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「壱岐市立三島小学校」の版間の差分

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*[[2004年]](平成16年)[[3月1日]] - 町合併により、「'''壱岐市立三島小学校'''」(現在名)と改称。
*[[2004年]](平成16年)[[3月1日]] - 町合併により、「'''壱岐市立三島小学校'''」(現在名)と改称。
*[[2011年]](平成23年)[[8月1日]] - 原島分校そばに壱岐市学校給食センター原島調理場<ref>壱岐島本島には勝本町亀石地区に壱岐市学校給食センターが完成し、それまで地区によって異なっていた給食のシステムが統一され、新給食センター1カ所で調理され、壱岐島中の小学校・中学校に配送されるようになった。</ref><ref>[http://plaza.rakuten.co.jp/machi42iki/diary/201108010000/ 壱岐市学校給食センターの竣工式が行われました。] - 一支国物語ウェブサイト</ref>が完成。
*[[2011年]](平成23年)[[8月1日]] - 原島分校そばに壱岐市学校給食センター原島調理場<ref>壱岐島本島には勝本町亀石地区に壱岐市学校給食センターが完成し、それまで地区によって異なっていた給食のシステムが統一され、新給食センター1カ所で調理され、壱岐島中の小学校・中学校に配送されるようになった。</ref><ref>[http://plaza.rakuten.co.jp/machi42iki/diary/201108010000/ 壱岐市学校給食センターの竣工式が行われました。] - 一支国物語ウェブサイト</ref>が完成。
*[[2015年]](平成27年)3月31日 - 原島分校と長島分校を廃止し、大島本校に統合(予定)<ref name=to>「広報いき」 2015年(平成27年)1月号 p.3 壱岐市の将来のために</ref>。
*[[2015年]](平成27年
**2月21日 - 原島分校と長島分校で閉校式を挙行。
**3月31日 - 原島分校と長島分校を廃止し、大島本校に統合(予定)<ref name=to>「広報いき」 2015年(平成27年)1月号 p.3 壱岐市の将来のために</ref>。
**原島と長島の児童は市営の「フェリーみしま」を利用して本校に通学することとなる。
***原島と長島の児童は市営の「フェリーみしま」を利用して本校に通学することとなる。


==アクセス==
==アクセス==

2015年3月6日 (金) 21:48時点における版

壱岐市立三島小学校
過去の名称 第五大学区第四中学区渡良小学校大島分校
簡易大島小学校
渡良尋常小学校大島分教場
大島尋常小学校
渡良尋常高等小学校大島分教場
渡良村国民学校大島分教場
渡良村立渡良小学校大島分校
郷ノ浦町立渡良小学校大島分校
郷ノ浦町立三島小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 壱岐市
設立年月日 1875年明治8年)
共学・別学 男女共学
分校 原島分校
長島分校
学期 3学期制
所在地 811-5161
北緯33度44分18.2秒 東経129度38分4.9秒 / 北緯33.738389度 東経129.634694度 / 33.738389; 129.634694
プロジェクト:学校/小学校テンプレート
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壱岐市立三島小学校(いきしりつみしましょうがっこう, Iki City Mishima Elementary School)は長崎県壱岐市郷ノ浦町大島815に本校を置く公立小学校。略称は「三島小」(みしましょう)。

概要

歴史
1875年明治8年)に開校した「渡良小学校大島分校」を前身とする。数回の改称を経て1964年(昭和39年)に独立し、2004年平成16年)に現校名となった。
校名の由来
壱岐島本島の南西部、渡良(わたら)地区の沖に浮かぶ小島3島(大島・原島長島)の総称「渡良三島」が校名の由来となっている。
分校の所在地
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
本校は大島にあり、原島(はしま)と長島にそれぞれ分校を置いている。2015年(平成27年)3月末に分校は2校とも閉校となり、大島の本校に統合される予定[1]
校章
1967年昭和42年)に兵庫県在住の池田信弘によってデザインされた。三島をイメージした3つの円を組み合わせ、中央に「小」の文字を置く。
校歌
3番まであり、各番とも「三島小学校」で終わる。
通学区域

沿革

  • 1874年(明治7年)11月16日 - 第五大学区第四中学区渡良小学校が開校。校舎には太平寺が利用される。
  • 1875年(明治8年)- 渡良沖の大島に「渡良小学校大島分校」が開校。
  • 1887年(明治20年) - 「簡易大島小学校」と改称。
  • 1892年(明治25年)10月1日 - 「渡良尋常小学校大島分校」と改称。
  • 1896年(明治29年) - 原島に渡良尋常小学校原島分教場が設置される。(原島分校の創立)
  • 1903年(明治36年) - 大島分校が渡良尋常小学校から分離・独立し、「大島尋常小学校」となる。
  • 1904年(明治37年) - 原島分教場を廃止。
  • 1906年(明治39年) - 原島分教場が再設置。
  • 1916年(大正5年) - 原島分教場が渡良尋常高等小学校原島分校となる。
  • 1917年(大正6年) - 大島尋常小学校が「渡良尋常高等小学校大島分教場」となる。
  • 1918年(大正7年) - 長島に渡良尋常高等小学校長島分校が設置。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「渡良国民学校大島分教場」・原島分校・長島分校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革に伴い、「渡良村立渡良小学校大島分校」・原島分校・長島分校と改称。
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 町村合併により、「郷ノ浦町立渡良小学校大島分校」・原島分校・長島分校と改称。
  • 1964年(昭和39年) - 大島分校が分離・独立し、「郷ノ浦町立三島小学校」となる。また、原島分校と長島分校が移管される。
  • 1967年(昭和42年)- 校章を制定。
  • 1970年(昭和45年)- 完全給食を開始。給食は郷ノ浦町給食センター(柳田触)から船で届けられる。
  • 1974年(昭和49年)- 原島分校にへき地集会場(講堂)が完成。
  • 1975年(昭和50年)- 長島分校にへき地集会場(講堂)が完成。
  • 1977年(昭和52年)- 渡海船通勤が廃止となり、全職員が島内居住となる。
  • 1981年(昭和56年)- 長島分校にプールが、大島本校に鉄筋新校舎が完成。
  • 1983年(昭和58年)- 当時の高田勇長崎県知事が長島分校を視察。
  • 1986年(昭和61年)- 原島に鉄筋校舎が完成。
  • 1987年(昭和62年)- 台風12号により大被害を受ける。
  • 1988年(昭和63年)- 大島本校に体育館が完成。
  • 1990年(平成2年)- 三島緑の少年団を結成。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 町合併により、「壱岐市立三島小学校」(現在名)と改称。
  • 2011年(平成23年)8月1日 - 原島分校そばに壱岐市学校給食センター原島調理場[3][4]が完成。
  • 2015年(平成27年)
    • 2月21日 - 原島分校と長島分校で閉校式を挙行。
    • 3月31日 - 原島分校と長島分校を廃止し、大島本校に統合(予定)[1]
      • 原島と長島の児童は市営の「フェリーみしま」を利用して本校に通学することとなる。

アクセス

脚注

  1. ^ a b 「広報いき」 2015年(平成27年)1月号 p.3 壱岐市の将来のために
  2. ^ 平成22年度までは、市営船で壱岐市立渡良中学校に通うようになっていたが、規模適正化で旧郷ノ浦町内の武生水初山沼津、そして渡良の4中学校が統合され、壱岐市立郷ノ浦中学校となった。校舎は旧武生水中学校で、渡良地区の中学生は市営船(スクールボート)とスクールバスで通学する。
  3. ^ 壱岐島本島には勝本町亀石地区に壱岐市学校給食センターが完成し、それまで地区によって異なっていた給食のシステムが統一され、新給食センター1カ所で調理され、壱岐島中の小学校・中学校に配送されるようになった。
  4. ^ 壱岐市学校給食センターの竣工式が行われました。 - 一支国物語ウェブサイト

参考文献

関連

外部リンク

  • 壱岐市立三島小学校
    • 以前はウェブサイトがあったが、壱岐市立小学校・中学校のURL変更に伴い、公開されなくなった。