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== 由来と歴史 ==
== 由来と歴史 ==


ギリシャ時代から、[[しし座]]と[[うしかい座]]の間にぼんやりとした星の集まりがあることは知られていたが、[[トレミーの48星座]]には含まれなかったため、[[16世紀]]に入るまで1つの星座として認められていなかった<ref name="ridpath"/>
ギリシャ時代から、[[しし座]]と[[うしかい座]]の間にぼんやりとした星の集まりがあることは知られていたが、[[トレミーの48星座]]には含まれなかったため、[[16世紀]]に入るまで1つの星座として認められていなかった{{R|Ridpath}}


かみのけ座を1つの星座として独立させたのは、[[1536年]]にドイツの地図製作者カスパル・ヴォペルが自作の地球儀に描いたのが最初である<ref name="ridpath"/>。その後[[メルカトル]]の地図や、[[ティコ・ブラーエ]]星図で用いられてから一般に認知されるようになった<ref name="ridpath"/>
かみのけ座を1つの星座として独立させたのは、[[1536年]]にドイツの地図製作者カスパル・ヴォペルが ''Berenices Crinis'' として自作の地球儀に描いたのが最初である{{R|Ridpath}}。その後1551年に[[メルカトル]]がこれを採用し1602年に[[ティコ・ブラーエ]]星図で用いてから広く一般に認知されるようになった{{R|Ridpath}}


== 神話 ==
== 神話 ==


[[古代エジプト]]、[[プトレマイオス朝]]の王[[プトレマイオス3世]]と、その妻で王妃の[[ベレニケ2世]]にまつわる話が知られている<ref name="ridpath"/>
[[古代エジプト]]、[[プトレマイオス朝]]の王[[プトレマイオス3世]]と、その妻で王妃の[[ベレニケ2世]]にまつわる話が知られている{{R|Ridpath}}


プトレマイオス3世は自分の姉妹を殺した[[セレウコス朝]]シリアを紀元前243年ごろ攻めた。ベレニケは、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を女神[[アプロディーテー]]に捧げると誓った。夫が戻ると、王妃は髪を切り、女神の神殿に供えたところ、翌朝までに髪の毛は消えていた。王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。このとき、宮廷天文学者[[サモスのコノン|コノン]]は、神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした、と王と王妃に告げ、しし座の尾の部分を指し示した。そしてその場所はこれ以後'''ベレニケのかみのけ座''' (Coma Berenices コマ・ベレニケス) と呼ばれることになった。コノンのこのとっさの知恵により、神官たちの命は救われた<ref name="ridpath"/>
プトレマイオス3世は自分の姉妹を殺した[[セレウコス朝]]シリアを紀元前243年ごろ攻めた。ベレニケは、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を女神[[アプロディーテー]]に捧げると誓った。夫が戻ると、王妃は髪を切り、女神の神殿に供えたところ、翌朝までに髪の毛は消えていた。王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。このとき、宮廷天文学者[[サモスのコノン|コノン]]は、神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした、と王と王妃に告げ、しし座の尾の部分を指し示した。コノンのこのとっさの知恵により、神官たちの命は救われた{{R|Ridpath}}

この話は、プトレマイオス3世に仕えた[[ヘレニズム期]]の[[宮廷詩人]][[カリマコス]]の詩 ''Lock of Berenice'' で神話化された{{R|Ridpath}}。


== 出典 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2019年2月18日 (月) 23:47時点における版

かみのけ座
Coma Berenices
Coma Berenices
属格 Comae Berenices
略符 Com
発音 [ˈkoʊmə bɛrəˈnaɪsiːz]、属格:/ˈkoʊmiː/
象徴 Berenice's Hair
概略位置:赤経 12.76
概略位置:赤緯 +21.83
正中 5月15日21時
広さ 386平方度[1]42位
バイエル符号/
フラムスティード番号
を持つ恒星数
44
3.0等より明るい恒星数 0
最輝星 β Com(4.25
メシエ天体 8
確定流星群 Coma Berenicids
隣接する星座 りょうけん座
おおぐま座
しし座
おとめ座
うしかい座
テンプレートを表示

かみのけ座(髪座、Comae Berenices)は星座の1つ。

主な天体

恒星

以下の恒星には、国際天文学連合によって正式な固有名が定められている。

  • α星:2つの5等星による連星で、A星にはディアデム(Diadem、王冠)という固有名が付けられている。これは、ベレニケ2世の王冠を表す。β星よりわずかに暗く、2番目の明るさである。

その他、以下の恒星が知られている。

  • β星:かみのけ座で最も明るい恒星。絶対等級太陽とほぼ同じ(太陽よりわずかに明るい)恒星である。この星は地球から約30光年の場所にある。よってこの場所から太陽を見ると、地球から見たβ星と同じくらいに輝いているはずである。

星団・星雲・銀河

かみのけ座には銀河北極銀緯+90°の点)があり、星間物質の量が最も少ない方向なのでたくさんの銀河が見える。この領域にはかみのけ座銀河団と呼ばれる銀河団が存在する。反面銀河面から最も離れているため、大きな散開星団Mel 111を例外として散開星団散光星雲惑星状星雲はほとんど見られない。

  • Mel 111 :散開星団。広範囲に星が散らばっているため、肉眼でも確認できる。
  • M64(黒眼銀河):渦巻銀河。暗黒帯が見えるため。この名前がある。

その他

由来と歴史

ギリシャ時代から、しし座うしかい座の間にぼんやりとした星の集まりがあることは知られていたが、トレミーの48星座には含まれなかったため、16世紀に入るまで1つの星座として認められていなかった[2]

かみのけ座を1つの星座として独立させたのは、1536年にドイツの地図製作者カスパル・ヴォペルが Berenices Crinis として自作の地球儀に描いたのが最初である[2]。その後1551年にメルカトルがこれを採用し、1602年にティコ・ブラーエが星図で用いてから広く一般に認知されるようになった[2]

神話

古代エジプトプトレマイオス朝の王プトレマイオス3世と、その妻で王妃のベレニケ2世にまつわる話が知られている[2]

プトレマイオス3世は自分の姉妹を殺したセレウコス朝シリアを紀元前243年ごろ攻めた。ベレニケは、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を女神アプロディーテーに捧げると誓った。夫が戻ると、王妃は髪を切り、女神の神殿に供えたところ、翌朝までに髪の毛は消えていた。王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。このとき、宮廷天文学者コノンは、神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした、と王と王妃に告げ、しし座の尾の部分を指し示した。コノンのこのとっさの知恵により、神官たちの命は救われた[2]

この話は、プトレマイオス3世に仕えたヘレニズム期宮廷詩人カリマコスの詩 Lock of Berenice で神話化された[2]

出典

  1. ^ 星座名・星座略符一覧(面積順)”. 国立天文台(NAOJ). 2023年1月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Ian Ridpath. “Star Tales - Coma Berenices”. 2014年2月4日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、かみのけ座に関するメディアがあります。
ウィクショナリーには、かみのけ座の項目があります。