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{{基礎情報 会社 |
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'''京都共栄銀行'''(きょうとこうえいぎんこう)は過去にあった[[第二地方銀行]]。[[相互銀行]]時代の名称は'''京都相互銀行'''。元は近畿産業無尽、近畿産業相互銀行と変遷。 |
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|社名 = 株式会社京都共栄銀行 |
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{{基礎情報 銀行 |
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|銀行= 京都共栄銀行 |
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|特記事項= 1997年3月31日時点での指標。 |
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'''株式会社京都共栄銀行'''(きょうときょうえいぎんこう)は、かつて[[京都府]][[京都市]][[下京区]]に本店を置いていた[[第二地方銀行]]。府内を中心に |
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営業を展開していた。 |
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== 概要 == |
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[[京都府]]の第二地銀として預金高'''3400'''億円・貸出金約3000億円で京都市内だけでなく、[[舞鶴市]]や[[宮津市]]、[[小浜市]]など京都府北部・福井県まで営業エリアまで広げていたが、バブルの崩壊により不良債権の総額が約1290億円に膨れ上がった上、金融庁の追加指摘により約150億円の債務超過に陥っている事態となり[[1997年]](平成9年)10月26日に経営破綻した。もともと関係の深かった[[幸福銀行]]が受け皿銀行となった。 |
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[[1941年]]、京都産業無尽が広済無尽を[[合併 (企業)#吸収合併|吸収合併]]し昭和産業無尽として発足。[[1951年]]、[[相互銀行法]]の施行によって昭和産業相互銀行となる。[[1964年]]に京都相互銀行に商号を変更。[[1989年]]4月に普銀に転換し京都共栄銀行と称した<ref name=yomiuri> 「経営難の京都共栄銀行が再建を断念 幸福銀行に営業譲渡 98年10月メド」『読売新聞』大阪本社朝刊 1997年10月14日</ref>。 |
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営業店は京都府内を中心に[[敦賀市]]、[[小浜市]]など[[福井県]]まで店舗ネットワークを広げていたが、信金王国と呼ばれた府内において有力な取引先を持つことが出来ず<ref name=yomiuri />、[[バブル経済]]期において個人や中小法人向けの不動産融資に力を注いだが、[[バブル崩壊]]によって融資が焦げ付き、[[金融庁]]の追加指摘により約150億円の[[債務超過]]に陥った。 |
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また北部地域では舞鶴地区は[[福邦銀行]]、丹後地区では[[北京都信用金庫]]などに営業譲渡され、解体された。これにより、京都府に本店をおく[[地方銀行]]は[[京都銀行]]のみとなった。 |
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京都共栄銀は、[[幸福銀行]]の大株主である大一商店グループが発行済み株式の95%を所有していたため、幸福銀は[[第三者割当増資]]の引受などによる経営支援策も検討したが、[[1998年]]度から始まる[[金融監督庁]]による早期是正処置の導入を控え、幸福銀は京都共栄銀の生き残りは難しいと判断し、[[1997年]]10月14日、京都共栄銀は自主再建の断念を表明した<ref name=yomiuri />。翌年10月、営業権の大半は幸福銀に、府北部地域では福知山市分は幸福銀に譲渡されたものの、中心都市の舞鶴市分は[[福邦銀行]]、丹後地方は[[京都北都信用金庫|北京都信用金庫]]に譲渡され、解散した。これにより、府内に本店をおく地元銀行は[[京都銀行]]のみとなった。 |
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==関連項目== |
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*[[関西アーバン銀行]](最終的な受け皿銀行) |
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営業譲渡された幸福銀には[[預金保険機構]]から456億円の金銭贈与が実施されたが、[[1999年]]5月に債務超過を指摘され経営破綻した。その後、幸福銀は[[ウィルバー・ロス]]による外資系ファンドが設立した受け皿銀行である関西さわやか銀行に事業譲渡して解散した。[[2003年]]7月1日には、同行は関西銀行によって子会社化され、[[2004年]]2月1日、関西銀は関西さわやか銀を合併。商号を変更し[[関西アーバン銀行]]となった{{efn|後に[[近畿大阪銀行]]と合併して現在は[[関西みらい銀行]]}}。 |
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== 沿革 == |
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*[[1941年]]:京都産業無尽が広済無尽を吸収合併。昭和産業無尽として発足。 |
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*[[1951年]]:相互銀行法の施行によって昭和産業相互銀行として発足。 |
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*[[1964年]]:京都相互銀行へ商号変更。 |
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*[[1989年]]:普通銀行へ転換。京都共栄銀行に商号変更。 |
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*[[1997年]]:経営破綻。 |
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*[[1998年]]:京都共栄銀行としての営業終了。幸福銀行、福邦銀行、京都北都信用金庫などに営業譲渡。 |
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== 脚注 == |
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; 注釈 |
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; 出典 |
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==外部リンク== |
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*[https://web.archive.org/web/20080203181651/http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji/kako01/fso9710a.htm 京都共栄銀行について日本銀行1997年10月14日] |
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*[https://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/syasetu/sh71015a.html 京都新聞社説] |
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{{DEFAULTSORT:きようときようえいきんこう}} |
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[[Category:かつて存在した第二地方銀行・相互銀行]] |
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[[Category:関西みらい銀行の前身行]] |
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[[Category:1941年設立の企業]] |
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[[Category:1998年廃止の企業]] |
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2022年12月5日 (月) 22:58時点における最新版
旧京都共栄銀行・舞鶴支店跡 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本店所在地 |
京都府京都市下京区四条通西洞院西入ル |
設立 | 1941年 |
業種 | 銀行業 |
金融機関コード | 0549 |
事業内容 | 普通銀行業務 |
代表者 | 吉永勝商(代表取締役社長) |
従業員数 | 608人 |
決算期 | 3月31日 |
京都共栄銀行のデータ | |
---|---|
店舗数 | 44店 |
貸出金残高 | 3,064億円 |
預金残高 | 3,410億円 |
特記事項: 1997年3月31日時点での指標。 |
株式会社京都共栄銀行(きょうときょうえいぎんこう)は、かつて京都府京都市下京区に本店を置いていた第二地方銀行。府内を中心に 営業を展開していた。
概要[編集]
1941年、京都産業無尽が広済無尽を吸収合併し昭和産業無尽として発足。1951年、相互銀行法の施行によって昭和産業相互銀行となる。1964年に京都相互銀行に商号を変更。1989年4月に普銀に転換し京都共栄銀行と称した[1]。
営業店は京都府内を中心に敦賀市、小浜市など福井県まで店舗ネットワークを広げていたが、信金王国と呼ばれた府内において有力な取引先を持つことが出来ず[1]、バブル経済期において個人や中小法人向けの不動産融資に力を注いだが、バブル崩壊によって融資が焦げ付き、金融庁の追加指摘により約150億円の債務超過に陥った。
京都共栄銀は、幸福銀行の大株主である大一商店グループが発行済み株式の95%を所有していたため、幸福銀は第三者割当増資の引受などによる経営支援策も検討したが、1998年度から始まる金融監督庁による早期是正処置の導入を控え、幸福銀は京都共栄銀の生き残りは難しいと判断し、1997年10月14日、京都共栄銀は自主再建の断念を表明した[1]。翌年10月、営業権の大半は幸福銀に、府北部地域では福知山市分は幸福銀に譲渡されたものの、中心都市の舞鶴市分は福邦銀行、丹後地方は北京都信用金庫に譲渡され、解散した。これにより、府内に本店をおく地元銀行は京都銀行のみとなった。
営業譲渡された幸福銀には預金保険機構から456億円の金銭贈与が実施されたが、1999年5月に債務超過を指摘され経営破綻した。その後、幸福銀はウィルバー・ロスによる外資系ファンドが設立した受け皿銀行である関西さわやか銀行に事業譲渡して解散した。2003年7月1日には、同行は関西銀行によって子会社化され、2004年2月1日、関西銀は関西さわやか銀を合併。商号を変更し関西アーバン銀行となった[注釈 1]。
沿革[編集]
- 1941年:京都産業無尽が広済無尽を吸収合併。昭和産業無尽として発足。
- 1951年:相互銀行法の施行によって昭和産業相互銀行として発足。
- 1964年:京都相互銀行へ商号変更。
- 1989年:普通銀行へ転換。京都共栄銀行に商号変更。
- 1997年:経営破綻。
- 1998年:京都共栄銀行としての営業終了。幸福銀行、福邦銀行、京都北都信用金庫などに営業譲渡。
脚注[編集]
- 注釈
- 出典