「原恵一」の版間の差分
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| 主な作品 = <!-- 誰もが認める代表作品を記述 -->'''アニメーション映画'''<br />{{Unbulleted list|『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲]]』|『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦]]』|『[[河童のクゥと夏休み]]』|『[[カラフル (2010年の映画)|カラフル]]』|『[[百日紅 〜Miss HOKUSAI〜]]』|『[[かがみの孤城]]』}} |
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'''実写映画'''<br />{{Unbulleted list|『[[はじまりのみち]]』}} |
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| 日本アカデミー賞 = '''[[日本アカデミー賞アニメーション作品賞|優秀アニメーション作品賞]]'''<br>[[第31回日本アカデミー賞|2007年]]『[[河童のクゥと夏休み]]』<br>[[第34回日本アカデミー賞|2010年]]『[[カラフル (2010年の映画)|カラフル]]』<br>[[第39回日本アカデミー賞|2015年]]『[[百日紅 〜Miss HOKUSAI〜]]』<br>[[第46回日本アカデミー賞|2022年]]『[[かがみの孤城]]』 |
| 日本アカデミー賞 = '''[[日本アカデミー賞アニメーション作品賞|優秀アニメーション作品賞]]'''<br>[[第31回日本アカデミー賞|2007年]]『[[河童のクゥと夏休み]]』<br>[[第34回日本アカデミー賞|2010年]]『[[カラフル (2010年の映画)|カラフル]]』<br>[[第39回日本アカデミー賞|2015年]]『[[百日紅 〜Miss HOKUSAI〜]]』<br>[[第46回日本アカデミー賞|2022年]]『[[かがみの孤城]]』 |
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| その他の賞 = '''[[藤本賞]]'''<br />'''奨励賞'''<br>[[2002年]]『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦]]』<hr>'''[[アヌシー国際アニメーション映画祭]]<br>長編作品 特別賞'''<br>[[2010年]]『[[カラフル (2010年の映画)|カラフル]]』<br>'''長編作品 審査員賞'''<br>[[2015年]]『[[百日紅 〜Miss HOKUSAI〜]]』<hr>'''[[TAMA映画祭]]<br>特別賞'''<br>[[2013年]]『[[はじまりのみち]]』<hr>'''[[紫綬褒章]]'''<br>[[2018年]] |
| その他の賞 = '''[[藤本賞]]'''<br />'''奨励賞'''<br>[[2002年]]『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦]]』<hr>'''[[アヌシー国際アニメーション映画祭]]<br>長編作品 特別賞'''<br>[[2010年]]『[[カラフル (2010年の映画)|カラフル]]』<br>'''長編作品 審査員賞'''<br>[[2015年]]『[[百日紅 〜Miss HOKUSAI〜]]』<hr>'''[[TAMA映画祭]]<br>特別賞'''<br>[[2013年]]『[[はじまりのみち]]』<hr>'''[[紫綬褒章]]'''<br>[[2018年]] |
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'''原 恵一'''(はら けいいち、[[1959年]]([[昭和]]34年)[[7月24日]] - )は、 |
'''原 恵一'''(はら けいいち、[[1959年]]([[昭和]]34年)[[7月24日]] - )は、[[日本]]の[[アニメ監督]]。[[群馬県]][[館林市]]出身。2007年に[[シンエイ動画]]を退社後は[[フリーランス]]<ref name="mantan20130606">{{cite web |url=https://mantan-web.jp/article/20130606dog00m200024000c.html |title=はじまりのみち:原恵一監督に聞く「迷ったときには木下恵介監督流の過激な選択をした」 |date=2013-06-06 |accessdate= 2024-01-24|website= まんたんウェブ|publisher=[[MANTAN]] }}</ref>。 |
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『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』の映画や『[[河童のクゥと夏休み]]』などでは[[挿入歌]]の作詞・作曲も担当することがある。 |
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世界35以上の映画賞を受賞し、国内外で高く評価されている<ref>{{cite web|url=https://kai-you.net/article/60840 |author=にいみなお |title =原恵一の新作アニメ映画『バースデー・ワンダーランド』 主演は松岡茉優 |date=2019-01-08 |accessdate= 2024-01-24|website =KAI-YOU- net|publisher =カイユウ}}</ref>。 |
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==経歴== |
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===生まれ=== |
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群馬県の[[駄菓子屋]]を営む家庭に生まれる<ref name="hamanop8">『アニメーション監督 原恵一』p.8</ref>。4人家族で妹が1人<ref name="hamanop8"/>。両親は映画好きで、テレビの洋画劇場を親と一緒によく見ていたという<ref name="hamanop10">『アニメーション監督 原恵一』p.10 - 11</ref>。小学校時代は当初は勉強はわりとできたものの、次第に追いつけなくなり、授業がつまらなくて眠くなった様子を教師から「死んだ魚のような目をしている」と評された<ref name="hamanop10"/>。その頃から絵を描くことを好み、幼稚園から小学生の頃は好きだった『[[ゴジラ]]』の絵が大半だったという<ref name="hamanop10"/>。もっとも小学生高学年になると『ゴジラ』からは自然に離れ、興味が無くなったとのこと<ref name="hamanop10"/>。 |
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== 来歴 == |
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中学生時代には当初陸上部に入ったが、2年生になったときに上級生部員がほとんどいなくなり、スカウトされて水泳部に移る<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.14。2年生の時には県大会にも出場したが、尻を叩く先輩がいなくなった3年生になると記録が伸びなかったという。</ref>。深夜放送やフォークギターに熱中し、志望校の公立高校には落ちて、滑り止めの私立高校へ進学<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.15</ref>。原によると、学力の低い不良がかった生徒が多い学校のために学校生活に馴染めず、高校には「行っていただけ」と述べている<ref name="hamanop17">『アニメーション監督 原恵一』p.17</ref>。中学の頃から自転車旅行を始め、高校時代には日本海側から[[ユースホステル]]に泊まったりしながら群馬まで戻ったこともあった<ref name="hamanop17"/>。また、高校1年生の時に見た『[[ガンバの冒険]]』に激しく共感したことを後年述べている<ref>『世界と日本のアニメーション ベスト150』ふゅーじょんぷろだくと、2003年(『アニメーション監督 原恵一』p.257 - 258に再録)</ref>。 |
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=== 生い立ち === |
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群馬県の[[駄菓子屋]]を営む家庭に生まれる{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=8}}。両親と妹が1人いる4人家族の長男{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=8}}。 |
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子供の頃からの夢だった「絵を描く」仕事に就くため、[[専門学校東京デザイナー学院|東京デザイナー学院]]{{efn|入ったアニメ学科はゲーム、声優学科とともに[[専門学校東京ネットウエイブ|東京ネットウエイブ]](現・専門学校東京クールジャパン)に併合された。}}アニメーション科へ進学する<ref name="mantan20130606"/>。しかし、ここで絵の上手な生徒の多さに圧倒され、そのことが演出への道を進むきっかけとなったという。アニメ学科に通いながらもアニメ作品は自ら進んでは見ず、アニメ好きが好んで見るようなアニメとも距離を置いていた。一方、『[[ぴあ (雑誌)|ぴあ]]』を片手に名画座に通いつめて実写映画は見ていた。 |
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美術大学には学力不足で進学できなかったものの、子供の頃から夢だった「絵を描く」仕事に就くため、アニメーションの専門学校である[[専門学校東京デザイナー学院|東京デザイナー学院]](現[[専門学校東京ネットウエイブ|東京ネットウエイブ]])へ進学。専門学校時代も『[[ぴあ (雑誌)|ぴあ]]』を片手に名画座に通いつめる。実写映画では[[小津安二郎]]、[[木下惠介]]、[[デヴィッド・リーン]]作品など、様々な作品を見て影響を受けた<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.19 - 20</ref>。しかしアニメ作品は自ら進んで見ず、アニメ好きが好んで見るようなアニメとは距離を置いていた{{efn|周囲の影響で見た作品のうち、『[[機動戦士ガンダム|ガンダム]]』はわりと好きだったが、『[[宇宙海賊キャプテンハーロック]]』や『[[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]]』はそんなに好きではなかったという。(『アニメーション監督 原恵一』p.21)}}。アニメファンの同級生から「原はどんなアニメが好きなんだ?」と聞かれ、原作も好きだった『[[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]]』を挙げると否定されるなど、専門学校時代も、周囲とは趣味が合わない生活を送る<ref name="hamanop21">『アニメーション監督 原恵一』p.21</ref>。原は当時誘われる形で見たアニメ作品に関して、『[[太陽の王子 ホルスの大冒険]]』はそんなに面白いとは思わなかったが、学院の文化祭で見た『[[どうぶつ宝島]]』『[[パンダコパンダ]]』『[[長靴をはいた猫]]』などは「むちゃくちゃ面白かった。あれで僕はアニメーションを見直した」と述べている<ref name="hamanop21"/>。また、絵の上手な生徒の多さに圧倒されたことも、演出への道を進むきっかけとなったという。 |
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===CM制作 |
=== CM制作会社時代 === |
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卒業制作に追われ |
東京デザイナー学院卒業後、CM制作会社のアドックシステムズに1年間勤務する<ref name="buzzfeed20171009">{{Cite web|url=https://www.buzzfeed.com/jp/tatsunoritokushige/worldofkeiichihara |author=徳重辰典 |title=1話オンエア前に辞めたい...原恵一が明かす「エスパー魔美」秘話 クレヨンしんちゃん以前の原恵一監督の原点 |website= |publisher= [[BuzzFeed Japan]] |date=2017-10-09 |accessdate= 2024-01-24}}</ref>。卒業制作に追われて[[アニメ制作会社]]の就職活動が疎かになってしまい、就職先が決まらないまま卒業を迎えてしまった。そこで、学院の就職課に紹介された[[東京ムービー]]の会社見学で勝手にコースから抜け出し、当時同社で『[[ルパン三世 (TV第2シリーズ)|ルパン三世]]』を演出していた[[アニメーター]]の[[御厨恭輔]]に入社を頼む{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=23-24}}。御厨から「自分は社員ではないので東京ムービーへの就職は後押しできないが[[絵コンテ]]を描いてくれば個人的に仕事を紹介できるかもしれない」と言われ、『ルパン三世』の完成台本を渡されると、1、2週間ほど後にそれを基に描いた絵コンテを持参した。そして、その数週間後に御厨から紹介されたアドックシステムズへ入社した{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=23-24}}。就職後は[[荏原製作所]]の企業広報映画や[[サンヨー食品]]などの[[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]]制作に携わる制作アシスタントとして1年半ほど勤務した。しかし、肉体労働やクライアントの尊大な要求に嫌気が差しているのを社長の[[黒川慶二郎]]に感づかれ、「君はアニメがやりたいんだね」と[[シンエイ動画]]を紹介される{{Efn|のちに原は転職先の斡旋に感謝しつつも肩叩きのようでショックでもあったと述懐している。}}。 |
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=== シンエイ動画時代 === |
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しかし、肉体労働やクライアントの尊大な要求に嫌気が差しているのを社長の[[黒川慶二郎]]に感づかれ、「君はアニメがやりたいんだね」と[[シンエイ動画]]を紹介される。原は転職先の斡旋に感謝しつつも、肩叩きのようでショックでもあったと述懐している。 |
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[[1982年]]4月にアニメ制作会社シンエイ動画に入社<ref name="mantan20130606"/>。『[[怪物くん (カラーアニメ)|怪物くん]]』班に配属されて[[制作進行]]を担当していたが、その後番組の『[[フクちゃん]]』参加中、欠員が出た『[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん]]』班に演出助手として異動。 |
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[[1984年]]、チーフディレクターが[[もとひら了]]から[[芝山努]]に交代した際、社内の演出助手に責任分担させるため、[[安藤敏彦]]と共に『ドラえもん』班の演出に昇格。もともと[[藤子・F・不二雄]]の原作漫画が好きだった原は、『ドラえもん』をただの子供向けの作品ではなく、自分の感じる楽しさをプラスアルファしたものにしようと毎回実験的な試みをした<ref name="buzzfeed20171009"/>。原の手掛けた『ドラえもん(第2作第1期)』の担当回は斬新な演出{{efn|[[2017年]][[7月7日]]まで[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん(第2作第2期)]]の初代監督であった[[善聡一郎]]は、てんとう虫コミックス『ドラえもん』25巻収録の「四次元ポケットにスペアがあったのだ」をアニメ化した「四次元ポケットのスペア(作品)」というエピソードで、のび太の悪戯に怒ったドラえもんが両手にタケコプターを持ってのび太の部屋に突入するシーンを一番の名演出とし「どっかで真似しよう」と思ったと語っている。そして2011年7月8日に同エピソードが放送された際、ドラえもんはタケコプターを持たずにのび太の部屋に突入している。}}や普段の回より凝った構図で注目されるようになった{{efn|[[アニメ雑誌]]『[[アニメージュ]]』[[1987年]]2月号では半ページの扱いで注目の若手演出家として特集された。}}。しかし一方で、社内ではその実験的な作風が「やりすぎだ」「これは『ドラえもん』じゃない」という反発も呼び、演出の手腕を疑問視されて作画スタッフと対立したこともあった<ref name="buzzfeed20171009"/>。はっきりと「原さんの作品はやりたくない」と言われたり、ケンカになったりしたという<ref name="buzzfeed20171009"/>{{efn|その際、仲裁したのは総作画監督の[[中村英一]]だった。}}。 |
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[[1982年]]4月に入社後、『[[怪物くん (カラーアニメ)|怪物くん]]』班に配属され[[制作進行]]を担当。後番組の『[[フクちゃん]]』の途中で欠員が出た『[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん]]』班に異動し、演出助手に昇格する。[[1984年]]、チーフディレクターが[[もとひら了]]から[[芝山努]]に交代した際、社内の演出助手に責任分担させるため、[[安藤敏彦]]と共に演出に昇格する。この人事を以て正式に演出デビューを果たす。『ドラえもん』の仕事を通じて、芝山の緻密な絵コンテの描き込み振りに多大な影響を受けた<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.30 - 31</ref>。 |
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1987年、『[[エスパー魔美]]』の[[チーフディレクター]](監督)に抜擢される<ref name="animeanime35752">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2017/10/24/35752.html |author=細川洋平 |title=映画監督・原恵一インタビュー 「クレしん」から「百日紅」まで…30年の歩みを振り返る |date=2017-10-24 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>。制作決定時に演出の一人として参加するつもりで手を挙げたところ、プロデューサーから指名された<ref name="buzzfeed20171009"/>。当時、20代後半でのチーフへの抜てきは異例のことだったので、原は「挑戦的なタイトルなので若い人にやらせてみようということだったのではないか」と推察している<ref name="animehack105363">{{cite web|url=https://anime.eiga.com/news/105363/ |author= |title=原恵一監督「エスパー魔美」は演出家としての信念貫いた原点「最後までブレなかった」 |date=2017-10-31 |accessdate= 2024-01-24|website= アニメハック|publisher= [[エイガ・ドット・コム]]}}</ref>。しかし、原が作りたい『エスパー魔美』と、[[テレビ局]]やプロデューサーが目指す『エスパー魔美』にはズレがあったので、苦労することになる<ref name="buzzfeed20171009"/>。原は[[超能力]]をあまり前面に出さず、主人公の魔美を平凡な中学2年生の女の子として描きたかったが、それでは彼らにとって画作りが地味すぎた<ref name="buzzfeed20171009"/>。さんざん「もっと派手にして欲しい」と言われて嫌気がさし、第1話のオンエア前に辞めたくなっていたが、何とか我慢して作り続けていると、出来上がった作品を見たプロデューサーやテレビ局の人間たちも次第に納得していってくれた<ref name="buzzfeed20171009"/>。また第96話では初めて脚本を手掛けた<ref name="animehack105224">{{cite web|url=https://anime.eiga.com/news/105224/ |author=氷川竜介 |title=特集「映画監督 原恵一の世界」に寄せて |date=2017-10-11 |accessdate= 2024-01-24|website= アニメハック|publisher= [[エイガ・ドット・コム]]}}</ref>。 |
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=== アニメ演出家として === |
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[[藤子・F・不二雄]]の漫画が好きで、シンエイ動画に入る前はアニメの『ドラえもん』よりも原作の方が面白いと思っていた原は、『ドラえもん』の演出となると一日中絵コンテを考える生活になる<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.29,32</ref>。原が担当した『ドラえもん』のいつもより凝った構図は早くも注目され、[[アニメ雑誌]]『[[アニメージュ]]』[[1987年]]2月号に半ページの扱いで、傑作を続出させる若手演出家として紹介を受けた。今でこそ『[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん(第2作第1期)]]』の担当演出作品はファンから絶大な支持を受けているが、当時のスタッフの中には彼の演出の手腕に難色を示した者も少なからず存在し、作画スタッフと対立を起こしたこともあった{{efn|その時に仲裁したのが総作画監督の[[中村英一]]であった。}}。[[2017年]][[7月7日]]まで[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん(第2作第2期)]]の初代監督であった[[善聡一郎]]は「四次元ポケットのスペア(てんとう虫コミックス『ドラえもん』25巻収録『四次元ポケットにスペアがあったのだ』のアニメ化作品)」という話でのび太の悪戯に怒ったドラえもんが両手にタケコプターを持ってのび太の部屋に突入するシーンを一番の名演出とし「どっかで真似しよう」と思ったと語っている{{efn|2011年7月8日に同エピソードが放送された際、ドラえもんはタケコプターを持たずにのび太の部屋に突入している。}}。 |
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1988年、『[[エスパー魔美 星空のダンシングドール]]』で映画監督デビュー<ref name="animeanime10221">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2012/05/20/10221.html |author= |title=『河童のクゥと夏休み』 原恵一監督インタビュー 前編 おとなと子どもの心を捉える物語の秘密 |date=2012-05-20 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>。原とメインライターとプロデューサーとで考えたオリジナルの[[プロット (物語)|プロット]]のいずれも原作者の藤子・F・不二雄はあまり気に入らず、「原作を元に『[[リリー (1953年の映画)|リリー]]』という古いアメリカ映画のような作品を作ってほしい」と言われた<ref name="buzzfeed20171009"/>。原はメインスタッフたちとその作品を鑑賞し、それを自分なりに生かして制作した<ref name="buzzfeed20171009"/>。 |
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『[[オバケのQ太郎 (アニメ)|オバケのQ太郎]]』の絵コンテを何本かやった以外は数年『ドラえもん』に専念したのち、1987年に『[[エスパー魔美]]』のチーフディレクターとして抜擢され、2年半の長きに渡る仕事を務め上げた。しかし、若さ故の信頼度の低さが災いしてあちこちからクレームの嵐が来た{{efn|1980年代当時、20代で監督に抜擢されることは異例だった。}}ため、ひどくストレスが溜まったという。後番組『[[チンプイ]]』でもチーフディレクターの打診があったが、『魔美』終了後に退社を覚悟で休職を申し出る{{efn|原の代わりにチーフディレクターに就任したのが、当時[[亜細亜堂]]所属の[[本郷みつる]]であった。}}。当時の専務である[[別紙壮一]]の配慮で「会社は辞めなくていいからしばらく休みなさい」と休職が認められ、『チンプイ』の絵コンテを数本切った後、約10ヶ月休職する<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.35、40</ref>。うち、7ヶ月半を海外旅行に費やし、[[マレーシア]]や[[インドネシア]]など[[東南アジア]]各国を巡った。 |
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復帰後は『チンプイ』の演出・絵コンテを少し手がけ |
『エスパー魔美』終了後、後番組『[[チンプイ]]』のチーフディレクターを打診されていたが、退社を覚悟で休職を申し出る{{efn|原の代わりにチーフディレクターに就任したのが、当時[[亜細亜堂]]所属の[[本郷みつる]]であった。}}。当時の専務である[[別紙壮一]]の配慮で休職が認められ、『チンプイ』の絵コンテを数本切った後、約10ヶ月休職する{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=35}}{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=40}}。復帰後は『チンプイ』の演出・絵コンテを少し手がけてから後番組『[[21エモン]]』の監督となるが、人気が今ひとつで39話で打ち切りとなった。 |
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[[1992年]]の番組開始当初から、アニメ『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』の制作に各話演出や絵コンテでローテーション入り<ref name="moviewalker1080990_1">{{cite web|url=https://moviewalker.jp/news/article/1080990/ |author=森直人 |title=『オトナ帝国』『戦国大合戦』…原恵一が「映画クレヨンしんちゃん」で起こした"作家性"の革命 (1) |date=2022-05-07 |accessdate= 2024-01-24|website= [[Movie Walker]]|publisher= [[株式会社ムービーウォーカー]]}}</ref>。1993年からスタートした劇場版シリーズには共同脚本{{Efn|シリーズ第2作『[[クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝]]』からシリーズ第4作『[[クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険]]』まで、本郷みつると共同脚本を務めた<ref name="moviewalker1080990_1"/>。}}や共同演出で参加した<ref name="animehack117648">{{cite web|url=https://anime.eiga.com/news/column/animehack_editors/117648/ |author= |title=原恵一監督の生涯ベスト映画、最近感銘を受けた作品は? |date=2022-12-27 |accessdate= 2024-01-24|website= アニメハック|publisher= [[エイガ・ドット・コム]]}}</ref>。 |
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===クレヨンしんちゃん=== |
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[[1992年]]には『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』が開始。監督には[[本郷みつる]]が就任し、各話の演出・作画のスタッフも『21エモン』までの人材がほぼスライドする形であったので、原もその流れでテレビ版・劇場版の両方で絵コンテや演出などを担当した。当初はシンエイ動画社内でも力を入れていた作品ではなく、上層部からも「半年(26回)持たせてくれ」という状態であったが、段々と視聴率が上がり、[[社会現象]]にまで至るブームとなる。原は「最初はやる気が起きなかったが、視聴率が上がるとこの仕事が面白くなって来た」と語っている。 |
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[[1996年]]のテレビシリーズ10月放送分より初代監督の[[本郷みつる]]の後を引き継いでチーフディレクターに就任し、劇場版も[[1997年]]の『[[クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡|暗黒タマタマ大追跡]]』から監督を務めるようになる<ref name="animeanime10221"/><ref name="moviewalker1080990_1"/>。 |
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[[1996年]]10月放送分より本郷みつるの後任の監督に就任し、劇場版も[[1997年]]の『[[クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡|暗黒タマタマ大追跡]]』から監督を務める。前任の本橋が好んだファンタジー路線から現実世界路線に転換、最終担当作となる『戦国大合戦』を除いては異世界やタイムスリップは描かなかった。[[2001年]]の『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲|嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲]]』は各方面で話題となり、その知名度を高め、さらに、翌年[[2002年]]の『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦|嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦]]』では、またもや各方面で絶賛され、[[文化庁メディア芸術祭アニメーション部門]]で大賞を受賞。テレビアニメの映画版としては史上初の受賞であり、特に[[日本PTA全国協議会]]の[[日本PTA全国協議会#子どもに見せたくない番組|子供に見せたくない番組]]ランキング常連でもある『クレヨンしんちゃん』で、[[文化庁]]から評価を受けたことは話題となった。 |
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[[2001年]]の『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲|嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲]]』は絶大な支持を得て、興行収入14.5億円と3作目以降の作品で最高益を記録した<ref name="animehack105224_2">{{cite web|url=https://anime.eiga.com/news/105224/2/ |author=氷川竜介 |title=特集「映画監督 原恵一の世界」に寄せて (2) |date=2017-10-11 |accessdate= 2024-01-24|website= アニメハック|publisher= [[エイガ・ドット・コム]]}}</ref><ref name="moviewalker1080990_2">{{cite web|url=https://moviewalker.jp/news/article/1080990/p2 |author=森直人 |title=『オトナ帝国』『戦国大合戦』…原恵一が「映画クレヨンしんちゃん」で起こした"作家性"の革命 (2) |date=2022-05-07 |accessdate= 2024-01-24|website= [[Movie Walker]]|publisher= [[株式会社ムービーウォーカー]]}}</ref>。それだけでなく、映画マニアやプロの評論家といったそれまで『クレヨンしんちゃん』に全く注目していなかった層も振り向かせることにも成功した<ref name="animehack105224_2"/><ref name="moviewalker1080990_2"/>。制作過程で完全に子供向けアニメの枠組みをはみ出してしまった原は、観客に否定されてクビになることも覚悟していたが、逆に大人にも子供にも受け入れられ、その批評性が高い評価を受けた<ref name="tiff45781">{{Cite web|和書|url=http://2017.tiff-jp.net/news/ja/?p=45781|title=原 恵一監督、王道ファンタジーに初挑戦! 18年完成の新作は「大サービスの娯楽映画」 『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』|accessdate=2019-01-19|website=東京国際映画祭}}</ref><ref name="shueisha661">{{cite web|url= http://wpb.shueisha.co.jp/2010/09/23/661/|title= アニメーション監督 原恵一「エヴァやジブリは意識していません」|date= 2010-09-23 |accessdate= 2024-01-24|website= [[週プレNEWS]]|publisher= [[集英社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121123045420/http://wpb.shueisha.co.jp/2010/09/23/661/ |archivedate=2012-11-23}}</ref>。また「大人も泣ける映画」としても大きな話題となったが、自身はメインの観客層である子どもたちが画面に集中していたことが大きな手応えとなったという<ref name="animehack105224_2"/>。 |
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[[2003年]]に劇場版の監督を[[水島努]]と交代してからは徐々に関わりを薄くし、[[2005年]]『[[クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃|伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃]]』([[ムトウユージ]]監督)では絵コンテに多少関わっている程度となった。降板の理由について「自分が劇場版に関わって10作目と区切りもいいし、ネタも何とか絞り出して出来たのが『オトナ帝国』と『戦国大合戦』の2作。これ以上続けても同じことの繰り返しにしかならない」と語っている。テレビアニメの方も[[2004年]]7月には完全に監督を[[ムトウユージ]]に引き継がせて降板する。 |
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[[2002年]]の『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦|嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦]]』では、前作のヒットの追い風もあり、さらに挑戦的な作品作りができるようになった<ref name="animehack105224_2"/>。ファミリー向けの映画とはいえ、見た人の心に深く残るような展開にしたいと考え、『しんちゃん』映画で一番ハードルが高いと思っていた「[[時代劇]]」「[[恋愛]]」そして「主要な人物が死ぬ」という3つのテーマを思いついた<ref name="getnews1914839">{{Cite web|url=https://getnews.jp/archives/1914839 |author=よしだたつき |title=『クレヨンしんちゃん』あの名作が誕生しなかった可能性も? 原恵一監督「モメました」と制作秘話を明かす |website= [[ガジェット通信]]|publisher= [[東京産業新聞社]] |date=2017-09-27 |accessdate= 2024-01-24}}</ref>。しかし、[[映画会社]]は問題なかったものの、テレビ局や[[広告代理店]]からは猛反対されて揉めに揉めた<ref name="getnews1914839"/>。最終的には原作者の[[臼井儀人]]にプロットを読んでもらった結果、原の案で制作が決まった<ref name="getnews1914839"/>。この作品も高い評価を得て、2002年度[[文化庁メディア芸術祭アニメーション部門]]大賞など、数々の賞を受賞した<ref name="moviewalker1080990_3">{{cite web|url=https://moviewalker.jp/news/article/1080990/p3 |author=森直人 |title=『オトナ帝国』『戦国大合戦』…原恵一が「映画クレヨンしんちゃん」で起こした"作家性"の革命 (3) |date=2022-05-07 |accessdate= 2024-01-24|website= [[Movie Walker]]|publisher= [[株式会社ムービーウォーカー]]}}</ref>。また2009年には、これを原案とする実写映画『[[BALLAD 名もなき恋のうた]]』([[山崎貴]]監督)が製作された<ref name="animehack105224_2"/>。 |
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2003年に映画監督の[[曽利文彦]]と知り合い、曽利のCGアニメ映画の脚本に抜擢され、実際に脚本も執筆したが、その企画は流れてしまった。 |
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『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を最後に劇場版の監督を[[水島努]]と交代し、原はテレビ、映画とも『クレヨンしんちゃん』との関わりを徐々に薄くしていく<ref name="animehack105224_2"/>。[[2004年]]7月にはテレビアニメもチーフ・ディレクターを[[ムトウユージ]]に引き継がせ、完全に降板した{{Efn|降板の理由について「自分が劇場版に関わって10作目と区切りもいいし、ネタも何とか絞り出して出来たのが『オトナ帝国』と『戦国大合戦』の2作。これ以上続けても同じことの繰り返しにしかならない」と語っている。}}。 |
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===河童のクゥと夏休み=== |
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同い年のプロデューサーである[[茂木仁史]]と長年温めた企画である、劇場映画『[[河童のクゥと夏休み]]』が、[[松竹]]系で[[2007年]][[7月28日]]に公開された。この作品について原は「この20年間でアニメ化したかった作品の第一位であり続けた」とコメントしている。 |
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2003年に映画監督の[[曽利文彦]]と知り合い、曽利の[[CGアニメ]]映画の脚本家に抜擢されて実際に執筆までしたが、その企画は流れてしまった。 |
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原は80年代後半、漫画原作のアニメ化が隆盛となり、アニメオリジナル作品が無い事を嘆いていた。そこで[[児童文学]]作品を読み漁り、出会ったのが[[木暮正夫]]原作の「かっぱびっくり旅」であった。原はアニメ化の許可を得るために木暮の許へ訪れた際、内容を大幅に書き換える旨を伝えた。木暮は「クゥが再び世に出るなら」とこれを快諾。1998年ごろに[[エニックス]](当時)が主催するアニメ企画のコンペに応募し、佳作までに至っているが、それ以降の進展はなかった。 |
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[[2007年]]7月28日、長年温めてきた企画である映画『[[河童のクゥと夏休み]]』が公開された<ref name="animehack117648"/>。原が一番やりたかった企画で、原作は[[木暮正夫]]による[[児童文学]]『かっぱ大さわぎ』<ref name="animeanime10221"/><ref name="animehack105224_2"/>。原作を初めて読んだ時から「この作品をもとにすればアニメーションで自分のやりたいことができる」「この作品をアニメにしたい」と感じ、いつまで経ってもその気持ちが消えなかった原は、20年近く企画を練り続けていた<ref name="animeanime10221"/><ref name="animehack105224_2"/>。実現はしなかったが、1998年ごろに一度アニメ化のチャンスがあった<ref name="animeanime10221"/>。[[エニックス]](当時)主催のアニメ企画のコンペに参加する話があり、原は同い年のプロデューサーである[[茂木仁史]]にこの作品をやりたいと相談して許可をもらうために原作者の木暮に会いに行っている<ref name="animeanime10221"/>。アニメ化は不可能だと思った原はその後、当時手掛けていた、『クレヨンしんちゃん』の映画でこの作品のために温めていたアイデアを小出しにして使っていった。すると、その『しんちゃん』映画の成功を受けて、企画にゴーサインが出た。前作から5年の期間があったが、実際に制作できる状況になるまでに時間がかかり、原は見切り発進で作り始めた<ref name="animeanime10220">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2012/05/20/10220.html |author= |title=『河童のクゥと夏休み』 原恵一監督インタビュー 後編 原監督5年ぶりの新作 |date=2012-05-20 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>。原がほぼ一人だけで作業している時間が長く、原曰く、「実質的な制作期間は2年間だった」。原作者の木暮は、完成を目前にした[[2007年]][[1月]]に死去。プレスリリース資料やムック本で、原は木暮に対して完成が遅れたことへの謝罪と感謝の弁を述べている{{Sfn|河童のクゥと夏休み公式ガイドブック|2007|p=3}}。 |
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原は『[[週刊少年チャンピオン]]』におけるインタビューにて『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』のテレビシリーズと劇場版を演出や監督として手掛けていた当時、本作をアニメ化することが実現出来ないと思っていた。そこで、本作でやりたいと思っていたアイデアを小出しにしていたという{{efn|『オトナ帝国の逆襲』で[[東京タワー]]が出るシーンなど。}}。しかし原のこの作品のアニメ化に対する熱意は変わらず、その後「しんちゃん」の成果を見た関係者から「やってみましょう」と言われ、遂にゴーサインが出された。そして、5年に及ぶ制作期間{{efn|原曰く、実質的な作業期間は2年間。}}を経て、世に示す運びとなる。 |
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=== フリーランス時代 === |
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原作者の木暮は、完成を目前にした[[2007年]][[1月]]に死去。プレスリリース資料やムック本で、原は木暮に対して完成が遅れたことへの謝罪と感謝の弁を述べている<ref>『原恵一と「河童」の長い旅 河童のクゥと夏休み OFFICIAL GUIDE』角川書店、2007年、p.3</ref>。 |
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[[2007年]][[3月]]、シンエイ動画を退社しフリーに<ref name="mantan20130606"/>。 |
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2010年8月21日、フリーになって第一作目の映画『[[カラフル (2010年の映画)|カラフル]]』が公開された<ref name="mantan20110816">{{cite web |url=https://mantan-web.jp/article/20110816dog00m200011000c.html |author= |title=カラフル:原恵一監督に聞く 「アニメらしさを削って作ろうと思った」 WOWOWでアニメ特集 |date=2011-08-16 |accessdate= 2024-01-24|website= まんたんウェブ|publisher=[[MANTAN]] }}</ref>。アニメ制作を担当した[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]の内田健二社長(当時)が[[森絵都]]による[[カラフル (小説)|同題の人気小説]]のアニメ化を企画し、最適な監督として原を選んでオファーを出した<ref name="animehack105224_2"/><ref name="animeanime4396">{{Cite web|和書|url=https://animeanime.jp/article/2009/03/20/4396.html|title=原恵一監督 劇場新作はサンライズと 「カラフル」2010年公開目指す|publisher=アニメ!アニメ!|date=2009-03-20 |accessdate=2010-07-15 }}</ref>。オファー自体は『河童のクゥと夏休み』以前に受けていたが、その終了を待ってシンエイ動画を退社してから制作に着手した<ref name="animehack105224_2"/>。2011年6月に開催された第35回[[アヌシー国際アニメーション映画祭]]で長編作品部門の特別賞と観客賞を受賞した<ref name="animeanime8182">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2011/06/12/8182.html |author= |title=「カラフル」原恵一監督 仏アヌシーで長編部門特別賞、観客賞W受賞 |date=2011-06-12 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>{{Efn|アヌシーの長編部門は、グランプリにあたるクリスタル賞(The Cristal for best feature)と特別賞、観客賞の3部門から構成されるが、このうち2部門に輝いた。}}。 |
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『戦国大合戦』以来5年ぶりの監督最新作として注目された同作も、多方面から高い評価を受け、平成19年度第11回[[文化庁メディア芸術祭アニメーション部門]]大賞を受賞したほか、アニメ作品では『[[千と千尋の神隠し]]』以来6年ぶりに[[キネマ旬報]]ベストテンに選出された。 |
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2013年6月1日に公開された日本を代表する映画監督・[[木下惠介]]の生誕100周年作品『[[はじまりのみち]]』で初めて[[実写映画]]の監督を務めた<ref name="animehack117648"/><ref name="natalie255330">{{cite web|url=https://natalie.mu/eiga/news/255330 |author= |title=原恵一、「はじまりのみち」振り返り加瀬亮を褒めちぎる |date=2017-11-03 |accessdate= 2024-01-24|website= [[ナタリー (ニュースサイト)|映画ナタリー]]|publisher= ナターシャ}}</ref>。このことについて原は「ずっと実写をやりたいと思っていたわけではない」「前向きにどうしても撮りたいという感じではなかった」が、かねてから木下監督にもっと光を当てたいという思いを抱いていたことから、「これは断れない」と思って引き受けた<ref name="animeanime14025">{{cite web|url= https://animeanime.jp/article/2013/05/12/14025.html |title=原恵一、細田守、樋口真嗣 日本を代表する3監督が映画をテーマにクロストーク |date=2013-05-12 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref><ref name="oricon2024513">{{cite web|url=https://www.oricon.co.jp/news/2024513/ |author= |title=原恵一監督初の実写映画『はじまりのみち』を細田・樋口両監督が絶賛 |date=2013-05-13 |accessdate= 2024-01-24|website= ORICON NEWS|publisher= [[オリコン]] }}</ref>。きっかけは、もともと木下のファンであることを公言していた原に松竹から「あるエッセイをもとに脚本を書いてほしい」というオファーがきたことだった<ref name="natalie255330"/>。当初脚本のみでの参加予定だったが、書いているうちに「この作品で監督をやらなければ後悔する」と思うようになり、自信はなかったが自分から監督をやりたいと手を挙げてそれが認められた<ref name="oricon2024513"/><ref name="gigazine20130522">{{Cite web|url=https://gigazine.net/news/20130522-keiichi-hara-interview/ |title=初実写監督作品「はじまりのみち」を撮り終えた原恵一監督にインタビュー |website= [[GIGAZINE]]|publisher=株式会社OSA|date=2013-05-22 |accessdate= 2024-01-24}}</ref>。 |
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===フリーランスに=== |
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[[2007年]][[3月]]、シンエイ動画を退社しフリーに。[[2009年]][[9月]]には『戦国大合戦』が『[[BALLAD 名もなき恋のうた]]』([[山崎貴]]監督)として実写映画化された。 |
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2015年5月9日公開の[[杉浦日向子]]原作のアニメ映画『[[百日紅 (漫画)|百日紅]]』で監督を務めた<ref>{{Cite web|url=https://getnews.jp/archives/946847 |author=藤本エリ |title=葛飾北斎の娘・お栄を凛々しく描いた『百日紅〜Miss HOKUSAI〜』原 恵一監督インタビュー |website= [[ガジェット通信]]|publisher= [[東京産業新聞社]] |date=2015-05-08 |accessdate= 2024-01-24}}</ref>。制作は[[プロダクション・アイジー|Production I.G]](以下、I.G)。『カラフル』のあとに次の仕事がなかなか決まらず、焦った原はまず最初に旧知の友人であるI.Gの[[石川光久]]に相談した<ref name="tiff63174">{{cite web|url=https://2023.tiff-jp.net/news/ja/?p=63174 |author= |title=「現実の世界には"かがみの孤城"はない」原恵一監督が忘れないでほしいと訴えたこと |date=2023-10-31 |accessdate= 2024-01-24|website= |publisher= [[東京国際映画祭]]}}</ref><ref name="animeanime23128">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2015/05/05/23128.html |author= |title=『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』原 恵一監督インタビュー‐前編‐ 「杉浦日向子作品は嫉妬するぐらい好き」 |date= 2015-05-05|accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>。その際、自分が作りたいと思っていた杉浦日向子の別の作品を参考のために持参したところ、石川がI.Gで以前企画してお蔵入りしていた『百日紅』を提案してきたので、すぐに引き受けた<ref name="otapol2904_1">{{cite web|url=https://otapol.com/2015/05/post-2904.html|author=加藤千高 |title=「『クレヨンしんちゃん』の時の感覚を思い出そうとした」原 恵一が語る『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』 (1)|date=2015-05-10 |accessdate= 2024-01-18|website= [[おたぽる]]|publisher= [[サイゾー]]}}</ref>。原はまず各話が独立したエピソードの『百日紅』をどうやって一本の映画に構成していくかというところから考え始めた。そして最初に自分が感動した「野分」というエピソードをクライマックスに持ってくることを決め、そこから逆算して構成を決めていった<ref name="otapol2904_1"/>。脚本自体は『はじまりのみち』制作の前に上がっていたが、絵コンテはその撮影が終了してから描き始めた<ref name="otapol2904_2">{{cite web|url=https://otapol.com/2015/05/post-2904_2.html|author=加藤千高 |title=「『クレヨンしんちゃん』の時の感覚を思い出そうとした」原 恵一が語る『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』 (2)|date=2015-05-10 |accessdate= 2024-01-18|website= [[おたぽる]]|publisher= [[サイゾー]]}}</ref>{{Efn|その間、『百日紅』の現場には待ってもらっていた。}}。映画はフランス、イギリス、ベルギーなど欧州6カ国で配給されたほか、[[宮崎駿]]監督作品の北米配給を数多く担当してきた[[GKIDS]]の下で、北米でも配給された<ref name="animehack101462">{{cite web|url=https://anime.eiga.com/news/101462/ |author= |title=原恵一監督、日常描写へのこだわり明かす「日本人としてのプライドを意識して描いている」 |date=2015-10-27 |accessdate= 2024-01-24|website= アニメハック|publisher= [[エイガ・ドット・コム]]}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0084411 |author= |title=原恵一監督『百日紅〜Miss HOKUSAI〜』北米配給決定! |date=2016-07-10 |accessdate= 2024-01-24|website=[[シネマトゥデイ]]|publisher=株式会社シネマトゥデイ}}</ref>。特にフランスでは、最初の上映館数は30数館だったのがどんどん増えていき、一番多いときには120館ほどで公開されていた<ref name="animehack101462"/>。この作品も高く評価され、国内外の映画賞を受賞した<ref name="animehack101459">{{cite web|url=https://anime.eiga.com/news/101459/ |author= |title=「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」が海外の映画祭で受賞続々 監督・原恵一も山路ふみ子文化賞を受賞 |date=2015-10-26 |accessdate= 2024-01-24|website= アニメハック|publisher= [[エイガ・ドット・コム]]}}</ref>。 |
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===カラフル=== |
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フリーとなってからの第一作は[[森絵都]]の小説『[[カラフル (小説)|カラフル]]』を原作とした[[カラフル (2010年の映画)|同名作品]]で、制作は[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]、2010年8月21日に全国東宝系で公開された<ref>原恵一監督 劇場新作はサンライズと 「カラフル」2010年8月21日公開目指す [https://animeanime.jp/article/2009/03/20/4396.html]</ref>。「カラフル」の映画化の企画は、サンライズの[[内田健二]]社長から原に提案されたもので、サンライズと仕事をするのはこれが初めてとなった[https://animeanime.jp/article/2009/03/20/4396.html]。同作は2011年6月に開催された第35回[[アヌシー国際アニメーション映画祭]]で長編作品部門の特別賞と観客賞を受賞した。 |
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2018年、紫綬褒章を受章した<ref>{{cite web|url=https://natalie.mu/eiga/news/306327 |author= |title=真田広之、原恵一、ケラリーノ・サンドロヴィッチら紫綬褒章を受章 |date=2018-11-02 |accessdate= 2024-01-24|website= [[ナタリー (ニュースサイト)|映画ナタリー]]|publisher= ナターシャ}}</ref>。 |
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===初の実写作品=== |
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[[2012年]]、[[10月26日]]にリリースされた木下惠介監督の映画『[[楢山節考 (1958年の映画)|楢山節考]]』のデジタルリマスター版ブルーレイディスクに収録されたオリジナル予告編の監督を手掛ける<ref name="eiga">[http://eiga.com/news/20120722/4/ 橋口亮輔×本木克英×原恵一、木下惠介代表作のオリジナル予告編を製作] 映画.com(2012年7月22日)</ref>。これについて原は「若いころに木下監督の傑作群を見て以来、常に木下映画が自分にとっての最高の手本となりました。何度見てもその気持ちは変わりません」とコメントしている<ref name="eiga"/>。 |
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[[2019年]]4月26日に4年ぶりの監督作品となる映画『[[バースデー・ワンダーランド]]』が公開された<ref name="mantan20190505">{{cite web |url=https://mantan-web.jp/article/20190504dog00m200014000c.html |author= |title=バースデー・ワンダーランド:「生ぬるい映画が大嫌い」な原恵一監督の新作 「想像力を刺激する作品になった」と自信 |date=2019-05-05 |accessdate= 2024-01-24|website= まんたんウェブ|publisher=[[MANTAN]] }}</ref>。同作は[[柏葉幸子]]の小説『地下室からのふしぎな旅』が原作で、原のキャリアでは初となる本格的な[[ファンタジー]]作品<ref name="animeanime45320">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2019/05/08/45320.html |author=山田幸彦 |title=「バースデー・ワンダーランド」原恵一監督が"初挑戦の本格ファンタジー"で伝えたかったことは? |date=2019-05-08 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0105988|title=松岡茉優、アニメ声優初主演 原恵一監督『バースデー・ワンダーランド』4.26公開|newspaper=シネマトゥデイ|date=2019-01-08|accessdate=2019-01-09}}</ref>。もともとファンタジー物にあまり興味がないので、オファーが来た時は不安もあったが、キャラクターがブレなければファンタジーだろうがリアルなものだろうが楽しんでもらえる自信はあったので引き受けたという<ref name="animeanime45320"/>。 |
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2012年9月28日、木下惠介生誕100年記念映画『[[はじまりのみち]]』を自身初の実写作品として手掛ける旨が発表され<ref name="kinoshita100">[http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/news/2012/09/28175500.html 木下惠介生誕100年記念映画製作決定! タイトルは『はじまりのみち』] 木下惠介生誕100年プロジェクト(2012年9月28日)</ref>、同年11月29日にクランクアップののち<ref>{{Cite web|和書|date=2012-12-05 |url=http://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=201212050002 |title=巨匠・木下恵介“生誕100年”の日に『はじまりのみち』最新画像が公開 |publisher=[[チケットぴあ]] |accessdate=2012-12-12}}</ref>、[[2013年]][[6月1日]]に公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2013-06-01 |url=http://cinema.pia.co.jp/news/160804/51572/ |title=加瀬亮「映画の発展に期待」、木下恵介生誕100周年映画『はじまりのみち』初日 |publisher=ぴあ映画生活 |accessdate=2013-06-01}}</ref>。 |
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[[2022年]]12月23日に[[辻村深月]]の小説をアニメ映画化した『[[かがみの孤城]]』が全国公開<ref>{{cite web|url=https://anime.eiga.com/news/116586/ |author= |title=「かがみの孤城」12月23日公開決定、特報披露 主人公の声優は15歳の新人・當真あみ |date=2022-07-28 |accessdate= 2024-01-24|website= アニメハック|publisher= [[エイガ・ドット・コム]]}}</ref>。依頼による仕事で、オファーに応える形で監督を引き受けた<ref name="bunshun59632">{{Cite web |url =https://bunshun.jp/articles/-/59632 |author = |title =「大好きな映画とか漫画とか小説から受けた傷で、傷だらけなんですよ」中学生7人の物語が『クレしん』監督の心を動かしたワケ |date =2022-12-23 |accessdate= 2024-01-24|website = [[文春オンライン]]|publisher = [[文藝春秋]]}}</ref>。『はじまりのみち』でも一緒に仕事をした松竹の[[新垣弘隆]]プロデューサーから「この原作はアニメで」という要望があり、「職人監督」「アニメ映画請負人」に徹して制作した<ref name="animationbusiness13972">{{cite web|url=http://animationbusiness.info/archives/13972 |author=数土直志 |title=ベストセラー小説「かがみの孤城」に挑んだアニメ監督・原恵一に訊く |date=2022-12-28 |accessdate= 2024-01-24|website= |publisher= アニメーションビジネス・ジャーナル}}</ref><ref name="cinema50681">{{cite web|url=https://cinema.ne.jp/article/detail/50681 |author=ヒナタカ |title=『かがみの孤城』原恵一監督インタビュー 「居場所がないのは当たり前」と教えてあげたい |date=2022-12-22 |accessdate= 2024-01-24|website=シネマズPLUS|publisher=[[ギークピクチュアズ]]}}</ref>。以前監督した『カラフル』で中学生を題材にしたので、再び中学生を扱う映画を作ることには抵抗があった<ref name="bunshun59632"/>。そこで長年の付き合いのI.Gの石川光久に相談したところ、この作品は絶対やった方がいいと勧められ、引き受けることにした<ref name="bunshun59632"/>。2023年2月17日時点で観客動員数は約81万人、興行収入10億円を突破<ref>{{Cite web|和書|title=かがみの孤城:興収10億円突破 81万人動員 |url=https://mantan-web.jp/article/20230217dog00m200032000c.html|website=MANTANWEB(まんたんウェブ)|date=2022-12-26|accessdate=2023-02-21}}</ref>。自身の監督作品としては『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』以来となる興行収入10億超えのヒットとなった。2023年5月には新作映像「かがみの孤城の前と後」付きで再上映された<ref>{{cite web|url=https://eiga.com/news/20231031/8/ |author= |title=「現実の世界には"かがみの孤城"はない」 原恵一監督が忘れないでほしいと訴えたこと |date=2023-10-31 |accessdate= 2024-01-24|website= 映画.com|publisher= [[エイガ・ドット・コム]]}}</ref>。第52回[[ロッテルダム国際映画祭]]のLimelight部門に邦画アニメで史上初の正式出品となり{{Efn|その年の映画界で注目を集めるハイライト作品で構成されるもので、実写映画では2017年に[[是枝裕和]]監督の『[[海よりもまだ深く]]』、2022年に[[濱口竜介]]監督の『[[ドライブ・マイ・カー (映画)|ドライブ・マイ・カー]]』が出品されている。}}、現地時間[[2023年]]2月2日に上映された<ref name="animeanime75369">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2023/02/06/75369.html |author= |title=「かがみの孤城」邦画アニメ史上初!「ロッテルダム国際映画祭」Limelight部門へ正式出品 原恵一監督が現地入り |date=2023-02-06 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>。 |
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===百日紅=== |
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2014年4月、[[杉浦日向子]]原作の漫画『[[百日紅 (漫画)|百日紅]]』の劇場アニメを2015年公開を前提に監督として制作予定であることが報じられた<ref>{{Cite web|和書|date=2014-04-25 |url=https://natalie.mu/comic/news/115198 |title=杉浦日向子「百日紅」を原恵一がアニメ映画化、来年公開 |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]] |accessdate=2014-04-28}}</ref>。制作は[[プロダクション・アイジー]]。2014年6月に、アヌシー国際アニメーション映画祭で、プロダクション・アイジーのスタッフにより製作発表会見が開かれた<Ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-13 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2038604/full/|title=原恵一監督最新作『百日紅』 仏・アヌシー映画祭で製作発表|publisher=オリコン|accessdate=2014-06-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-13 |url=http://eiga.com/news/20140613/14/|title=北斎と浮世絵の世界を描く原恵一監督の「百日紅」 仏アヌシーで製作発表会見|publisher=映画.com|accessdate=2014-06-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-13 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0063787|title=原恵一監督の最新作の新場面写真が公開!仏アニメ映画祭で製作発表会見|publisher=シネマトゥデイ|accessdate=2014-06-14}}</ref>。クライマックスをどうするかは最初から決めていて、あとは逆算してお栄とお猶の姉妹関係をオリジナルのエピソードとして随所に入れていこうと思った、と発言している<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/Otapol_201505__miss_hokusai/ クライマックスをどうするかは最初から決めていた]</ref>。 |
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== 作風 == |
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2015年4月17日に完成披露イベントが開かれ、5月9日に公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2015-04-18 |url=http://eiga.com/news/20150418/5/|title=「百日紅」の原恵一監督「僕には絶対超えられない天才」と原作者の故杉浦日向子さんを称賛|publisher=映画.com|accessdate=2015-04-18}}</ref>。2015年6月に開かれた第39回アヌシー国際アニメーション映画祭で長編部門審査員賞を受賞した。 |
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藤子・F・不二雄作品や『クレヨンしんちゃん』シリーズなどのキャラクター主導の[[プログラムピクチャー]]において、周りに妥協せずに自分を貫くことで頭角を現した<ref name="animehack105224"/><ref name="ign19040">{{cite web|url=https://jp.ign.com/entertainment/19040/news/ |author=谷口隆一 |title=アニメーション監督の原恵一が実写映画を撮って驚いたこと、感じた役者の凄み「田中裕子恐るべし」 |date=2017-11-03 |accessdate= 2024-01-24|website= IGN Japan |publisher= 産経デジタル }}</ref>。マンガ原作の「キャラクターもの」を得意とする会社で作った作品からにじみ出る作家性が評価され、やがてオリジナル作品をつくるチャンスを獲得していった<ref name="animehack105224"/>。 |
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シンエイ動画でのキャリアを経て、フリーになってからは[[アセンション (アニメ制作会社)|アセンション]]、Production I.G、[[A-1 Pictures]]と、作品ごとに異なる制作スタジオと仕事をしている<ref name="otapol2904_2"/>。 |
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=== バースデー・ワンダーランド === |
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2017年の[[第30回東京国際映画祭]]にて「映画監督 原 恵一の世界」と題して特集上映が組まれ、その中で自身初となるファンタジー映画を製作中であることを明かした<ref>{{Cite web|和書|url=http://2017.tiff-jp.net/news/ja/?p=45781|title=原 恵一監督、王道ファンタジーに初挑戦!18年完成の新作は「大サービスの娯楽映画」 『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』|accessdate=2019-01-19|website=東京国際映画祭}}</ref>。そして[[2019年]]1月8日、4年ぶりの監督作品となる『[[バースデー・ワンダーランド]]』が4月公開予定と発表された<ref>{{Cite news|url=https://eiga.com/news/20190108/2/|title=原恵一監督&松岡茉優が再タッグ!「バースデー・ワンダーランド」4月26日公開|newspaper=映画.com|date=2019-01-08|accessdate=2019-01-09}}</ref><ref name="ct">{{Cite news|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0105988|title=松岡茉優、アニメ声優初主演 原恵一監督『バースデー・ワンダーランド』4.26公開|newspaper=シネマトゥデイ|date=2019-01-08|accessdate=2019-01-09}}</ref>。同作は[[柏葉幸子]]の小説『地下室からのふしぎな旅』が原作で、発表に際して原は「あらゆる世代に楽しんでもらえる作品をつくりたいと思ったのが企画のきっかけです」「僕としては初めての本格的なエンターテインメント映画への挑戦となります」とコメントした<ref name="ct"/>。 |
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原恵一監督の作家性は、「アニメとはそういうもの」という思いこみから脱し、映画として自由になろうという気概に見いだせる<ref name="animehack105224"/>{{Efn|本人は、監督としてのキャリアの大部分を社員監督としてやってきたので、自身の作家性への思いは強くないという<ref name="animationbusiness4151">{{cite web|url=http://animationbusiness.info/archives/4151 |author=数土直志 |title=原恵一監督 インタビュー "35年の仕事の歩みを訊く" |date=2017-10-24 |accessdate= 2024-01-24|website= |publisher= アニメーションビジネス・ジャーナル}}</ref>。}}。商業作品の監督なので観客へのサービスを忘れたことはないが、時代のトレンドにはあまり流されたくないと思っている<ref name="animeanime35752"/>。『クレヨンしんちゃん』の映画を作っていた時に「枠にはめる映画はつまらない」「自分にウソをついていないものを作ったほうが多くの人に受け入れられる」と気づき、それからは作る前にジャンル分けしたりターゲットを定めたりせず、自分の思った通りに作りたいものを作ることにしている<ref name="shueisha661"/><ref name="animeanime10220"/><ref name="animationbusiness4151"/>。 |
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=== かがみの孤城 === |
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[[2022年]]7月21日、次の劇場アニメ監督作として、[[辻村深月]]原作の『[[かがみの孤城]]』を2022年冬に公開予定で制作中と報じられた<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/486148|title=劇場アニメ「かがみの孤城」監督は原恵一、「あの花」A-1 Picturesが制作|newspaper=映画ナタリー|date=2022-07-21|accessdate=2022-07}}</ref>。その後12月23日に全国公開<ref>{{Cite| |
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web|url=https://movies.shochiku.co.jp/kagaminokojo|title=映画『かがみの孤城』公式サイト|accessdate=2023-01-01}}</ref>。2022年12月24日と翌25日の2日間の映画動員ランキング([[興行通信社]]調べ)で初登場6位<ref>{{Cite web|和書|title=『THE FIRST SLAM DUNK』が4週連続で1位!4位に『ブラックナイトパレード』、6位に『かがみの孤城』など3作品が初登場(2022年12月24日-12月25日)/ニュース - CINEMAランキング通信 |url=http://www.kogyotsushin.com/archives/topics/t8/202212/26155236.php |website=www.kogyotsushin.com |access-date=2023-02-21}}</ref>となり、2023年2月17日時点で観客動員数は約81万人、興行収入10億円を突破<ref>{{Cite web|和書|title=かがみの孤城:興収10億円突破 81万人動員 |url=https://mantan-web.jp/article/20230217dog00m200032000c.html |website=MANTANWEB(まんたんウェブ) |access-date=2023-02-21 |language=ja-JP}}</ref>。自身の監督作品としては『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦]]』以来となる興行収入10億超えとなった。 |
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原恵一作品の特徴は、アニメの枠に囚われない幅広い映像表現や作品ごとにまったく異なる作風<ref name="animeanime34278">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2017/06/15/34278.html |author= |title=第30回東京国際映画祭でアニメーション特集「原恵一の世界」開催 |date=2017-06-15 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>。同じことを繰り返しても面白くないと思っており<ref name="animehack105353">{{cite web|url=https://anime.eiga.com/news/105353/ |author= |title=原恵一監督、映画クレしん「戦国大合戦」で挑んだ“時代劇・恋愛・死”というハードル |date=2017-10-29 |accessdate= 2024-01-24|website= アニメハック|publisher= [[エイガ・ドット・コム]]}}</ref>、『かがみの孤城』では中学生という題材を以前『カラフル』で扱ったため、監督を引き受けるのをためらった<ref name="bunshun59632"/>。『映画 クレヨンしんちゃん』シリーズも、前任の本郷みつるが好んだファンタジー路線から現実世界路線に転換、最終担当作となる『戦国大合戦』を除いて現代の日本を舞台に設定していた。 |
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第52回[[ロッテルダム国際映画祭]]のLimelight部門に邦画アニメで史上初の正式出品となり、現地時間[[2023年]]2月2日に上映された<ref>{{Cite web|和書|title=映画『かがみの孤城』邦画アニメ初快挙、ロッテルダム国際映画祭正式出品&原監督登壇 |url=https://www.crank-in.net/news/122138/1 |website=クランクイン!- エンタメの「今」がわかる 映画&エンタメニュースサイト |access-date=2023-02-21 |language=ja}}</ref>。 |
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全方位的なサービス精神にあふれており、シリアスなテーマがあっても、喜怒哀楽と人間の多彩な感情が散りばめられており、見る人を豊かな気持ちにする<ref name="animehack105224"/>。 |
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==受賞歴== |
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*[[ドラミちゃん アララ・少年山賊団!]](1991年) |
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「絵に描けば何でもできる」というアニメの特性に寄りかからず、オーソドックスな演出法によって地に足のついた誰にでも通じる描写を積み重ねているにもかかわらず、人の心に突き刺さって忘れがたい印象を残すので、国境や歳月を超えた普遍性がある<ref name="animehack105224"/>。 |
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**第9回[[ゴールデングロス賞]]最優秀金賞 |
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*[[ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!!]](1993年) |
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「誰も傷つかないような毒にも薬にもならない、生ぬるい映画が大嫌いだ」という<ref name="mantan20190505"/>。人間関係は綺麗ごとだけでは済まないし、世界には残酷なこともあるのだから、それをシビアに、真っ向から描くのが映画監督の仕事だと思っている<ref name="daily20221224">{{Cite news |url =https://www.daily.co.jp/leisure/kansai/2022/12/24/0015916884.shtml |author=華崎陽子 |title =映画『かがみの孤城』の原恵一監督「職人的な感覚で、原作の印象を壊さずに映像化」 |newspaper = [[デイリースポーツ]]|date =2022-12-24 |accessdate= 2024-01-24}}</ref>。 |
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**第11回ゴールデングロス賞優秀銀賞 |
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*[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲]](2001年) |
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これまで完全にオリジナルの作品は作っておらず、小説や漫画の映画化を手掛けている<ref name="bunshun59632"/><ref name="daily20221224"/>。作品によっては物語を自分で考えているが、原作の人間関係などの設定は守ってそれを膨らませている。そういうところこそがオリジナルよりも豊かな物語を生むと信じている<ref name="daily20221224"/>。 |
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** [[日本のメディア芸術100選]]アニメーション部門選出 |
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** [[キネマ旬報]]創刊85周年オールタイムベスト・テン アニメーション部門7位 |
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アニメーションの制作で一番こだわっているのは絵コンテ<ref name="animeanime23475">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2015/05/30/23475.html |author= |title=『百日紅〜Miss HOKUSAI〜』原 恵一×『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』安彦良和スペシャル対談 |date=2015-05-30 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>。絵コンテ次第でどれくらい自分の思う作品に出来るかが決まるので、いちばん注力して緻密に作り込む<ref name="animeanime35752"/><ref name="animehack117648"/>。脚本との大きな違いは、絵コンテは監督の間合いである「秒数」を入れることができることで、それによって作品のリズムが決まる<ref name="animeanime23475"/>。絵コンテを描いている途中でラストシーンが見えてくるので、そこに向けて進んでいく<ref name="daily20221224"/>。納得のいく絵コンテが描けたということは自分の頭の中で一度映画が完成しているということなので、あとは他のスタッフに任せてズレそうになった時に修正していくだけで良いからである<ref name="animehack117648"/><ref name="animeanime23475"/>。絵コンテには細かい指示まで書く方だが、アニメーターのアドリブが入っても、それで自分が考えた以上に良くなることもあると思っているので、絵コンテで指示されたこと以外はやるなとは言わない<ref name="animationbusiness4151"/>。 |
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** キネマ旬報創刊90周年オールタイムベスト・テン 日本映画アニメーション部門4位 |
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*[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦]](2002年) |
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音楽も、絵コンテを描きながら入る部分を全て決め、指示も全部絵コンテに書いてしまう<ref name="mantan20190505"/><ref name="animeanime23475"/>。作曲はできないがどういう感じの音楽が欲しいのかは必ず書き込むようにしており、転調のタイミングやインとアウトも全て指示している<ref name="mantan20190505"/>。 |
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** 2002年第6回[[文化庁メディア芸術祭アニメーション部門]]大賞 |
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** 2002年第7回[[アニメーション神戸]]個人賞 |
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ファンタジーというものにあまり興味が持てない<ref name="mantan20190505"/>。キャラクターが生き生きと劇中で立っているような作品作りを目指しているので、不思議な世界観や不思議な能力などにあまり頼りたくないという気持ちが強く、超能力者が主人公の『エスパー魔美』でも超能力に魔法のような万能性を与えず、希望や指針をあたえるに留め、事件を解決するのはあくまでも当事者としている<ref name="animehack105224"/><ref name="mantan20190505"/>。舞台設定も、ほかのアニメ監督のほとんどが飛躍した舞台を扱っているのに対し、原恵一作品はたとえ「ここではないどこか」を扱っていても必ず現実世界との接点を持たせており、それが観客に「いま、ここ」を顧みる作用をもたらす<ref name="animehack105224"/>。 |
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** 2002年度[[日本インターネット映画大賞]] 日本映画作品賞(旧ニフティ映画大賞) |
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** 第57回[[毎日映画コンクールアニメーション映画賞]] |
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絵だけが突出したような作品や思わせぶりな映像の見せ方には興味がなく、実写も含めてきちんとストーリーのある映画を作りたいという<ref name="animeanime23475"/>。映画作りで大切なことは「キャラクターを立たせること」だと思っていて、良いストーリーに加えて、キャラクターたちがちゃんと立っていれば、どんなジャンルでも面白くなると信じている<ref name="animeanime45320"/>。 |
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** 第2回[[東京アニメアワード]] 劇場映画部門優秀作品賞・個人賞部門監督賞 |
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** 第22回[[藤本賞]]奨励賞 |
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スタッフとぶつかってでも最終決定は自分でしなければならない立場の監督は孤独である必要があるという<ref name="cinema50681"/>。その一方で、作品はスタッフみんなで作っているという意識が強く、自分の考えと逆方向に向かった時に内心「そっちの方向じゃない」と感じていても、それでより良くなるのであれば別に構わないという<ref name="animationbusiness4151"/>。 |
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*[[河童のクゥと夏休み]](2007年) |
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** 2007年第11回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞 |
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実写とアニメーション両方の制作経験を持つ原は、両者の違いを実写は画面から不要なものをなくす"引き算"、アニメーションは何もない空間に描いていく"足し算"と表現し<ref name="natalie547088">{{cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/547088 |author= |title=原恵一・片渕須直らが語るアニメの可能性、手描きの強みは"いい嘘"がつけること |date=2023-10-30 |accessdate= 2024-01-24|website= [[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|publisher= ナターシャ}}</ref>、実写映画を監督後は「アニメでも引き算の手法を取り入れたいとしている<ref name="cinema50681"/>。 |
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** [[第31回日本アカデミー賞]]優秀アニメーション作品賞 |
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** 第81回[[キネマ旬報ベスト・テン]] 日本映画第5位 |
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実写制作では、絵コンテであらかじめ全てのキャラクターの動きや表情まで作るアニメーションに対し、実写は現場でカット割りを決め、役者の演技が自分の想定を外れてくることに驚かされた<ref name="animeanime35752"/>。アニメは同じ絵が作れるし全て計算できるが実写はそうはいかず、「そのときにしか撮れない景色や光、生身の役者の演技」といった偶然性によって作られるものだと理解した<ref name="animeanime35752"/><ref name="animationbusiness4151"/>。あまりにスムーズに仕事が進み、アニメに戻った時は一コマ一コマ描く絵コンテ作業を苦痛に感じたという<ref name="animeanime35752"/>。 |
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** 第9回台北映画祭子供映画部門オーディエンス・チョイス・アウォード(観客賞) |
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** 第29回[[ヨコハマ映画祭]]ベストテン 日本映画 第5位 |
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アニメーター出身の監督が多い中で、実写の映像が基盤となった画作りをしていることが自身の強みだと言う<ref name="natalie547088"/>。アニメーターではないためか、手描きアニメへのノスタルジーはアニメーター出身の監督ほどはない<ref name="animeanime35752"/>。3DCGのアニメーションにはそれほど違和感を抱いておらず、手描きよりも3DCGで作った方がいいという題材があれば全く抵抗は感じないという<ref name="animeanime35752"/>。実写作品も同じで、その方がいいと思う作品があれば実写で撮りたいと思っている<ref name="animeanime35752"/>。 |
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** 第50回[[朝日ベストテン映画祭]] 日本映画第2位 |
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** 第62回毎日映画コンクール アニメーション映画賞 |
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意識しているのは木下惠介らの1950〜60年代の日本映画<ref name="animationbusiness4151"/>。映画産業の黄金期で数多くの作品が作られ、しかも戦争という極限状態を経験した人たちがいろいろな制約があるなかで工夫して作っていたので今後それを超える映画はもう生まれないからとのこと<ref name="shueisha661"/>。 |
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** 第2回 Invitation AWARDS アニメーション賞 |
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** 第7回東京アニメアワード 国内劇場部門優秀賞・個人賞部門脚本賞 |
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作品によっては作詞・作曲を行なうこともある(『クレヨンしんちゃん』の映画や『[[河童のクゥと夏休み]]』の[[挿入歌]]など)<ref name="gigazine20130522"/>。 |
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*[[カラフル (2010年の映画)|カラフル]](2010年) |
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** 第4回ソウル国際家族映像祝祭 外国映画部門観客賞 |
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== 影響 == |
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** 第14回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞 |
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実写映画のファンで、[[木下惠介]]、[[黒澤明]]、[[小津安二郎]]、[[デヴィッド・リーン]]作品など、様々な作品を見て影響を受けた{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=19-20}}。幼少時、両親(特に母親)がいつも見ていたテレビの「洋画劇場」のようなものを一緒に見ていて好きになった<ref name="gigazine20130522"/>{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=10-11}}{{Efn|当時は毎日のようにテレビで映画を流していたので、浴びるように見ていた。}}。少年時代は洋画中心で、邦画はほとんど見ていなかった<ref name="gigazine20130522"/>{{Efn|邦画で見ていたのは[[ゴジラ]]映画くらいだった。}}。邦画を見るようになったのはシンエイ動画に入社してからで、[[オールナイト]]などに行って黒澤明監督作など古い日本映画をよく見ていた<ref name="animeanime35752"/>。木下惠介のすごさに気付いたのもその頃だった<ref name="animeanime35752"/>。 |
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** [[第34回日本アカデミー賞]] 優秀アニメーション作品賞 |
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** 第65回毎日映画コンクール アニメーション映画賞 |
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映画監督では木下惠介を影響を受けた人物として挙げ、同じことをやらない挑戦的な部分を高く評価している<ref name="animeanime35752"/><ref name="animehack105224_2"/><ref name="N0052630">{{cite web|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0052630|author=壬生智裕|title=原恵一×細田守×樋口真嗣、アニメ界を支える3人は飲み友達!! 原監督の実写デビューについて大いに語る!!|date=2013-05-12|accessdate= 2024-01-18|website=[[シネマトゥデイ]]|publisher=株式会社シネマトゥデイ}}</ref>。生涯のベスト映画は、木下監督の『[[二十四の瞳 (映画)|二十四の瞳]]』<ref name="animehack117648"/>。ヒーローをあまり描かず、弱い人を描いている点や作品の多彩さに驚かされ、20代後半から木下作品にのめり込んでいったという<ref name="mantan20130606"/><ref name="animehack117648"/>。黒澤明や小津安二郎との評価の差を不当に感じていて、木下作品をもっと見てもらえるよう個人的にあちこちで声を上げている<ref name="animeanime11568">{{cite web|url=https://animeanime.jp/article/2012/09/28/11568.html |author= |title=原恵一監督が実写映画に挑む 木下惠介生誕100年記念「はじまりのみち」製作決定 |date=2012-09-28 |accessdate= 2024-01-24|website=アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]}}</ref>{{Efn|そのことがきっかけで木下の生誕100年記念の映画『はじまりのみち』を監督することになった。}}。そして[[ヴィム・ヴェンダース]]が小津を評価したことで評価が逆輸入されたように、木下も海外で誰かに発見されて再評価されて欲しいと願っている<ref name="animationbusiness4151"/>。 |
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** 第20回[[日本映画プロフェッショナル大賞]]ベストテン第10位 |
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** 第35回[[アヌシー国際アニメーション映画祭]]長編作品特別賞・観客賞 |
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漫画家で江戸風俗研究家の[[杉浦日向子]]の作品に20代後半の頃に出会って衝撃を受け、「いつかこの人の作品をアニメーションとしてやってみたい」とずっと思っていた<ref name="animeanime23475"/>。作品にはその影響が強く出ている<ref name="otapol2904_1"/><ref name="eiga20150418">{{Cite web|和書|date=2015-04-18 |url=http://eiga.com/news/20150418/5/|title=「百日紅」の原恵一監督「僕には絶対超えられない天才」と原作者の故杉浦日向子さんを称賛|publisher=映画.com|accessdate=2015-04-18}}</ref>。 |
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*[[はじまりのみち]](2013年) |
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** 第5回[[TAMA CINEMA FORUM|TAMA映画賞]]特別賞 |
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原の作品にいちばん影響を与えているのは脚本家の[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]<ref name="cinema50681"/>。「物語における会話はこうあるべきだ」と教えられたという<ref name="cinema50681"/>。初稿から関係者を納得させる決定稿をあげてくる点も尊敬している<ref name="cinema50681"/>。 |
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** 第38回[[キネマ旬報ベスト・テン]]読者選出日本映画第10位 |
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*東京アニメアワードフェスティバル2015・アニメドール賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0071641|title=『クレしん』原恵一監督、手描きアニメの重要さを力説 特別賞アニメドールに感激|publisher=シネマトゥデイ|date=2015-03-19|accessdate=2015-03-20}}</ref> |
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[[芝山努]]を師匠と思っている<ref name="animehack105363"/>。『ドラえもん』の仕事を通じて、芝山の緻密な絵コンテの描き込みに多大な影響を受けた{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=30-31}}。もともと業界に入った時から演出をやりたいと思っていたが、演出助手として関わった『ドラえもん のび太の魔界大冒険』で監督の芝山の絵コンテのあまりの面白さに衝撃を受けたことが大きな転機となった<ref name="buzzfeed20171009"/><ref name="animeanime35752"/>。他のコンテと比べて芝山のものは芝居の間の取り方や緩急の付け方が群を抜いており、それを見てどうすれば面白くなるのかを初めて理解した<ref name="buzzfeed20171009"/><ref name="animeanime35752"/>。 |
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*[[百日紅 (漫画)|百日紅]](2015年) |
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**第39回アヌシー国際アニメーション映画祭長編作品審査員賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://animeanime.jp/article/2015/06/21/23781.html|title=原恵一監督「百日紅」、アヌシー国際映画祭で長編部門審査員賞を受賞|publisher=アニメ!アニメ!|date=2015-06-21|accessdate=2015-06-21}}</ref> |
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藤子・F・不二雄の作品が好きで、子供の頃はもちろん、アニメ業界に入った現在も影響を受け続けている<ref name="buzzfeed20171009"/>。リアルタイムで出合ったのは『[[オバケのQ太郎]]』『[[パーマン]]』『[[ドラえもん]]』<ref name="buzzfeed20171009"/>。アニメの『ドラえもん』を制作するシンエイ動画に入社する前から原作の方が面白いと思っていた原は、仕方がないこととはいえ、『ドラえもん』に関わっている人間全員が『ドラえもん』を大好きなわけではないことを残念に思っていた{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=29}}{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=32}}。 |
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**[[ファンタジア国際映画祭]] 今敏賞(長編アニメーション優秀賞)・セカンス賞アジア映画優秀賞・長編アニメーション観客賞<ref>{{Cite web|和書|date=2015-08-07 |url=http://eiga.com/news/20150807/11/ |title=渋谷すばる、カナダ・ファンタジア国際映画祭で最優秀男優賞受賞!! |publisher=[[映画.com]] |accessdate=2015-11-15}}</ref><ref>{{Cite web |date=2015-08-11 |url=http://www.animenewsnetwork.com/news/2015-08-11/miss-hokusai-wins-3-awards-at-fantasia-intl-film-festival/.91515|title=Miss Hokusai Wins 3 Awards at Fantasia Int'l Film Festival|publisher=Anime News Network |accessdate=2015-11-15}}</ref> |
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**[[山路ふみ子映画賞|山路ふみ子文化賞]](2015年)<ref>{{Cite web|和書|date=2015-10-18 |url=http://eiga.com/news/20151018/7/ |title=「第39回山路ふみ子映画賞」に是枝裕和監督の「海街diary」 |publisher=[[映画.com]] |accessdate=2015-10-19}}</ref> |
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==評価== |
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**[[シッチェス・カタロニア国際映画祭]]アニメーション部門最優秀作品賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/163384 |title= 大泉洋出演「アイアムアヒーロー」シッチェス映画祭で2冠、日本公開は2016年|publisher=映画ナタリー|date=2015-10-19|accessdate=2015-10-21}}</ref> |
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「[[松竹]]映画の[[木下惠介]]や[[小津安二郎]]といった監督の後継者」と[[東京大学]]大学院教授の浜野保樹から評された{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=264-283}}。 |
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**[[第39回日本アカデミー賞]] 優秀アニメーション作品賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/39.html|title=第39回日本アカデミー賞優秀賞決定!|publisher=日本アカデミー賞協会|accessdate=2016-01-18}}</ref> |
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**第70回毎日映画コンクールアニメーション映画賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20160121/k00/00m/040/131000c|title=毎日映画コンクール 大賞に橋口監督の「恋人たち」|publisher=[[毎日新聞]]|date=2016-01-21|accessdate=2016-01-21}}</ref> |
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[[樋口真嗣]]は原を「強い[[トルク]]を持つ男」「恐ろしい男」と評しており、「そんな恐ろしい男がいる限り、私はアニメーションに関して"手伝い"以上の仕事に関わりたくないのである」と記している{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=127-129}}。また[[細田守]]は『河童のクゥと夏休み』『カラフル』の両作品において応援・評価のメッセージを寄せ、それぞれ作品の公式サイトや宣伝素材で紹介された。 |
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* [[紫綬褒章]](2018年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www8.cao.go.jp/shokun/hatsurei/30aki/meibo_hosho/hosho-13tokyo.pdf|title=平成30年秋の褒章 受章者 東京都|format=PDF|accessdate=2023-05-08|publisher=[[内閣府]]|date =2018-11-03|page=2}}</ref> |
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* [[かがみの孤城]](2022年) |
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劇作家の[[中島かずき]]から『クレヨンしんちゃん』の劇場版について、本郷みつるが[[ファンタジー]]・[[サイエンス・フィクション|SF]]志向であるのに対し、原は日常を淡々と描くリアル志向であると評された。 |
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** [[第46回日本アカデミー賞]] 優秀アニメーション作品賞 |
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== 人物 == |
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幼少時から絵を描くことを好み{{Efn|幼稚園から小学生の頃は好きだった『ゴジラ』の絵が大半だったという。}}、絵を描くことを仕事にするのが夢だった<ref name="gigazine20130522"/>{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=10-11}}。「画家になりたい」というような具体的な夢ではなく、「普通のサラリーマンではないような仕事に就きたい」という程度の漠然とした思いだった<ref name="gigazine20130522"/>。 |
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小学校時代は当初は勉強はわりとできたものの、次第に追いつけなくなり、授業がつまらなくて眠くなった様子を教師から「死んだ魚のような目をしている」と評された{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=10-11}}。中学生時代には当初陸上部に入ったが、2年生になったときに上級生部員がほとんどいなくなり、スカウトされて水泳部に移る{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=14}}{{Efn|2年生の時には県大会にも出場したが、尻を叩く先輩がいなくなった3年生になると記録が伸びなかったという。}}。深夜放送やフォークギターに熱中し、高校は志望校の公立には落ちて、滑り止めの私立へ進学した{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=15}}。高校は、原曰く「学力の低い不良がかった生徒が多い学校」で、学校生活には馴染めずただ行っていただけとのこと{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=17}}。美術大学には学力不足で進学できなかったので、アニメーションの専門学校に進学した。 |
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アニメ監督の[[細田守]]、[[樋口真嗣]]とは飲み友達でプライベートでも交流がある<ref name="N0052630"/>。樋口によると、原は「どんなに酒を飲んでもヘッチャラ」で、「私は完膚無きまでに叩きのめされ、夜明けの[[新宿駅]]に沈み、泣いた」と記している{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=127-129}}。 |
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旅行好きで、たまに仕事を休んで東南アジアやヨーロッパへ出かける。中学や高校時代には自転車旅行で途中[[ユースホステル]]に泊まったりしながら日本海側から群馬まで戻ったこともあった{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=17}}。シンエイ動画時代の途中までは、愛好者の先輩社員に誘われて[[登山]]にもしばしば出かけていた{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=96}}。会社を休職した時も7ヶ月半を海外旅行に費やし、[[マレーシア]]や[[インドネシア]]など東南アジア各国を巡った。 |
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[[携帯電話]]・[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]・[[ファクシミリ|ファックス]]などといった通信機器は一切所持しない主義である{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=95}}{{Efn|存在否定ではなく、「もう余計なものを見たくないし身につけたくない」と述べている。『オトナ帝国の逆襲』のケンは自分のそうした気分が乗り移ったキャラクターとも話している。}}。2005年の[[矢島晶子]]との対談では、その時点でも自宅の電話が[[黒電話]]であると述べている{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=162}}。そのため、原とコンタクトを取りたい者は非常に苦労する事が多いという。[[浜野保樹]]は初めて会う約束をした際に原が「遅れることもなく、定刻通りやってきた」と記している{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=282}}一方、上記の対談で原は矢島から「時間厳守してくださいね」と言われ、文中に「この対談にも原恵一は大幅に遅刻した」という注記がなされている{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=167}}{{Efn|矢島の発言は、『しんちゃん』の関係者で[[バリ島]]に旅行した際、約束した集合時間に原が戻ってこなかったことを踏まえたもの。}}。あるラジオ番組のゲスト出演でリスナーから「遠距離恋愛の相手からメールが来ない」という悩みの相談を受け、原は「携帯を持っていないのでその気持ちは分からないが、手紙で時間と手間をかけて相手に思いを伝えてみたらどうか」という発言をしている。 |
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[[THE BLUE HEARTS|ブルーハーツ]]のファン。自ら脚本まで手がけたアニメ『エスパー魔美』の第96話「俺たちTONBI」では、ブルーハーツのポスターが登場する。原はBGMにブルーハーツの曲を使いたいと思っていたが、版権の都合で実現しなかった。エスパー魔美のイベントでは、曲を使えなかった悔しさから、シーンを無音にして、自分で曲を掛けながら鑑賞したことを語った。『カラフル』ではブルーハーツの「[[青空 (THE BLUE HEARTSの曲)|青空]]」を、[[miwa]]がカバーする形でエンディングに使用した。この他にも、[[井上陽水]]などのフォークや洋楽も愛好している。 |
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[[ファンタジー]]作品はあまり好まないが、[[宮沢賢治]]の作品は例外で、大人になってから再発見して評価するようになった{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=110-111}}。 |
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「[[探偵!ナイトスクープ]]」の大ファン。『河童のクゥと夏休み』の大阪キャンペーンで、[[朝日放送テレビ|ABC]]の関係者からステッカーと探偵手帳をもらっている。また、NHKの「[[週刊ブックレビュー]]」(2008年7月26日放送回)に出演した際には、おすすめ本として「探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子」([[松本修 (プロデューサー)|松本修]]著)を紹介している。 |
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== アニメに対するスタンス == |
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しばしばアニメより実写向けの人材であると評されるが、何故アニメ業界に拘るのかと問われると、一生ものの難問だと苦笑しながらも、現実に存在するものを人の手で描くことで生まれる、全く違った味に惹かれている、と答えている<ref>NHKラジオ第一「渋谷アニメランド」2010年7月20日放送回より。</ref>。一方、2004年の浜野保樹との対談では「(実写でも)僕はかまわない。たまたまアニメを選んで20年以上その現場にいるので、アニメの作り方も大分解かってきている。アニメ会社に所属し続けているわけですし(引用者注:この当時はまだシンエイ動画に所属)、それでアニメを作っているということです」とも発言している{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=81}}。 |
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浜野との対談では、「ここ10年でよかったのは『[[人狼 JIN-ROH]]』([[沖浦啓之]]監督)と『[[マインド・ゲーム (アニメーション映画)]]』([[湯浅政明]]監督)くらい」と述べ、理由を「(アニメは)ちょっと気になるのは見るのですが、『これはすごいぞ』と思えるのは、好みですが、ここのところあんまりない。『何見てもうんざりする』というか(笑)」と話している{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=104}}。 |
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『人狼 JIN-ROH』に関しては、地味な芝居を丹念に描き、アニメの気持ち悪さがないのが良いとしている。原の言うアニメの気持ち悪さとは、「気持ち悪いキャラや、それに合わせて気持ち悪い声を出す声優や、勘違いした演出家などが放つ自意識過剰なナルシシズムとかろくでもないもの」とのこと{{Sfn|世界と日本のアニメーションベスト150|2003|p=51}}{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=259-260}}。この発言について、原は「そういう言葉だけがいまだにネットとかに残ってるのって、今の時代の怖さですよね。実際はそこまで嫌ってるわけじゃないですよ」と述べている<ref>{{cite web|url= http://wpb.shueisha.co.jp/2010/09/23/661/|title= アニメーション監督 原恵一「エヴァやジブリは意識していません」|date= 2010-09-23 |accessdate= 2024-01-16|website= [[週プレNEWS]]|publisher= [[集英社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121123045420/http://wpb.shueisha.co.jp/2010/09/23/661/ |archivedate=2012-11-23}}</ref>。アニメ声優に関しては、いわゆるアニメ声とオーバーな演技が苦手だとも語っている{{Sfn|サイゾー 8月号|2007|p=63}}。 |
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アニメ作品では、高校1年生の時に見た『[[ガンバの冒険]]』に激しく共感したことを後年述べている{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=257-258}}{{Sfn|世界と日本のアニメーションベスト150|2003|p= }}。[[杉井ギサブロー]]監督による『[[銀河鉄道の夜]]』のアニメ映画も好きで「賢治の映像化作品の中で自分が見た中では一番いい」と述べ、[[高畑勲]]監督の『[[セロ弾きのゴーシュ]]』のアニメ映画についても「あれもよかった。ああいうのがあるので、生半可な気分じゃできない」と評価している{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|pp=110-111}}。また、過去のアニメ全般では『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』が好きで、「個人的には世界一のアニメだと思う」と語っている{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=104}}。 |
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専門学校時代は、アニメファンの同級生から「原はどんなアニメが好きなんだ?」と聞かれ、原作も好きだった『[[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]]』を挙げたが否定されるなど、周囲とは趣味が合わない生活を送った{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=21}}。 |
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当時誘われる形で見たアニメ作品に関して、『[[太陽の王子 ホルスの大冒険]]』はそんなに面白いとは思わなかったが、文化祭で見た『[[どうぶつ宝島]]』『[[パンダコパンダ]]』『[[長靴をはいた猫]]』などは「むちゃくちゃ面白かった。あれで僕はアニメーションを見直した」と述べている{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=21}}。 |
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また、周囲の影響で見た作品では、『[[機動戦士ガンダム|ガンダム]]』はわりと好きだったが、『[[宇宙海賊キャプテンハーロック]]』や『[[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]]』はそんなに好きではなかったという{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=21}}。 |
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『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』([[庵野秀明]]監督)にはハマっていたらしく、『[[クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦]]』のキャラクター「お色気」の担当声優に[[三石琴乃]]を起用したのも[[葛城ミサト]]を意識したキャラ設定を行っていたためで、しんのすけのことを「しんちゃん」と呼んでいるのも、主人公の[[碇シンジ]]のことを「シンちゃん」と呼んでいたことからである{{Sfn|クレヨンしんちゃん大全|2011|p=}}。 |
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『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』に登場するチャコについて、[[小林愛]]の声を見つけたことが自分のキャスティングの上で大きかったと述べている{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=83}}。小林については、『[[∀ガンダム]]』で偶然声を聞き、『しんちゃん』のスタッフで『∀ガンダム』に参加していた[[池端隆史]]を介してデモテープを聴き、決定したという{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=83}}。 |
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技術の発達で一人で作ったアニメでもパッケージとして売り物になる時代が来て、そういう道もこれからはあるとわかったことは評価しながらも、作品の中身が大事と考えており、[[新海誠]]の『[[ほしのこえ]]』には「僕はついていけなかった」と述べている{{Sfn|アニメーション監督 原恵一|2005|p=93}}。 |
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==作品リスト== |
==作品リスト== |
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===テレビアニメ=== |
===テレビアニメ=== |
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* [[怪物くん (カラーアニメ)|怪物くん ]](1980年 - 1982年)制作進行 |
* [[怪物くん (カラーアニメ)|怪物くん ]](1980年 - 1982年)制作進行 |
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* [[フクちゃん]]([[1984年]])制作進行 |
* [[フクちゃん#テレビアニメ|フクちゃん]]([[1984年]])制作進行 |
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* [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん]] ([[1983年]] - [[1986年]])演出助手・絵コンテ・演出 |
* [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん]] ([[1983年]] - [[1986年]])演出助手・絵コンテ・演出 |
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* [[エスパー魔美]] ([[1987年]] - [[1989年]])'''チーフディレクター'''・脚本・絵コンテ・演出・OP絵コンテ |
* [[エスパー魔美#アニメ|エスパー魔美]] ([[1987年]] - [[1989年]])'''チーフディレクター'''・脚本・絵コンテ・演出・OP絵コンテ |
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* [[チンプイ]] (1989年)絵コンテ |
* [[チンプイ#テレビアニメ|チンプイ]] (1989年)絵コンテ |
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* [[八百八町表裏 化粧師]] ([[1990年]])絵コンテ |
* [[八百八町表裏 化粧師]] ([[1990年]])絵コンテ |
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* [[21エモン]] ([[1991年]])'''チーフディレクター'''・脚本・絵コンテ・演出 |
* [[21エモン#テレビアニメ|21エモン]] ([[1991年]])'''チーフディレクター'''・脚本・絵コンテ・演出 |
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* [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]] ([[1992年]] - [[2004年]])'''監督''' |
* [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]] ([[1992年]] - [[2004年]])'''監督'''(2代目・1996年-2004年)、脚本・絵コンテ・演出、OP/ED絵コンテ・演出 |
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* [[景山民夫のダブルファンタジー]] ([[1994年]])絵コンテ |
* [[景山民夫のダブルファンタジー]] ([[1994年]])絵コンテ |
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* [[川の光]] ([[2009年]])演出協力 |
* [[川の光#アニメ|川の光]] ([[2009年]])演出協力 |
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* [[ボールルームへようこそ]]([[2017年]])絵コンテ 5話・6話・11話・13話 |
* [[ボールルームへようこそ#テレビアニメ|ボールルームへようこそ]]([[2017年]])絵コンテ 5話・6話・11話・13話 |
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===アニメ映画=== |
===アニメ映画=== |
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* [[かがみの孤城#劇場アニメ|かがみの孤城]]([[2022年]])'''監督''' |
* [[かがみの孤城#劇場アニメ|かがみの孤城]]([[2022年]])'''監督''' |
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===実写=== |
=== 実写映画 === |
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* [[はじまりのみち]] (2013年)'''監督'''・脚本 |
* [[はじまりのみち]] (2013年)'''監督'''・脚本 |
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== 受賞歴 == |
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{| class="wikitable" style="font-size:small" |
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アニメ監督の[[細田守]]、[[樋口真嗣]]とは飲み友達でプライベートでも交流がある<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0052630 原恵一×細田守×樋口真嗣、アニメ界を支える3人は飲み友達]</ref>。樋口によると、原は「どんなに酒を飲んでもヘッチャラ」で、「私は完膚無きまでに叩きのめされ、夜明けの[[新宿駅]]に沈み、泣いた」と記している<ref name="higuchi">樋口真嗣「強いトルクの男」『アニメーション監督 原恵一』P.127 -129</ref>。 |
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!年 |
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!作品 |
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!賞 |
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!部門 |
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!結果 |
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| 1991年 |
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| [[ドラミちゃん アララ・少年山賊団!]] |
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| 第9回[[ゴールデングロス賞]] |
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| 日本映画 |
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|{{Won}}(最優秀金賞) |
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| 1993年 |
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| [[ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!!]] |
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| 第11回ゴールデングロス賞 |
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| 日本映画 |
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| {{Nom}}(優秀銀賞) |
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| rowspan="3" style="text-align:left"| 2001年 |
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| rowspan="3" style="text-align:left"| [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲]] |
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| [[日本のメディア芸術100選]] |
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| アニメーション部門 |
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| style="text-align:center"| 選出 |
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| [[キネマ旬報]]創刊85周年オールタイムベスト・テン |
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| アニメーション部門 |
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| style="text-align:center"| 7位 |
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| キネマ旬報創刊90周年オールタイムベスト・テン |
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| 日本映画アニメーション部門 |
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| style="text-align:center"| 4位 |
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| rowspan="7" style="text-align:left"| 2002年 |
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| rowspan="7" style="text-align:left"| [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦]] |
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| 第6回[[文化庁メディア芸術祭]] |
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| アニメーション部門 |
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|{{Won}}(大賞) |
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| 第7回[[アニメーション神戸]] |
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| 個人賞 |
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|{{Won}} |
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| 2002年度[[日本インターネット映画大賞]] |
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| 日本映画作品賞(旧ニフティ映画大賞) |
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|{{Won}} |
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| 第57回[[毎日映画コンクール]] |
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| [[毎日映画コンクールアニメーション映画賞|アニメーション映画賞]] |
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|{{Won}} |
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| rowspan="2" style="text-align:left"| 第2回[[東京アニメアワード]] |
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| 劇場映画部門 |
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| {{Nom}}(優秀作品賞) |
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| 個人賞部門 |
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| {{Won}}(監督賞) |
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| 第22回[[藤本賞]] |
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| |
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| {{Nom}}(奨励賞) |
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| rowspan="10" style="text-align:left"| 2007年 |
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| rowspan="10" style="text-align:left"| [[河童のクゥと夏休み]] |
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| 第11回文化庁メディア芸術祭 |
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| アニメーション部門 |
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| {{Won}}(大賞) |
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| [[第31回日本アカデミー賞]] |
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| 最優秀アニメーション作品賞 |
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| {{Nom}}(優秀アニメーション作品賞) |
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|- |
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| 第81回[[キネマ旬報ベスト・テン]] |
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| 日本映画 |
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| style="text-align:center"| 第5位 |
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|- |
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| 第9回台北映画祭 |
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| 子供映画部門 |
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| {{Nom}}(オーディエンス・チョイス・アウォード) |
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| 第29回[[ヨコハマ映画祭]]ベストテン |
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| 日本映画 |
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| style="text-align:center"| 第5位 |
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| 第50回[[朝日ベストテン映画祭]] |
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| 日本映画 |
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| style="text-align:center"| 第2位 |
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| 第62回毎日映画コンクール |
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| アニメーション映画賞 |
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|{{Won}} |
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| 第2回 Invitation AWARDS |
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| アニメーション賞 |
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|{{Won}} |
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| rowspan="2" style="text-align:left"| 第7回東京アニメアワード |
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| 国内劇場部門 |
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| {{Nom}}(優秀賞) |
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| 個人賞部門 |
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| {{Won}}(脚本賞) |
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| rowspan="7" style="text-align:left"| 2010年 |
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| rowspan="7" style="text-align:left"| [[カラフル (2010年の映画)|カラフル]] |
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| 第4回ソウル国際家族映像祝祭 |
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| 外国映画部門 |
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| {{Nom}}(観客賞) |
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| 第14回文化庁メディア芸術祭 |
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| アニメーション部門 |
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| {{Nom}}(優秀賞) |
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| [[第34回日本アカデミー賞]] |
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| 最優秀アニメーション作品賞 |
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| {{Nom}}(優秀アニメーション作品賞) |
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| 第65回毎日映画コンクール |
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| アニメーション映画賞 |
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|{{Won}} |
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| 第20回[[日本映画プロフェッショナル大賞]] |
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| ベストテン |
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| style="text-align:center"| 第10位 |
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| rowspan="2" style="text-align:left"| 第35回[[アヌシー国際アニメーション映画祭]] |
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| rowspan="2" style="text-align:left"| 長編作品 |
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| {{Nom}}(特別賞) |
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| {{Nom}}(観客賞) |
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| rowspan="2" style="text-align:left"| 2013年 |
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| rowspan="2" style="text-align:left"| [[はじまりのみち]] |
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| 第5回[[TAMA CINEMA FORUM|TAMA映画賞]] |
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| {{Nom}}(特別賞) |
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| 第38回[[キネマ旬報ベスト・テン]] |
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| 読者選出日本映画 |
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| style="text-align:center"| 第10位 |
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| 2015年 |
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| 個人 |
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| 東京アニメアワードフェスティバル2015<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0071641|title=『クレしん』原恵一監督、手描きアニメの重要さを力説 特別賞アニメドールに感激|publisher=シネマトゥデイ|date=2015-03-19|accessdate=2015-03-20}}</ref> |
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| {{Won}}(特別賞「アニメドール」) |
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| rowspan="8" style="text-align:left"| 2015年 |
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| rowspan="8" style="text-align:left"| [[百日紅 (漫画)|百日紅]] |
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| 第39回アヌシー国際アニメーション映画祭 |
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| 長編作品<ref>{{Cite web|和書|url=https://animeanime.jp/article/2015/06/21/23781.html|title=原恵一監督「百日紅」、アヌシー国際映画祭で長編部門審査員賞を受賞|publisher=アニメ!アニメ!|date=2015-06-21|accessdate=2015-06-21}}</ref> |
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| {{Nom}}(審査員賞) |
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| rowspan="3" style="text-align:left"|[[ファンタジア国際映画祭]] |
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| 今敏賞(長編アニメーション優秀賞) |
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|{{Won}} |
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| セカンス賞 |
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| {{Nom}}(アジア映画優秀賞) |
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| 長編アニメーション<ref>{{Cite web|和書|date=2015-08-07 |url=http://eiga.com/news/20150807/11/ |title=渋谷すばる、カナダ・ファンタジア国際映画祭で最優秀男優賞受賞!! |publisher=[[映画.com]] |accessdate=2015-11-15}}</ref><ref>{{Cite web |date=2015-08-11 |url=http://www.animenewsnetwork.com/news/2015-08-11/miss-hokusai-wins-3-awards-at-fantasia-intl-film-festival/.91515|title=Miss Hokusai Wins 3 Awards at Fantasia Int'l Film Festival|publisher=Anime News Network |accessdate=2015-11-15}}</ref> |
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| {{Nom}}(観客賞) |
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| [[山路ふみ子映画賞]](2015年)<ref>{{Cite web|和書|date=2015-10-18 |url=http://eiga.com/news/20151018/7/ |title=「第39回山路ふみ子映画賞」に是枝裕和監督の「海街diary」 |publisher=[[映画.com]] |accessdate=2015-10-19}}</ref> |
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| 山路ふみ子文化賞 |
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|{{Won}} |
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| [[シッチェス・カタロニア国際映画祭]] |
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| アニメーション部門<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/163384 |title= 大泉洋出演「アイアムアヒーロー」シッチェス映画祭で2冠、日本公開は2016年|publisher=映画ナタリー|date=2015-10-19|accessdate=2015-10-21}}</ref> |
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| {{Won}}(最優秀作品賞) |
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|- |
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| [[第39回日本アカデミー賞]] |
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| 最優秀アニメーション作品賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/39.html|title=第39回日本アカデミー賞優秀賞決定!|publisher=日本アカデミー賞協会|accessdate=2016-01-18}}</ref> |
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| {{Nom}}(優秀アニメーション作品賞) |
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| 第70回毎日映画コンクール |
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| アニメーション映画賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20160121/k00/00m/040/131000c|title=毎日映画コンクール 大賞に橋口監督の「恋人たち」|publisher=[[毎日新聞]]|date=2016-01-21|accessdate=2016-01-21}}</ref> |
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| {{Won}} |
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| 2018年 |
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| 個人 |
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| [[紫綬褒章]](<ref>{{Cite web|和書|url=https://www8.cao.go.jp/shokun/hatsurei/30aki/meibo_hosho/hosho-13tokyo.pdf|title=平成30年秋の褒章 受章者 東京都|format=PDF|accessdate=2023-05-08|publisher=[[内閣府]]|date =2018-11-03|page=2}}</ref> |
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| |
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|{{Won}} |
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| 2022年 |
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| [[かがみの孤城]] |
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| [[第46回日本アカデミー賞]] |
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| 最優秀アニメーション作品賞 |
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| {{Nom}}(優秀アニメーション作品賞) |
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|} |
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==著書== |
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本人曰く、アニメ界には友達が少ない<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.91</ref>。また、怠け者で仕事中でもよく居眠りをするのでスタッフにたびたび叱られる事があるとのこと。たまに会社を休んでは東南アジアやヨーロッパへ出かける旅行好きでもある。シンエイ動画時代の途中までは、愛好者の先輩社員に誘われて[[登山]]にもしばしば出かけていた<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.96</ref>。 |
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* 原恵一・丸尾みほ 共著(原作:小暮正夫『かっぱ大さわぎ』)『河童のクゥ 6年目の夏休み』 - 2013年・双葉社、ISBN 9784575238273 |
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**『カラフル』『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』の脚本や『はじまりのみち』の[[ノベライズ]]などを手がけた脚本家の[[丸尾みほ]]との共著。高校生になった主人公・康一の回想と後日談で構成された『河童のクゥと夏休み』のノベライズ的作品で、原にとって初の小説となる。 |
|||
[[携帯電話]]・[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]・[[ファクシミリ|ファックス]]などといった通信機器は一切所持しない主義である(存在否定ではなく、「もう余計なものを見たくないし身につけたくない」と述べている)<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.95。『オトナ帝国の逆襲』のケンは自分のそうした気分が乗り移ったキャラクターとも話している。</ref>。2005年の[[矢島晶子]]との対談では、その時点でも自宅の電話が[[黒電話]]であると述べている<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.162</ref>。そのため、原とコンタクトを取りたい者は非常に苦労する事が多いという。[[浜野保樹]]は初めて会う約束をした際に原が「遅れることもなく、定刻通りやってきた」と記している<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.282</ref>一方、上記の対談で原は矢島から「時間厳守してくださいね」と言われ、文中に「この対談にも原恵一は大幅に遅刻した」という注記がなされている<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.167。矢島の発言は、『しんちゃん』の関係者で[[バリ島]]に旅行した際、約束した集合時間に原が戻ってこなかったことを踏まえたもの。</ref>。 |
|||
あるラジオ番組のゲスト出演でリスナーから「遠距離恋愛の相手からメールが来ない」という悩みの相談を受け、原は「携帯を持っていないのでその気持ちは分からないが、手紙で時間と手間をかけて相手に思いを伝えてみたらどうか」という発言をしている。 |
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[[THE BLUE HEARTS|ブルーハーツ]]のファン。自ら脚本まで手がけたアニメ『エスパー魔美』の第96話「俺たちTONBI」では、ブルーハーツのポスターが登場する。原はBGMにブルーハーツの曲を使いたいと思っていたが、版権の都合で実現しなかった。エスパー魔美のイベントでは、曲を使えなかった悔しさから、シーンを無音にして、自分で曲を掛けながら鑑賞したことを語った。『カラフル』ではブルーハーツの「[[青空 (THE BLUE HEARTSの曲)|青空]]」を、[[miwa]]がカバーする形でエンディングに使用した。この他にも、[[井上陽水]]などのフォークや洋楽も愛好している。 |
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[[ファンタジー]]作品はあまり好まないが、[[宮沢賢治]]の作品は例外で、大人になってから再発見して評価するようになった<ref name="hamanop110">『アニメーション監督 原恵一』p.110 - 111</ref>。[[杉井ギサブロー]]監督による『[[銀河鉄道の夜]]』のアニメ映画も好きで「賢治の映像化作品の中で自分が見た中では一番いい」と述べ、[[高畑勲]]監督の『[[セロ弾きのゴーシュ]]』のアニメ映画についても「あれもよかった。ああいうのがあるので、生半可な気分じゃできない」と評価している<ref name="hamanop110"/>。 |
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「[[探偵!ナイトスクープ]]」の大ファン。『河童のクゥと夏休み』の大阪キャンペーンで、[[朝日放送テレビ|ABC]]の関係者からステッカーと探偵手帳をもらっている。また、NHKの「[[週刊ブックレビュー]]」(2008年7月26日放送回)に出演した際には、おすすめ本として「探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子」([[松本修 (プロデューサー)|松本修]]著)を紹介している。 |
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==アニメに対するスタンス== |
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2004年の浜野保樹との対談では、「ここ10年でよかったのは『[[人狼 JIN-ROH]]』([[沖浦啓之]]監督)と『[[マインド・ゲーム (アニメーション映画)]]』([[湯浅政明]]監督)くらい」と述べ、理由を「(アニメは)ちょっと気になるのは見るのですが、「これはすごいぞ」と思えるのは好みですが、ここのところあんまりない。「何見てもうんざりする」というか(笑)」と話している<ref>『アニメーション監督 原恵一』P.104。この中で、過去のアニメ全般では『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』が好きで「個人的には世界一のアニメだと思う」と語っている。</ref>。『人狼 JIN-ROH』に関しては、地味な芝居を丹念に描き、アニメの気持ち悪さがないのが良いとしている。原の言うアニメの気持ち悪さとは、「気持ち悪いキャラや、それに合わせて気持ち悪い声を出す声優や、勘違いした演出家などが放つ自意識過剰なナルシシズムとかろくでもないもの」とのこと<ref>原恵一「丹念に描かれた芝居が生む、ただごとではない緊張感 人狼 JIN-ROH/沖浦啓之」『世界と日本のアニメーションベスト150』ふゅーじょんぷろだくと編、ふゅーじょんぷろだくと、2003年、p.51(『アニメーション監督 原恵一』p.259 -260に再録)</ref>。 |
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この発言について、原は2010年に「昔かなりはっきり言ったことがありますけど、実際はそこまで嫌ってるわけじゃないですよ」と述べている<ref>週プレニュース2010年9月23日[https://web.archive.org/web/20121123045420/http://wpb.shueisha.co.jp/2010/09/23/661/]</ref>。アニメ声優に関しては、いわゆるアニメ声とオーバーな演技が苦手だとも語っている<ref> 「原恵一監督、新作映画のキャスティングを語る!」『サイゾー』2007年8月号、インフォバーン、p.63.</ref>。 |
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『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』([[庵野秀明]]監督)にはハマっていたらしく、『[[クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦]]』のキャラクター「お色気」の担当声優に[[三石琴乃]]を起用したのも[[葛城ミサト]]を意識したキャラ設定を行っていたためで、しんのすけのことを「しんちゃん」と呼んでいるのも、主人公の[[碇シンジ]]のことを「シンちゃん」と呼んでいたことからである。<ref>[[大山くまお]], 林信行, リベロスタイル編著『クレヨンしんちゃん大全』より</ref> |
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『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』に登場するチャコについて、[[小林愛]]の声を見つけたことが自分のキャスティングの上で大きかったと述べている<ref name="hamanop83">『アニメーション監督 原恵一』p.83</ref>。小林については、『[[∀ガンダム]]』で偶然声を聞き、『しんちゃん』のスタッフで『∀ガンダム』に参加していた[[池端隆史]]を介してデモテープを聴き、決定したという<ref name="hamanop83"/>。 |
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技術の発達で一人で作ったアニメでもパッケージとして売り物になる時代が来て、そういう道もこれからはあるとわかったことは評価しながらも、作品の中身が大事と考えており、[[新海誠]]の『[[ほしのこえ]]』には「僕はついていけなかった」と述べている<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.93</ref>。 |
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しばしばアニメより実写向けの人材であると評されることがあるが、何故アニメ業界に拘るのかと問われると、一生ものの難問だと苦笑しながらも、現実に存在するものを人の手で描くことで生まれる、全く違った味に惹かれている、と答えている<ref>NHKラジオ第一「渋谷アニメランド」2010年7月20日放送回より。</ref>。一方、2004年の浜野保樹との対談では「(実写でも)僕はかまわない。たまたまアニメを選んで20年以上その現場にいるので、アニメの作り方も大分解かってきている。アニメ会社に所属し続けているわけですし(引用者注:この当時はまだシンエイ動画に所属)、それでアニメを作っているということです」という発言もしている<ref>『アニメーション監督 原恵一』p.81</ref>。 |
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==評価== |
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「[[松竹]]映画の[[木下惠介]]や[[小津安二郎]]といった監督の後継者」と[[東京大学]]大学院教授の浜野保樹から評された<ref>浜野保樹「日本映画継承者としての原 恵一」『アニメーション監督 原恵一』p.264 - 283</ref>。 |
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== 脚注 == |
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[[樋口真嗣]]は原を「強い[[トルク]]を持つ男」「恐ろしい男」と評しており、「そんな恐ろしい男がいる限り、私はアニメーションに関して"手伝い"以上の仕事に関わりたくないのである」と記している<ref name="higuchi"/>。また[[細田守]]は『河童のクゥと夏休み』『カラフル』の両作品において応援・評価のメッセージを寄せ、それぞれ作品の公式サイトや宣伝素材で紹介された。 |
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=== 注釈 === |
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{{Notelist|2}} |
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=== 出典 === |
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劇作家の[[中島かずき]]から『クレヨンしんちゃん』の劇場版について、本郷みつるが[[ファンタジー]]・[[サイエンス・フィクション|SF]]志向であるのに対し、原は日常を淡々と描くリアル志向であると評された。 |
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{{Reflist|2}} |
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==参考文献== |
=== 参考文献 === |
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* 品川四郎 |
* {{Cite book|和書|year = 2002|author = |editor =品川四郎・ブレインナビ |title = クレヨンしんちゃん映画大全―野原しんのすけザ・ムービー全仕事|publisher = [[双葉社]]|series =|isbn = 978-4575293869|ref = {{SfnRef|クレヨンしんちゃん映画大全|2002}}}} |
||
** 11ページにわたるインタビュー有り。 |
** 11ページにわたるインタビュー有り。 |
||
* |
* {{Cite book|和書|year = 2005|author = |editor =[[浜野保樹]] |title = アニメーション監督 原恵一|publisher = [[晶文社]]|series =|isbn = 978-4794966773|ref = {{SfnRef|アニメーション監督 原恵一|2005}}}} |
||
* {{Cite book|和書|year = 2003|author = |editor =[[ふゅーじょんぷろだくと]] |title = 世界と日本のアニメーションベスト150|publisher = ふゅーじょんぷろだくと|series =|isbn = 978-4893933676|ref = {{SfnRef|世界と日本のアニメーションベスト150|2003}}}} |
|||
* ニュータイプ編『原恵一と「河童」の長い旅 河童のクゥと夏休み 公式ガイドブック』([[角川書店]]、2007年) |
|||
* {{Cite book|和書|date = 2007-08-03|author = |editor =[[月刊ニュータイプ|ニュータイプ]] |title = 原恵一と「河童」の長い旅―河童のクゥと夏休み OFFICIAL GUIDE|publisher= [[角川書店]]|series =|isbn = 978-4048541299|ref = {{SfnRef|河童のクゥと夏休み公式ガイドブック|2007}}}} |
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** ロング・インタビュー、欠番シーンを含む絵コンテ抜粋、監督自身による詳細な『河童のクゥと夏休み』演出解説など。 |
** ロング・インタビュー、欠番シーンを含む絵コンテ抜粋、監督自身による詳細な『河童のクゥと夏休み』演出解説など。 |
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* |
* {{Cite book|和書|year = 2007|author = |editor = |title = BSアニメ夜話 Vol.05 クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲|publisher = [[キネマ旬報]]|series =キネ旬ムック|isbn = 978-4873766553|ref = {{BSアニメ夜話 Vol.05|2007}}}} |
||
* 原恵一 |
* {{Cite book|和書|date = 2007|author=原恵一 |editor = |title = 河童のクゥと夏休み 絵コンテ集|publisher = [[バジリコ (出版社)|バジリコ]]|series =|isbn = 978-4862380609|ref = {{SfnRef|河童のクゥと夏休み 絵コンテ集|2007}}}} |
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** |
** 劇場公開された本編を完全収録したほか、欠番になった36分間全カットを網羅。名シーン、欠番シーンなど(ページ下部)に原監督のコメントつき。 |
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* {{Cite book|和書|date = 2011|author= |editor = [[大山くまお]]・林信行・リベロスタイル|title = クレヨンしんちゃん大全|publisher = [[双葉社]]|series =|isbn = 978-4575303087|ref = {{SfnRef|クレヨンしんちゃん大全|2011}}}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author = |editor = |year=2007|title= 原恵一監督、新作映画のキャスティングを語る!|journal= [[サイゾー]] 2007年8月号|issue=|publisher= インフォバーン|isbn=|ref = {{SfnRef|サイゾー 8月号|2007}}}} |
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==著書== |
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*『河童のクゥ 6年目の夏休み』 - 2013年・双葉社、ISBN 9784575238273 |
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**『カラフル』『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』の脚本、『はじまりのみち』ノベライズなどを手がけた[[丸尾みほ]]との共著。高校生になった主人公・康一の回想と後日談で構成された『河童のクゥと夏休み』のノベライズ的作品で、原にとって初の小説となる。 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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==関連項目== |
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[[Category:日本のアニメーション監督]] |
[[Category:日本のアニメーション監督]] |
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[[Category:日本の映画監督]] |
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[[Category:シンエイ動画の人物]] |
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[[Category:紫綬褒章受章者]] |
[[Category:紫綬褒章受章者]] |
2024年1月24日 (水) 10:59時点における版
はら けいいち 原 恵一 | |||||||||||
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原恵一(2011年撮影) | |||||||||||
生年月日 | 1959年7月24日(64歳) | ||||||||||
出生地 |
| ||||||||||
職業 | |||||||||||
ジャンル | |||||||||||
活動期間 | 1982年 - | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
アニメーション映画 実写映画
テレビアニメ | |||||||||||
|
原 恵一(はら けいいち、1959年(昭和34年)7月24日 - )は、日本のアニメ監督。群馬県館林市出身。2007年にシンエイ動画を退社後はフリーランス[1]。
世界35以上の映画賞を受賞し、国内外で高く評価されている[2]。
来歴
生い立ち
群馬県の駄菓子屋を営む家庭に生まれる[3]。両親と妹が1人いる4人家族の長男[3]。
子供の頃からの夢だった「絵を描く」仕事に就くため、東京デザイナー学院[注釈 1]アニメーション科へ進学する[1]。しかし、ここで絵の上手な生徒の多さに圧倒され、そのことが演出への道を進むきっかけとなったという。アニメ学科に通いながらもアニメ作品は自ら進んでは見ず、アニメ好きが好んで見るようなアニメとも距離を置いていた。一方、『ぴあ』を片手に名画座に通いつめて実写映画は見ていた。
CM制作会社時代
東京デザイナー学院卒業後、CM制作会社のアドックシステムズに1年間勤務する[4]。卒業制作に追われてアニメ制作会社の就職活動が疎かになってしまい、就職先が決まらないまま卒業を迎えてしまった。そこで、学院の就職課に紹介された東京ムービーの会社見学で勝手にコースから抜け出し、当時同社で『ルパン三世』を演出していたアニメーターの御厨恭輔に入社を頼む[5]。御厨から「自分は社員ではないので東京ムービーへの就職は後押しできないが絵コンテを描いてくれば個人的に仕事を紹介できるかもしれない」と言われ、『ルパン三世』の完成台本を渡されると、1、2週間ほど後にそれを基に描いた絵コンテを持参した。そして、その数週間後に御厨から紹介されたアドックシステムズへ入社した[5]。就職後は荏原製作所の企業広報映画やサンヨー食品などのコマーシャル制作に携わる制作アシスタントとして1年半ほど勤務した。しかし、肉体労働やクライアントの尊大な要求に嫌気が差しているのを社長の黒川慶二郎に感づかれ、「君はアニメがやりたいんだね」とシンエイ動画を紹介される[注釈 2]。
シンエイ動画時代
1982年4月にアニメ制作会社シンエイ動画に入社[1]。『怪物くん』班に配属されて制作進行を担当していたが、その後番組の『フクちゃん』参加中、欠員が出た『ドラえもん』班に演出助手として異動。
1984年、チーフディレクターがもとひら了から芝山努に交代した際、社内の演出助手に責任分担させるため、安藤敏彦と共に『ドラえもん』班の演出に昇格。もともと藤子・F・不二雄の原作漫画が好きだった原は、『ドラえもん』をただの子供向けの作品ではなく、自分の感じる楽しさをプラスアルファしたものにしようと毎回実験的な試みをした[4]。原の手掛けた『ドラえもん(第2作第1期)』の担当回は斬新な演出[注釈 3]や普段の回より凝った構図で注目されるようになった[注釈 4]。しかし一方で、社内ではその実験的な作風が「やりすぎだ」「これは『ドラえもん』じゃない」という反発も呼び、演出の手腕を疑問視されて作画スタッフと対立したこともあった[4]。はっきりと「原さんの作品はやりたくない」と言われたり、ケンカになったりしたという[4][注釈 5]。
1987年、『エスパー魔美』のチーフディレクター(監督)に抜擢される[6]。制作決定時に演出の一人として参加するつもりで手を挙げたところ、プロデューサーから指名された[4]。当時、20代後半でのチーフへの抜てきは異例のことだったので、原は「挑戦的なタイトルなので若い人にやらせてみようということだったのではないか」と推察している[7]。しかし、原が作りたい『エスパー魔美』と、テレビ局やプロデューサーが目指す『エスパー魔美』にはズレがあったので、苦労することになる[4]。原は超能力をあまり前面に出さず、主人公の魔美を平凡な中学2年生の女の子として描きたかったが、それでは彼らにとって画作りが地味すぎた[4]。さんざん「もっと派手にして欲しい」と言われて嫌気がさし、第1話のオンエア前に辞めたくなっていたが、何とか我慢して作り続けていると、出来上がった作品を見たプロデューサーやテレビ局の人間たちも次第に納得していってくれた[4]。また第96話では初めて脚本を手掛けた[8]。
1988年、『エスパー魔美 星空のダンシングドール』で映画監督デビュー[9]。原とメインライターとプロデューサーとで考えたオリジナルのプロットのいずれも原作者の藤子・F・不二雄はあまり気に入らず、「原作を元に『リリー』という古いアメリカ映画のような作品を作ってほしい」と言われた[4]。原はメインスタッフたちとその作品を鑑賞し、それを自分なりに生かして制作した[4]。
『エスパー魔美』終了後、後番組『チンプイ』のチーフディレクターを打診されていたが、退社を覚悟で休職を申し出る[注釈 6]。当時の専務である別紙壮一の配慮で休職が認められ、『チンプイ』の絵コンテを数本切った後、約10ヶ月休職する[10][11]。復帰後は『チンプイ』の演出・絵コンテを少し手がけてから後番組『21エモン』の監督となるが、人気が今ひとつで39話で打ち切りとなった。
1992年の番組開始当初から、アニメ『クレヨンしんちゃん』の制作に各話演出や絵コンテでローテーション入り[12]。1993年からスタートした劇場版シリーズには共同脚本[注釈 7]や共同演出で参加した[13]。
1996年のテレビシリーズ10月放送分より初代監督の本郷みつるの後を引き継いでチーフディレクターに就任し、劇場版も1997年の『暗黒タマタマ大追跡』から監督を務めるようになる[9][12]。
2001年の『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は絶大な支持を得て、興行収入14.5億円と3作目以降の作品で最高益を記録した[14][15]。それだけでなく、映画マニアやプロの評論家といったそれまで『クレヨンしんちゃん』に全く注目していなかった層も振り向かせることにも成功した[14][15]。制作過程で完全に子供向けアニメの枠組みをはみ出してしまった原は、観客に否定されてクビになることも覚悟していたが、逆に大人にも子供にも受け入れられ、その批評性が高い評価を受けた[16][17]。また「大人も泣ける映画」としても大きな話題となったが、自身はメインの観客層である子どもたちが画面に集中していたことが大きな手応えとなったという[14]。
2002年の『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』では、前作のヒットの追い風もあり、さらに挑戦的な作品作りができるようになった[14]。ファミリー向けの映画とはいえ、見た人の心に深く残るような展開にしたいと考え、『しんちゃん』映画で一番ハードルが高いと思っていた「時代劇」「恋愛」そして「主要な人物が死ぬ」という3つのテーマを思いついた[18]。しかし、映画会社は問題なかったものの、テレビ局や広告代理店からは猛反対されて揉めに揉めた[18]。最終的には原作者の臼井儀人にプロットを読んでもらった結果、原の案で制作が決まった[18]。この作品も高い評価を得て、2002年度文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞など、数々の賞を受賞した[19]。また2009年には、これを原案とする実写映画『BALLAD 名もなき恋のうた』(山崎貴監督)が製作された[14]。
『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を最後に劇場版の監督を水島努と交代し、原はテレビ、映画とも『クレヨンしんちゃん』との関わりを徐々に薄くしていく[14]。2004年7月にはテレビアニメもチーフ・ディレクターをムトウユージに引き継がせ、完全に降板した[注釈 8]。
2003年に映画監督の曽利文彦と知り合い、曽利のCGアニメ映画の脚本家に抜擢されて実際に執筆までしたが、その企画は流れてしまった。
2007年7月28日、長年温めてきた企画である映画『河童のクゥと夏休み』が公開された[13]。原が一番やりたかった企画で、原作は木暮正夫による児童文学『かっぱ大さわぎ』[9][14]。原作を初めて読んだ時から「この作品をもとにすればアニメーションで自分のやりたいことができる」「この作品をアニメにしたい」と感じ、いつまで経ってもその気持ちが消えなかった原は、20年近く企画を練り続けていた[9][14]。実現はしなかったが、1998年ごろに一度アニメ化のチャンスがあった[9]。エニックス(当時)主催のアニメ企画のコンペに参加する話があり、原は同い年のプロデューサーである茂木仁史にこの作品をやりたいと相談して許可をもらうために原作者の木暮に会いに行っている[9]。アニメ化は不可能だと思った原はその後、当時手掛けていた、『クレヨンしんちゃん』の映画でこの作品のために温めていたアイデアを小出しにして使っていった。すると、その『しんちゃん』映画の成功を受けて、企画にゴーサインが出た。前作から5年の期間があったが、実際に制作できる状況になるまでに時間がかかり、原は見切り発進で作り始めた[20]。原がほぼ一人だけで作業している時間が長く、原曰く、「実質的な制作期間は2年間だった」。原作者の木暮は、完成を目前にした2007年1月に死去。プレスリリース資料やムック本で、原は木暮に対して完成が遅れたことへの謝罪と感謝の弁を述べている[21]。
フリーランス時代
2010年8月21日、フリーになって第一作目の映画『カラフル』が公開された[22]。アニメ制作を担当したサンライズの内田健二社長(当時)が森絵都による同題の人気小説のアニメ化を企画し、最適な監督として原を選んでオファーを出した[14][23]。オファー自体は『河童のクゥと夏休み』以前に受けていたが、その終了を待ってシンエイ動画を退社してから制作に着手した[14]。2011年6月に開催された第35回アヌシー国際アニメーション映画祭で長編作品部門の特別賞と観客賞を受賞した[24][注釈 9]。
2013年6月1日に公開された日本を代表する映画監督・木下惠介の生誕100周年作品『はじまりのみち』で初めて実写映画の監督を務めた[13][25]。このことについて原は「ずっと実写をやりたいと思っていたわけではない」「前向きにどうしても撮りたいという感じではなかった」が、かねてから木下監督にもっと光を当てたいという思いを抱いていたことから、「これは断れない」と思って引き受けた[26][27]。きっかけは、もともと木下のファンであることを公言していた原に松竹から「あるエッセイをもとに脚本を書いてほしい」というオファーがきたことだった[25]。当初脚本のみでの参加予定だったが、書いているうちに「この作品で監督をやらなければ後悔する」と思うようになり、自信はなかったが自分から監督をやりたいと手を挙げてそれが認められた[27][28]。
2015年5月9日公開の杉浦日向子原作のアニメ映画『百日紅』で監督を務めた[29]。制作はProduction I.G(以下、I.G)。『カラフル』のあとに次の仕事がなかなか決まらず、焦った原はまず最初に旧知の友人であるI.Gの石川光久に相談した[30][31]。その際、自分が作りたいと思っていた杉浦日向子の別の作品を参考のために持参したところ、石川がI.Gで以前企画してお蔵入りしていた『百日紅』を提案してきたので、すぐに引き受けた[32]。原はまず各話が独立したエピソードの『百日紅』をどうやって一本の映画に構成していくかというところから考え始めた。そして最初に自分が感動した「野分」というエピソードをクライマックスに持ってくることを決め、そこから逆算して構成を決めていった[32]。脚本自体は『はじまりのみち』制作の前に上がっていたが、絵コンテはその撮影が終了してから描き始めた[33][注釈 10]。映画はフランス、イギリス、ベルギーなど欧州6カ国で配給されたほか、宮崎駿監督作品の北米配給を数多く担当してきたGKIDSの下で、北米でも配給された[34][35]。特にフランスでは、最初の上映館数は30数館だったのがどんどん増えていき、一番多いときには120館ほどで公開されていた[34]。この作品も高く評価され、国内外の映画賞を受賞した[36]。
2018年、紫綬褒章を受章した[37]。
2019年4月26日に4年ぶりの監督作品となる映画『バースデー・ワンダーランド』が公開された[38]。同作は柏葉幸子の小説『地下室からのふしぎな旅』が原作で、原のキャリアでは初となる本格的なファンタジー作品[39][40]。もともとファンタジー物にあまり興味がないので、オファーが来た時は不安もあったが、キャラクターがブレなければファンタジーだろうがリアルなものだろうが楽しんでもらえる自信はあったので引き受けたという[39]。
2022年12月23日に辻村深月の小説をアニメ映画化した『かがみの孤城』が全国公開[41]。依頼による仕事で、オファーに応える形で監督を引き受けた[42]。『はじまりのみち』でも一緒に仕事をした松竹の新垣弘隆プロデューサーから「この原作はアニメで」という要望があり、「職人監督」「アニメ映画請負人」に徹して制作した[43][44]。以前監督した『カラフル』で中学生を題材にしたので、再び中学生を扱う映画を作ることには抵抗があった[42]。そこで長年の付き合いのI.Gの石川光久に相談したところ、この作品は絶対やった方がいいと勧められ、引き受けることにした[42]。2023年2月17日時点で観客動員数は約81万人、興行収入10億円を突破[45]。自身の監督作品としては『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』以来となる興行収入10億超えのヒットとなった。2023年5月には新作映像「かがみの孤城の前と後」付きで再上映された[46]。第52回ロッテルダム国際映画祭のLimelight部門に邦画アニメで史上初の正式出品となり[注釈 11]、現地時間2023年2月2日に上映された[47]。
作風
藤子・F・不二雄作品や『クレヨンしんちゃん』シリーズなどのキャラクター主導のプログラムピクチャーにおいて、周りに妥協せずに自分を貫くことで頭角を現した[8][48]。マンガ原作の「キャラクターもの」を得意とする会社で作った作品からにじみ出る作家性が評価され、やがてオリジナル作品をつくるチャンスを獲得していった[8]。
シンエイ動画でのキャリアを経て、フリーになってからはアセンション、Production I.G、A-1 Picturesと、作品ごとに異なる制作スタジオと仕事をしている[33]。
原恵一監督の作家性は、「アニメとはそういうもの」という思いこみから脱し、映画として自由になろうという気概に見いだせる[8][注釈 12]。商業作品の監督なので観客へのサービスを忘れたことはないが、時代のトレンドにはあまり流されたくないと思っている[6]。『クレヨンしんちゃん』の映画を作っていた時に「枠にはめる映画はつまらない」「自分にウソをついていないものを作ったほうが多くの人に受け入れられる」と気づき、それからは作る前にジャンル分けしたりターゲットを定めたりせず、自分の思った通りに作りたいものを作ることにしている[17][20][49]。
原恵一作品の特徴は、アニメの枠に囚われない幅広い映像表現や作品ごとにまったく異なる作風[50]。同じことを繰り返しても面白くないと思っており[51]、『かがみの孤城』では中学生という題材を以前『カラフル』で扱ったため、監督を引き受けるのをためらった[42]。『映画 クレヨンしんちゃん』シリーズも、前任の本郷みつるが好んだファンタジー路線から現実世界路線に転換、最終担当作となる『戦国大合戦』を除いて現代の日本を舞台に設定していた。
全方位的なサービス精神にあふれており、シリアスなテーマがあっても、喜怒哀楽と人間の多彩な感情が散りばめられており、見る人を豊かな気持ちにする[8]。
「絵に描けば何でもできる」というアニメの特性に寄りかからず、オーソドックスな演出法によって地に足のついた誰にでも通じる描写を積み重ねているにもかかわらず、人の心に突き刺さって忘れがたい印象を残すので、国境や歳月を超えた普遍性がある[8]。
「誰も傷つかないような毒にも薬にもならない、生ぬるい映画が大嫌いだ」という[38]。人間関係は綺麗ごとだけでは済まないし、世界には残酷なこともあるのだから、それをシビアに、真っ向から描くのが映画監督の仕事だと思っている[52]。
これまで完全にオリジナルの作品は作っておらず、小説や漫画の映画化を手掛けている[42][52]。作品によっては物語を自分で考えているが、原作の人間関係などの設定は守ってそれを膨らませている。そういうところこそがオリジナルよりも豊かな物語を生むと信じている[52]。
アニメーションの制作で一番こだわっているのは絵コンテ[53]。絵コンテ次第でどれくらい自分の思う作品に出来るかが決まるので、いちばん注力して緻密に作り込む[6][13]。脚本との大きな違いは、絵コンテは監督の間合いである「秒数」を入れることができることで、それによって作品のリズムが決まる[53]。絵コンテを描いている途中でラストシーンが見えてくるので、そこに向けて進んでいく[52]。納得のいく絵コンテが描けたということは自分の頭の中で一度映画が完成しているということなので、あとは他のスタッフに任せてズレそうになった時に修正していくだけで良いからである[13][53]。絵コンテには細かい指示まで書く方だが、アニメーターのアドリブが入っても、それで自分が考えた以上に良くなることもあると思っているので、絵コンテで指示されたこと以外はやるなとは言わない[49]。
音楽も、絵コンテを描きながら入る部分を全て決め、指示も全部絵コンテに書いてしまう[38][53]。作曲はできないがどういう感じの音楽が欲しいのかは必ず書き込むようにしており、転調のタイミングやインとアウトも全て指示している[38]。
ファンタジーというものにあまり興味が持てない[38]。キャラクターが生き生きと劇中で立っているような作品作りを目指しているので、不思議な世界観や不思議な能力などにあまり頼りたくないという気持ちが強く、超能力者が主人公の『エスパー魔美』でも超能力に魔法のような万能性を与えず、希望や指針をあたえるに留め、事件を解決するのはあくまでも当事者としている[8][38]。舞台設定も、ほかのアニメ監督のほとんどが飛躍した舞台を扱っているのに対し、原恵一作品はたとえ「ここではないどこか」を扱っていても必ず現実世界との接点を持たせており、それが観客に「いま、ここ」を顧みる作用をもたらす[8]。
絵だけが突出したような作品や思わせぶりな映像の見せ方には興味がなく、実写も含めてきちんとストーリーのある映画を作りたいという[53]。映画作りで大切なことは「キャラクターを立たせること」だと思っていて、良いストーリーに加えて、キャラクターたちがちゃんと立っていれば、どんなジャンルでも面白くなると信じている[39]。
スタッフとぶつかってでも最終決定は自分でしなければならない立場の監督は孤独である必要があるという[44]。その一方で、作品はスタッフみんなで作っているという意識が強く、自分の考えと逆方向に向かった時に内心「そっちの方向じゃない」と感じていても、それでより良くなるのであれば別に構わないという[49]。
実写とアニメーション両方の制作経験を持つ原は、両者の違いを実写は画面から不要なものをなくす"引き算"、アニメーションは何もない空間に描いていく"足し算"と表現し[54]、実写映画を監督後は「アニメでも引き算の手法を取り入れたいとしている[44]。
実写制作では、絵コンテであらかじめ全てのキャラクターの動きや表情まで作るアニメーションに対し、実写は現場でカット割りを決め、役者の演技が自分の想定を外れてくることに驚かされた[6]。アニメは同じ絵が作れるし全て計算できるが実写はそうはいかず、「そのときにしか撮れない景色や光、生身の役者の演技」といった偶然性によって作られるものだと理解した[6][49]。あまりにスムーズに仕事が進み、アニメに戻った時は一コマ一コマ描く絵コンテ作業を苦痛に感じたという[6]。
アニメーター出身の監督が多い中で、実写の映像が基盤となった画作りをしていることが自身の強みだと言う[54]。アニメーターではないためか、手描きアニメへのノスタルジーはアニメーター出身の監督ほどはない[6]。3DCGのアニメーションにはそれほど違和感を抱いておらず、手描きよりも3DCGで作った方がいいという題材があれば全く抵抗は感じないという[6]。実写作品も同じで、その方がいいと思う作品があれば実写で撮りたいと思っている[6]。
意識しているのは木下惠介らの1950〜60年代の日本映画[49]。映画産業の黄金期で数多くの作品が作られ、しかも戦争という極限状態を経験した人たちがいろいろな制約があるなかで工夫して作っていたので今後それを超える映画はもう生まれないからとのこと[17]。
作品によっては作詞・作曲を行なうこともある(『クレヨンしんちゃん』の映画や『河童のクゥと夏休み』の挿入歌など)[28]。
影響
実写映画のファンで、木下惠介、黒澤明、小津安二郎、デヴィッド・リーン作品など、様々な作品を見て影響を受けた[55]。幼少時、両親(特に母親)がいつも見ていたテレビの「洋画劇場」のようなものを一緒に見ていて好きになった[28][56][注釈 13]。少年時代は洋画中心で、邦画はほとんど見ていなかった[28][注釈 14]。邦画を見るようになったのはシンエイ動画に入社してからで、オールナイトなどに行って黒澤明監督作など古い日本映画をよく見ていた[6]。木下惠介のすごさに気付いたのもその頃だった[6]。
映画監督では木下惠介を影響を受けた人物として挙げ、同じことをやらない挑戦的な部分を高く評価している[6][14][57]。生涯のベスト映画は、木下監督の『二十四の瞳』[13]。ヒーローをあまり描かず、弱い人を描いている点や作品の多彩さに驚かされ、20代後半から木下作品にのめり込んでいったという[1][13]。黒澤明や小津安二郎との評価の差を不当に感じていて、木下作品をもっと見てもらえるよう個人的にあちこちで声を上げている[58][注釈 15]。そしてヴィム・ヴェンダースが小津を評価したことで評価が逆輸入されたように、木下も海外で誰かに発見されて再評価されて欲しいと願っている[49]。
漫画家で江戸風俗研究家の杉浦日向子の作品に20代後半の頃に出会って衝撃を受け、「いつかこの人の作品をアニメーションとしてやってみたい」とずっと思っていた[53]。作品にはその影響が強く出ている[32][59]。
原の作品にいちばん影響を与えているのは脚本家の山田太一[44]。「物語における会話はこうあるべきだ」と教えられたという[44]。初稿から関係者を納得させる決定稿をあげてくる点も尊敬している[44]。
芝山努を師匠と思っている[7]。『ドラえもん』の仕事を通じて、芝山の緻密な絵コンテの描き込みに多大な影響を受けた[60]。もともと業界に入った時から演出をやりたいと思っていたが、演出助手として関わった『ドラえもん のび太の魔界大冒険』で監督の芝山の絵コンテのあまりの面白さに衝撃を受けたことが大きな転機となった[4][6]。他のコンテと比べて芝山のものは芝居の間の取り方や緩急の付け方が群を抜いており、それを見てどうすれば面白くなるのかを初めて理解した[4][6]。
藤子・F・不二雄の作品が好きで、子供の頃はもちろん、アニメ業界に入った現在も影響を受け続けている[4]。リアルタイムで出合ったのは『オバケのQ太郎』『パーマン』『ドラえもん』[4]。アニメの『ドラえもん』を制作するシンエイ動画に入社する前から原作の方が面白いと思っていた原は、仕方がないこととはいえ、『ドラえもん』に関わっている人間全員が『ドラえもん』を大好きなわけではないことを残念に思っていた[61][62]。
評価
「松竹映画の木下惠介や小津安二郎といった監督の後継者」と東京大学大学院教授の浜野保樹から評された[63]。
樋口真嗣は原を「強いトルクを持つ男」「恐ろしい男」と評しており、「そんな恐ろしい男がいる限り、私はアニメーションに関して"手伝い"以上の仕事に関わりたくないのである」と記している[64]。また細田守は『河童のクゥと夏休み』『カラフル』の両作品において応援・評価のメッセージを寄せ、それぞれ作品の公式サイトや宣伝素材で紹介された。
劇作家の中島かずきから『クレヨンしんちゃん』の劇場版について、本郷みつるがファンタジー・SF志向であるのに対し、原は日常を淡々と描くリアル志向であると評された。
人物
幼少時から絵を描くことを好み[注釈 16]、絵を描くことを仕事にするのが夢だった[28][56]。「画家になりたい」というような具体的な夢ではなく、「普通のサラリーマンではないような仕事に就きたい」という程度の漠然とした思いだった[28]。
小学校時代は当初は勉強はわりとできたものの、次第に追いつけなくなり、授業がつまらなくて眠くなった様子を教師から「死んだ魚のような目をしている」と評された[56]。中学生時代には当初陸上部に入ったが、2年生になったときに上級生部員がほとんどいなくなり、スカウトされて水泳部に移る[65][注釈 17]。深夜放送やフォークギターに熱中し、高校は志望校の公立には落ちて、滑り止めの私立へ進学した[66]。高校は、原曰く「学力の低い不良がかった生徒が多い学校」で、学校生活には馴染めずただ行っていただけとのこと[67]。美術大学には学力不足で進学できなかったので、アニメーションの専門学校に進学した。
アニメ監督の細田守、樋口真嗣とは飲み友達でプライベートでも交流がある[57]。樋口によると、原は「どんなに酒を飲んでもヘッチャラ」で、「私は完膚無きまでに叩きのめされ、夜明けの新宿駅に沈み、泣いた」と記している[64]。
旅行好きで、たまに仕事を休んで東南アジアやヨーロッパへ出かける。中学や高校時代には自転車旅行で途中ユースホステルに泊まったりしながら日本海側から群馬まで戻ったこともあった[67]。シンエイ動画時代の途中までは、愛好者の先輩社員に誘われて登山にもしばしば出かけていた[68]。会社を休職した時も7ヶ月半を海外旅行に費やし、マレーシアやインドネシアなど東南アジア各国を巡った。
携帯電話・パソコン・ファックスなどといった通信機器は一切所持しない主義である[69][注釈 18]。2005年の矢島晶子との対談では、その時点でも自宅の電話が黒電話であると述べている[70]。そのため、原とコンタクトを取りたい者は非常に苦労する事が多いという。浜野保樹は初めて会う約束をした際に原が「遅れることもなく、定刻通りやってきた」と記している[71]一方、上記の対談で原は矢島から「時間厳守してくださいね」と言われ、文中に「この対談にも原恵一は大幅に遅刻した」という注記がなされている[72][注釈 19]。あるラジオ番組のゲスト出演でリスナーから「遠距離恋愛の相手からメールが来ない」という悩みの相談を受け、原は「携帯を持っていないのでその気持ちは分からないが、手紙で時間と手間をかけて相手に思いを伝えてみたらどうか」という発言をしている。
ブルーハーツのファン。自ら脚本まで手がけたアニメ『エスパー魔美』の第96話「俺たちTONBI」では、ブルーハーツのポスターが登場する。原はBGMにブルーハーツの曲を使いたいと思っていたが、版権の都合で実現しなかった。エスパー魔美のイベントでは、曲を使えなかった悔しさから、シーンを無音にして、自分で曲を掛けながら鑑賞したことを語った。『カラフル』ではブルーハーツの「青空」を、miwaがカバーする形でエンディングに使用した。この他にも、井上陽水などのフォークや洋楽も愛好している。
ファンタジー作品はあまり好まないが、宮沢賢治の作品は例外で、大人になってから再発見して評価するようになった[73]。
「探偵!ナイトスクープ」の大ファン。『河童のクゥと夏休み』の大阪キャンペーンで、ABCの関係者からステッカーと探偵手帳をもらっている。また、NHKの「週刊ブックレビュー」(2008年7月26日放送回)に出演した際には、おすすめ本として「探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子」(松本修著)を紹介している。
アニメに対するスタンス
しばしばアニメより実写向けの人材であると評されるが、何故アニメ業界に拘るのかと問われると、一生ものの難問だと苦笑しながらも、現実に存在するものを人の手で描くことで生まれる、全く違った味に惹かれている、と答えている[74]。一方、2004年の浜野保樹との対談では「(実写でも)僕はかまわない。たまたまアニメを選んで20年以上その現場にいるので、アニメの作り方も大分解かってきている。アニメ会社に所属し続けているわけですし(引用者注:この当時はまだシンエイ動画に所属)、それでアニメを作っているということです」とも発言している[75]。
浜野との対談では、「ここ10年でよかったのは『人狼 JIN-ROH』(沖浦啓之監督)と『マインド・ゲーム (アニメーション映画)』(湯浅政明監督)くらい」と述べ、理由を「(アニメは)ちょっと気になるのは見るのですが、『これはすごいぞ』と思えるのは、好みですが、ここのところあんまりない。『何見てもうんざりする』というか(笑)」と話している[76]。
『人狼 JIN-ROH』に関しては、地味な芝居を丹念に描き、アニメの気持ち悪さがないのが良いとしている。原の言うアニメの気持ち悪さとは、「気持ち悪いキャラや、それに合わせて気持ち悪い声を出す声優や、勘違いした演出家などが放つ自意識過剰なナルシシズムとかろくでもないもの」とのこと[77][78]。この発言について、原は「そういう言葉だけがいまだにネットとかに残ってるのって、今の時代の怖さですよね。実際はそこまで嫌ってるわけじゃないですよ」と述べている[79]。アニメ声優に関しては、いわゆるアニメ声とオーバーな演技が苦手だとも語っている[80]。
アニメ作品では、高校1年生の時に見た『ガンバの冒険』に激しく共感したことを後年述べている[81][82]。杉井ギサブロー監督による『銀河鉄道の夜』のアニメ映画も好きで「賢治の映像化作品の中で自分が見た中では一番いい」と述べ、高畑勲監督の『セロ弾きのゴーシュ』のアニメ映画についても「あれもよかった。ああいうのがあるので、生半可な気分じゃできない」と評価している[73]。また、過去のアニメ全般では『風の谷のナウシカ』が好きで、「個人的には世界一のアニメだと思う」と語っている[76]。
専門学校時代は、アニメファンの同級生から「原はどんなアニメが好きなんだ?」と聞かれ、原作も好きだった『サザエさん』を挙げたが否定されるなど、周囲とは趣味が合わない生活を送った[83]。 当時誘われる形で見たアニメ作品に関して、『太陽の王子 ホルスの大冒険』はそんなに面白いとは思わなかったが、文化祭で見た『どうぶつ宝島』『パンダコパンダ』『長靴をはいた猫』などは「むちゃくちゃ面白かった。あれで僕はアニメーションを見直した」と述べている[83]。 また、周囲の影響で見た作品では、『ガンダム』はわりと好きだったが、『宇宙海賊キャプテンハーロック』や『銀河鉄道999』はそんなに好きではなかったという[83]。
『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明監督)にはハマっていたらしく、『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』のキャラクター「お色気」の担当声優に三石琴乃を起用したのも葛城ミサトを意識したキャラ設定を行っていたためで、しんのすけのことを「しんちゃん」と呼んでいるのも、主人公の碇シンジのことを「シンちゃん」と呼んでいたことからである[84]。
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』に登場するチャコについて、小林愛の声を見つけたことが自分のキャスティングの上で大きかったと述べている[85]。小林については、『∀ガンダム』で偶然声を聞き、『しんちゃん』のスタッフで『∀ガンダム』に参加していた池端隆史を介してデモテープを聴き、決定したという[85]。
技術の発達で一人で作ったアニメでもパッケージとして売り物になる時代が来て、そういう道もこれからはあるとわかったことは評価しながらも、作品の中身が大事と考えており、新海誠の『ほしのこえ』には「僕はついていけなかった」と述べている[86]。
作品リスト
テレビアニメ
- 怪物くん (1980年 - 1982年)制作進行
- フクちゃん(1984年)制作進行
- ドラえもん (1983年 - 1986年)演出助手・絵コンテ・演出
- エスパー魔美 (1987年 - 1989年)チーフディレクター・脚本・絵コンテ・演出・OP絵コンテ
- チンプイ (1989年)絵コンテ
- 八百八町表裏 化粧師 (1990年)絵コンテ
- 21エモン (1991年)チーフディレクター・脚本・絵コンテ・演出
- クレヨンしんちゃん (1992年 - 2004年)監督(2代目・1996年-2004年)、脚本・絵コンテ・演出、OP/ED絵コンテ・演出
- 景山民夫のダブルファンタジー (1994年)絵コンテ
- 川の光 (2009年)演出協力
- ボールルームへようこそ(2017年)絵コンテ 5話・6話・11話・13話
アニメ映画
- 映画ドラえもんシリーズ
- ドラえもん のび太の魔界大冒険 (1984年)演出助手
- ドラえもん のび太の宇宙小戦争 (1985年)演出助手
- ドラえもん のび太と鉄人兵団 (1986年)演出助手
- ドラえもん のび太と竜の騎士 (1987年)演出助手
- エスパー魔美 星空のダンシングドール (1988年)監督
- ドラミちゃん アララ♥少年山賊団! (1991年)監督
- ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!! (1993年)監督
- 映画クレヨンしんちゃんシリーズ
- クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王 (1993年)絵コンテ・演出
- クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝 (1994年)脚本・絵コンテ・演出・挿入歌作詞
- クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望 (1995年)脚本・絵コンテ・演出
- クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険 (1996年)脚本・絵コンテ・演出・挿入歌作詞
- クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡 (1997年)監督・脚本・絵コンテ・挿入歌作詞
- クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦 (1998年)監督・脚本・絵コンテ
- クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦 (1999年)監督・脚本・絵コンテ
- クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル (2000年)監督・脚本・絵コンテ
- クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 (2001年)監督・脚本・絵コンテ
- クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦 (2002年)監督・脚本・絵コンテ
- クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード (2003年)脚本・絵コンテ
- クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ (2004年)絵コンテ
- クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃 (2005年)絵コンテ
- 河童のクゥと夏休み (2007年)監督・脚本・絵コンテ・挿入歌作詞・作曲
- カラフル (2010年)監督・絵コンテ
- 百日紅 〜Miss HOKUSAI〜(2015年)監督
- バースデー・ワンダーランド(2019年)監督
- かがみの孤城(2022年)監督
実写映画
- はじまりのみち (2013年)監督・脚本
受賞歴
年 | 作品 | 賞 | 部門 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1991年 | ドラミちゃん アララ・少年山賊団! | 第9回ゴールデングロス賞 | 日本映画 | 受賞(最優秀金賞) |
1993年 | ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!! | 第11回ゴールデングロス賞 | 日本映画 | ノミネート(優秀銀賞) |
2001年 | クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 | 日本のメディア芸術100選 | アニメーション部門 | 選出 |
キネマ旬報創刊85周年オールタイムベスト・テン | アニメーション部門 | 7位 | ||
キネマ旬報創刊90周年オールタイムベスト・テン | 日本映画アニメーション部門 | 4位 | ||
2002年 | クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦 | 第6回文化庁メディア芸術祭 | アニメーション部門 | 受賞(大賞) |
第7回アニメーション神戸 | 個人賞 | 受賞 | ||
2002年度日本インターネット映画大賞 | 日本映画作品賞(旧ニフティ映画大賞) | 受賞 | ||
第57回毎日映画コンクール | アニメーション映画賞 | 受賞 | ||
第2回東京アニメアワード | 劇場映画部門 | ノミネート(優秀作品賞) | ||
個人賞部門 | 受賞(監督賞) | |||
第22回藤本賞 | ノミネート(奨励賞) | |||
2007年 | 河童のクゥと夏休み | 第11回文化庁メディア芸術祭 | アニメーション部門 | 受賞(大賞) |
第31回日本アカデミー賞 | 最優秀アニメーション作品賞 | ノミネート(優秀アニメーション作品賞) | ||
第81回キネマ旬報ベスト・テン | 日本映画 | 第5位 | ||
第9回台北映画祭 | 子供映画部門 | ノミネート(オーディエンス・チョイス・アウォード) | ||
第29回ヨコハマ映画祭ベストテン | 日本映画 | 第5位 | ||
第50回朝日ベストテン映画祭 | 日本映画 | 第2位 | ||
第62回毎日映画コンクール | アニメーション映画賞 | 受賞 | ||
第2回 Invitation AWARDS | アニメーション賞 | 受賞 | ||
第7回東京アニメアワード | 国内劇場部門 | ノミネート(優秀賞) | ||
個人賞部門 | 受賞(脚本賞) | |||
2010年 | カラフル | 第4回ソウル国際家族映像祝祭 | 外国映画部門 | ノミネート(観客賞) |
第14回文化庁メディア芸術祭 | アニメーション部門 | ノミネート(優秀賞) | ||
第34回日本アカデミー賞 | 最優秀アニメーション作品賞 | ノミネート(優秀アニメーション作品賞) | ||
第65回毎日映画コンクール | アニメーション映画賞 | 受賞 | ||
第20回日本映画プロフェッショナル大賞 | ベストテン | 第10位 | ||
第35回アヌシー国際アニメーション映画祭 | 長編作品 | ノミネート(特別賞) | ||
ノミネート(観客賞) | ||||
2013年 | はじまりのみち | 第5回TAMA映画賞 | ノミネート(特別賞) | |
第38回キネマ旬報ベスト・テン | 読者選出日本映画 | 第10位 | ||
2015年 | 個人 | 東京アニメアワードフェスティバル2015[87] | 受賞(特別賞「アニメドール」) | |
2015年 | 百日紅 | 第39回アヌシー国際アニメーション映画祭 | 長編作品[88] | ノミネート(審査員賞) |
ファンタジア国際映画祭 | 今敏賞(長編アニメーション優秀賞) | 受賞 | ||
セカンス賞 | ノミネート(アジア映画優秀賞) | |||
長編アニメーション[89][90] | ノミネート(観客賞) | |||
山路ふみ子映画賞(2015年)[91] | 山路ふみ子文化賞 | 受賞 | ||
シッチェス・カタロニア国際映画祭 | アニメーション部門[92] | 受賞(最優秀作品賞) | ||
第39回日本アカデミー賞 | 最優秀アニメーション作品賞[93] | ノミネート(優秀アニメーション作品賞) | ||
第70回毎日映画コンクール | アニメーション映画賞[94] | 受賞 | ||
2018年 | 個人 | 紫綬褒章([95] | 受賞 | |
2022年 | かがみの孤城 | 第46回日本アカデミー賞 | 最優秀アニメーション作品賞 | ノミネート(優秀アニメーション作品賞) |
著書
- 原恵一・丸尾みほ 共著(原作:小暮正夫『かっぱ大さわぎ』)『河童のクゥ 6年目の夏休み』 - 2013年・双葉社、ISBN 9784575238273
脚注
注釈
- ^ 入ったアニメ学科はゲーム、声優学科とともに東京ネットウエイブ(現・専門学校東京クールジャパン)に併合された。
- ^ のちに原は転職先の斡旋に感謝しつつも肩叩きのようでショックでもあったと述懐している。
- ^ 2017年7月7日までドラえもん(第2作第2期)の初代監督であった善聡一郎は、てんとう虫コミックス『ドラえもん』25巻収録の「四次元ポケットにスペアがあったのだ」をアニメ化した「四次元ポケットのスペア(作品)」というエピソードで、のび太の悪戯に怒ったドラえもんが両手にタケコプターを持ってのび太の部屋に突入するシーンを一番の名演出とし「どっかで真似しよう」と思ったと語っている。そして2011年7月8日に同エピソードが放送された際、ドラえもんはタケコプターを持たずにのび太の部屋に突入している。
- ^ アニメ雑誌『アニメージュ』1987年2月号では半ページの扱いで注目の若手演出家として特集された。
- ^ その際、仲裁したのは総作画監督の中村英一だった。
- ^ 原の代わりにチーフディレクターに就任したのが、当時亜細亜堂所属の本郷みつるであった。
- ^ シリーズ第2作『クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝』からシリーズ第4作『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』まで、本郷みつると共同脚本を務めた[12]。
- ^ 降板の理由について「自分が劇場版に関わって10作目と区切りもいいし、ネタも何とか絞り出して出来たのが『オトナ帝国』と『戦国大合戦』の2作。これ以上続けても同じことの繰り返しにしかならない」と語っている。
- ^ アヌシーの長編部門は、グランプリにあたるクリスタル賞(The Cristal for best feature)と特別賞、観客賞の3部門から構成されるが、このうち2部門に輝いた。
- ^ その間、『百日紅』の現場には待ってもらっていた。
- ^ その年の映画界で注目を集めるハイライト作品で構成されるもので、実写映画では2017年に是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』、2022年に濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が出品されている。
- ^ 本人は、監督としてのキャリアの大部分を社員監督としてやってきたので、自身の作家性への思いは強くないという[49]。
- ^ 当時は毎日のようにテレビで映画を流していたので、浴びるように見ていた。
- ^ 邦画で見ていたのはゴジラ映画くらいだった。
- ^ そのことがきっかけで木下の生誕100年記念の映画『はじまりのみち』を監督することになった。
- ^ 幼稚園から小学生の頃は好きだった『ゴジラ』の絵が大半だったという。
- ^ 2年生の時には県大会にも出場したが、尻を叩く先輩がいなくなった3年生になると記録が伸びなかったという。
- ^ 存在否定ではなく、「もう余計なものを見たくないし身につけたくない」と述べている。『オトナ帝国の逆襲』のケンは自分のそうした気分が乗り移ったキャラクターとも話している。
- ^ 矢島の発言は、『しんちゃん』の関係者でバリ島に旅行した際、約束した集合時間に原が戻ってこなかったことを踏まえたもの。
出典
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参考文献
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- 11ページにわたるインタビュー有り。
- 浜野保樹 編『アニメーション監督 原恵一』晶文社、2005年。ISBN 978-4794966773。
- ふゅーじょんぷろだくと 編『世界と日本のアニメーションベスト150』ふゅーじょんぷろだくと、2003年。ISBN 978-4893933676。
- ニュータイプ 編『原恵一と「河童」の長い旅―河童のクゥと夏休み OFFICIAL GUIDE』角川書店、2007年8月3日。ISBN 978-4048541299。
- ロング・インタビュー、欠番シーンを含む絵コンテ抜粋、監督自身による詳細な『河童のクゥと夏休み』演出解説など。
- 『BSアニメ夜話 Vol.05 クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』キネマ旬報〈キネ旬ムック〉、2007年。ISBN 978-4873766553。
- 原恵一『河童のクゥと夏休み 絵コンテ集』バジリコ、2007年。ISBN 978-4862380609。
- 劇場公開された本編を完全収録したほか、欠番になった36分間全カットを網羅。名シーン、欠番シーンなど(ページ下部)に原監督のコメントつき。
- 大山くまお・林信行・リベロスタイル 編『クレヨンしんちゃん大全』双葉社、2011年。ISBN 978-4575303087。
- 「原恵一監督、新作映画のキャスティングを語る!」『サイゾー 2007年8月号』、インフォバーン、2007年。