり}}と定める |
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そして太玉命をして、弱肩 |
そして太玉命をして、{{ruby|弱肩|やわかた}}に{{ruby|太手繦|ふとだすき}}{{ruby|被|とりか}}けて{{ruby|御手代|みてしろ}}(代表者)とした。また、{{ruby|天児屋命|あまのこやねのみこと}}は{{ruby|神事|かむこと}}を司る神であった為、{{ruby|[[太占]]|ふとまに}}の{{ruby|卜事|うらこと}}によって仕え奉らしむ、とある。 |
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続いて高皇産霊尊は、「我、則ち天津神籬 |
続いて高皇産霊尊は、「我、則ち{{ruby|天津神籬|あまつひもろき}}及び{{ruby|天津磐境|あまついわさか}}を起したてて、まさに我が皇孫の為に祭祀奉らん。{{ruby|汝|いまし}}天児屋命・太玉命は、{{ruby|宜|よろ}}しく天津神籬を{{ruby|持|たも}}ちて、葦原の中つ国に降りて、また我が皇孫の為に祭祀奉られよ」と{{ruby|勅|みことのり}}す。{{ruby|二神|ふたはしらのかみ}}を{{ruby|遣|つか}}わして{{ruby|天忍穂耳尊|あまのおしほみみ}}に従わせて{{ruby|降|あまくだ}}らす、とある。 |
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この時、天照大神は手に宝鏡 |
この時、天照大神は手に{{ruby|宝鏡|たからのかがみ}}を持ち、天忍穂耳尊に授けて、「我が御子よ、宝鏡を視ること、まさに{{ruby|猶|なお}}我を視るが如くすべし。{{ruby|與|とも}}に床を同じくし御殿を共にし、以ちて祭祀の鏡とされよ。」と祝福した。また、天児屋命・太玉命に、「{{ruby|惟|これ}}{{ruby|爾|いまし}}二柱の神、{{ruby|亦|また}}{{ruby|同|とも}}に殿の内に{{ruby|侍|さぶら}}いて、善く防ぎ護るをいたせ」と勅す。また、「我が高天原に{{ruby|所御|きこしめ}}す{{ruby|斎庭|ゆにわ}}の{{ruby|穂|いなほ}}を以ちて、また、まさに我が御子に{{ruby|御|しら}}せまつるべし。」と勅す、とある。 |
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そして、高皇産霊尊の女 |
そして、高皇産霊尊の{{ruby|女|むすめ}}名は{{ruby|万幡姫|よろづはたひめ}}を天忍穂耳尊に{{ruby|配|あわ}}せて妃とさせ、{{ruby|降|あまくだ}}らせた。その途中に{{ruby|虚天|あめ}}に{{ruby|居|いま}}して天津彦火瓊瓊杵尊が生まれた為、この皇孫を親に代わって降らせようと考え、天児屋命・太玉命及び{{ruby|諸氏族|もろとものおのかみ}}の神々を悉く、皆、相い授けき。また、{{ruby|服御之物|みそつもの}}、{{ruby|一|もはら}}{{ruby|前|さき}}に依りて授ける。そうした後に天忍穂耳尊はまた天に還る、とある。 |
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それから、天津彦火瓊瓊杵尊は日向の日 |
それから、天津彦火瓊瓊杵尊は日向の{{ruby|日|くしひ}}の高千穗の{{ruby|峯|たけ}}に降り立ち、{{ruby|膂宍|そしし}}の{{ruby|胸副国|むなそうくに}}を{{ruby|頓丘|ひたお}}から{{ruby|国覓|ま}}ぎ{{ruby|行去|とお}}りて、{{ruby|浮渚在平地|うきじまりたひら}}に立った。そして、{{ruby|国主|くにのぬし}}事勝国勝長狭を召して{{ruby|訪|と}}う。すると彼は「{{ruby|是|ここ}}に国有り、取り捨て勅の{{ruby|随|まにま}}に。(どうぞご自由に)」と答えた。 |
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そこで皇孫は宮殿を立て、そこで遊息 |
そこで皇孫は宮殿を立て、そこで{{ruby|遊息|やす}}んだ後、海辺に進んで一人の{{ruby|美人|をとめ}}を見かけた。皇孫が、「{{ruby|汝|いまし}}{{ruby|是|これ}}誰が子ぞ。」と尋ねると、「{{ruby|妾|やつこ}}は{{ruby|是|これ}}{{ruby|大山祇神|おおやまつみ}}が子、名は神吾田鹿葦津姫、またの名は木花開耶姫。」と答え、さらに、「また、我が{{ruby|姉|いろね}}{{ruby|磐長姫|いわながひめ}}在り。」と申し上げた。皇孫が、「我、{{ruby|汝|いまし}}を以ちて妻となさんと{{ruby|欲|おも}}う、{{ruby|如之何|いかに}}。」と尋ねると、「妾が{{ruby|父|かぞ}}{{ruby|大山祇神|おおやまつみのかみ}}在り。{{ruby|請|ねが}}わくは{{ruby|垂問|と}}いたまえ。」と答えた。 |
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皇孫がそこで大山祇神に、 |
皇孫がそこで大山祇神に、「我、{{ruby|汝|いまし}}の女子(むすめ)を見る。以ちて妻とせんと欲う。」と語ると、大山祇神は二女(ふたりのむすめ)をして{{ruby|百机飲食|ももとりのつくえもの}}を持たしめて{{ruby|奉進|たてまつ}}る、とある。 |
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すると皇孫は、姉の方は醜いと思って御 |
すると皇孫は、姉の方は醜いと思って{{ruby|御|め}}さず{{ruby|罷|さ}}けき。{{ruby|妹|おとと}}は{{ruby|有国色|かおよし}}として{{ruby|引|め}}して{{ruby|幸|あ}}いき。すると一夜にして{{ruby|身籠|みごも}}った。そこで磐長姫は大いに恥じ、「{{ruby|仮使|たとえ}}{{ruby|天孫|あめみま}}、妾を{{ruby|斥|しりぞ}}けず{{ruby|御|め}}さば、生める{{ruby|児|みこ}}は{{ruby|寿|いのち}}永く、磐石の常に存るが如くに有らんを、今、既に然らず。唯、弟(妹){{ruby|独|ひと}}りを{{ruby|見御|みそなわ}}すは、其の生める{{ruby|児|みこ}}は必ず木の花の如く移ろい落ちなん。」と[[呪い|呪詛]]を述べた。その後に、神吾田鹿葦津姫異伝を伝えている。 |
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この一書では前半、天児屋命・太玉命を主として描き、後半は磐長姫の逸話を伝えている。 |
この一書では前半、天児屋命・太玉命を主として描き、後半は磐長姫の逸話を伝えている。 |
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=== 第九段一書(四)=== |
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'''第九段一書(四)'''では、高皇産霊尊は真床覆 |
'''第九段一書(四)'''では、高皇産霊尊は真床覆衾を、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊に着せ、天磐戸を引き開けて、天の幾重もの雲を押し分けて降らせた。 |
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この時、大伴連の遠祖である |
この時、大伴連の遠祖である{{ruby|天忍日命|あまのおしひ}}が、{{ruby|来目部|くめべ}}の遠祖である{{ruby|[[天津久米命|天槵津大来目]]|あまのくしつのおおくめ}}を率い、{{ruby|背|そびら}}には{{ruby|天磐靫|あまのいわゆき}}を背負い、腕には{{ruby|稜威高鞆|いつのたかとも}}を著け、手には{{ruby|天梔弓|あまのはじゆみ}}と{{ruby|天羽羽矢|あまのははや}}を取り、{{ruby|八目鳴鏑|やつめのかぶら}}を{{ruby|副|そ}}え持ち、また{{ruby|頭槌劒|かぶつちのつるぎ}}を帯びる、とある |
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(二柱の神)天孫 |
(二柱の神){{ruby|天孫|あめみま}}の{{ruby|前|さき}}に立ちて、進み降り、日向の{{ruby|襲|そ}}の高千穂の{{ruby|串日|くしひ}}の二つの頂のある峯に辿り着き、{{ruby|浮渚在之平地|うきじまりたいら}}に立ち、{{ruby|頓丘|ひたお}}より{{ruby|国覓|ま}}ぎ{{ruby|行去|とお}}りて、吾田の長屋の{{ruby|笠狭之御碕|かささのみさき}}に辿り到る、とある。 |
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すると、その地に一神 |
すると、その地に{{ruby|一神|ひとはしらのかみ}}有り。名を{{ruby|事勝国勝長狭|ことかつくにかつながさ}}と言う。そこで天孫がその神に、「国{{ruby|在|あり}}や」と尋ねると、「在り」と答え、さらに、「{{ruby|勅|みことのり}}の{{ruby|随|まにま}}に奉らん」と言う。そこで天孫はその地に留まり住んだ。その事勝国勝長狭は伊弉諾尊の御子である。またの名は{{ruby|塩土老翁|しおつちのおじ}}という、とある。 |
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この一書では、瓊瓊杵尊の降臨を主として記述し、天忍日命と天串津大来目のみを随神とする。そして事勝国勝長狭の別名が[[山幸彦と海幸彦|彦火火出見尊の神話]]に登場する塩土老翁だという。 |
この一書では、瓊瓊杵尊の降臨を主として記述し、天忍日命と天串津大来目のみを随神とする。そして事勝国勝長狭の別名が[[山幸彦と海幸彦|彦火火出見尊の神話]]に登場する塩土老翁だという。 |
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=== 第九段一書(六)=== |
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'''第九段一書(六)'''では、天忍穂根尊 |
'''第九段一書(六)'''では、{{ruby|天忍穂根尊|あまのおしほね}}は、高皇産霊尊の娘の栲幡千千姫万幡姫命、または高皇産霊尊の子の{{ruby|火之戸幡姫|ほのとはたひめ}}の子、{{ruby|千千姫命|ちぢひめ}}、を娶りて生みし子の{{ruby|[[天火明命]]|あまのほのあかり}}。次に天津彦根火瓊瓊杵根尊を生む。その天火明命の子の{{ruby|天香山|あまのかぐやま}}が尾張連等の遠祖である。 |
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皇孫の火瓊瓊杵尊を葦原の中つ国に降臨し奉るに至るに及びて〜中略〜この時高皇産霊尊は真床覆 |
皇孫の火瓊瓊杵尊を葦原の中つ国に降臨し奉るに至るに及びて〜中略〜この時高皇産霊尊は真床覆衾を皇孫の天津彦根火瓊瓊杵根尊に着せて、天八重雲を{{ruby|排披|おしわ}}けて、以ちて{{ruby|降|あまくだ}}し奉る。そこで、この神を称えて{{ruby|天国饒石彦火瓊瓊杵尊|あまつくににぎしほのににぎ}}と言う。時に降り到りし所は、呼びて日向の{{ruby|襲|そ}}の高千穂の{{ruby|添山峯|そほりのやまのたけ}}と言う。〜中略〜瓊瓊杵尊は{{ruby|吾田|あた}}の{{ruby|笠狭之御碕|かささのみさき}}に{{ruby|辿|たど}}り着き、長屋の{{ruby|竹嶋|たかしま}}に登る。その地を巡り見るとそこに人がいた。名を事勝国勝長狭と言う。 |
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天孫がそこで、「此は誰が国ぞ。」と尋ねると、「これ長 |
天孫がそこで、「此は誰が国ぞ。」と尋ねると、「これ長狭が住める所の国也。然れども、今、天孫に奉上らん。」と答えた。天孫がまた、「その{{ruby|秀起|さきた}}つる{{ruby|浪穂|なみほ}}の上に{{ruby|八尋殿|やひろとの}}を{{ruby|起|た}}てて、{{ruby|手玉|ただま}}も{{ruby|玲瓏|もゆら}}に{{ruby|織経|はたお}}る{{ruby|少女|おとめ}}は、{{ruby|是|これ}}誰が{{ruby|子女|むすめ}}ぞ」と尋ねると、「大山祇神が{{ruby|女|むすめ}}等、{{ruby|大|あね}}を{{ruby|磐長姫|いわながひめ}}ともうす。{{ruby|少|おとと}}を木花開耶姫ともうし、または{{ruby|豊吾田津姫|とよあたつひめ}}ともうす」と答えた〜中略〜{{ruby|皇孫|すめみま}}因りて{{ruby|豊吾田津姫|とよあたつひめ}}と招くと則ち一夜にして身籠る。皇孫はこれを疑う。〜中略〜それにより{{ruby|母|いろは}}の{{ruby|誓|うけい}}がはっきりと示した。{{ruby|方|まさ}}(本当)に皇孫の子であったと。しかし豊吾田津姫は皇孫を恨んで共に言わず。(口をきかなかった)皇孫は愁えて歌を詠んだ。 |
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'''憶企都茂播 陛爾播 |
'''憶企都茂播 陛爾播誉戻耐母 佐禰耐拠茂 阿党播怒介茂誉 播磨都智耐理誉'''(沖つ藻は 辺には寄れども さ寝床も あたはぬかもよ 浜つ千鳥よ)※意味【沖の海藻は浜辺に打ち寄せらるるが、我は共に寝る事も出来ず。浜の千鳥よ。】 |
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以上がこの一書の内容である。異伝である為、要所要所で略してあるのは他の書と酷似しているからと思われる。 |
以上がこの一書の内容である。異伝である為、要所要所で略してあるのは他の書と酷似しているからと思われる。 |
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'''第九段一書(七)'''では、高皇産霊尊の娘の |
'''第九段一書(七)'''では、高皇産霊尊の娘の{{ruby|天万幡千幡姫|あまよろずたくはたちはたひめ}}がいた、とある。 |
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* 高皇産霊尊の娘の |
* 高皇産霊尊の娘の{{ruby|万幡姫|よろづはたひめ}}の娘の{{ruby|[[タマヨリビメ#他の玉依姫|玉依姫命]]|たまよりひめ}}。此の神、{{ruby|天忍骨命|あまのおしほね}}の妃となりて、御子の{{ruby|天之杵火火置瀬尊|あまのぎほほおきせ}}を生むという、とある。 |
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* 勝速日命 |
* {{ruby|勝速日命|かちはやひのみこと}}の御子の{{ruby|天大耳尊|あまのおおみみ}}。此の神、{{ruby|丹姫|にくつひめ}}を娶りて、御子の{{ruby|火瓊瓊杵尊|ほのににぎ}}を生むという、とある。 |
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* [[カミムスビ|神皇産霊尊]]の女 |
* [[カミムスビ|神皇産霊尊]]の{{ruby|女|むすめ}}{{ruby|幡千幡姫|たくはたちはたひめ}}、御子の{{ruby|火瓊瓊杵尊|ほのににぎ}}を生むという、とある。 |
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* {{ruby|天杵瀬命|あまのきせ}}、{{ruby|吾田津姫|あたつひめ}}を娶りて、(略)とある。 |
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この一書では異伝を箇条書きに伝える。 |
この一書では異伝を箇条書きに伝える。 |
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=== 第九段一書(八)=== |
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'''第九段一書(八)'''では、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の娘の天万幡千幡姫を娶りて、妃として生みし御子の |
'''第九段一書(八)'''では、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の娘の天万幡千幡姫を娶りて、妃として生みし御子の{{ruby|天照国照彦火明命|あまてるくにてるひこほのあかり}}といい、尾張連等の{{ruby|遠祖|とおつおや}}である。 |
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次に |
次に{{ruby|天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊|あまにぎしくににぎしあまつひこほのににぎ}}この神、{{ruby|娶大山祇神|おおやまつみ}}の{{ruby|女子|むすめ}}{{ruby|木花開耶姫命|このはなのさくやひめ}}を妃として生みし御子は(略)、とある。 |
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この一書では別の異伝を伝える。 |
この一書では別の異伝を伝える。 |
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=== 古事記 === |
=== 古事記 === |
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'''木花之佐久夜毘売の出産''' |
'''木花之佐久夜毘売の出産''' |
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木花之佐久夜毘売は一夜を共にしただけで身篭った。それを聞いた邇邇 |
木花之佐久夜毘売は一夜を共にしただけで身篭った。それを聞いた邇邇芸命は「たった一夜で身篭る筈はない。それは国津神の子だろう」(「佐久夜毘売 一宿哉妊 此胎必非我子而為国津神之子」『古事記』)と言った。 |
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木花之佐久夜毘売は、「この子が国津神の子なら、産む時に無事ではないでしょう。天津神の子なら、無事でしょう」(「吾妊之子 若 |
木花之佐久夜毘売は、「この子が国津神の子なら、産む時に無事ではないでしょう。天津神の子なら、無事でしょう」(「吾妊之子 若国津神之子者 幸難産 若為天津神之御子者 幸産」『古事記』)と誓約をし、戸のない御殿を建ててその中に入り、産む時に御殿に火をつけた。天津神の子であったので、無事に三柱の子を産んだ。 |
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火が盛んに燃えた時に生んだ子を[[ホデリ|火照命]]、火が弱くなった時の子を[[ホスセリ|火須勢理命]]、火が消えた時の子を[[ホオリ|火遠理命]]、またの名を天津日高日子穂穂手見命という。 |
火が盛んに燃えた時に生んだ子を[[ホデリ|火照命]]、火が弱くなった時の子を[[ホスセリ|火須勢理命]]、火が消えた時の子を[[ホオリ|火遠理命]]、またの名を天津日高日子穂穂手見命という。 |
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=== 日本書紀 === |
=== 日本書紀 === |
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'''第九段本文'''では、その国に美人 |
'''第九段本文'''では、その国に{{ruby|美人|たおやめ}}がいて、皇孫がこの美人に、「おまえは誰の子か」と尋ねると、「{{ruby|妾|やつこ}}は{{ruby|天神|あまつかみ}}が大山祇神を娶って生んだ子です」と答えた。名を{{ruby|鹿葦津姫|かしつひめ}}という、とある。皇孫が彼女を気に入ると、一夜にして妊娠した。皇孫は信じられず、「また天神といえども、何ぞよく一夜の間に人をして{{ruby|娠|はらみ}}有らせんや。汝が{{ruby|懐|はら}}めるは必ず我が子に{{ruby|非|あら}}じ」と言った。 |
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そこで鹿葦津姫は怒り恨んで、戸口のない小屋を作ってその中に籠り、誓いて、「妾が娠める、若し天孫 |
そこで鹿葦津姫は怒り恨んで、戸口のない小屋を作ってその中に籠り、誓いて、「妾が娠める、若し{{ruby|天孫|あめみま}}の御子に{{ruby|非|あら}}ざれば必ず焼け{{ruby|滅|ほろ}}びぬ。もし本当にに天孫の子ならば、火も{{ruby|害|そこな}}うこと{{ruby|能|あた}}わじ。」と言って、火をつけて小屋を焼いた、とある。以下がその三子の詳細である。 |
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* 最初に昇った煙から生まれ出た子: |
* 最初に昇った煙から生まれ出た子:火闌降命・{{ruby|隼人|はやひと}}等の始祖 |
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* 次に熱が静まって生まれ出た子を |
* 次に熱が静まって生まれ出た子を彦火火出見尊。 |
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* 次に生まれ出た子を |
* 次に生まれ出た子を火明命・{{ruby|尾張連|をはりのむらじ}}等の始祖 |
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とある。 |
とある。 |
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'''第九段一書(二)'''では、その後、神吾田鹿葦津姫、皇孫を見て「妾は天孫 |
'''第九段一書(二)'''では、その後、神吾田鹿葦津姫、皇孫を見て「妾は{{ruby|天孫|あめみま}}の御子を{{ruby|娠|はら}}めり。私に生むべからず、」と言うと、皇孫は「たとえ{{ruby|天神|あまつかみ}}の御子といえども{{ruby|如何|いかに}}ぞ一夜にして人をして{{ruby|娠|はらま}}せんや。{{ruby|抑|はた}}我が御子に{{ruby|非|あらざる}}か。」と言った。それを聞いた木花開耶姫'''【何故か神吾田鹿葦津姫から木花開耶姫に変わっている】'''は大いに恥じ恨んで、、戸無き室を作りて誓いて「我が{{ruby|娠|はらめ}}る、これもし{{ruby|他神|あたしかみ}}の子ならば、必ず{{ruby|幸|さち}}あらず。これ{{ruby|実|まこと}}に天孫の子ならば、必ずまさに{{ruby|全|また}}く生まれなん。」と言いその室の中に入り火を以ちて室を{{ruby|焚|や}}く、とある。 |
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以下が火中出産の三子の詳細である。 |
以下が火中出産の三子の詳細である。 |
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* 焰が初め起こる時に共に生みし御子:{{ruby|火酢芹命|ほのすせり}} |
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* 次に火盛りなる時に生みし御子:火明命 |
* 次に火盛りなる時に生みし御子:{{ruby|火明命|ほのあかり}} |
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* 次に生みし御子:彦火火出見尊 |
* 次に生みし御子:{{ruby|彦火火出見尊|ひこほほでみ}}、または{{ruby|火折尊|ほのおり}} |
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とある。 |
とある。 |
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'''第九段一書(三)'''では、まず神吾田鹿葦津姫の火中出産を述べる。 |
'''第九段一書(三)'''では、まず神吾田鹿葦津姫の火中出産を述べる。 |
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* 最初に炎 |
* 最初に{{ruby|炎|ほのお}}が明るい時に生まれた子が{{ruby|火明命|ほのあかり}}である。 |
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* 次に、炎 |
* 次に、{{ruby|炎|ほむら}}が燃え盛る時に生まれた子が{{ruby|火進命|ほのすすみ}}である。または{{ruby|火酢芹命|ほのすせり}}と言う。 |
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* 次に、炎が鎮まった時に生まれた子が |
* 次に、炎が鎮まった時に生まれた子が{{ruby|火折彦火火出見尊|ほのおりひこほほでみのみこと}}である。 |
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この併せて三子 |
この併せて{{ruby|三子|みはしらのみこ}}は火も{{ruby|害|そこな}}うことなく、{{ruby|母|いろは}}もまた少しも損う所無し。そして竹の刀でその子の臍の緒を切る。その竹刀を棄てし所、後に竹林と成る。そこで、その地を{{ruby|竹屋|たかや}}と言う。 |
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その時に神吾田鹿葦津姫が卜定田 |
その時に神吾田鹿葦津姫が卜{{ruby|定田|うらへた}}を以ちいた田を{{ruby|狭名田|さなだ}}と言う。その田の稲で{{ruby|天甜酒|あめのたむさけ}}を{{ruby|釀|か}}みて{{ruby|嘗|にいなえ}}を催した。また、{{ruby|渟浪田|ぬなた}}の稲を用いて、{{ruby|飯|いい}}と作り嘗を催した。 |
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後半では神吾田鹿葦津姫の農耕神としての様子を示す。 |
後半では神吾田鹿葦津姫の農耕神としての様子を示す。 |
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'''第九段一書(五)'''では、天孫(瓊瓊杵尊)は大山祇神の娘の |
'''第九段一書(五)'''では、天孫(瓊瓊杵尊)は大山祇神の娘の吾田鹿葦津姫を娶り、一夜にして身籠る。そして{{ruby|四子|よはしらのみこ}}を生む。そこで吾田鹿葦津姫は子を抱き進み来て、「天神の御子を、{{ruby|寧|いずくん}}ぞ私に{{ruby|養|ひだ}}しべけんや。故、{{ruby|状|かたち}}を告げて聞こえ知らしむ」と言った。この時、天孫はその子たちを嘲笑い、「あなにや、我が皇子は、聞き喜くも{{ruby|生|あ}}れたるかな」と言った、とある。 |
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そこで吾田鹿葦津姫が怒って、「何すれぞ妾を嘲うや」と言うと、天孫は、「心に疑 |
そこで吾田鹿葦津姫が怒って、「何すれぞ妾を嘲うや」と言うと、天孫は、「心に{{ruby|疑|うたがわ}}し。故に嘲う。何となればまた天神の子といえども、あによく一夜の間に人をして{{ruby|有身|はら}}ませんや。{{ruby|固|まこと}}我が子には{{ruby|非|あら}}じ」と言った。これを聞いて吾田鹿葦津姫はますます恨み、戸無き室を作りその中に入り、誓いて「妾が{{ruby|妊|はら}}める所、{{ruby|若|も}}し{{ruby|天神|あまつかみ}}の御子に{{ruby|非|あら}}ずば必ず亡びなん。{{ruby|是|これ}}{{ruby|若|も}}し{{ruby|天神|あまつかみ}}の御子ならば{{ruby|害|そこな}}う所無けん」と言う。そして火を放ち小屋を焼いた、とある。 |
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以下がその四柱の御子の登場順、名と名乗りの台詞である。 |
以下がその四柱の御子の登場順、名と名乗りの台詞である。 |
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* その火の初め明かる時、勇ましく進み出て:火明命 |
* その火の初め明かる時、勇ましく進み出て:{{ruby|火明命|ほのあかり}}:「吾は{{ruby|是|これ}}{{ruby|天神|あまつかみ}}の{{ruby|子|みこ}}、名は火明命。吾が{{ruby|父|かぞ}}は{{ruby|何処|いずこ}}に{{ruby|坐|いま}}すや。」 |
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* 火の盛 |
* 火の{{ruby|盛|さかり}}の時、勇ましく進み出て:{{ruby|火進命|ほのすすみ}}:「吾は{{ruby|是|これ}}{{ruby|天神|あまつかみ}}の{{ruby|子|みこ}}、名は火進命。吾が{{ruby|父|かぞ}}及び{{ruby|兄|いろね}}{{ruby|何処|いずこ}}に在りや。」 |
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* 火炎 |
* {{ruby|火炎|ほのお}}{{ruby|衰|しめ}}る時、勇ましく進み出て:{{ruby|火折尊|ほのおり}}:「吾は{{ruby|是|これ}}{{ruby|天神|あまつかみ}}の{{ruby|子|みこ}}、名は{{ruby|火折尊|ほのおりのみこと}}。吾が{{ruby|父|かぞ}}及び{{ruby|兄|いろね}}等、{{ruby|何処|いずこ}}に在りや。」 |
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* 火熱 |
* {{ruby|火熱|ほとほり}}を避りし時、勇ましく進み出て:彦火火出見尊:「吾は{{ruby|是|これ}}{{ruby|天神|あまつかみ}}の{{ruby|子|みこ}}、名は彦火火出見尊。吾が{{ruby|父|かぞ}}及び{{ruby|兄|いろね}}等、{{ruby|何処|いずこ}}に在りや。」 |
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然る後に、母 |
然る後に、{{ruby|母|いろは}}吾田鹿葦津姫が{{ruby|火燼|ほたくい}}(焼け跡)の中から出て来て、{{ruby|就|おもむ}}きてことあげ(言葉に出して)、「妾が生める{{ruby|児|みこ}}及び妾が身、{{ruby|自|おの}}ずから火の{{ruby|難|わざわい}}に{{ruby|当|あ}}えども、少しも{{ruby|損|そこな}}える所無し。{{ruby|天孫|あめみま}}{{ruby|豈|あに}}見そなわすや」と言う、とある。 |
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天孫は「我本よりこれ我が子と知る。但 |
天孫は「我本よりこれ我が子と知る。{{ruby|但|ただ}}一夜にして{{ruby|有身|はら}}めり。疑う者有らんと{{ruby|慮|おも}}いて、{{ruby|衆人|もろもろのひと}}をして皆、{{ruby|是|これ}}我が子、あわせてまた天神は{{ruby|能|よ}}く一夜にして{{ruby|有娠|はら}}ましむることを知らしめんと{{ruby|欲|おも}}う。また汝、{{ruby|霊|くしひ}}に{{ruby|異|あや}}しき(奇異な){{ruby|威|かしこさ}}(能力)有り、{{ruby|子|みこ}}等復た{{ruby|倫|ひと}}に{{ruby|超|すぐ}}れたる{{ruby|気|いき}}有るを明かさんと{{ruby|欲|おも}}う。故に{{ruby|前|さき}}の日の{{ruby|嘲|あざけ}}る{{ruby|辞|ことば}}有り」と答えた、とある。 |
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この一書は火中出産(ではなく火中の誓だが)の異伝である。あるいは瓊瓊杵尊の言い訳を代弁する様な一書とも思われる。また、ここでの吾田鹿葦津姫は出産後、火中の誓を行う事や、御子は四柱おり、自ら名乗りを上げる事などが他の異伝と大きく異なる。 |
この一書は火中出産(ではなく火中の誓だが)の異伝である。あるいは瓊瓊杵尊の言い訳を代弁する様な一書とも思われる。また、ここでの吾田鹿葦津姫は出産後、火中の誓を行う事や、御子は四柱おり、自ら名乗りを上げる事などが他の異伝と大きく異なる。 |
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'''第九段一書(六)'''では、皇孫 |
'''第九段一書(六)'''では、{{ruby|皇孫|すめみま}}因りて{{ruby|豊吾田津姫|とよあたつひめ}}と招くと則ち一夜にして身籠る。皇孫はこれを疑う。〜中略〜そして生まれた御子が以下の神である。 |
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* 火酢芹命 |
* {{ruby|火酢芹命|ほのすせりのみこと}} |
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* 火折尊 |
* {{ruby|火折尊|ほのおりのみこと}}、または{{ruby|彦火火出見尊|ひこほほでみのみこと}} |
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それにより母(いろは)の誓 |
それにより母(いろは)の{{ruby|誓|うけい}}がはっきりと示した。{{ruby|方|まさ}}(本当)に皇孫の子であったと。しかし豊吾田津姫は皇孫を恨んで共に言わず。(口をきかなかった)皇孫は愁えて歌を詠んだ、とある。 |
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'''第九段一書(七)'''では、 |
'''第九段一書(七)'''では、{{ruby|天杵瀬命|あまのきせ}}、{{ruby|吾田津姫|あたつひめ}}を娶りて、御子の{{ruby|火明命|ほのあかり}}を生む。次に{{ruby|火夜織命|ほのより}}。次に{{ruby|彦火火出見尊|ひこほほでみ}}という、とある。 |
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'''第九段一書(八)'''では、次に |
'''第九段一書(八)'''では、次に{{ruby|天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊|あまにぎしくににぎしあまつひこほのににぎ}}この神、{{ruby|娶大山祇神|おおやまつみ}}の{{ruby|女子|むすめ}}{{ruby|木花開耶姫命|このはなのさくやひめ}}を妃として生みし御子は{{ruby|火酢芹命|ほのすせり}}という。次に彦火火出見尊、とある。 |
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この一書でも木花開耶姫命の御子は二柱となっている。 |
この一書でも木花開耶姫命の御子は二柱となっている。 |
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!colspan=2|書名!!第一王子!!第二王子!!第三王子!!第四王子 |
!colspan=2|書名!!第一王子!!第二王子!!第三王子!!第四王子 |
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|colspan=2|古事記||{{ruby|火照命|ほでり}}||{{ruby|火須勢理命|ほすせり}}||{{ruby|火遠理命|ほおり}}・{{ruby|天津日高日子穂穂手見命|あまつひこひこほほでみ}}|| |
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|rowspan=8|日本書紀||本文||{{ruby|火闌降命|ほすせり}}||{{ruby|彦火火出見尊|ひこほほでみ}}||{{ruby|火明命|ほあかり}}|| |
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|一書第1・第4||colspan=4|記述なし |
|一書第1・第4||colspan=4|記述なし |
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|一書第2||火酢芹命 |
|一書第2||{{ruby|火酢芹命|ほすせり}}||{{ruby|火明命|ほあかり}}||{{ruby|彦火火出見尊|ひこほほでみ}}・{{ruby|火折尊|ほおり}}|| |
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|一書第3||火明命 |
|一書第3||{{ruby|火明命|ほあかり}}||{{ruby|火進命|ほすすみ}}・{{ruby|火酢芹命|ほすせり}}||{{ruby|火折彦火火出見尊|ほおりひこほほでみ}}|| |
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|一書第5||火明命 |
|一書第5||{{ruby|火明命|ほあかり}}||{{ruby|火進命|ほすすみ}}||{{ruby|火折尊|ほおり}}||{{ruby|彦火火出見尊|ひこほほでみ}} |
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|一書第6||火酢芹命 |
|一書第6||{{ruby|火酢芹命|ほすせり}}||{{ruby|火折尊|ほおり}}・{{ruby|彦火火出見尊|ひこほほでみ}}|| || |
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|一書第7||火明命 |
|一書第7||{{ruby|火明命|ほあかり}}||{{ruby|火夜熾命|ほよおり}}||{{ruby|彦火火出見尊|ひこほほでみ}}|| |
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|一書第8||火酢芹命 |
|一書第8||{{ruby|火酢芹命|ほすせり}}||{{ruby|彦火火出見尊|ひこほほでみ}}|| || |
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== 考察 == |
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* [[谷有ニ]]は伝説の地をクシフルに音の似た九重連峰や[[久住山]]とする説等を紹介している。谷自身は、高千穂を「高い山」の意とし、添(ソホリ)が[[ソウル特別市|ソウル]]と同じ王の都であるなど韓国との関連を示す記載と前述の瓊々杵尊の言葉から、本来は九州北部が伝説の地であったが、政策上の都合で九州南部に移動したとしている。また、谷はソホリに「大きい」の意のクがついたものがクシフルである可能性とカシハラとの類似性も指摘している<ref>谷有ニ‐日本近代の《朝鮮観》 .rshttps://archives.bukkyo-u.ac.jp › rp-contentsPDF</ref>。 |
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* 『日本書紀』巻3神武紀によると磐余彦(後の神武天皇)が、[[日向国]]の高千穂宮にいた45歳の [[日本書紀#太歳(大歳)記事|太歳]]が[[甲寅]]の歳に、兄弟や皇子に、天祖降跡以来、一百七十九万二千四百七十餘歲(179万2470余年<ref>[[偽書]]とされるものの[[伊勢神道]]の中心的な神道書とされる[[神道五部書]]のうち『倭姫命世紀』、『神祇譜伝図記』では瓊々杵尊は31万8543年、彦火火出見尊は63万7892年、鶿草葺不合尊は83万6042年の治世とされ、計は179万2477年となる。</ref>)が経ったと述べたという。 |
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* 日本書紀に「日向の襲の高千穂の峯に天降ります」とあるが、この「襲」については、同じく日本書紀の景行天皇13年5月条に、「襲国平定」と記されてある。「襲国(曽国)」<ref>{{Cite book |和書 |url=https://kotobank.jp/word/%E8%A5%B2%E5%9B%BD-554978 |title=襲国 |publisher=コトバンク }}</ref>とは古代の南九州に居住した熊襲 (球磨贈於) といわれ、後に[[隼人]]と呼ばれた人々の本拠地とされる<ref>{{Cite book |和書 |url=https://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E8%A5%B2-55947 |title=熊襲 くまそ |publisher=コトバンク |author=小学館 大辞泉 }}</ref>。 |
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* なお、その他にもクシフルの比定地は多くある。クシフルと同様、ソウルが変化したとされる[[脊振山]](セフリサン)は、福岡県と佐賀県の境にあって、韓国(カラクニ)、朝鮮半島南部が対馬の向こうに見える山である<ref>{{Cite journal|和書 |author=金政起 |title=古代北九州と朝鮮半島南部との共同文化圏について |journal=アジア太平洋研究 |ISSN=0913-8439 |publisher=成蹊大学アジア太平洋研究センター |date=2018-11 |volume=43 |pages=81-97 |doi=10.15018/00001159 |CRID=1390291767726442752 |url=https://doi.org/10.15018/00001159 |hdl=10928/1148}}</ref>。 |
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* [[沢田洋太郎]]は天孫降臨は[[ヤマト王権]]の朝鮮から北九州への上陸を意味するとしている<ref>澤田洋太郎『日本語形成の謎に迫る』(新泉社、1999年)、澤田洋太郎『アジア史の中のヤマト民族』(新泉社、1999年)</ref>。 |
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<!--この記事は日本神話の「天孫降臨」です。ここに私的な外国神話の見解や研究内容を加えないで下さい。--> |
<!--この記事は日本神話の「天孫降臨」です。ここに私的な外国神話の見解や研究内容を加えないで下さい。--> |
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==米== |
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『日本書紀』九段一書(二)で、天照大神が高天原の斎庭にある穂を瓊瓊杵尊に与えるように天児屋命と[[太玉命]]に命じたことから、地上(日本)に米を持ってきたとされる事がある。 |
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== 注 == |
== 注 == |
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240行目: | 253行目: | ||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[http://www.jinjahoncho.or.jp/izanai/shinwa.html 「日本の神話 天孫降臨」] - 神社本庁 |
*[http://www.jinjahoncho.or.jp/izanai/shinwa.html 「日本の神話 天孫降臨」] - 神社本庁 |
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*[https://bimikyushin.com/chapter_4/04_ref/nunata.html 美味求真.com「渟浪田」] |
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{{外部リンクの方針参照/追跡}}{{日本神話}}{{神道 横}} |
{{外部リンクの方針参照/追跡}}{{日本神話}}{{神道 横}} |
2024年6月17日 (月) 15:55時点における最新版
天孫族の
古事記[編集]
天孫邇邇芸命の誕生[編集]
天照大御神と高木神(高御産巣日神)は、天照大御神の子である天忍穂耳命に、「葦原中国平定が終わったので、以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」(「今平訖葦原中国矣 故汝当依命下降而統之」『古事記』)と言った。
天忍穂耳命は、「天降りの準備をしている間に、子の邇邇芸命が生まれたので、この子を降すべきでしょう」(「僕者将降装束之間 生一子 其名天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命 此子応降也」『古事記』)と答えた。邇邇芸命は、天忍穂耳命と高木神の娘の万幡豊秋津師比売命との間の子である。
それで二神は、邇邇芸命に葦原の中つ国の統治を委任し、天降りを命じた。
猿田毘古[編集]
邇邇芸命が天降りをしようとすると、天の
天孫降臨[編集]
邇邇芸命の天降りに、天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命の
さらに、天照大御神は三種の神器と思金神、手力男神、天石門別神を副え、「この鏡を私の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」と言った。
八咫鏡と思金神は伊勢神宮に祀ってある。登由宇気神は伊勢神宮の外宮に鎮座する。天石門別神は、別名を櫛石窓神、または豊石窓神と言い、御門の神である。手力男神は
天児屋命は
邇邇芸命は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の高千穂の
天忍日命と天津久米命が武装して先導した。天忍日命は
猿田毘古と天宇受売[編集]
邇邇芸命は天宇受売命に、猿田毘古神を送り届けて、その神の名を負って仕えるよう言った。それで、猿田毘古神の名を負って猿女君と言うのである。
猿田毘古神は、
天宇受売命が猿田毘古神を送って帰ってきて、あらゆる魚を集めて天津神の御子(邇邇芸命)に仕えるかと聞いた。多くの魚が仕えると答えた中でナマコだけが答えなかった。そこで天宇受売命は「この口は答えない口か」と言って小刀で口を裂いてしまった。それで今でもナマコの口は裂けているのである。
木花之佐久夜毘売と石長比売[編集]
邇邇芸命は笠沙の岬で美しい娘に逢った。娘は大山津見神の子で名を神阿多都比売、別名を木花之佐久夜毘売といった。邇邇芸命が求婚すると父に訊くようにと言われた。そこで父である大山津見神に尋ねると大変喜び、姉の石長比売とともに差し出した。しかし、石長比売はとても醜かったので、邇邇芸命は石長比売を送り返し、木花之佐久夜毘売だけと結婚した。
大山津見神は「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと
日本書紀[編集]
(注)日本書紀の本文と
本文[編集]
『日本書紀』の第九段本文では、天照大神の
高皇産霊尊は、皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を葦原中国の
天稚彦の派遣から始まる葦原中国平定(国譲り)後、時に高皇産霊尊は
皇孫は
続いて道中の解説後、その地に一人の者がいて、自ら
皇孫は「国在りや
その時、その国に
最後にしばらくして天津彦彦火瓊瓊杵尊が崩御した(「
第九段一書(一)[編集]
第九段一書(一)では、本文と類似する天稚彦の派遣から葦原中国平定があり、続いて時に天照大神、「若し然らば、早速、我が子を降さん」と
続いて、故に天照大神は、天津彦彦火瓊瓊杵尊に八坂瓊曲玉・八咫鏡及び草薙剣(天叢雲剣)の
次いで併せて
天児屋命 ・中臣 の上祖 太玉命 ・忌部 の上祖天鈿女命 ・猿女 の上祖石凝姥命 ・鏡作 の上祖玉屋命 ・玉作 の上祖
そして皇孫に、「
そうして降る間に、先駆の者の還りて、「一柱の神有りて
そこで従えていた神を遣わして尋ねに行かせた。この時、
以下が天鈿女命と
- 天鈿女命:胸をあらわにし、衣の紐を
臍 の下まで押し下げあざ笑い、衢神に向かい立つ。→ 衢神猿田彦:「天鈿女、汝の為す(そんなことをする)は何の故ぞ」と尋ねた。 - 天鈿女命:「天照大神の御子(皇孫)が進む
道路 に如此 居 す者有るは誰ぞ。敢て問う」→ 衢神猿田彦:「天照大神の御子、今、まさに降り行くと聞く。故に迎え奉りて相い待つ。我が名は猿田彦大神ぞ」 - 天鈿女命:「汝、我を
将 て先 て行くか、それとも、我、汝に先て行くか」→ 衢神猿田彦:「我、先て啓 て行かん」 - 天鈿女命:「汝は
何処 に到るや。皇孫は何処に到るや」→ 衢神猿田彦:「天神の御子、まさに筑紫の日向 の高千穗 の触之峯 に到るべし。我は伊勢の狭長田 の五十鈴 の川上に到るべし」更に続け、「我の素性を明らかし者は汝なり。故、汝、我を送りて致るべし」
その後、天鈿女命還り
衢神猿田彦は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に辿り着き、天鈿女命は衢神猿田彦の乞う所の随に送り届けた。そこで皇孫は天鈿女命に、「汝は素性を明らかにした神の名をもって姓氏とせよ」と勅し、これによって猿女君の名を授かった、とある。
前半は天照大神が取り仕切る天壌無窮の神勅であり、後半は天鈿女命と猿田彦の問答がメインとなる。
第九段一書(二)[編集]
第九段一書(二)では、この時、高皇産霊尊は〜中略〜とあり、以下の神を○○作りと定めた。
そして太玉命をして、
続いて高皇産霊尊は、「我、則ち
この時、天照大神は手に
そして、高皇産霊尊の
それから、天津彦火瓊瓊杵尊は日向の
そこで皇孫は宮殿を立て、そこで
皇孫がそこで大山祇神に、「我、
すると皇孫は、姉の方は醜いと思って
この一書では前半、天児屋命・太玉命を主として描き、後半は磐長姫の逸話を伝えている。
第九段一書(四)[編集]
第九段一書(四)では、高皇産霊尊は真床覆衾を、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊に着せ、天磐戸を引き開けて、天の幾重もの雲を押し分けて降らせた。
この時、大伴連の遠祖である
(二柱の神)
すると、その地に
この一書では、瓊瓊杵尊の降臨を主として記述し、天忍日命と天串津大来目のみを随神とする。そして事勝国勝長狭の別名が彦火火出見尊の神話に登場する塩土老翁だという。
第九段一書(六)[編集]
第九段一書(六)では、
皇孫の火瓊瓊杵尊を葦原の中つ国に降臨し奉るに至るに及びて〜中略〜この時高皇産霊尊は真床覆衾を皇孫の天津彦根火瓊瓊杵根尊に着せて、天八重雲を
天孫がそこで、「此は誰が国ぞ。」と尋ねると、「これ長狭が住める所の国也。然れども、今、天孫に奉上らん。」と答えた。天孫がまた、「その
憶企都茂播 陛爾播誉戻耐母 佐禰耐拠茂 阿党播怒介茂誉 播磨都智耐理誉(沖つ藻は 辺には寄れども さ寝床も あたはぬかもよ 浜つ千鳥よ)※意味【沖の海藻は浜辺に打ち寄せらるるが、我は共に寝る事も出来ず。浜の千鳥よ。】
以上がこの一書の内容である。異伝である為、要所要所で略してあるのは他の書と酷似しているからと思われる。
第九段一書(七)では、高皇産霊尊の娘の
- 高皇産霊尊の娘の
万幡姫 の娘の玉依姫命 。此の神、天忍骨命 の妃となりて、御子の天之杵火火置瀬尊 を生むという、とある。 勝速日命 の御子の天大耳尊 。此の神、丹姫 を娶りて、御子の火瓊瓊杵尊 を生むという、とある。- 神皇産霊尊の
女 幡千幡姫 、御子の火瓊瓊杵尊 を生むという、とある。 天杵瀬命 、吾田津姫 を娶りて、(略)とある。
この一書では異伝を箇条書きに伝える。
第九段一書(八)[編集]
第九段一書(八)では、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の娘の天万幡千幡姫を娶りて、妃として生みし御子の
次に
この一書では別の異伝を伝える。
火中出産[編集]
ここでは、木花開耶姫の出産について記す。
古事記[編集]
木花之佐久夜毘売の出産 木花之佐久夜毘売は一夜を共にしただけで身篭った。それを聞いた邇邇芸命は「たった一夜で身篭る筈はない。それは国津神の子だろう」(「佐久夜毘売 一宿哉妊 此胎必非我子而為国津神之子」『古事記』)と言った。
木花之佐久夜毘売は、「この子が国津神の子なら、産む時に無事ではないでしょう。天津神の子なら、無事でしょう」(「吾妊之子 若国津神之子者 幸難産 若為天津神之御子者 幸産」『古事記』)と誓約をし、戸のない御殿を建ててその中に入り、産む時に御殿に火をつけた。天津神の子であったので、無事に三柱の子を産んだ。
火が盛んに燃えた時に生んだ子を火照命、火が弱くなった時の子を火須勢理命、火が消えた時の子を火遠理命、またの名を天津日高日子穂穂手見命という。
日本書紀[編集]
第九段本文では、その国に
そこで鹿葦津姫は怒り恨んで、戸口のない小屋を作ってその中に籠り、誓いて、「妾が娠める、若し
- 最初に昇った煙から生まれ出た子:火闌降命・
隼人 等の始祖 - 次に熱が静まって生まれ出た子を彦火火出見尊。
- 次に生まれ出た子を火明命・
尾張連 等の始祖
とある。
第九段一書(二)では、その後、神吾田鹿葦津姫、皇孫を見て「妾は
以下が火中出産の三子の詳細である。
- 焰が初め起こる時に共に生みし御子:
火酢芹命 - 次に火盛りなる時に生みし御子:
火明命 - 次に生みし御子:
彦火火出見尊 、または火折尊
とある。 第九段一書(三)では、まず神吾田鹿葦津姫の火中出産を述べる。
- 最初に
炎 が明るい時に生まれた子が火明命 である。 - 次に、
炎 が燃え盛る時に生まれた子が火進命 である。または火酢芹命 と言う。 - 次に、炎が鎮まった時に生まれた子が
火折彦火火出見尊 である。
この併せて
その時に神吾田鹿葦津姫が卜
後半では神吾田鹿葦津姫の農耕神としての様子を示す。
第九段一書(五)では、天孫(瓊瓊杵尊)は大山祇神の娘の吾田鹿葦津姫を娶り、一夜にして身籠る。そして
そこで吾田鹿葦津姫が怒って、「何すれぞ妾を嘲うや」と言うと、天孫は、「心に
以下がその四柱の御子の登場順、名と名乗りの台詞である。
- その火の初め明かる時、勇ましく進み出て:
火明命 :「吾は是 天神 の子 、名は火明命。吾が父 は何処 に坐 すや。」 - 火の
盛 の時、勇ましく進み出て:火進命 :「吾は是 天神 の子 、名は火進命。吾が父 及び兄 何処 に在りや。」 火炎 衰 る時、勇ましく進み出て:火折尊 :「吾は是 天神 の子 、名は火折尊 。吾が父 及び兄 等、何処 に在りや。」火熱 を避りし時、勇ましく進み出て:彦火火出見尊:「吾は是 天神 の子 、名は彦火火出見尊。吾が父 及び兄 等、何処 に在りや。」
然る後に、
天孫は「我本よりこれ我が子と知る。
この一書は火中出産(ではなく火中の誓だが)の異伝である。あるいは瓊瓊杵尊の言い訳を代弁する様な一書とも思われる。また、ここでの吾田鹿葦津姫は出産後、火中の誓を行う事や、御子は四柱おり、自ら名乗りを上げる事などが他の異伝と大きく異なる。
第九段一書(六)では、
火酢芹命 火折尊 、または彦火火出見尊
それにより母(いろは)の
第九段一書(八)では、次に
この一書でも木花開耶姫命の御子は二柱となっている。
なお、皇子の出生の順番は、文献により異なっている。
書名 | 第一王子 | 第二王子 | 第三王子 | 第四王子 | |
---|---|---|---|---|---|
古事記 | |||||
日本書紀 | 本文 | ||||
一書第1・第4 | 記述なし | ||||
一書第2 | |||||
一書第3 | |||||
一書第5 | |||||
一書第6 | |||||
一書第7 | |||||
一書第8 |
考察[編集]
- 谷有ニは伝説の地をクシフルに音の似た九重連峰や久住山とする説等を紹介している。谷自身は、高千穂を「高い山」の意とし、添(ソホリ)がソウルと同じ王の都であるなど韓国との関連を示す記載と前述の瓊々杵尊の言葉から、本来は九州北部が伝説の地であったが、政策上の都合で九州南部に移動したとしている。また、谷はソホリに「大きい」の意のクがついたものがクシフルである可能性とカシハラとの類似性も指摘している[10]。
- 日本書紀に「日向の襲の高千穂の峯に天降ります」とあるが、この「襲」については、同じく日本書紀の景行天皇13年5月条に、「襲国平定」と記されてある。「襲国(曽国)」[11]とは古代の南九州に居住した熊襲 (球磨贈於) といわれ、後に隼人と呼ばれた人々の本拠地とされる[12]。
- 古田武彦は福岡県の日向峠(笠沙岬の真北)を天孫降臨の伝説の発祥地とする。
- なお、その他にもクシフルの比定地は多くある。クシフルと同様、ソウルが変化したとされる脊振山(セフリサン)は、福岡県と佐賀県の境にあって、韓国(カラクニ)、朝鮮半島南部が対馬の向こうに見える山である[13]。
注[編集]
- ^ 『日本書紀』第九段本文
- ^ 『日本書紀』第九段一書
- ^ 小学館 大辞泉『熊襲 くまそ』コトバンク 。
- ^ 『襲国』コトバンク 。
- ^ 日本書紀 30巻. 国立国会図書館
- ^ 訓読日本書紀. 中 黒板勝美 (岩波書店) p.7 国立国会図書館
- ^ 宮川了篤「平成二十二年一月二十七日 最終講義 日蓮宗修法史概説 (宮川了篤先生退職記念号)」『身延論叢』第16号、身延山大学仏教学会、2011年3月、15-16頁、CRID 1390009224530243072、doi:10.15054/00000290、ISSN 13422715。
- ^ 平凡社『神道大辞典 : 3巻 第二卷』平凡社、1941年、125頁。doi:10.11501/1913348。NDLJP:1913348 。"国立国会図書館デジタルコレクション"。
- ^ 黒板勝美『訓読日本書紀. 上巻』上巻、岩波書店〈岩波文庫〉、1943年4月。doi:10.11501/1904260。NDLJP:1904260 。"国立国会図書館デジタルコレクション"。
- ^ 谷有ニ‐日本近代の《朝鮮観》 .rshttps://archives.bukkyo-u.ac.jp › rp-contentsPDF
- ^ 『襲国』コトバンク 。
- ^ 小学館 大辞泉『熊襲 くまそ』コトバンク 。
- ^ 金政起「古代北九州と朝鮮半島南部との共同文化圏について」『アジア太平洋研究』第43巻、成蹊大学アジア太平洋研究センター、2018年11月、81-97頁、CRID 1390291767726442752、doi:10.15018/00001159、hdl:10928/1148、ISSN 0913-8439。
- ^ 澤田洋太郎『日本語形成の謎に迫る』(新泉社、1999年)、澤田洋太郎『アジア史の中のヤマト民族』(新泉社、1999年)
- ^ 詔旨子細採□【手庶】然上古之時言意並朴敷文構句於字即難已因訓述者詞不逮心全以音連者事 ... 以後、朝鮮神話・北方民族神話との類似性を指摘した三品彰英
ノート[編集]
外部リンク[編集]
- 「日本の神話 天孫降臨」 - 神社本庁