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『'''あにき'''』は[[1977年]][[10月7日]]から1977年[[12月30日]]まで[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]]の枠で放送された[[TBSテレビ|TBS]]の連続[[テレビドラマ]]。[[高倉健]]のドラマ初主演作品(連続ドラマでの主演作は最初で最後<ref>高倉が生涯のうちに出演した連続ドラマは、1956年ぼんぼん頑張る(TBS)、「あにきの2作のみ。</ref>)
『'''あにき'''』は[[1977年]][[10月7日]]から1977年[[12月30日]]まで[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]]の枠で放送された[[TBSテレビ|TBS]]の連続[[テレビドラマ]]。[[高倉健]]のドラマ初主演作品(連続ドラマでの主演作は最初で最後{{efn|高倉が生涯のうちに出演した連続ドラマは、1956年ぼんぼん頑張る(TBS)とあにきの2作のみ。}}

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== あらすじ ==
== あらすじ ==
[[東京]]の[[下町]]・[[日本橋人形町|人形町]]で[[鳶職]]の組頭として働く神山栄次と、その兄妹・家族の人間愛を描く。
[[東京]]の[[下町]]・[[日本橋人形町|人形町]]で[[鳶職]]の組頭として働く神山栄次と、その兄妹・家族の人間愛を描く。

== 製作 ==
[[高倉健]]は[[東映]]から独立して間がなく{{Refnest|group="出典"|{{R|映画情報197710|週刊文春19830217}}}}、当時は映画で人気のあるスターは、テレビに出演しないのがまだ伝統として残り{{R|週刊文春19830217}}、テレビで出ると「落ちた」というイメージをもたれた{{R|週刊文春19830217}}。高倉は"テレビに出ない最後の大物"と評され{{R|週刊文春19830217}}、このため各テレビ局が高倉をテレビに引っ張り出そうと躍起になっていた{{R|週刊文春19830217}}。当時の高倉は『[[八甲田山 (映画)|八甲田山]]』が1977年6月に公開されるまで、映画記者の間でも「高倉はどうしているのか」と囁かれるほど沈黙している状況で{{R|映画情報197710}}、『[[幸福の黄色いハンカチ]]』は本作と並行して撮影が行われていた{{R|映画情報197710}}。[[加東康一]]は1977年夏に書いたと見られる映画誌の高倉の記事で「話題作に続々出演する高倉が今年急浮上するのではないか」と書いている{{R|映画情報197710}}。

[[TBSテレビ|TBS]]の音楽プロデューサー[[渡辺正文]]が、1973年に東日貿易の久保正雄(久保満沙雄){{R|週刊文春19830217}}社長を介して[[サミー・デイヴィスJr.]]と高倉と会食する機会を得て{{R|映画情報197710}}、音楽好きな高倉とウマが合い、渡辺も高倉に惚れ込んで諦めずにテレビ出演を口説き続けた{{R|映画情報197710}}。有名人は外で目立って遊べないことから、[[六本木]]の久保邸には高倉を始め、[[長嶋茂雄]]や[[張本勲]]、[[土井正三]]、[[白井貴子 (バレーボール)|白井貴子]]、[[江利チエミ]]、[[ディック・ミネ]]ら{{Refnest|group="出典"|{{R|週刊文春19830217|超人間コク宝|週刊新潮19790104}}}}、多くの[[有名人]]が集まって[[麻雀]]をしたり、酒を飲んだりして遊んでいた{{Refnest|group="出典"|{{R|週刊文春19830217|超人間コク宝}}}}。久保は部下の桐島正也とともに[[伊藤忠商事]]の[[瀬島龍三]]とタッグを組み{{Refnest|group="出典"|{{R|超人間コク宝|七つの顔}}}}、[[デヴィ・スカルノ]]を使って{{Refnest|group="出典"|{{R|超人間コク宝|週刊新潮19790104|七つの顔|dailyshincho}}}}、[[日本の戦争賠償と戦後補償#占領した連合国に対する賠償|インドネシアの戦後補償]]を巡り{{Refnest|group="出典"|{{R|mofa|shikoku20081222}}}}、[[池田勇人]][[内閣総理大臣|首相]]と[[スカルノ|スカルノインドネシア大統領]]を繋いだ[[政商]]{{Refnest|group="出典"|{{R|超人間コク宝|週刊新潮19790104|七つの顔|dailyshincho|無法地帯}}}}。

高倉は多くの映画人から「あなただけはテレビに出てほしくない」と言われ決断がなかなか出来なかったが、渡辺プロデューサーの熱意に負け、「ものによっては出てもいい」と返事をした{{R|週刊文春19830217}}。

渡辺はこれ以降、高倉と親しい間柄になったと見られ、1982年の『[[週刊平凡]]』で本作を振り返り「『あにき』をやることになって、さて誰に脚本を頼もうかって考えたんだけど、ケン坊の話によると倉本聰っていう男から来た手紙が山のようにたまっているというんだな。ケン坊の熱烈なファンで、映画を見るたびに感想を送ってくるっていうんだよ。ところがケン坊もボクも倉本聰なんて名前、そのころ知らなくてねえ。ハハハ…。局長に話したら『おいおい、そいつは脚本家の天皇みたいなやつだよ』なんていわれてビックリしたもんですよ。ハハハ。付き合ってみると分かるけど、ケン坊はデリケートな人間でね。『あにき』のときもえらく緊張していたねえ。『[[田中邦衛]]がいてくれたらやりやすいんだけどなあ』なんて言うんで、クニさんに共演を頼んだこともあったね。基本的にシャイな人だから、交際範囲はあまり広くないね。ボクだって、何かテーマがないと会いにくいくらいでね」などと述べている<ref>{{cite journal |和書 |author = |title = ご近所に聞く 『私生活を知る人たちが語るほんとうの健さん! ストイックな男の生きざまを証言』 |journal = [[週刊平凡]] |issue = 1982年4月8日号 |publisher = [[マガジンハウス|平凡出版]] |pages = 58–62 }}</ref>。

=== 脚本 ===
高倉は出演作の選定に慎重な人で{{R|週刊文春19830217}}、ドラマ出演を決めると誰の脚本がいいか、色んな人に聞いた{{R|週刊文春19830217}}。それで[[倉本聰]]が非常に優れた脚本家だという評判を聞いた{{R|週刊文春19830217}}。また倉本は以前から高倉の大ファンで、「あなたのドラマを書かせていただきたい」という手紙を貰っていた{{R|週刊文春19830217}}。手紙を貰っていた恩義もあり、意気に感じた高倉が倉本に連絡を取り、倉本がTBSの[[大山勝美]]プロデューサーを紹介し、その場で高倉が「お任せします」と返事した{{R|週刊文春19830217}}。大山は[[萬屋錦之介]]のテレビドラマを手掛けたことがあり、錦之介を兄貴分と慕う高倉は錦之介から大山のことも聞いていた{{R|週刊文春19830217}}。

渡辺は音楽プロデューサーながら「下町を舞台とした粋なテレビドラマをやってみたい」という構想をもっており{{R|週刊現代19771013}}、1973年頃から高倉、渡辺、倉本の3人で会って話をするようになった{{R|週刊現代19771013}}。健さんの映画でのイメージを崩さずに、なおかつテレビ的な映像にどう合わせるかという問題があり、失敗は許されない仕事で倉本は苦労して脚本を書いた{{R|週刊文春19830217}}。1975年頃から脚本に取りかかりかなりの時間を費やし{{Refnest|group="出典"|{{R|映画情報197710|週刊文春19830217}}}}、「東京下町の[[いなせ]]なとび職の頭が、[[カリエス]]で病床に伏したままの妹を嫁がせるまでの物語を、迷い込んできた現代っ娘と交流を交えて描く」とコンセプトが決まった{{R|映画情報197710}}。『[[ロッキー (映画)|ロッキー]]』の兄妹をヒントに『[[駅 STATION]]』の原型のような話になった{{R|週刊文春19830217}}。

=== キャスティング ===
大山が「共演するなら誰とやりたいですか?」と高倉に聞いたら、高倉は[[倍賞千恵子]]と[[田中邦衛]]を挙げた{{R|週刊文春19830217}}。田中邦衛は高倉と仲が良く、収録中もよく話をしていたという{{R|週刊文春19830217}}。田中も高倉も普段から[[筋力トレーニング|筋トレ]]に励み、ハード過ぎて[[萩原健一]]が高倉と一緒に[[腹筋運動]]をやってゲロを吐いたというエピソードもある{{R|週刊文春19830217}}。他に大山が高倉を慕う[[大原麗子]]に出演を頼んだら大喜びで参加{{R|週刊文春19830217}}。大原が高倉の妹を<!---{{R|映画情報197710}}--->、『[[八甲田山 (映画)|八甲田山]]』で共演していた[[秋吉久美子]]にも声をかけ<!---{{R|週刊文春19830217}}--->、現代っ娘役を秋吉が演じる{{R|映画情報197710}}。秋吉は1972年の[[田宮二郎]]主演のTBSドラマ『[[白い影]]』の[[オーディション]]を受けに来ていて落選したが、大山プロデューサーが稽古場にあまりにも目立つ可愛い子がいて声をかけた{{R|週刊文春19830217}}。秋吉は「マネージャーがアホだから落ちた」などと毒を吐きまくり、大山が「僕はこの番組のプロデューサーだよ」と言ったら普通はハッと立ち上がるか、急に態度が改まるものだが、秋吉は「あら、そうなの」と態度を変えず{{R|週刊文春19830217}}。『あにき』出演時には大人気女優になっていたが、大山が「一緒に仕事したい」とオファーを出した{{R|週刊文春19830217}}。高倉からリクエストされた二人以外の主要キャストは大山が全員決めた{{R|週刊文春19830217}}。

=== 撮影 ===
テレビドラマの「よーい スタート!」は[[ブザー]]でやるが{{R|週刊文春19830217}}、高倉がブザーを嫌ったため<!---{{R|週刊文春19830217}}--->、大山は初めて映画用[[カチンコ]]を打った{{R|週刊文春19830217}}。

収録中に本物のヤクザがテレビ局のスタジオに何度か訪ねて来て、テレビドラマの収録にヤクザが[[お見舞い|陣中見舞い]]に来ることはないため、テレビのスタッフを驚かせた{{R|週刊文春19830224}}。子分を連れた[[代貸]]クラスが「健さんと顔見知りだから通せ」とうるさく、高倉は「[[ヤクザ映画]]をやってたから、その方面のファンが多くて困ってるんですよ」と言ったが、断り切れずスタジオに通すとゾロゾロと高倉に一人づつ握手し、寿司やコーヒーを差し入れした{{R|週刊文春19830224}}。彼らにとって高倉は[[アイドル]]だった{{R|週刊文春19830224}}。

現場では大原麗子がリーダー格で、秋吉久美子がいい過ぎたりすると「ダメよ。久美子ちゃん。そんなこと言っちゃ」と諫めた{{R|週刊文春19830224}}。東映時代から高倉と付き合いが長いことを秋吉も知っており、大原に一目置き、当時の秋吉の[[代名詞]]だった[[不良行為少年|ツッパリ]]は見せなかった{{R|週刊文春19830224}}。秋吉といえば「子供は卵で産みたい」という伝説的な名文句でも知られるが{{R|週刊文春19830224}}、自分が日本一で、自分以外のものは認めないというツッパリから、回りが赤ちゃんばかりに贈り物をしたら「誰も私にお祝いくれないの!」と激怒したという笑い話もあり{{R|週刊文春19830224}}、大山は「やっぱり女優だなあ」と感心したという{{R|週刊文春19830224}}。

役は分からないが、[[岩城滉一]]がレギュラー出演していたが{{R|週刊文春19830224}}、収録が進んだときに[[覚醒剤取締法]]で逮捕されたため{{R|週刊文春19830224}}、すぐに降板させて[[代役]]を立てて撮り直しが行われた{{R|週刊文春19830224}}。当時の映画ではそのような不祥事で降板させられることはなかったため{{Refnest|group="出典"|{{R|週刊文春19830224|佐藤純彌|最後の角川春樹}}}}、高倉も即決に驚いていたという{{R|週刊文春19830224}}。

== 宣伝 ==
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== 出演 ==
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=== 注釈 ===
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<ref name="mofa">[http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1964/s39-shiryou-003.htm 池田総理大臣の西太平洋諸国訪問の再の各国政府との共同声明] – 外務省</ref>
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<ref name="佐藤純彌">{{Citation|和書|editor=|year=2018|title=映画監督 佐藤純彌 映画 (シネマ) よ憤怒の河を渉れ|series=|publisher=DU BOOKS|isbn=978-4866470764|pages=235–236}}</ref>
<ref name="最後の角川春樹">{{Cite book|和書|author=伊藤彰彦|authorlink=伊藤彰彦|year=2021|title=最後の角川春樹|publisher=[[毎日新聞出版]]|isbn=978-4-620-32710-5|pages=126–127}}</ref>
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=== 出典(リンク) ===
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2024年3月23日 (土) 10:51時点における最新版

あにき
ジャンル 連続ドラマ
ホームドラマ
脚本 倉本聰
演出 井下靖央
大山勝美
出演者 高倉健
倍賞千恵子(第2回、第4回、第5回、第6回、第7回、第8回、第9回、第10回に出演)
ナレーター 滝田ゆう
製作
プロデューサー 大山勝美
渡辺正文
制作 TBS
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1977年10月7日 - 1977年12月30日
放送時間金曜 22:00 - 22:54
放送枠金曜ドラマ (TBS)
放送分54分
回数13
テンプレートを表示

あにき』は1977年10月7日から1977年12月30日まで金曜ドラマの枠で放送されたTBSの連続テレビドラマ高倉健のドラマ初主演作品(連続ドラマでの主演作は最初で最後[注釈 1]

あらすじ[編集]

東京下町人形町鳶職の組頭として働く神山栄次と、その兄妹・家族の人間愛を描く。

製作[編集]

高倉健東映から独立して間がなく[出典 1]、当時は映画で人気のあるスターは、テレビに出演しないのがまだ伝統として残り[2]、テレビで出ると「落ちた」というイメージをもたれた[2]。高倉は"テレビに出ない最後の大物"と評され[2]、このため各テレビ局が高倉をテレビに引っ張り出そうと躍起になっていた[2]。当時の高倉は『八甲田山』が1977年6月に公開されるまで、映画記者の間でも「高倉はどうしているのか」と囁かれるほど沈黙している状況で[1]、『幸福の黄色いハンカチ』は本作と並行して撮影が行われていた[1]加東康一は1977年夏に書いたと見られる映画誌の高倉の記事で「話題作に続々出演する高倉が今年急浮上するのではないか」と書いている[1]

TBSの音楽プロデューサー渡辺正文が、1973年に東日貿易の久保正雄(久保満沙雄)[2]社長を介してサミー・デイヴィスJr.と高倉と会食する機会を得て[1]、音楽好きな高倉とウマが合い、渡辺も高倉に惚れ込んで諦めずにテレビ出演を口説き続けた[1]。有名人は外で目立って遊べないことから、六本木の久保邸には高倉を始め、長嶋茂雄張本勲土井正三白井貴子江利チエミディック・ミネ[出典 2]、多くの有名人が集まって麻雀をしたり、酒を飲んだりして遊んでいた[出典 3]。久保は部下の桐島正也とともに伊藤忠商事瀬島龍三とタッグを組み[出典 4]デヴィ・スカルノを使って[出典 5]インドネシアの戦後補償を巡り[出典 6]池田勇人首相スカルノインドネシア大統領を繋いだ政商[出典 7]

高倉は多くの映画人から「あなただけはテレビに出てほしくない」と言われ決断がなかなか出来なかったが、渡辺プロデューサーの熱意に負け、「ものによっては出てもいい」と返事をした[2]

渡辺はこれ以降、高倉と親しい間柄になったと見られ、1982年の『週刊平凡』で本作を振り返り「『あにき』をやることになって、さて誰に脚本を頼もうかって考えたんだけど、ケン坊の話によると倉本聰っていう男から来た手紙が山のようにたまっているというんだな。ケン坊の熱烈なファンで、映画を見るたびに感想を送ってくるっていうんだよ。ところがケン坊もボクも倉本聰なんて名前、そのころ知らなくてねえ。ハハハ…。局長に話したら『おいおい、そいつは脚本家の天皇みたいなやつだよ』なんていわれてビックリしたもんですよ。ハハハ。付き合ってみると分かるけど、ケン坊はデリケートな人間でね。『あにき』のときもえらく緊張していたねえ。『田中邦衛がいてくれたらやりやすいんだけどなあ』なんて言うんで、クニさんに共演を頼んだこともあったね。基本的にシャイな人だから、交際範囲はあまり広くないね。ボクだって、何かテーマがないと会いにくいくらいでね」などと述べている[10]

脚本[編集]

高倉は出演作の選定に慎重な人で[2]、ドラマ出演を決めると誰の脚本がいいか、色んな人に聞いた[2]。それで倉本聰が非常に優れた脚本家だという評判を聞いた[2]。また倉本は以前から高倉の大ファンで、「あなたのドラマを書かせていただきたい」という手紙を貰っていた[2]。手紙を貰っていた恩義もあり、意気に感じた高倉が倉本に連絡を取り、倉本がTBSの大山勝美プロデューサーを紹介し、その場で高倉が「お任せします」と返事した[2]。大山は萬屋錦之介のテレビドラマを手掛けたことがあり、錦之介を兄貴分と慕う高倉は錦之介から大山のことも聞いていた[2]

渡辺は音楽プロデューサーながら「下町を舞台とした粋なテレビドラマをやってみたい」という構想をもっており[11]、1973年頃から高倉、渡辺、倉本の3人で会って話をするようになった[11]。健さんの映画でのイメージを崩さずに、なおかつテレビ的な映像にどう合わせるかという問題があり、失敗は許されない仕事で倉本は苦労して脚本を書いた[2]。1975年頃から脚本に取りかかりかなりの時間を費やし[出典 8]、「東京下町のいなせなとび職の頭が、カリエスで病床に伏したままの妹を嫁がせるまでの物語を、迷い込んできた現代っ娘と交流を交えて描く」とコンセプトが決まった[1]。『ロッキー』の兄妹をヒントに『駅 STATION』の原型のような話になった[2]

キャスティング[編集]

大山が「共演するなら誰とやりたいですか?」と高倉に聞いたら、高倉は倍賞千恵子田中邦衛を挙げた[2]。田中邦衛は高倉と仲が良く、収録中もよく話をしていたという[2]。田中も高倉も普段から筋トレに励み、ハード過ぎて萩原健一が高倉と一緒に腹筋運動をやってゲロを吐いたというエピソードもある[2]。他に大山が高倉を慕う大原麗子に出演を頼んだら大喜びで参加[2]。大原が高倉の妹を、『八甲田山』で共演していた秋吉久美子にも声をかけ、現代っ娘役を秋吉が演じる[1]。秋吉は1972年の田宮二郎主演のTBSドラマ『白い影』のオーディションを受けに来ていて落選したが、大山プロデューサーが稽古場にあまりにも目立つ可愛い子がいて声をかけた[2]。秋吉は「マネージャーがアホだから落ちた」などと毒を吐きまくり、大山が「僕はこの番組のプロデューサーだよ」と言ったら普通はハッと立ち上がるか、急に態度が改まるものだが、秋吉は「あら、そうなの」と態度を変えず[2]。『あにき』出演時には大人気女優になっていたが、大山が「一緒に仕事したい」とオファーを出した[2]。高倉からリクエストされた二人以外の主要キャストは大山が全員決めた[2]

撮影[編集]

テレビドラマの「よーい スタート!」はブザーでやるが[2]、高倉がブザーを嫌ったため、大山は初めて映画用カチンコを打った[2]

収録中に本物のヤクザがテレビ局のスタジオに何度か訪ねて来て、テレビドラマの収録にヤクザが陣中見舞いに来ることはないため、テレビのスタッフを驚かせた[12]。子分を連れた代貸クラスが「健さんと顔見知りだから通せ」とうるさく、高倉は「ヤクザ映画をやってたから、その方面のファンが多くて困ってるんですよ」と言ったが、断り切れずスタジオに通すとゾロゾロと高倉に一人づつ握手し、寿司やコーヒーを差し入れした[12]。彼らにとって高倉はアイドルだった[12]

現場では大原麗子がリーダー格で、秋吉久美子がいい過ぎたりすると「ダメよ。久美子ちゃん。そんなこと言っちゃ」と諫めた[12]。東映時代から高倉と付き合いが長いことを秋吉も知っており、大原に一目置き、当時の秋吉の代名詞だったツッパリは見せなかった[12]。秋吉といえば「子供は卵で産みたい」という伝説的な名文句でも知られるが[12]、自分が日本一で、自分以外のものは認めないというツッパリから、回りが赤ちゃんばかりに贈り物をしたら「誰も私にお祝いくれないの!」と激怒したという笑い話もあり[12]、大山は「やっぱり女優だなあ」と感心したという[12]

役は分からないが、岩城滉一がレギュラー出演していたが[12]、収録が進んだときに覚醒剤取締法で逮捕されたため[12]、すぐに降板させて代役を立てて撮り直しが行われた[12]。当時の映画ではそのような不祥事で降板させられることはなかったため[出典 9]、高倉も即決に驚いていたという[12]

宣伝[編集]

今日でも映画やテレビドラマに出演する役者が同じ局のバラエティ番組などにPRに出まくることは一般的で、むしろそちらが自身のPRのメインのような状況にあるが[12]、当時も一緒でテレビに出てPRに励むことが普通だったが[12]、高倉はこれらを一切拒否[12]。当時はバラエティ番組という言葉がないため、「演じた役と自分は別の人間。ワイドショーに出て、高倉健が高倉健を演じてると思われたくない」と雑誌マスメディアの取材を一切受けなかった[12]

出演[編集]

  • 神山栄次:高倉健
    何代も亘り続く鳶職「神山組」の頭。妻と死別した後はずっと独身。妹思いで律儀な性格。
  • 神山かい:大原麗子
    栄次の妹。理髪店勤務。気は優しいがいまだ独身であり、栄次もこれに悩んでいる。
  • 滝本桐子:倍賞千恵子(特別出演
    ごろの妹で居酒屋のおかみ。ごろ夫妻と同居。離婚歴あり。
  • 岡村恵子:秋吉久美子
    かつて栄次が世話になった旦那の一人娘で、やがて栄次も恵子のことが気になっていく。下町の人間関係というものはナンセンスと思っている。
  • 中沢金太郎:田中邦衛
    神山組の営業を取り仕切る。おっちょこちょいな所があるが、頼りにされている。
  • 中沢冴子:春川ますみ
    金太郎の妻。しっかり者で情にもろい。
  • 加東松五郎:島田正吾
    「人形町の頭」とよばれる神山組の長老。栄次も頭が上がらない存在。
  • 加東きん:中村たつ
  • 松井安全堂:大滝秀治
    栄次とごろの幼友達ではり師。目が不自由。
  • 石川梅吉:小鹿番
  • 岩谷茂:岩尾正隆
  • 伸子:伊佐山ひろ子
    恵子の友人。
  • 滝本ごろ、ナレーション:滝田ゆう(タイトル画も担当)
    栄次の幼友達の漫画家。
  • 滝本たか子:石井富子
    ごろの妻。
  • 清水文吉:小林稔侍
  • 田代勇:阿藤快
  • 梅田公次:青木卓
  • 北村平吉:立川光貴
  • 白井小太郎:北見治一
    地上げ反対運動のリーダー。
  • 甲田:織本順吉
    地上げをたくらむ事業家。
  • 甲田元子:野中マリ子
  • 入江:下條正巳
  • 黒田:北浦昭義
  • 長吉:寺島達夫
  • 高津:堀田真三
    恵子のボーイフレンド。東京大学で英文学を研究している。妻子あり。
  • 市川:隼信吉
  • 矢部修一:吉田太門
    桐子のボーイフレンド。玉川映画の助監督でポルノ映画の脚本を書く。
  • 元岡村商会番頭:今西正男
  • 坂口:坂田金太郎
  • 坂口夫人:深谷みさお
(出典:)

ゲスト[編集]

第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回
第七回
第八回
  • 婦長:関弘子
  • 木下看護婦:島田零子
  • 病院の事務員:前沢保美
  • ボクシングのコーチ:荒瀬寛樹
第九回
第十回
第十一回
第十二回
最終回

スタッフ[編集]

放映リスト[編集]

回数 放送日 演出 視聴率[15]
第1回 1977年
10月7日
井下靖央
第2回 10月14日
第3回 10月21日
第4回 10月28日 大山勝美
第5回 11月4日
第6回 11月11日 井下靖央
第7回 11月18日 大山勝美
第8回 11月25日 井下靖央
第9回 12月2日
第10回 12月9日 大山勝美
第11回 12月16日
第12回 12月23日 井下靖央
第13回(最終回) 12月30日

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 高倉が生涯のうちに出演した連続ドラマは、1956年『ぼんぼん頑張る』(TBS)と『あにき』の2作のみ。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 加東康一「BIG STAR/18 高倉健」『映画情報』1977年10月号、国際情報社、61頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 大山勝美「大山勝美のテレビドラマ内緒ばなし(13) 冗談好きな高倉健」『週刊文春』1983年2月17日号、文藝春秋、72-73頁。 
  3. ^ a b c d e 吉田豪「谷隼人インタビュー 『だから言ってるじゃん、ハメる前にハメられたって』」『超 人間コク宝』コアマガジン、2020年、299頁。ISBN 978-4-86653-435-0 
  4. ^ a b c 「『デビ夫人をインドネシアに送った男』が点滅する『財界裏面史』のいろどり」『週刊新潮』1979年1月4日号、新潮社、194頁。 
  5. ^ a b c 森功『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』講談社、2017年、166-194頁。ISBN 978-4-06-220551-1 
  6. ^ a b 芸能界の“新・ご意見番”は「デヴィ夫人」 新井浩文、大沢樹生息子の逮捕にもコメント”. デイリー新潮. 新潮社 (2019年2月25日). 2024年3月23日閲覧。
  7. ^ 池田総理大臣の西太平洋諸国訪問の再の各国政府との共同声明 – 外務省
  8. ^ デヴィ夫人、首脳外交に一役/池田首相の伝言取り次ぐ
  9. ^ 高橋賢『東映実録やくざ映画 無法地帯』太田出版、2003年、202-207頁。ISBN 9784872337549 
  10. ^ 「ご近所に聞く 『私生活を知る人たちが語るほんとうの健さん! ストイックな男の生きざまを証言』」『週刊平凡』1982年4月8日号、平凡出版、58–62頁。 
  11. ^ a b 小柳明人、山崎俊彦「全角度ワイド 選びに選んだ大情報集団10 王に代わって爆発!! 高倉健(46)が語ったオレの生きざま…」『週刊現代』1977年10月13日号、講談社、166-168頁。 
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 大山勝美「大山勝美のテレビドラマ内緒ばなし(14) 健さんの素顔」『週刊文春』1983年2月24日号、文藝春秋、78-79頁。 
  13. ^ 『映画監督 佐藤純彌 映画 (シネマ) よ憤怒の河を渉れ』DU BOOKS、2018年、235–236頁。ISBN 978-4866470764 
  14. ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版、2021年、126–127頁。ISBN 978-4-620-32710-5 
  15. ^ 「テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ

出典(リンク)[編集]

外部リンク[編集]

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あにき