天皇陛下の執刀医―天野篤氏|一流に学ぶ
「なぜ医師を目指したのか」 =天皇陛下の執刀医―天野篤氏
生前退位の意向をにじませた天皇陛下の「お気持ち」表明は、国民の多くに驚きを持って受け止められたが、全く別の意味で衝撃を受けた人がいた。陛下が4年前、冠動脈バイパス手術を受けられた際、執刀医を務めた順天堂大学医学部付属順天堂医院院長(心臓血管外科学講座教授)の天野篤氏だ。
ビデオメッセージの形で公表された「お気持ち」について、「最初は手術をしたことが相当マイナスだったのかな」と考え落ち込みましたと言う天野氏。しかし、お言葉をよく聞いてみると「全国いろいろな所へ行って国民と触れ合えたというようなことを述べられていて、(手術成功が)少しはお役に立てたのかも」と思い直したという。
高校時代、父親の病気が深刻になり医師の道を志すようになった天野氏。医学部受験に3度失敗し紆余(うよ)曲折もあったが、今ではトップランナーとして走り続ける。「陛下が常に国民を思い、国民のために祈ってこられたように、自分自身も患者さんサイドで考え努力しよう、もっとやらなければと思うようになりました」と決意を新たにした。
手術数はこれまで7200例を超える。61歳の今もなぜ医療現場の前線に立ち続けるのか、その思いや生き方を少年時代までさかのぼって探っていく。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
天野 篤氏(あまの・あつし)1955年10月、埼玉県蓮田市生まれ。83年日本大医学部卒。新東京病院心臓血管外科部長、昭和大横浜市北部病院循環器センター長・教授、順天堂大医学部心臓血管外科教授などを経て、2016年に同大医学部付属順天堂医院長。冠動脈バイパス手術の第一人者で、12年2月には、東京大との合同チームの一員として天皇陛下の心臓手術を行った。
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2016/11/21 10:47
(第2回)スキー没頭、成績急降下 =高校からは「暗黒時代」
田園風景が広がる埼玉県蓮田市の自宅から、大宮駅で電車を乗り継ぎ、浦和市(現さいたま市)の埼玉大学教育学部付属中学に通い始めると、天野篤氏の好奇心は一気にはじけた。中学に入学した年の夏に撮影。初恋も経験した 「埼玉県在住の人な…
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2016/11/28 11:55
(第3回)病弱な父見て医師志す =勉強のスイッチは入らず
高校時代の天野篤氏は勉強になかなか身が入らなかったが、医学部に進む気持ちは固まっていた。理由は二つあり、一つは親戚の医師の影響、もう一つは父親の病気だった。 父方の伯父が小児科医で、天野氏は子どもの頃、よくおなかを壊して母親に…
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2016/12/05 15:09
(第4回)パチンコに熱中、3浪目に =最後は猛勉強、医師の道へ
「次は何とかなるだろうという曖昧な気持ちでは行動が伴うはずもない」。天野篤氏は大学受験に続けて失敗し、2年目の浪人生活に突入した。予備校には通わず図書館で勉強することにしたが、それも長くは続かなかった。 「図書館に通ったのは6…
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2016/12/12 13:11
(第5回)日大医学部に入学 =経済格差を目の当たりに
日本大学医学部への入学が決まった天野氏が直面したのが、周囲との経済格差である。当時は私立大学の医学部となれば、親が医師という学生がほとんどだった。世間一般では中流家庭でも、医学部の中では貧乏の部類になる。当時の学費は6年間で…
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2016/12/19 12:31
(第6回)型破りの「文武両道」 =苦手克服より得意分野
「勉強ができるだけの偏差値エリートには負けない」「早く一人前になって患者さんを助けたい」。熱い思いで医学部に入学した天野氏は、浪人時代とは打って変わって勉強熱心な学生になった。 「いざ入学してみると、自分よりはるかに勉強ができ…
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2016/12/26 11:12
(第7回) 「先見の明」医局残らず =一般病院で手術能力磨く
入学時の初心を貫徹して、留年することなく1983年3月に日大医学部を卒業した。5月に医師国家試験に合格、順調に医師への第一歩を踏み出した。当時は卒業後、7割が出身大学の付属病院で研修を受けていたが、天野氏は医局に残らないことを…
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2017/01/10 14:38
(第8回) 父親再手術も、3年後に悪化=執刀の上司と決裂
心臓外科医としての歩みを語る上で、欠かせないのが心臓弁膜症を患っていた父親の存在だ。父親は若い時から病弱だったが、天野氏が高校2年の時に病状は目に見えて悪化。東京大付属病院で治療を続けたが、さらに悪化して手術が必要と診断された…
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2017/01/16 14:14
(第9回) 父の死「無駄にせず」 =心臓外科医究める原点に
埼玉県内の大学病院で行われた父親の3度目の手術には厳選されたスタッフが集められ、天野氏も手術室内での見学を許可された。僧帽(そうぼう)弁を交換するためには、手術中、心臓の動きを一時的に止める必要がある。その間の心臓の機能は人工…
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2017/01/23 11:36
(第10回) 新天地で年300症例 =失意の退職、気持ち固める
「もう現場に出てこなくていい」。父親の葬儀を終え、1週間ぶりに千葉県鴨川市の亀田総合病院に出勤した天野氏は、上司から突然言われた。事実上の解雇通告だった。父は上司が執刀した手術後、わずか3年で縫合不全を起こし、別の病院で手術を…
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2017/01/30 12:17
(第11回) オフポンプ手術で先陣 =「使命感」原動力に
数多くの症例を経験すると、従来の手術方法では救命できない重症患者に出会うことも増えた。天野氏の元には、他の病院では手の施しようがないとさじを投げられた重症患者が、次々に紹介されるようになった。そこで新たに挑戦したのが、人工心肺…
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2017/02/06 11:24
(第12回) 不安契機、善行心掛ける =「プラスの連鎖」と前向きに
手術の腕はどんどん上がり、症例数も伸びて手術数も年間493例、うち冠動脈バイパス手術は約350例でついに日本一になった。心臓血管外科医として表面的には順風満帆に見えたが、トップに上り詰めたことで、天野氏は内心、将来の漠然とした…
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2017/02/13 11:56
(第13回) 大学教授に就任 =マイナスからのスタート
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2017/02/20 12:38
(第14回) 若手育成は礼儀から =褒めずにチャンスを
人は褒めて育てるという考えが主流になり、医師の育成が難しくなってきたと言われる。後進の育成は天野氏にとって重要な仕事の一つだが、世間の風潮に合わせて若者に迎合するようなことはしない。 「われわれの世界はできて当たり前。結果がす…
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2017/02/27 11:46
(第15回) 大震災もひるまず執刀 =悔悟の念、吹っ切る契機に
東日本大震災が起きた2011年3月11日午後2時46分、天野氏は東京都文京区の順天堂医院で執刀中だった。手術室で当時行われていたのは僧帽弁置換術。自分の父親も3度受け、1991年の3度目に死亡した因縁の心臓手術だった。23区内…
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2017/03/06 15:06
(第16回) 人工弁適合性に気付く =父の死因、20年越しの解答
東日本大震災が起きた時、天野氏が順天堂医院で行ったのは僧帽弁置換術。以前勤めていた新東京病院で執刀した患者に対する再手術だった。大きく揺れる手術室で敢行した執刀で、父親と同じ人工弁を取り換える手術だったため記憶に残り、その後も…
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2017/03/13 11:16
(第17回) 天皇陛下の執刀医に =片付け中、1本の電話
「珍しく部屋の片付けをしていたら電話がかかってきたんですよ」。2012年2月10日午後3時ごろ、学校法人順天堂の理事長からだった。天野氏が「ここへ電話するように」と伝えられた連絡先は、皇室の医務を統括する宮内庁皇室医務主管。電…
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2017/03/21 13:17
(第18回)陛下の手術チーム始動=初ミーティングで成功確信
宮内庁は2012年2月12日、天皇陛下が心臓バイパス手術を受けられると発表。東大病院で6日後に行われる手術は、東大と順天堂大の合同チームが担当することになった。 執刀医の天野氏は「ワイドショーに自分の顔写真が出たけれど、毎日予…
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2017/03/27 10:55
(第19回) 平常心で丁寧な手術 =言葉遣いは混乱
手術当日の2012年2月18日を迎えた。天皇陛下の3本の冠動脈のうち「左回旋枝(ひだりかいせんし)」と「左前下行枝(ひだりぜんかこうし)」に、血管内部が狭まり血液が流れにくくなる「狭窄(きょうさく)」が確認されており、東大と順…
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2017/04/03 17:53
(第20回) 陛下手術で「秘策」 =心原性脳梗塞防ぐ
天皇陛下の心臓バイパス手術が行われた際、手術後に初めて公表された「秘策」があった。脳梗塞予防のための左心耳縫縮術だ。左心耳は左心房上部にある耳たぶのような突起で、そこを糸で縫い縮めて血液が通らないようにする手術という。 「心房…
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2017/04/10 12:19
(第21回) 「日常戻って初めて成功」 =健康寿命への思い強く
天皇陛下の手術が終わり、記者会見場となった東大講堂に向かうと、あふれんばかりの記者、カメラマンが待ち受けていた。着席するとテーブルにはマイクがずらり。部屋に入った瞬間にカメラのフラッシュが一斉にたかれ、天野氏はまぶしさに一瞬た…
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2017/04/17 15:21
(第22回) 埼玉知事選に出馬要請 =3日間「その気」に
2012年2月に行った天皇陛下の心臓バイパス手術で、天野氏の名前は全国に知られた。しかし3年以上がたち、「もう終わったことだから、そろそろ〝天皇陛下の執刀医〟からは卒業しなければ」と思うようになる。そこへタイミング良く、自民党…
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2017/04/24 10:47
(第23回) 「医師目指す動機付けを」 =高校生対象、体験プログラム
3年前に新聞社の後援を得て、天野氏は高校生を対象にした医療体験プログラムを開始した。公募した作文で選考し、医療者目線で、手術室や病棟などでの仕事を体験してもらう取り組みだ。 「外科医のなり手が少ないという危機感があるから、ちょ…
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2017/05/08 11:08
(最終回) 過去より未来、高み目指す =多忙や病気も前向きに
2002年に順天堂大学医学部の心臓血管外科教授に就任して以来、通勤に使う時間とエネルギーがもったいないから、月~金曜日まで病院に泊まり込み、教授室のソファで寝る生活を続けているという。16年4月に順天堂医院の病院長に就任してか…